佐賀バルーンフェスタの素晴らしいステージを終えた翌朝、早朝でした…
秋晴れの朝の空気を切り裂く様に、信じる事が出来ない“哀しい”などと言う生易しい言葉では到底表現もできない有り得ない、いや、あってはならはない電話が入りました。息を飲み心臓が止まるか?!というくらいのショックでした…。
infixが上京してプロ活動を始めた1990年からずっと我々と共に歩んで下さりライブ音響のほぼ全て、ツアーも…勿論、現在のワンマンライブも…
ずっと音響、PAを担当してくれていたinfix familyにも馴染み深い弘中雄三氏が8日未明、急逝されました。
想像すらしないし出来ない突然過ぎる連絡、訃報に僕は意識を失いそうになりその場に倒れ込みました。
雄三さんと何度も訪れた佐賀バルーンフェスタ…いつも一緒に泊まった宿で聞いた訃報…
信じられる訳がありません。ワンマンからまだ1ヶ月あまり、元気に仕事をして次のライブに向けた構想を練り始めた矢先の急逝。。「infixメンバーも集まった事だしバンドでライブをやろうよ!」 「ガミーちゃんのドラムの音を出したいんだ!!」…
それが最期に交わした言葉となってしまいました。そんな事って無いでしょ?! 神も仏もないんですか、この世の中には。体を大切にしてトレーニングも怠らない優しい兄貴分でした…。
事務所やメーカーが変わって関わるスタッフも変わってしまう中、唯一、デビューからずっと変わらず付き合って来た人でもあります。ただ一人、変わらなかったスタッフ、infixの音楽を全て知る最後の人でした。
これから色んな構想の実現に向けて動き出した矢先に、、新しいinfixのライブスタイルを模索していた矢先のあんまりな出来事に僕の心は折れて砕け散ってしまいました…。
雄三さんが居てくれたから昔のままの音や声でライブが出来ていました。音響はミュージシャンの命なのです…それを失くした今、僕の描いていた夢も露のごとくに消え去りました。
人が嫌がる仕事を率先して行いいつも他人を気遣って、人の悪を言わず自分の善も語らず自慢もしない。我が儘や無茶にも笑顔で応えてくれた兄貴でした。
綺麗で若い奥さんと結婚して幸せを掴んで何もかもが【これから!】という時に… 神様はあまりに残酷です。
いつも「いっそ死んでしまいたい」とクヨクヨと想っていた僕が生き残り、家庭も仕事も幸せの絶頂にあった雄三さんが先に逝くなんて…あまりに良い人だから神様が連れて行ったのか?!理不尽であり不条理すぎです。
正直、今は歌う気力もinfixライブをやる力も、またその手法すらありません。ワンマンライブを演る術を失ってしまいました。
片翼の翼、折れた翼では飛ぶ事も出来ません…
お願いだからもう僕から何も奪わないで欲しい。どうやって歌ったらいいのか?どうやって音を作ったらいいのか…20年間 信頼し安心して全てを任せて来たinfix 5人目のメンバー、、またやっと新しい夢を見付けて動き出したばかりの僕にはこれから先のビジョンが何も見えなくなりました。
葬儀場できれいで穏やかな顔をした雄三さんと何時間も話をして来ました。今にも起きて来そうな雄三さんは何も答えてはくれませんでした。未だ現実として受け止められません…ワンマンライブに偶然メンバー4人が揃ったのも雄三さんが呼び寄せてくれたのでしょう。懐かしい曲を僕に選ばせたのも雄三さんだったに違いない!と確信しています…必然だったのです。
棺に取り縋り泣く情けない僕を逆に「あなたが頑張らなきゃ雄三さんが怒りますよ」とご親族に気遣って戴きました。
頑張りたい、でも放心状態で脱け殻です。またゼロからマイナスに戻った心境です。
バルーンにまた全員で帰る事を誓った翌朝に…
infixのライブを一回でも観られた方、どうか弘中雄三が作ったinfix LIVEのあの最高の音や臨場感を想い出して雄三さんの冥福を祈って下さい。お願い致します。ライブの音や雄三さんの人懐っこい笑顔を胸のどこかに留めておいて下さい。
当たり前にある物など何もない…
人の命より重たい物など何もない…
生きとし生けるモノには必ず限りがある、だから“今”を生きる…
最後まで教えられました。有り難う、雄三さん、、安らかに。また向こうでライブ演りましょう。。。
合掌
infix vocal 長友仍世