松本零士「天賞堂は私にとってのアルカディア」

3年前に「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒットしたキューバを代表して、クラウディオ氏とパトリシア氏の両キューバ共和国大使館の参事官や、人気モデルでタレントのシェイラさん、ナタリーさん、
俳優の半田健人氏らの表敬訪問もあった。パンツェッタ・ジローラモさんが交通渋滞で間に合わなかったのは残念でした。
今年80歳になった松本氏は、いまから55年前、25歳の時に、機械式クロノグラフ(ストップウオッチ、積算機能付き腕時計)型のブライトリング「ナビタイマー」(セカンドモデル。Ref.806)を買ったのが天賞堂との縁の始まり。本トークショーを前に松本氏は、天賞堂とのかかわり、機械式クロノグラフが「世界的漫画家、松本零士」に大きく貢献したことなどを語ってくれた。
「当時、漫画の原稿料である全財産の5万円を持って池袋、新宿と時計店を順に回って、銀座の天賞堂の店員がようやく目の前に、ブライトリングのナビタイマーとオメガのスピードマスターを並べてくれました。スピードマスターは持っていた予算
の倍の値段(10万円)だから買えなくて、4万9500円だったナビタイマーを買いました。ほかにブライトリングの24時間表記のコスモノート、ナビタイマーのファーストモデルも並べてくれましたが、時間が見にくかったり、黒一色でこちらも見にくかっ
たのでセカンドモデルにしました。その時、10万円持っていたら、スピードマスターを選んでいたかもしれません。後年になって質屋かどこかで、中古のスピードマスターを手に入れた時は、手が届かなかった絶世の美女と親しくなったようでうれし
かったですね」と述懐。「後に少年ジャンプを500万部に押し上げることになる名物編集長が担当編集者だったころ、会うたびに彼は、私のナビタイマーを見ては、まーた、ガスのメーターをしてんのか、とからかったものです。暑い日に山手線に乗って
いて、秋葉原あたりで吊革に捉まっていたら、ナビタイマーのリザードベルトの接着剤が溶けてきて、ズルーッと時計が下がってくるのを手で押さえたこともありました。バイクで電柱に激突した時は風防が吹き飛びましたが、天賞堂がきれいに直して
くれました。文字盤上に一つ、そのときにできたへこみがあり、見えにくいですが私には見えます」。
「そのナビタイマーを買ってから15年くらいは、うれしくて寝ても覚めても腕に点けっぱなしでした。銀河鉄道999も宇宙戦艦ヤマトも、ナビタイマーを着けて描きました。テレビアニメの時は、声優さんのセリフの長さを計るのに便利でしたね。この時計をモチーフにして、計器類や銀河鉄道999の時間城などが生まれました」。
「さすがに15年も酷使すると、リュウズとかがふにゃふにゃとたよりなく感じて、これはイカン、この時計が死んだらどうしよう、と、質屋などを回って1個500円から5000円くらいの間でパーツ取りのために同型のナビタイマーを買い集めました。そのつい
でにロレックスの手巻式クロノグラフのデイトナや、オメガのスピードマスターのバリエーションなども集まりました。総勢700本(!)くらい」。現在、松本氏は、デイトナとスピードマスター・ムーンフェイズ(1985年製。1300本世界限定)を交互に
使っている。
25歳の時、天賞堂で買ったナビタイマーは、「今では買った時の木製台座に設置して、枕元で常に私を見守る守り神です。そんなナビタイマーと出会った場所、天賞堂は私にとって特別な店です。ナビタイマーには大いに助けられました。若い皆さん
も、いま店に並んでいる時計の中から好みのものを選んでください。現行品ならば頑丈で防水性もしっかりしているから、その時計がやがて、災害などの時にも、あなたの身を助けてくれることでしょう」などと述べた。
トークライブで松本零士氏は、地球環境のダメージの深刻さを憂い「いまは国同士、人間同士で争っている場合ではない」と警鐘を鳴らし、終盤では、「仕事を頑張って、天賞堂を訪れては、欲しいクロノグラフを次々と買うことができました。(私がそうであったように)若者は(すぐには)高い時計は買えないかもしれません。しかし憧れの存在である天賞堂があればこそ頑張れる。私にとって、天賞堂はアルカディア(理想郷)です」などと力強く締めくくり盛大な拍手を浴びた。