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ライフスタイルーデジタルフォト ismコンシェルジュ:伏見行介 板見浩史


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こころウキウキ、クリスマス

唐突ですが、皆さん、クリスマスすきですか?
私は、けっこういい歳なのですが、訳もなくクリスマス大好きです。
11月中旬からクリスマスソングを聴き始めます。最近は日本もクリスマスイルミネーションが盛んになり、なおさら心が浮き浮きしてしまいます。
さて、このクリスマスイルミネーションや夜景は、デジタルカメラになって撮影しやすくなった被写体の一つです。
フィルムカメラですと、撮影をして現像があがってくるまで、上手くうつっているかわかりませんでしたが、デジタルカメラですと、撮影結果がすぐに確認できるのです。もし思い通りに写っていない場合、これからご紹介する「ちょっとした工夫」で上手に撮影できるようになること、請け合いです。

ちょっとした工夫
イルミネーションや夜景を上手に撮影する、ちょっとした工夫を4つご紹介します。
1:ノイズリダクションの設定。
2:ホワイトバランスの設定。
3:露出補正の上手な利用。
4:測光モードの上手な利用。
以上を、撮影時に使えば、よりきれいな、イルミネーションや夜景が写せます。
なお、撮影は絞り優先Aモードで、自動で撮影しました。
では、その実際をご紹介しましょう。

ノイズリダクションの設定
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11393111.jpg
デジタルカメラの一般的特性として、長時間露出をかけると、画面の暗い部分にざらざらしたノイズがでてきます。また、撮影の時、感度を高くすると、高感度フィルムの粒子が粗いように、デジタルの場合はノイズがでてきます。その、ノイズを軽減するのがノイズリダクションです。
上は、Nikon D200の撮影メニューの設定画面ですが「撮影時ノイズ除去」「高感度ノイズ除去」ON,Highに設定をするとノイズリダクションが効くようになります。
これにより、画面の暗い部分のノイズ(ざらざら感)を弱める事ができます。
デジタル一眼レフならば、Nikonのカメラだけではなく、他社のカメラにも付いているので、夜景やイルミネーションの撮影前にはノイズリダクションをかならずONにしましょう。

ホワイトバランスの設定
次は、ホワイトバランスです。
普通は、ホワイトバランスをオートで撮影している場合が殆どだと思いますが、夜景やイルミネーションの撮影では、ホワイトバランスを晴天や電球モードにする事により、色が変ります。
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11395647.jpg
右の写真は、ホワイトバランスを電球に設定。左の写真はオートホワイトバランスで撮影しました。
同じ場所で撮影しても、ホワイトバランスの設定だけでこれだけ色が違います。
どちらが、正しい色という事ではありません。液晶モニターで確認して、自分好みの色の方で撮影すれば良いのです。

露出補正
3番目は露出補正です。
ちょっと専門的になりますが、カメラのオート露出というのは、黒い紙などを画面一杯に写すとグレイに、また白い紙を写すとこれもグレイに写るように設定されています。
下の作例写真のように、夜、暗い空が画面の割合に多い風景をオート露出で撮影すると暗い空がグレーっぽく写ってしまいます。
これは、画面のなかで、暗い空の部分の面積が大きいので、カメラがそこの部分をく計測して、暗い空がグレイに近くなってしまいます。まるで、夕方に写した写真のようですね。
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11401898.jpg
そこで、カメラの露出補正機構で-2にして撮影すると、下の写真になりました。
フィルムカメラですと、経験が必要だったこのような撮影も、デジタルカメラですとカメラの液晶モニターで結果をその場で確認できるので、経験や勘をたよりにする事なく簡単に撮影できるようになりました。

こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11403543.jpg
夜景に限らず、ステージ等、背景が暗い場合は、原則マイナス補正で撮影すると、結果が良いようです。
反対に、雪景色や、スキー場など背景が白い部分が多い場合は、露出補正をプラスにして撮影すると良い結果が得られます。

測光モードの上手な使い方。
殆どのデジタル一眼レフカメラには「スポット測光」「中央部重点測光」「評価測光」等の、光のはかり方の切り替えが付いています。詳しい説明は、それぞれのカメラの説明書を読んでいただくとして、光の測り方によって撮影結果が異なります。
ちなみに、測り方の難しい順から「スポット測光」「中央部重点測光」「評価測光」の順になります。
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_1141453.jpg
左の写真はスポット測光モードでツリーの明るい部分の露出を計り撮影をしました。右の写真は中央部重点測光で露出を計り、撮影しました。
左の写真の方は、ツリーや雪だるまは少し暗くなっていますが、天井は等は暗く落ちてツリーが浮き立って見えます。
被写体の何処の部分の明るさを計るかによって、写真の明るさが違って写るので、そのコツさえ飲み込めば、思ったような明るさの画像が写せます。

演出効果
夜景やイルミネーションは、きれいに写せるとそれだけでもきれいですが、ちょっと工夫をすると別の味がでてきます。
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_1141263.jpg

上の写真は、六本木ヒルズのケヤキ坂です。
車のライトや信号に十字の光がでています。上の方のレインボウブリッジの写真にも十字の光がでています。
これは「クロスフィルター」というフィルターをレンズの前に付けて撮影しているのです。

こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11414873.jpg
これが、クロスフィルターです。
十字の光りのでかたによって、サニークロス、バリクロス、スノークロス等の種類があります。
このての、フィルターは時々使うのが効果的で、使いすぎは禁物です。

下の写真は、お台場のクリスマスツリーを、ほぼ同じ角度から撮影したものです。
右側の写真は、自家製のクロスフィルターを付けて撮影しました。
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11421364.jpg


こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11423426.jpg
自家製クロスフィルターはレンズのプロテクターに、薬局で売っているワセリンを塗って作りました。
塗り方は写真のように、ラフに塗ればOKです。塗り方を失敗した場合は、ティッシュペーパーに水分を付けてふけば、簡単に拭き取れますので、何回でもやり直しがききます。


塗り方によって、ソフトフォーカスフィルターのようにも使用できますので、ワセリンは価格も安く、慣れてくると色々な効果を創れるので面白い素材です。


あると、便利なグッズ。
こころウキウキ、クリスマス_d0083899_11424711.jpg夕景やイルミネーションを撮影するのは夜なので、シャッタースピードは遅めにになります。
三脚を持って行って撮影すれば、ブレは解決しますが、いつも重い三脚を持って行動するのは大変です。そんな時便利なのが、ペットボトルのキャップに被せるだけで、三脚の代りになる」ヨドバシカメラで販売している」「ボトルンデス」という、三脚の代りになる製品です。
ただし、重い一眼レフは単独ではちょっときついので「ボトルンデス」を利用し、カメラに手を添えて撮影するだけで、ブレはかなり防げます。

これからのクリスマスシーズン、今回の4つのヒントを活用して、きれいな夜景の撮影をお楽しみください。
それから、最後にもう一つ、夜景+人物の撮影をするときは、ストロボの発光量を調節できるストロボならば、発行量を-1/2~-1段位で撮影すると人物も自然な光の感じで撮影できます。
# by nikondigital | 2006-12-18 11:45 | ライフ | Comments(3)

「薔薇刑」から「ガウディの宇宙」など、細江英公の世界にまるごとふれる

写真家・細江英公は、1960年代から今日にまで連なる日本現代写真の、重要な牽引役を果たした写真家の一人といっていいだろう。そればかりではなく、過去に数々の海外展やワークショップを開くなど、国外での評価も高い。また今年は、カリフォルニア・サンディエゴ写真美術館の主宰するセンチュリー・アワードで「生涯業績賞」を、また写真界のアカデミー賞と呼ばれるルーシー・アワードでは「先見的業績賞」を日本人写真家で初めて受賞して話題を呼んだばかり。

その細江英公の写真を初期から近作まで通して見渡せる展覧会「球体写真二元論:細江英公の世界」が、いま東京都写真美術館で開催中だ。貴重なビンテージプリントも含めて約200点の代表的作品が展示される。

発表順に簡単に流れを紹介すると、60年代を代表する「おとこと女」、「薔薇刑(ばらけい)」、「鎌鼬(かまいたち)」、70年代以降に発表される「抱擁(ほうよう)」、「ガウディの世界」、そして近年まで撮り続けた「胡蝶の夢 舞踏家・大野一雄」までが、代表的な作品群。

その時代性を反映した各テーマはそれぞれに見所があり、細江写真を理解するうえでひとつでも欠くことのできないものだが、なかでもこの機会にぜひとも観ておきたいのが、三島由紀夫をテーマにした「薔薇刑」。血走らせた目を見開き一輪のバラをくわえた顔のアップや、裸体にゴムホースを巻きつけて横たわり、あるいは木槌を頭に当てて屹立した日本を代表する作家の姿は、1963年に写真集として発表されると各界に衝撃を与え、その年の日本写真批評家協会作家賞を受賞している。

「薔薇刑」から「ガウディの宇宙」など、細江英公の世界にまるごとふれる_d0083899_11211647.jpg
(c)細江英公 「薔薇刑」より(1961年)

当時の細江は弱冠30歳の気鋭の写真家だった。奈良原一高や東松照明ら新進写真家によるセルフエージェンシー「VIVO」の結成に加わり、「おとこと女」ですでに写真界に認められてはいたものの、さらに大きくその地歩を固めたのは、やはりこの「薔薇刑」だといえる。エロスとタナトスのイメージに満ち満ちたこの作品を、三島由紀夫から「あなたの被写体になるのだから自由に撮ってください」といわれて取り組んだと細江は回述している。その後1970年の三島の自決事件にいたるまでの経緯を思うとき、若き日の写真家の鋭い直感と洞察力、そして天衣無縫な表現力にあらためて敬服せざるを得ないのだ。

細江写真にとってもうひとつ重要な部分を占めるのは、舞踏家の土方巽と大野一雄との宿命的な関係性である。写真家は彼らの肉体を借りて写真に生命を吹き込み、舞踏家は写真家によって永遠の肉体を与えられた。

土方巽が土俗的な精霊のイメージとなって風のように農村風景の中を駆け抜け、飛び回る「鎌鼬」(1970)は、山形県米沢での写真家自身の疎開時の原体験をモチーフのひとつとしている。農村が持つ、優しさや厳しさ、豊かさと貧しさと猥雑さなどといった、渾然とした日本の風土性を表現したもので、土方の郷里である秋田で撮影されたこの作品は、1969年度の芸術選奨文部大臣賞を受賞している。

「薔薇刑」から「ガウディの宇宙」など、細江英公の世界にまるごとふれる_d0083899_1129246.jpg
(c)細江英公 「鎌鼬」より(1965年)

男女の肉体が黒い背景の中でリリカルに、かつ多少のユーモアを湛えながら抽出された「おとこと女」(1960)からは、新しい肉体表現に挑戦しようという才気がいまも立ち昇っているようだ。また、それから約10年を経たのち、さらに洗練を加えて発表された「抱擁」(1969)は、三島由紀夫をして「もっとも純粋でアスレティックな美」と言わしめただけあって、ヌード写真における不変のポジションを確立した作品といえる。

「薔薇刑」から「ガウディの宇宙」など、細江英公の世界にまるごとふれる_d0083899_11291257.jpg
(c)細江英公 「抱擁」より(1969年)

このほかにも、サグラダファミリア大聖堂などで知られる異才・ガウディの建築を壮大な肉体と捉えて作品化した「ガウディの世界」(1977・1984)、大野一雄の舞踏する肉体に江戸の鬼才画家・蕭白の絵をスライド投影して重ね合わせ撮影した作品などなど、いまも芸術的挑発とサプライズにあふれた細江写真の真髄にふれることのできる貴重な展覧会としてお薦めだ。

また、時期をあわせて、「細江英公の<浮世絵うつし>と<鎌鼬>屏風・掛け軸・画帖」展が、12月15日~2007年1月30日まで文京区湯島ハイタウン1Fの羽黒洞画廊で開催。
さらに、細江作品の代表作を銀板写真やガムプリントなどさまざまな古典的プリント手法で再現する「細江英公名作各種プリント百花斉放」展が、芝浦のPGI「フォト・ギャラリー・インターナショナル」で2007年1月10日~30日まで開催される。
# by nikondigital | 2006-12-11 11:29 | ピックアップ | Comments(3)

繁栄と動乱の交錯する不確実な時代、それぞれの世界を見出した若き写真家たち

70年代の幕開けは、その後の日本の世相を象徴するようなイベントや出来事で始まった。1970年3月から9月まで「人類の進歩と調和」をテーマに大阪で開催された万博EXPO'70には6420万人以上が訪れ、万博史上最高の入場者数を記録。アメリカ館では前年に月面着陸に成功したアポロ11号が持ち帰った「月の石」の展示に長蛇の列ができるなど、各国のパビリオンは人類の明るい未来を予感させるようなムードにあふれていた。

しかし一方で海外に目を向ければ、長期化したベトナム戦争はいまだ続いており、カンボジア内戦まで誘発してむしろ戦火は拡大していたし、また国内においても安保や大学闘争や三里塚国際空港問題などで世情はまだまだ騒然としていたのだった。

同じ1970年の10月、一人の日本人カメラマンがカンボジアの戦場で命を落とした。優れた業績を残したジャーナリストに与えられるピュリッツァー賞(写真部門)を1966年に受賞した沢田教一である。迫り来る米軍の進撃から川を渡って逃げるベトナム人母子の切迫した表情を見事に捉えた受賞作「安全への逃避」は、沢田の代表作としてさまざまに紹介されているので見たことのある人も多いだろう。そこには、戦争という非情で過酷な運命に翻弄される人間の恐れや悲しみや苦しみが凝縮されている。そうした沢田の眼差しは民衆だけでなく戦う米兵士にも同様に注がれていて、多くの優れた戦場写真がそうであるように、単なる「戦闘の記録」ではなく、「人間」が写されている点で高く評価されている。

ベトナム戦争の時代、戦場を活躍の場に選んだ日本人カメラマンは沢田のほかにも多かった。PANA通信社特派員としていち早くベトナムに入った岡村昭彦はその後1965年に「南ヴェトナム戦争従軍記」で戦争の内側を描いてベストセラーとなった。また、戦場でつかのまの休息を取る兵士を捉えた「より良きころの夢」で1968年度ピュリッツァー賞を受賞した酒井淑夫、週刊朝日の特派で作家・開高健と同行取材をした秋元啓一、そして石川文洋、一ノ瀬泰造、峯弘道、嶋元啓三郎などが、ベトナムの戦場で活躍した主な日本人カメラマンといってよいだろう。

文字通り命をかけた撮影であるため、沢田をはじめその半数近くが戦場で命を落としている。なかでも1973年、ポルポト派の制圧下にあったカンボジアのアンコールワットへ潜入取材を試みて消息を絶ち、のちにその死が確認された一ノ瀬泰造の青春の軌跡は、その著書や映画「地雷を踏んだらサヨウナラ」「TAIZO」などでよく知られているところだ。

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戦闘中の取材で被弾した一ノ瀬泰造のニコン 撮影:早川文象

日本大学芸術学部写真学科を一ノ瀬が卒業したのは1970年。大学紛争も、大衆的な盛り上がりから徐々に不毛な内ゲバ闘争といった閉塞的状況へと向かい始める。冒頭に述べたように、明るくあるべき未来と眼前の困難な現実が不確実に交錯する当時の時代意識のなかで、若者たちがいま生きていることの実感を求めて海外へと向かう兆しが見えはじめてきた頃だった。たとえば、24歳から13年あまりにおよぶ海外の旅の所産を「印度放浪」「全東洋街道」などの著作に結実させ、のちに若い世代の圧倒的な共感を得ることになる藤原新也が、インドをはじめとするアジア諸国へ旅立つのもこの時代の少し前、1968年頃のことだ。

一ノ瀬の生き方を英雄視や美化したりすることは避けなければいけないが、一ノ瀬が命をかけて切り撮ってきたベトナムの戦場の写真は、僕たちの目の前にまぎれもないその時代の世界の一断面を見せつけてくれた。激しい戦闘シーンだけでなく、戦渦におびえる子供の無垢な眼差しや、戦闘の合間のベトナム兵士や女性や老人などの人間スナップにも優れていて、その若すぎた死を惜しむ声は今も絶えない。遺品となった、被弾し貫通した跡の生々しいニコンFブラックボディは、カメラに命と未来を託した一人の若者の心の形を残しているようで切なさを誘う。

1960年代後半、成田空港建設に反対する農民を密着取材した「三里塚」で写真家として出発した北井一夫は、70年代に入るとアサヒカメラの連載「村へ」で全国各地の農村の生活を撮り続け、1976年に第1回目の木村伊兵衛賞を受賞する。

一方で、斬新な肉体表現による2作目の写真集「NUDE」で1970年に高い評価を得た篠山紀信が、その後、山口百恵や桜田淳子などのアイドルたちを精力的に撮り始め、小学館から創刊された若者向け雑誌『GORO』でヌード・グラビアページ「激写」シリーズを担当し時代の寵児となっていくのも、この頃のこと。

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「村へ」1975年 (c)北井一夫

日航よど号乗っ取り事件、ディスカバージャパンブーム、連合赤軍浅間山荘事件、日本列島改造論、オイルショック、ロッキード疑獄…。繁栄と動乱が交錯する1970年代、若い写真家たちはそれぞれのアイデンティティーに従って、「世界を映し出す鏡」…つまりカメラという小箱を抱えて、その視点をさまざまな地平へ放ち始めたのだった。
# by nikondigital | 2006-12-05 20:06 | ヒストリー | Comments(1)