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ライフスタイルーデジタルフォト ismコンシェルジュ:伏見行介 板見浩史


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フォトグラファー伏見行介とフォトエディター板見浩史がおくるデジタルフォト情報。
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進む一眼レフの自動化と、女性フォトグラファーの活躍

1970年代も後半になると、一眼レフカメラのエレクトロニクス化と小型軽量化、そして低価格化がいっそう進むようになった。以前は機械式が主だったシャッター速度と絞り値の制御も、カメラに搭載されたマイクロコンピュータによりオート化されていく。そんなトレンドのなか、ニコンも絞り優先AE(設定した絞り値に応じてカメラが最適なシャッター速度を選ぶオート撮影モード)式の一眼レフ、ニコンFEを1978年に発売、手ごろな価格と高機能が受けて写真愛好家に大ヒットした。

そして80年代に入り、ニコンのDNAの粋を集めた最高級フラッグシップ機は、歴代のF、F2を経て、F3という進化形へと結実していた。電子制御式の露出機構や液晶によるファインダー内表示など、当時の先進的なスペックを堅牢なボディに内蔵したF3は、たちまちプロの信頼を勝ち得て、多くのハイアマチュアたちの垂涎の的になった。いままでのFシリーズの直線基調とは違い、丸みを帯びながらも精悍なフォルムをデザインしたのは、フィアットやアルファ・ロメオなどのカーデザインでも有名なインダストリアルデザイナー、イタリアのジョルジュエット・ジウジアーロだ。
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精悍さとお洒落心をあわせ持ったF3のボディデザイン

カメラのホールド性を向上させるために設けられたグリップ部に、くっきりと入った赤のラインがブラックボディに美しく映えて、僕たちにカメラの新しいデザインコンセプトというものを教えてくれた。ジウジアーロデザインは、その後も初心者や女性向けに開発されロングセラーとなった小型軽量のAE一眼ニコンEMや、次世代のF4にも継承された。

さらに1983年、カメラ市場に画期的な測光方式を持った一眼レフが登場した。マルチパターン測光方式を採用したニコンFAである。これは大まかにいうと、5分割した画面内のそれぞれの受光部で得られた測光値をパターン分析したのち、膨大な数の実写データに基づく演算プログラムによって処理し、自動的に適切な絞りとシャッターの組み合わせを決めるという方式。つまり、今までの中央部重点測光という方式では、逆光時や暗い背景での人物撮影などに露出を補正する必要があったが、FAはどんな条件でもぴたりと適正露出が得られるという素晴らしい機能を最大の特徴としていたのだった。

ちょうどこの年から、国内の代表的な写真・カメラ専門誌10数誌による「カメラグランプリ」の制定が決まり、年内に発売されたすべての機種を対象に、もっとも優れた1台のカメラを決定すべく選考が開始されていた。当然、FAは最有力機種のひとつとしてリストアップされていたが、他社からもユニークなマルチスポット測光という方式を持った一眼レフが候補として有力視されていた。画面の狭い部分だけをピンスポットで測光し、最大8点まで記憶・演算できるというもので、撮影者の意思を露出に反映できるという評価も高く、賞の行方は予断を許さなかった。

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世界初のマルチパターン測光を搭載したニコンFA

翌1984年6月1日の写真の日、港区の青学会館でカメラ記者クラブ主催の84カメラグランプリ表彰式が開催された。栄えある第1回目の受賞機種となったのは、ニコンFAだった。どんな撮影条件のもとでも適正露出が得られる、世界初のマルチパターン測光の搭載という画期的なイノベーションへの評価はもちろんのこと、1/4000秒の最高速シャッタースピードや実用的な撮影モードを内蔵した、一眼レフとしての機能バランスのよさに対しても高い評価を得たからだった。ちなみに昨年、2006年度のカメラグランプリは、デジタル一眼「ニコンD200」が受賞している。

事実、当時カメラ記者クラブの一員として選考に参加した僕もFAを実際に使って、わざと逆光の難しい条件ばかり撮影したものだが、現像後に結果を見て露出の正確に驚かされたものだ。「カメラが光を判断して制御している…」と。その後、「評価測光」「多分割測光」など、名称は違えどニコンの方式を他のメーカーも追随し、フォトグラファーは露出決定の苦労からかなり開放され、作画やシャッターチャンスに専念することが可能になった。

その後、80年代の半ばから90年代にかけて一眼レフのAF(オートフォーカス)化が進むと、その傾向にさらに拍車がかかる。視力に自信がなく写真から遠ざかっていた年配者や、メカニズムに弱いため写真を敬遠していた女性たちが写真の世界に参入するようになってきたのだ。特に写真・カメラ専門誌などの月例や全国コンテストでも、目立って女性の応募や入選が増え始めたのも、この頃に端を発するといっていいだろう。

長い間、その写真の専門誌を通じて見てきた経験からいえば、もともと女性は写真に向いていると僕は思っている。カメラという機械が好きで、写真をわりと「アタマ」で考えがちなオトコとちがって、女性はあまりカメラの機種だとか機能にこだわらない傾向がある。シャッターを押して「見たように、感じたように写ればいい…」のである。写真へのモチベーションにしても、カメラへの興味よりメンタルな部分にあることのほうが多いようだ。だから、それだけ女性のほうが、煩わしい「写真のお約束事」を離れ、自由に新しい写真が撮れるのではないかと思っている。

事実、2000年以降の木村伊兵衛賞をはじめとする各写真賞での女性の活躍は、発想やモチーフの豊かさにおいて前述したことを実証しているだろう。もちろん、カメラがまだ不便だった時代から社会的ハンデを乗り越え写真を撮り続けてきた、女性報道写真家第一号の笹本恒子をはじめ、常盤刀洋子、今井寿恵、吉田ルイ子といった数々の女性フォトグラファーたちの名を上げることもできるが、カメラの自動化がそれに続く多くの女性たちにとっての間口を広げ、新しいフォトグラファーの誕生に貢献することは間違いないことだろう。

かつて、ヒトラー時代にベルリンオリンピックを記録した映画「民族の祭典」「美の祭典」の撮影監督を務め、戦後はフォトグラファーとして活躍した女性、レニ・リーフェンシュタール。60歳を過ぎてからアフリカのヌバ族を取材撮影し、70歳を過ぎてダイビングの免許を取り世界最高齢のダイバーとして海中写真に挑んだ彼女は、NIKONの愛用者だった。2003年に101歳で天寿を全うしたが、いま彼女が生きていて、軽く小さく自動化が進んだデジタル一眼D40を持ったら、どんな写真を撮ったことだろう…。昨今の女性たちの逞しい好奇心と行動力を思うとき、ふとそんなことを考えてしまうのだ。
by nikondigital | 2007-01-15 16:14 | ヒストリー | Comments(0)
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