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ライフスタイルーデジタルフォト ismコンシェルジュ:伏見行介 板見浩史


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「時代」を貫く写真家たちの眼差し

当たり前のことだけれども、写真は「いま」しか写せない。まだ見ぬ「未来」も、過ぎてしまった「過去」も写すことはできない。そして、写し止められたばかりの「いま」にしても、それはたちまちマリンスノーのように絶え間なく降り注ぐ時の堆積の中で「過去」となってしまう。だから多くの場合、写真にはある種の「切なさ」がつきまとうのかもしれない。

だが優れた写真は、そうした感傷を断ち切りながら「凍結されたいま」の輝きをいつまでも持ち続けているものだ。特に、ひとつの時間軸のなかで何人かの写真家の作品が展覧会として体系的に構成されたとき、個人の眼差しで捉えられた「いま」は、普遍的な「時代」へとその意味合いをドラスティックに変えてゆく。そんな魅力に満ちた写真展が、10月7日から年末まで2ヵ月半にわたって4部構成のロングランで開かれている。

10月に銀座7丁目に移転する「銀座ニコンサロン」の開設記念として開催されている特別企画展がそれ。『戦後日本』『私という記憶』『世界の響き』『都市の鏡』の四つのカテゴリーに分けられ、木村伊兵衛、土門拳といった日本の近代写真の立役者からはじまり、江成常夫、荒木経惟、長倉洋海、小林紀晴、土田ヒロミ、森山大道など延べ20人の著名作家の作品が各期間ごとに展示される。
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「東京・網目の世界」より (c)森山大道


この写真展の見所といえば、各作家の総花的な代表作のピックアップではなく、先に紹介した各カテゴリーのなかにおいて、その作家のその時代でなければならない作品群がチョイスされているということだろう。たとえば『私という記憶』で展示される、若い人たちにも人気のある荒木の作品「わが愛 陽子」(1976)と関連作品は、最愛の妻を新婚生活の前後から家庭内のプライベートまで含めて写し続けた伝説的な私写真で、その後の若い写真家たちに与えた影響は大きい。アラーキー・ファンなら、これだけでも一見の価値ある写真群だ。
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「わが愛 陽子」の関連作品 (c)荒木経惟


また『世界の響き』では、世界の紛争の中で常に弱者の側に身を寄せながら、悲しみに打ちのめされながらも逞しく生き抜く庶民の姿を僕らの眼前に突きつけてくれる長倉洋海の代表作「エルサルバドル 内戦と人々」(1983)、そして9.11同時多発テロ3年後のNYに自らの虚無と喪失感を重ね合わせた小林紀晴の「White Panic 9.11からの日々」(2003)など、前者と後者に20年という時間差がありながらも、人々の苦しみの背景にある本質は基本的に変わっていないことを僕らに教えてくれる。
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「White Panic 9.11からの日々」より (c)小林紀晴


個性的な写真家の眼が「都市」をどう捉えどう表現したか、という『都市の鏡』というカテゴリーは、ある意味で都市生活者にとっていちばん刺激的なテーマといっていいだろう。土田ヒロミ、森山大道の初期作品を再発見する得がたい機会だし、内山英明が捉えた知られざる日本の地下施設の妖しく幻想的な映像「JAPAN UNDERGROUND」(2000)も、他の4人の都市のイメージと合わせて観照すれば、その意味合いがことさらに深まるに違いない。
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「JAPAN UNDERGROUND」より (c)内山英明


また、石内都の実質デビュー作とされる「絶唱―横須賀ストーリー」(1977)は『私という記憶』のカテゴリーで展示されるが、ザラザラと乾き、見る者の心をヒリヒリとさせるような素粒子のモノクロ作品は、写真の芥川賞とも言える第4回木村伊兵衛賞の受賞作品でもあり、この機会にぜひ見ておきたいものだ。
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「絶唱、横須賀ストーリー」より (c)石内都

なお、石内の近作「mother’s」は、昨年ベネチア・ビエンナーレ日本館で開催されたことを記念して、11月5日まで恵比寿の東京都写真美術館で開かれている。亡くなった母の口紅や靴や下着などの遺品を淡々とクールに撮り続けた石内の仕事は、同性として微妙な距離感を持った母へのレクイエム(鎮魂歌)であり、撮ることを通して母を見つめなおす行為であったに違いないと思う。ニコン展でのデビュー作と併せ見ると、写真家にとっての「いま」と「過去」の重さについて、あらためて考えさせられる。
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「mother’s」より (c)石内都


銀座ニコンサロン
「戦後日本」<10/7~24>
Ⅱ「私という記憶」<10/25~11/14>
Ⅲ「世界の響き」<11/15~12/5>
Ⅳ「都市の鏡」<12/6~28>

東京都写真美術館 
「石内都 Mother’s」<9/23~11/5>
by nikondigital | 2006-10-23 11:59 | ピックアップ | Comments(2)
Commented by mugnum-yoda at 2006-10-31 02:03 x
アラーキーさんとは同じ電車を利用していたことがあり。
何度かお話させていただきました。僕は当時ミリオン出版系の退廃芸術系の
アートディレクションを思考中でアラーキーさんの視点は為になりました。
ワンダーウーマンの腕時計がかっこよかったなあ〜
Commented by kashin at 2006-11-11 07:32 x
アラーキーの作品を観て来ました!陽子さんの遺影を抱いた写真の前で、泣きそうになりました。この1枚だけで天才と言われている意味が理解できました。本当に悲しくて、愛おしい作品です。いま思い出してもウルウルしてきます。
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