2016年 05月 16日
すごかった日本人!と米会所
ファイナンシャルプランナーの三次理加です。
さて、前回触れたように大阪の「堂島米会所」は、五代様こと五代友厚氏、NHK朝ドラの主人公のモデル広岡浅子氏と深い関係にあります。
今回は「そもそも堂島米会所とはなにか?」について解説します。
皆さんもご承知のように、江戸時代は米遣い、つまりお米中心の経済でした。税金は年貢として「お米」で納められ、武士への給料も「お米」で支払われていました。
でも、「お米」を持ってお買い物に行くのは不便ですよね?
もちろん、当時も現在同様、お金は存在していました。そのため、武士がモノを買う際は、お米をお金に換える必要があったのです。ここから両替市場として米相場が誕生しました。
お米をどのようにしてお金に換えたのでしょうか?
当時、諸国の大名は、年貢として納められ米を大阪の蔵屋敷に保管していました。蔵屋敷を管理する掛屋は米切手を発行し、入札を行います。落札した業者(米仲買)には米切手が渡されます。米切手の所有者は、米切手と代金を掛屋へ持参すれば、いつでもお米を手に入れることができるようになっていました。

また、米切手は、堂島米会所において売却し現金化できるほか、入替両替に差し入れて資金の融資を受けることもできました。入替両替とは、米切手を担保に貸付を行う両替商のことで、資金力のある商人でないとなれないものでした。ちなみに、広岡浅子氏の嫁ぎ先である加島屋は、大阪で大手の入替両替商です。
この堂島米会所は、1730年に幕府公認で設立された市場です。同所には、お米の現物市場である「正米(しょうまい)市場」、お米の先物市場である「帳合米(ちょうあいまい)市場」の2種類の市場がありました。
正米市場で取引されていたのは、証券化したお米である米切手。帳合米市場では、現物の受け渡しを伴わず「買ったものは転売」「売ったものは買い戻し」という差金決済による取引が行われていました。
この差金決済による取引は、今でこそ世界中の様々な取引所で行われていますが、堂島米会所が世界で最初に確立させた取引手法。驚くべきことに、堂島米会所は、現代にも通じる仕組みを有していました。そのため、堂島米会所は「世界初の先物取引所」といわれています。金融といえば、欧米が最先端、というイメージがあると思いますが、江戸時代は、日本が最先端だったのですよ。まさに「びっくりポンや~」ですね。
次回は、五代様と堂島米会所の関係についてご紹介します。お楽しみに!