他人を非難したくなった時 心を覗いてみたのなら

あら、いやだ
このひとったら…015.gif


電車のなか 道を歩いているだけで
ついイラッとさせられることはありませんか


職場や学校などいつも行く場所に
そんな人がいたらストレスを感じますよね


そんなとき

しょうがない
しょうがない
自分の常識は他人の非常識だから

なんて自分に言い聞かせたり

こんな他人の言動にイラつくなんて
私って心が狭いのかしら


なんて反省してみたり
反応は様々だと思います


先日見つけたライブドアbizの記事はなかなか興味深い
記事を見つけたので以下そのまま抜粋してみました



責める、非難するという行為は、痛みを吐き出す手段である。

 私たちは、他人を責める。きつい言葉を投げつけ、独善的な怒りという楽な方向に流れようとする。
あるいは私たちは、自分を責める。出来損ない、負け犬だと自分をののしる。
そして、どうして自分はこんなに情けなくて、孤独で、胸がムカムカするのだろうと考える。
いずれにしても、他人や自分を責めたところで、いい気分になれないのは同じだ。


今度、理由は何であれ、誰かや自分を責めたい気分になったら、その言葉を口にする前に、好奇心を発動させてみたらどうだろうか。
米ニューヨーク在住のサイコセラピストで認定臨床ソーシャルワーカーの
ヒラリー・ジェイコブス・ヘンデルは、次のように自問してみることを薦めている。

・友人を責めようとしている私が感じているこの感情は何なのだろうか?

・自分を責めようとしている私が感じているこの感情は何なのだろうか?

・自分や他人を非難または軽んじようとしている私が感じているこの感情は何なのだろうか?

・過食やお酒に走ろうとしている、あるいはくよくよと考えそうになっている私が感じているこの感情は何なのだろうか?

・急に自意識過剰になっているのはなぜ? 私のなかで何が起こっているのだろうか?

 好奇心を発動させることは、脳にも良いことがわかっている。
好奇心を持った瞬間、有害な衝動は阻止され、心にスペースができる。
自分自身について新しい発見をし、心の奥底を探ろうという習慣が身につき、
それを続けることで柔軟な精神が形成されていく。そして柔軟な精神があれば、
問題がエスカレートする前に解決することも可能になる。

 


ヘンデル自身もあるとき、知人とうまく意思の疎通が図れなかったことがあり、
相手が自分を誤解していることに怒りを感じて責めてしまった。
さらにその後、相手にうまく伝えられずにそうした緊張関係を作り出してしまった
自分も責めるという事態に陥ったことがあったという。


しかし、前述のように自分の感情を見極めようと自問を始めた。最初に感じたのは痛みだった。
それから、不快感と、そこから逃げ出してまた(誰かを)責めたいという気持ち。
だが今度はそうせずに、さらに自分の感情を見つめた。悲しみ、怒り、恥ずかしさ、不安。


一度深呼吸をしてから、さらに感情を見つめ続けていたところ、
ふっと痛みが和らいだのを感じた。残されたのは、悲しみと、この状況に傷ついた相手と自分両方への同情だった。
相手も自分も苦しんだ、今はそのことを心に留めておけばいい。それで気が楽になったそうだ。

via:psychcentral・translated mallika


以上


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自分の心の奥底にあるものと
つながり声を聞くことをサポートしてくれます
それはきっと今までと違う真実を教えてくれるかもしれません









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篠田恵美 ブログ


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