
物語を旅する
探検家髙橋大輔
ニューヨーク、70番ストリートには探検家クラブの本部がある。
ガラス張りの摩天楼の輝きの中で、その古色蒼然たるレンガ造りの建物には探検の歴史そのものを見ることができる。
中に入ると、受付があり、その脇には「MEMBERS ONLY」と札が掲げられたラウンジがある。
かつてビックゲーム・ハンティングの時代にメンバーがアフリカから持ち帰ったさまざまなトロフィー、なかでも一対の巨大な象牙が暖炉の前に据えられている。
メンバーはそこで探検の計画について話し合い、地図を広げ、あるいはバーボンを1ショット、2ショットぐっと飲ったりする。
旅への思いが無性に高ぶっていく。未知なる世界、その前途への見果てぬ夢、さめやらぬ興奮。
探検家にとって、ニューヨークのこの建物こそが、出発の地であり、また帰ってくるべき場所であった。
かつてここからノルウェイのトール・ヘイエルダール博士も旅立って行った。かの有名なコンティキ号の航海。筏で太平洋へと漕ぎ出すことで、ポリネシア人のルーツを
南米のインディオに求めようとした。かれはその航海へと乗り出す前に、探検家クラブでしばしの時を過した。図書館には探検計画を練るための様々な本が棚にぎっしりと並んでいる。
マップルームには、探検家自身により製作された地図がたくさんストックされている。ヘイエルダール博士はそれらにじっくりと目を通し、思考を重ね、そしてクラブの大きな地球儀を使って、航海の計画を完成させた。その地球儀はいまでもクラブにある。
またそこには世界各地からの様々な品が展示されている。世界最高点、8848mのエベレスト頂上に人類史上初めて足を踏み込んだエドモンド・ヒラリー卿。
現在、クラブの最高顧問を務めているそのかれがかつてヒマラヤの奥地から持ち帰ったイエティ(雪男)の頭皮、そんなものもそこにはある。多くの探検家がそうやってここをマザー・グラウンドとし、帰還後は講演を行った。毎週、レクチャープログラムが組まれ、ここにくると世界中での探検や冒険、発見の話がもちきりで、楽しさのあまり時の立つのも忘れてしまう。
ここにはかのハリソン・フォード氏もやってきた。映画『インディー・ジョーンズ』の役作りは、やはりこのクラブで完成され、世界中の人々を魅了したあの冒険が誕生したのである。
映画の中のストーリーは完全にフィクションではない。そこには実在した探検家の体験が散りばめられ、そしてスリリングに脚色が施されている。あのおなじみの帽子と革ジャンのコスチュームもまた、実在した探検家にプロトタイプを見つけることができる。第一話の南米の遺跡で大きな丸い石がころがっくるシーン。その遺跡もまた実在した探検家が探し求めて失踪した実話が下敷きになっている。インディー・ジョーンズは、全ての時代の全ての探検家、そのものだといってもいい。
クラブは価値があると認める探検計画に特別に携行用のクラブ旗を貸与する。その旗はすでに世界最高点、両極、深海、宇宙、あらゆる場所へ探検家と共に出かけていった。
深海に沈没したタイタニック号を発見したロバート・バラード博士、ルーズベルト大統領も退任後は南米の奥地へと出かけている。そんな様々の探検の中で、故植村直己氏が北極点単独犬ぞり行を成し遂げたときに与えられた探険家クラブ旗も、現在、講堂の壁面に飾られ、その壮挙がたたえられている。
1992年に正式なメンバーに認定されてから十年。2002年、わたしもようやく探検家クラブの講堂に立ち、自らの旅について語る機会を得た。
ロビンソン・クルーソーの旅についての話。
おなじみ『ロビンソン漂流記』はいまからちょうど300年前に実在したスコットランドの船乗りの無人島漂流体験をもとに書かれている。
わたしはその実在のロビンソン、アレクサンダー・セルカークの冒険と生涯を追跡してこれまで文献と現場への旅を繰り返してきた。もちろん島へと渡り、そこでロビンソンの無人島生活を体験もしてみた。そしてかれの足跡を追ううちに、無人島で二つの小屋を立てて生活していたことを突き止めた。しかもそれはいまだ未発見のまま。
もしそれを探し当てたら、それこそまさにロビンソン・クルーソーの家、ということになる。心は熱くなり、とりつかれたように旅に出た。
そしてついにわたしは十年越しにそれらしきものに出くわすことになったのだ。
探検家クラブでの一時間半にわたる講演は立ち見がでるほどの満員の熱気に包まれるまま、わたしにとってはまるで瞬く間のことのようであった。
大ホールの壁には、故植村直己氏が北極点へと持っていった旗が掲げられていた。それに見守られるようにわたしは、ロビンソンの探検のこれまでの紆余曲を述べ、
また夢を語った。夢とは、発見できた遺跡を発掘したい、という一途の思いだった。
探検家にとって、人前で夢を大声で語ること。それはある種の勇気を必要とする。探検や冒険の企図は実現ができるか、できないかは紙一重のようなもの。
しかし、わたしにとって夢を語ることが、実現への扉を開くものとなった。
折りしも2004年から2009年までの4年4ヶ月間は、アレクサンダー・セルカークが無人島生活をした300周年のメモリアル・イヤーに当たっていた。
そしてこの記念すべきタイミングで、実在したロビンソン・クルーソーの住居跡の発掘に着手するという計画に、探検家クラブはわたしにクラブ旗を提供してくれることになった。
さらにワシントンDCにある、ナショナル・ジオグラフィック・ソサエティはこの計画を正式なプロジェクトと認定し、発掘資金を提供してくれることになった。
探検家を志した一つの動機、わたしにとってはシュリーマンが大きな影響を与えた。誰もが作り話だと思い込んでいたギリシア神話、ホメロスの物語に出てくるトロヤという町。それを実在したと信じた彼は信念と努力でついにそれを掘り当てた。感動的なその成功譚の中で、とくにわたしは彼が荒唐無稽な物語を信じ続けた点に大きなインパクトを感じた。
確かに多くの発見、それらは荒唐無稽のものと誰もが相手にしないような物語と真摯に向きあうことからもたらされている。ヘイエルダール博士のコンティキ号による航海も、南アメリカのインディオの神話がそのはじまりにあった。ハイラム・ビンガムのインカの空中都市、マチュピチュの発見も地元の人の取るに足らないような話からもたらされている。
このように神話や伝説はこれまで未知への探検の大きな目標になってきた。
フィクションとにノン・フィクション。作り話だと思っていた『ロビンソン・クルーソー』の背後に潜んでいた実話。
そこに大きな発見されるべきものの気配を見い出したわたしもまた、神話や伝説に探検の広大な沃野を見る思いがした。
神話や伝説の中に潜むリアリティ。フィクションとノン・フィクション、その二つが重なるグレイゾーンへの旅は物的証拠を求めつつも、人間のこころを探求するというものに違いない。それはまた人間の夢への探求であり、地球を舞台とした謎解きでもある。
物語を旅する。
ロビンソン・クルーソーをはじめ、
浦島太郎などの日本の昔話、アイヌの伝承コロポックル、沈んだ高麗島伝説、シバの女王、ブラジルの失われた都市エル・ドラードなどなど。
探検の最大の醍醐味は結果以上にそのプロセスにある。
このブログを通じて、探検に興味を持つ方々と共に旅をしてみたい・・・そんな思いで今、大いなる物語の原野に立ち、そのはるかな地平線を見つめている。
(写真はニューヨーク探検家クラブにて。講演の後、植村直己氏が北極点犬ぞり単独行に持って行ったクラブのフラッグを背景に)