浦島太郎がその根元で玉手箱を開いた「しわ榎」がある京丹後市網野町。
その周囲の歴史を調べてみたら、ここには縄文時代から人が住みついていたことがわかった。
近くの浜詰集落からは遺跡が発掘され、現在ではその当時の住居が復元されて自由に見学できるようになっていた。
この浜詰遺跡は、目の前がすぐに海。縄文人というと山に入って栗やどんぐりを拾ったり、いのししを狩ったりと、山の中での生活をイメージしてしまうが、ここにいた縄文人は海人だったことがわかる。
浦島太郎と縄文の海人族、そこはかとなくそのつながりがしのばれてくる。
(写真:浜詰遺跡の復元住居。昔、学校の歴史の授業で勉強した竪穴式住居だった。)