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高田唯の中国語ウェブサイト
 ライター渡部のほうです。
 
 もう1年以上も日本から出ていない。さすがに国内にいて日本の常識に沿って生活をするのが当たり前になり、心地よさと同時に何か大事なものを見逃しているのではないかと不安になったりもする。

 そんなところに、高田唯(以下、人名敬称略)の中国語ウェブサイトを見て、ここ数年中国に行っては刺激を受けて帰って来た感覚を呼び起こされた。

 高田唯の中国語ウェブサイト https://takadayui.com が公開されたのは3月3日。高田唯の所属する事務所オールライトグラフィックス http://www.allrightgraphics.com から、中国語版が出来たとお知らせが来た。

 オールライトグラフィックスのウェブサイトも表紙が常に違うものに溢れ刺激的だが、高田唯の中国語ウェブサイトはもっとストレートで、言ってしまえば荒削りな印象もある。

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 表紙はまず大胆な色のバーが目に飛び込んで来る。時系列にプロジェクトの新しいものが上に、古いものは下に。新しいプロジェクトができるたびその記録が積み上がっていく積木のような方法だ。
 プロジェクト名をクリックすると解説画面に行き、1つのプロジェクトに対し解説の文章と画像もしくは動画が1つか2つ、と極めてシンプルな構成だ。
 
 制作チームは高田唯始め、オールライトグラフィックスのプロデューサー高田舞、東京造形大学の院生陳文亮(チェン・ウェンリャン)、学部生の王睿宇(ワン・レイユ) の4人。

 このサイトでは見てすぐ分かる直球さだけでなく、中国に行ったときに感じたような大胆さ、スピード感も感じさせる。日本から発信されたウェブサイトで、グラフィック全体を監修しているのは日本人の高田唯なのだが、どこかしら中国を感じさせる。
 恐らくそれは、色の大胆さ、色のバーのどこを押せばいいのかすぐには分からずうろうろさせるちょっとした曖昧さ、かと思うとクリックするとすぐに、はい、これですよ、と1枚で見せてしまうあっけらかんとした感じ。こうした細部の積み重ねが日本のサイトっぽくなさを作っているのだと思う。

 また、制作スタッフが若いというのも、私の考える中国イメージに合致している理由なのではないか。

 オールライトのプロジェクトはグループワークがものを言う。高田唯がADとして立つのだが、高田唯が決めた事に沿って皆が従って働くという方法ではない。チームそれぞれが意見を出し合い、自由に発言、提案する。最終的に決定するのは高田唯にしても、その間にあったプロセス、その中に含まれるニュアンスを大事にしながら最後の決定へと進む。

 陳、王の日本のデザイン観、中国のデザイン観、そして個々に持つデザイン感覚は高田のそれとは当然違う。彼らの中国デザインに対する印象はネガティブとも言えるが、それに対するチャレンジも忘れていない。

「日本のデザイン環境は既に成熟していると思います。一方で、中国はまだスタートしたばかりですね。まだ道が長いですが、中国のデザイナーたちは歩いていくどころか、もう勢いて走っているようです。こうしたデザインの発展経緯もあって、中国と日本のデザイン生態は若干異なっていると思います。
デザイナーが言うコンセプトも理論的で難解なものが多く、一般の人びとが理解できない。今回のウェブサイトはミーティングを重ね、作品の説明は硬い文章ではなく、高田先生がリラックスした言葉でコンセプトを説明する言葉になっています」(陳)

「中国のデザイン歴史は実は短く、社会全体にアートやデザイン教育の意識がないため、多くの人が望むデザインは贅沢で豊かで目まぐるしい。多くやればやるほど派手にすればするほど、デザインの価値を表現でき、ますます目を引くことができると思っている傾向があります。ただ、中国の現在のグラフィックデザインは新しいものをどんどん吸収して受け入れていく段階にあると思います」(王)

 陳、王は中国のデザインに対してややネガティブだが、その成長発展の様は、成熟したと彼らが言う日本のデザインから見ると新鮮でパワーに溢れ、うらやましさすら感じるのだ。

 高田唯のアートディレクションはこうした中国の傾向も理解しつつ、人びとに訴えやすい分かりやすさ、大胆さを持ちつつ、とはいえ走りすぎないほどほどのところを押さえている。
 私が中国語の高田唯ウェブサイトに感じるのは、日本と中国の程良いハイブリッド感だと思う。

 また、実際のスピード感もある。サイトを作る案が出たのは今年の2月で、3月の公開、と速い。このスピード感もやはり陳と王の若い二人の動きの速さに依るところが大きいだろう。

 蛇足だが、若さについて触れた亀倉雄策の言葉がある。
「歴史に残る作品というのは全く別な、文化的角度から評価したものである。デザインそのものの経済社会的評価は今現在が問題なのである。だから新鮮な感覚が評価を左右する。デザイナーは常に若くなくてはならない。つらいことである」『毎日新聞』1977年

 世界の亀倉と言われ、自らのスタイルを確立し、それに満足していたかのように見える亀倉雄策も、常に新鮮な感覚を模索していたのだ。そして、それを「つらい」と言う。常に感覚を若く持つのは容易な事ではない。

 


# by dezagen | 2021-03-21 22:21 | グラフィック
制作の裏側で 見えない苦労
 ライター渡部のほうです。

 先日ブログに書いた『祈りのかたち展 vol.2』
 ブログをアップした後、かなり制作に苦労した、と聞き、どんな風に作って行ったのか東京造形大学工房の王亜京(おう・あちん)さんに話を聞いた。王さんは工房職員として工房機械を使いこなす学生の強い味方。主に立体作品の制作補助をしている。

 例えば、修士課程の小柴優さんが担当した、新しい位牌のコンセプトモデル「Hiyori」。
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 位牌の装飾を排除し、すっきりとした木の造形物に。
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 上のリンクの映像を見てもらうと分かりやすいが、おりんを鳴らすと音に反応し、戒名が光って見える、というものだ。
 このふわっとした光を作る為に、中に苦労が隠れていたのである。

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 制作方法は前後2つのパーツに分けて削り出した後、前面の方に文字が透ける程度に板を残し、レーザーカッターで文字を彫り込んだ。
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 文字部分の板が厚すぎては文字がはっきり見えないため、薄くしたいのだがレーザーでの加工では、慎重にやらないとすぐ穴が空いてしまう。王さん曰く、この適度な中間の具合を作るのが難しく、何度も失敗した、とのこと。
 1回レーザーで穴を空ける形で文字を抜き、その上に薄い突き板を貼ってはどうか聞いてみたところ、テーパーが掛かっている形だけに、突き板ではきれいに木目がでにくい、とのこと。
 となると、やはりこの突き抜けない程度に極薄の板を残しながら掘る、という方法になるわけだ。

 完成品5個に対し失敗作は3,4個、しかも切削にかかる時間は1パーツ2日というから苦労も偲ばれる。デザインは表面だけではない。大変な苦労と制作スタッフの努力が物の制作には隠れている。


# by dezagen | 2021-03-18 14:20 | プロダクト・パッケージ
今この状況のミライトワとソメイティを考える
 ライター渡部のほうです。

 先日、郵便局でオリパラリンピックグッズを目にした。ひょっとしたらレアグッズになるかもしれないこれら、買うべきか?
 普通、あるいは自分の趣味性から言えば絶対買わないんだけども、絶対、とは言い切れない。デザイン史上貴重なものになるのかもしれないのだから。
 以下、オリンピックとパラリンピックをまとめてオリンピックと表記。

 特に気になったのはオリンピックマスコットのミライトワとソメイティのついたボールペン(だったかな?)などのグッズである。
 何も郵便局だけで買う必要もないので、オフィシャルオンラインショップのマスコットコーナー https://tokyo2020shop.jp/contents/2020mascot を見てみる。
 まず筆頭に出て来るのは双眼鏡。無観客かどうか分からない状況ではかなり有用性が問われる商品だ。他にもあるわあるわ、アパレル、ファッション小物、応援グッズ、文具雑貨伝統工芸…。

 オリンピック等の大きなスポーツイベントがある度に、こうしたオリンピック関連商品があるのを当然のように思っていた。自分はほとんど買う事がないのだけれど、と、思っていても競技を見ていて夢中になってくると欲しくなってきたりする。

 関連商品というのはいつ頃から出てきたのだろうか。『ヴァナキュラー文化と現代社会』ウェルズ恵子編、2018年、思文閣刊の中「ヴァナキュラーな消費文化の展開――メディアイベントとしてのオリンピックをめぐって 」関口英里著、によればスポーツイベントであるオリンピックのメディア、エンターテイメント化は1960年スコーバレーオリンピックでディズニーが関わってきた事から始まっているようだ。それは1964年の東京オリンピックにも引き継がれた。
 関口は以下のように書いている。

「日本のメディア関連企業による五輪連動キャンペーンは、オリンピックと自社製品の商品を、エンターテイメントの参加という意味づけにおいて結びつけ、国民生活の発展に不可欠な経験として強調した」

 そこで様々な日用品(ヴァナキュラーな品々)がオリンピックに関連付けられてくる。
 以降、スポンサーの役割を明確にしオリンピックを黒字イベントにさせた1984年ロサンゼルスオリンピックや、閉会式開会式のドラマ化によりさらにショー要素を増した1992年バルセロナオリンピックなどを経て、オリンピックとその周辺は国民生活の発展に不可欠なものという精神的な面に加え、より経済的に意味のあるエンターテイメントへと変化、確立してくる。
 それと共に、関連付けられた日用品は、日常の商品ではなく、非日常の商品となる。

 夏季冬季とオリンピックがある度に、周辺商品もある事が当然だと思っている。当然、これらの商品は実イベントが行われる前に作られる。
 ところが、今回の新型コロナウイルス感染症により、2020年の東京オリンピックは異例の延期になった。2021年の開催もまだどのようになるか「分からない」という本当に異例な状況なのっだ。
 通常通りにはやらないかもしれないけれど、無観客でも盛り上がるかもしれないし、意外に割と普通にやれるのかもしれないし、いやいや、やっぱり無理でしたできませんでした、ということになってしまうかもしれない、という本当の「分からない」の状況というのは、周辺商品をストップさせるわけにもいかない状況にしている。
 違和感を抱きながら、オリンピックのグッズの販売は継続しているわけだ。

 周辺商品、例えばマスコットのミライトワとソメイティが描かれたボールペンというのは単なるボールペンではない。書くための道具を超えて、オリンピックというイベントが“あって”そのイベントを応援する、気分を盛り上げるための付加的要素を買うものとなっている。
 仕事をしている時も勉強をしている時も、ペンを使う事でオリンピック気分を盛り上げている事になる。
 
 ではイベントが“なくて”そのイベントを応援する事ができない場合、気分を盛り上げるための付加的要素も失われた場合、ミライトワとソメイティが描かれたボールペンは非日常性を失うのだろうか?付加的要素ミライトワとソメイティは何を象徴する事になるのだろうか?

 今回のオリンピックで無観客になる可能性は、“あって”も競技場で楽しむ事はできない。そもそも、通常の大型スポーツイベントというのは競技場で応援できる人数は限られていて、多くの場合テレビやネット媒体といったメディアで楽しむ人数のほうが多い。
 つまり、そもそもメディアの中で、やっているはず、のイベントを応援しているわけだから、周辺商品が盛り上げているものは、やっているはずのものの気分というひどく抽象的なものであることにも気付く。

 そもそも論はちょっと横に置いて。
 コンテンツのないメディアだけの状態とは何だろうと考えてみる。
 例:ものすごいかっこいレコジャケに惹かれて買ったら、中の音はなかった。
 例:缶入りドリンクを買って開けたら、中身がなかった。
 こんな感じだ。

 もう一つ例を考えてみたのだが、分かりにくい例。
 例:外国の有名ブランド商品とはいえ、お土産で買ったところで渡した相手がそのブランドを知らないのでブランドとして意味がない。
 海外を行き来しているとしょっちゅうある話なのだけれど、ある地域だけで尊重されているブランドも、誰も知らないところに持って行くとブランドとしては成り立たなくなる。

 まあ、こんな感じだろう。なんとなく。

 と、ここまで書いてきて、言っておきたいのは、私がここで言いたいのはオリンピックマスコット否定でもシンボルマーク否定でもない。ただ、この曖昧な状況を自分なりに消化したいだけである。

 もしオリンピックが中止になった場合、上の例も冗談じゃなくなってしまうわけで、国家総出で作り上げた壮大なる企画がなくなった周辺メディアというのは本当に珍しい。こういう場合、機能しないメディアを見る事でメディアの機能を考える素材として買って保存しておくほうがいいのかもしれない。

 実際日本では計画したオリンピックがなかった、という1940年オリンピックの過去があり、その時のオリンピックグッズは今のようにないにせよ、ポスターは貴重な資料とされている(実物見たことないけど)。

 段々話が散漫になってきたので、この辺でやめておいたほうがいいだろう。機会を改めてもっと考えみたいトピックではある。

 ミライトワとソメイティのメディアとしての意味をあえて定義するならば、今、まだ分からないこの状況を耐え忍ぶ象徴としての存在、と言えるのではないか。明るく振る舞っている感じがけなげに見えてしょうがないのだ。

# by dezagen | 2021-03-15 05:15 | グラフィック
ソファと椅子の修理
 ライター渡部のほうです。

 実家の母もなかなかモノを捨てないが、自分自身も結構捨てない。捨てないで持ってばかりいると、モノがボロくなり、生活がボロくなってくる。これはいかん、と最近、自宅のソファと椅子を修理に出した。

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 金額的に言えば、古いソファと椅子を粗大ゴミに出し、新しいものを買った方が安い。それでも、50〜60年代に作られた家具のフォルムが気に入っていたし、同じものを買おうと思ってもない。頂き物で、自分のところにやって来たのは十年程前でしかない上に、ほとんど使っていなかった家具でも愛着は湧く。モノを捨てるのは簡単な事だけれど、愛着を捨てるのは難しい。

 かなり前から修理を考えていたのだが、プライウッドの修理ができるところがなかなか見つからず、しばらく放置していた。そんな所にこの自粛生活で、家の中ばかり見ていると色々気になってくる。これを機会に紹介してもらった所に修理をお願いした。

 今回修理をしてくれたのはフィズリペアワークスさん。 https://www.fizz-r.com 
 代表の西原弘貴さんが2003年に始めた会社で、9年ほど前からは目黒区柿の木坂でショップを開いている。
 ここでは布貼りも木の椅子の塗装修理も欠けや折れ、サビなどの修理も、あるいはヴィンテージ感の復元までも、修理全般を1箇所でできるところが強み。布貼りなら布貼りの工房、木加工なら木加工の工房と分かれていないので、どんな修理でも一括でお願いできる。

 私の椅子の場合、全体的な洗浄、プライウッドの割れ欠けをパテ埋め、座面を張り替え。

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 錆びまくっていた金属パーツも磨き直され、再利用されていたのがすごい。もっとすごいのは、新品同様なピカピカさに戻すのではなく、ある程度経年感も残しつつきれいに仕上げたところ。プライウッドの欠けを埋めたパテの上は周囲と違和感のないよう木材らしい絵画表現を施してある。

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 ソファは全体的にヘタれていたものを張り替え。中を開けて見たら背面の芯材が頼りない状態だったそうで、背面にテープと木材の芯を足してよりパッドが安定して入るように加工。

剥がしてみたら中の詰め物が藁だったのには驚いた。
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詰め物など取った枠だけの状態。かなり華奢な作り。
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ベルト数を増やして補強。
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さらに枠を増やした。
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座面のベルトとスプリングを吊るテンション紐。
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新しくなったソファ。
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 修理するというのは機能を復帰させる事だと思っていたのだが、これほど美しく変身してくると、モノへの気持ちも変わってくる。ソファのぱりっと張られた座面は見目も良いが、触り心地がいい。むろん座り心地は快適だ。椅子もこれまでプライウッドのささくれが気になり、100%信頼して座れなかったのが、安心して座れるようになった。椅子への信頼感がこれまでと全く異なる。

 大袈裟なようだが、生活に対して前向きになったようにも思う。制限の多い今の状況は正直辛い。後ろ向きになってもしょうがないが、少しずつ目に入るものを整備していくことで次に備えていけるような気がしてきた。モノに依存しすぎといわれればそれまでだが、日常をダレないようにさせる、普段をボロくさせないようにするには、共に生きる日用品をおざなりにしないことが重要なのだ。そのための捨てる行為なり直す行為なり、あるいは新しく買うなり、モノを見つめていく事が必要だと感じている。
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(写真 ※付きは渡部撮影、それ以外はフィズリペアワークス提供。


# by dezagen | 2021-03-12 17:45 | プロダクト・パッケージ
鈴木マサルとむす美のふろしき
 ライター渡部のほうです。

 テキスタイルデザイナー/東京造形大学教授の鈴木マサル先生から新商品発売イベントの案内を頂いた。
その名もずばり「鈴木マサルとむす美のふろしき」
 
 傘や靴下、最近ではカンペールの靴と鞄、といつも新しいものにチャレンジしている鈴木先生の新商品はちょっと意外な「ふろしき」。
 いつも新しいものを出してくるのだから意外というのも変だし、布1枚で勝負する世界はテキスタイルデザインの領域でおかしくはない。意外だと感じたのは、ふろしきに和風小物のイメージや連続模様のイメージがあり、鈴木先生の大胆な柄というか絵とふろしきのイメージがなかなか頭の中で想像できなかった。
 鈴木先生本人もそういった意識があったようで、facebookの告知や会場内のパンフレットに
「風呂敷=和柄という考えが固定観念のカタマリのようなものではないかと気付き、色々なふろしきがあっても良いと思い直して今回のコラボの話を進める事にしたのです」
と、気持ちの変化について書かれていた。

 傘にしても靴にしても、どんな既存のイメージがあっても鈴木先生の作品には鈴木マサル世界のパワーがいつも宿っている。スパイラルの会場に行くと、やはり色鮮やかな鈴木マサル世界が展開されていた。

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 今回コラボレーションをした「むす美」は、京都のふろしきメーカー山田繊維のブランド名であり、直営のふろしき専門店として東京・京都で展開。https://www.kyoto-musubi.com 
 インテリアライフスタイル展でブースが近かった事から繋がりが出来、コラボレーションの話が出て来たとのこと。

 むす美を運営する山田繊維の山田芳生代表取締役は、鈴木作品の魅力の1つに重色(色を重ねる事)がある、と言う。
「鈴木さんは重色を使うのがうまい。違う色のある柄とある柄を重ねる事で、重なった部分にはまた違った色が出て来る。表だけではなく裏からも刷って、その透けた色もまた重なり新しい見え方を作っています。染のテクニックと自分のデザインを理解しているからこそ生まれてくるデザインですね」
 
 この重色の魅力を特に楽しめるのは「ダブルフェイス」という作品。両面から色を刷り、そのどちらもに透け色が重なり見え方が異なる。表も裏もなく両面使える仕様だ。

ダブルフェイス、部分。
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緑と紫は表に刷られ、青い四角の部分は裏に刷られている。青が白い生地を通した淡い青になって見える。裏面からは濃い青の色の後ろに淡い緑の鳥、淡い紫が透けて見える。

 今回発表されたのは8種。以下の4シリーズにそれぞれ2種類のパターンを用意している。
「100 MUSUBI LINE(100cm角、リネン100%)」
「100アクアドロップ(100cm角、ポリエステル100%、撥水加工)」
「70アクアドロップ(70cm角、ポリエステル100%)」
「ダブルフェイス(100cm角、オーガニックコットン100%)」

 鈴木先生のパターンは、塗る面から勢い余って色が飛び出した塗り絵を思い起こさせる。元気いっぱいで、枠線にとらわれず、自分の見えるように世界を描き出す世界だ。
 なんとなくまだ元気のない今の社会で、鈴木マサルの作品からパワーをもらった感じがした。

 展覧会の情報は以下の通り。

「鈴木マサルとむす美のふろしき」
会期:2021年 3月9日(火)〜 29日(月) 
場所:MINA-TO (スパイラル1F)
MINA-TO (Spiral 1F) 11:00〜19:00 会期中無休 
※営業時間は変動する可能性があります。
最新の営業時間はスパイラルのHPをご覧下さい。

# by dezagen | 2021-03-11 21:09 | 展覧会