アートのコンテキストというのを深く知らないのだけれど、プロダクト感あるものだったのでブログに少し。
田中好子を思わせる美人で(という書き出しはルッキズムとして怒られるのであろうか)、いつも電車にぶつかる動物の事を気にされている、同じ大学の同僚先生であるところの豊嶋康子先生が東京都現代美術館で展示をやっているというので見て来た。
ツボにハマって「ワハハ」とでかい声で笑いたかったのだが、天井の高い大きな会場では響くであろうし、1人で大声で笑っている人がいたらそれは変なのでさすがに声に出すのはやめて心の中で大きく笑ってきた。
作品集から作品説明を抜粋すると
《定規》 直線定規、三角定規、雲形定規、分度器をオーブントースターで加熱する。プラスチックの素材とともに目盛りも歪む。
《鉛筆》 鉛筆の中央付近に芯が出るように、両側から中心に向かって削っていく。1本の鉛筆は2本で向かい合う形となり、内向きの芯を折らない限り使用することができない。
《口座開設》 銀行窓口での講座開設の手続きで1,000円を入金して、2週間後に届くキャッシュカードを待つ。カード到着後に口座開設時の1,000円を引き出し、別の銀行で口座を開設する。この手続きを繰り返す。
《振込み》 自分の銀行口座にATMから振り込み続ける。「振込みカード」を発行して、すべての振込記録を作品として展示する。
《隠蔽工作》 キャンバスやパネルの裏側の骨組みをつなげて、何かを収納できる部分や解体しない限りあらわれない密封空間をつくる。裏面の構造強化で作品を保護するのと同事に、隠す仕様そのものが形態を決定する。
定規、鉛筆、パネルのような「製品」のデザイン、あるいは銀行貯金のような「システム」のデザインは、本来こう使うべき、という予測のもとに設計されている。が、その予測を超えると機能しない、もしくは別の意味を持つものとなる。
(振込カードがこんなにデザインのバリエーションを持つものだとは知らなかった)(これ、誰がデザインしたんですか?と聞きに行きたい)
作品全てにおいて本物、真剣、膨大であるがゆえに、本来そうではないでしょう、とのギャップがおかしい。
年末から今に至るまで、私のトレンドは「滑稽」である。人の悩みも漫画に描くと面白い絵になってしまいそうだと考えてしまうとか、臭いをつい嗅いでしまった自分に笑ってしまうとか、滑稽さを探している。
そして豊嶋先生の作品は非常に滑稽なものだった。
滑稽をあなどるなかれ。真剣にやればやるほど、真面目であるほど、一歩引いたときの滑稽さが際立つのであって、浅いところには滑稽は生まれない。
なんで年末からこんな滑稽探しになっているのか考えてみたら、そもそものきっかけが豊嶋先生の展覧会だった。
12月28日、友人と東京都現代美術館に向かったところ、年末年始の休館がスタートしていた。
いい大人が2人して開館日も調べず行く無謀さ。途中で内容の確認でウェブサイトを見たりもしていたのに。行き方を間違えないよう、スマホでバスのトラッキングまでしたのに。休館日。(ついでに言うと1月9日も途中まで行きかけて、祝日代休だった)
滑稽を笑っていられるのであれば、人生楽しく生きられるような気がする。