彫刻的、と言っても趣向は様々だ。
Anderssen & Vollがデザインした鉄製のキャンドルホルダーIldhane、木製のトレーMåneやPlatåなどは量産品のかちっとした表情の中に、複雑な曲線が見える。
イタリア人デザイナー、Paolo Lucidi と Luca Pevereの陶製トレイKorgはつるりとした平面と平面の組み合わせで60年代から70年代のプラスチック量産品も思わせる。
かと思えば、小さなとんがり帽子のようなStudio Tolvanenのデザインしたキャンドル消しSammu、水の流れを瞬間で止めたような倉本仁のジャグVannfallなど、手工芸的な趣きが見える物も。
Nedre FossはデザインチームAnderssen & Vollの主催するブランドだが、自分達がデザインしたもの以外、Anderssen & Vollはプロデューサーに徹し、造形は依頼するデザイナーに任せている。
Vannfallの製作に関して、倉本仁はデザインに3カ月、製造に9カ月くらいで、ものすごく早かった、と振り返る。驚いたことには、この依頼が来るまで倉本とAnderssen & Vollは面識がなかったそうだ。それでもプロジェクトがうまくいったのは、彼らのディレクションが明確だったからだと言う。
「ブリーフィングで強調されたのは、単一素材であることと、彫刻的な美しさ、パワー、と、これだけだったんです。
図面を書いたりモデルを作っていて、もう図面を書くのをやめて手作業で作ったモデルの、この風合いや揺れを形にすることが、彼らの言う「彫刻的」の応えなのではないかと思いました」
素材の指定もなかった。倉本はそのアイデアから「ゴールはガラスしかないと思った」という。インジェクションガラスに決まると、すぐに製造場所を見付け、サンプル制作、調整、と進んでいった。
この作品は代表作の1つになってきていると言う。昨年9月から11月、松屋銀座のデザインギャラリー1953で行われた個展「倉本仁 素材と心中」にもVannfallを展示している。
キャンドル消しSammuをデザインしたStudio Tolvanenにもフィンランド・ヘルシンキで話をきいた。
(日本には馴染みがあまりないキャンドル消し。キャンドルの上に被せて火を消す。Sammuはフィンランド語で「shut down 停止、休業」の意)
Studio TolvanenとAnderssen & Voll、別々に話を聞いたのだが、Sammuに対してどちらも
「小さいプロダクトだけれど、とても大切な物」
と言っていた。そっと手で包み眺めている様は小さな宝物といった風だ。
Nedre Fossの生産拠点はほとんどがノルウェー国外。
「ノルウェーで作るのは難しい。1970年代に産業が寂れてしまい、ガラスでも鉄の鋳造でも作れる場所がない。高い技術もあったのに残念だ。国内で作れたのは Tolvanenに作ってもらった真鍮製のSammuだけ」とAnderssen & Vollはいう。
この点でもSammuはNedre Fossの中でも特に重要なプロダクトなのだ。
Sammuに限らずStudio Tolvanenが、デザインや制作において大事にしていることを聞くと
「フィジカルであること。アーティスティックになりすぎないこと、でも何かしら新しい物、遊び心はいつも持っていたい。あとはフィーリングですね」
と、答えが帰って来た。
その場では「そうですね!」と思いっきりうなずいて帰って来たのだが、帰路「はてフィーリングとは文字にする時、どう書けばいいのやら」と、ああでもないこうでもないと考えてしまった。そして4カ月。。。
前のポストで、Nedre Fossから大きくショックを受けた、と書いたが、そのショックの理由はいくつかある。
物が溢れる世の中で、デザイナーはどんな物を作っていけばいいのか、そのひとつの答になっていること。単一素材で作ることでリサイクルしやすい環境配慮型であること。長持ちする物であること。彫刻的な強さ=造型的な美しさに改めて向かい会うこと。
この流れで「フィーリング」という言葉を当てはめてみると、なんとなくだが消費者やユーザーとNedre Fossの関係性が見えてくるような気がする。
出会った時に、ふっと心を掴む、それも人それぞれではあるがやはり「フィーリング」で表されることなのではないだろうか。
オンライン消費が増え、実物を見て決める機会も減った。デザイナーやメーカーの創意工夫点もウェブサイトのスペックで見ている。それはそれで便利なのだけれど、物を見た時の嬉しさや直感的に欲しいと思うような感覚がなく、購入した物と自分の関係性は至ってドライである。
Nedre Fossは気持ちに響くプロダクトブランドだ。現在、Nedre Fossをまとめて見れる日本のショップがないのは残念。どこかでまとめて見れると良いのに、と思う。
これからのものづくり、これからの消費、これからの人々の生活を考えるきっかけを作るためにも、Nedre Fossをより多くの人に、直に見て、知ってもらいたい。