現在ユトレヒトでLEE KAN KYO個展 『李漢強のN・F・T』出版前夜祭が開催されている。
私はNFTというものをまだよく分かっていないが、李漢強君によればNFTとは、Netflix、F JAPAN、TSUTAYAなのだそうだ。
壁にずらりと並ぶキャンバス地の絵の数々は、Netflixで出て来る作品のサムネールを描き写したもの。それが網(net)のように展示されている(どうもダジャレであるようだ)。その作品がF Japanのモニターで上映される。そもそもF JAPANって何なのだ、とモニターの前にあるファイルをめくると延々と「F/ふ」で始まる日本人俳優がずらり。つまり、F JAPANとは…、分からない。
サムネールで描いた絵柄はTSUTAYAの店頭に並ぶDVDのジャケット写真にも使われる、という想定。DVDの箱の中には紙のDVDが入っている。ご丁寧にDVDのキラキラも描き写したもの(こっちは印刷物だけど)。宣伝用のポップもキャンバス地に手描き。
今まだ出てない『トップガン マーヴェリック』のDVDもありますよっ!と強く言う李君。
もうこらえられない、と爆笑してしまった。
私自身、アートには遠慮があって、アートと言うものは笑ってはいけないのではないかと思っているのだが、李君のアートには笑いがある。いや大笑いだ。ひょっとしたら李君は笑って欲しくないかもしれないけど、どうしても笑ってしまう。
本人が真剣に、真面目に、コツコツと、しかもものすごく画力のある絵で描けば描くほどに、その涙ぐましい努力を想像するとさらに笑えてしまうのである。
この笑いは爽快だ。ガッツリパンチ力の効いたアートから来る笑いは、夏バテ気味のグダグダ吹っ飛ばしてくれた。
真面目に考えると、李君の手描き活動は1点しかできない。しかしそのモチーフは実際大量に世の中に出回り、いくらでもコピーでき、スクショでき、無限にコピー可能なものである。動画に到っては、何度も再生可能であり、大量に配信、あるいはDVDなどの媒体を通して販売され、レンタルされ、これまた無限に繰り返しが可能なものだ。加えて言えば、『トップガン マーヴェリック』自体、『トップガン』を繰り返し体験するような部分がある(と、聞いた。私自身は未見)。
コピーが繰り返される無限の世界をあえて「静止した一点モノ」に還元する。大量消費に慣れた我々に、その作品は果たしてコピーなのか、一点モノなのか、という疑問を投げかける。今更陳腐な物言いかもしれないが、李漢強は、古くはアンディ・ウォーホルやロイ・リキテンスタインらが50〜60年代に実践したポップアートの正統な後継者と言えるだろう。ウォーホルやリキテンスタインになくて李漢強にあるのは、笑い、だろう。正面切って堂々と笑っても良いポップアートなのだ。
展覧会では李漢強君、初の作品集のサンプルも見れる(まだ文章が未完で本当にダミーだった)。予約すればキーホルダー特典付きだ。
(しかし、一点モノを印刷してまた量産するという行為は何なのだろう、とメディア史や現代アート論の本をめくりたい気持ちにさせることよ)
LEE KAN KYO 『李漢強のN・F・T』出版前夜祭
2022.7.12 (tue)-7.24 (sun)
12:00-19:00