ライター渡部のほうです。
モノが作られ、買われ、使われ、捨てられるというサイクルを見ている。普段から見ている事は見ているのだが、改装に伴う実家の片付けをやっているとより強くこうしたサイクルを意識せざるを得ない。
そんな事を考えていた時に、実家の近所で家が一軒全焼する火事があった。後日、片付け手伝いに行ってみると、目の前の家は黒焦げになり、外から見えるほどぎっしり詰まっていたモノは残骸と化していた。
火事で最も落胆しているのは家に住んでいた人だということは言うまでもない。だが、火事というのは周囲にも、しかも消火した後ですら衝撃をもたらすものだということを知った。
日々人がモノを捨てて行く、モノが消失していくのはしょうがない事だ。燃えるゴミに出すのと、火事で燃える事は結果的には同じ事なのかもしれない。だが人が燃えるゴミに出す時、「捨てる」という意思を持って、袋に入れ、もうそのモノには会わない別れの儀式を行っている。気持ちの消化を済ましていると言えるだろう。
一方、火事でモノが消失するのは突然の別れである。モノの有用性が突然失われ、そのモノに対する愛着、愛着とは言わないまでもその対象に対する気持ち、は消化されず、残骸と共にどうにも行き場のない気持ちが残ってしまう。
火事というのは、モノの終末の中でも最も悲しい方法の1つだと実感している。
そんな残骸を横目に、家の片付けに向かう時、しっかりとモノと別れをしなくてはならない、と思う。作られ、使われてきたモノに対して。