ライター渡部のほうです。
また、高田唯ネタです。
夏休みが始まると同時に台湾台中の展示運営、下旬に上海での展示の追っかけ、と今年の夏休みの自由研究は「高田唯」なんだな、と思っているこの夏の終わり。
上海での展示は私の企画ではなく、外部の者として見に行って来たため、まだ全体把握できてないところが多いので、まずは自分のメモから概要を。
後でもう少し資料を読み込み、写真を足した続編を書く予定。
今回上海の高田唯個展、「高田唯潜水平面設計展」。昨年 G8での髙田唯展「遊泳グラフィック」に対応し、遊泳からさらに深く潜った、潜水へと名付けられたタイトルだ。
オープニングイベントの8月25日(土)から始まり、一般への開場は26日(日)から。9月9日(日)まで開催。
場所は旧紡績工場を改装し多くのギャラリーやアート関係のショップなどが集まるエリア、M50創意園の中の雅巢画廊(英名 Yard Gallery)。最寄りの地下鉄駅からは10分ほど歩く、割に便の悪いところなのだが、観光スポットになっているらしく平日も人が絶えず、土日は老若男女様々な人が訪れていた。
(広大すぎて、全体が分かるような写真は撮れず…)
内観一部
この写真はオープニングイベントが始まる前に撮ったもの。残りは後でいいや、と思っていたら、一気に激混み。オープニングイベントも、次の日の一般開場日も人が尽きず。写真が撮れない…。
作品は過去10年の仕事を入口から時系列に並べ、奥が一番最新の作品、となっている。
展示に合わせて作られた新作、今回の展示ポスターとチラシは現地のバイクの泥よけを参考に作られたもの。
現地ではバイク屋が泥よけを無償で上げるらしく、それが広告になっている。
恐らくバイク屋が自力で、word(?)などを使いながら作ったと思われる、ベタ感。高田唯はこの素人デザインの威力に多いに魅せられた。
それを元にメインビジュアルを作成。先の会場外観などに使われている。こちらはバイクに着けたもの。
オープニングのインビテーション。濃い赤地に金と黒の箔押し。箔押しの押し感も相まってものすごい力強いインビテーションに。
展示について、中国語が分かる方は企画者のサイトのこちらをご参照。
「依頼してくれた相手の国だったり、気持ちだったり場所だったり環境だったり、そういうところから何かを見つけたい」
と言っている。
現地のものからインスピレーションを受けて作られたポスターやインビテーションのデザインは、それが目に見える形で表れたものだが、この形に至るまでの過程、主催者の人柄や環境を見てみると、なるほどと感じるところが大きい。
この展示を企画したのは、秦哲祺さん、龚奇骏さんを中心とする Neue Design Exhibition Project 。秦さん、龚さん共まだ20代半ばという若さだ。秦さんはすでに Liang Project Co Space というギャラリーを運営しているが、国内のファインアートが中心だ。
発案をしたのが5月頃だったというから、それから3ヶ月弱。その間に高田唯を説得し、各企業や機関の協力を取り付け、展覧会を開いた、というものすごいスピードである。
ざっくりだが、台湾台中と比較すると、上海は全体的にスピードが速く、いきなり感があっても受容する素養がある。力強いものが街中に溢れ、日本や台湾と比べるとかなりマッチョな印象を受ける。さらに企画者が若い人達とあって、これは本人達から直接聞いたわけではないが、かなりエッジの利いたものを求めている印象を受けた。
こうした環境の中では、バイクの泥よけというモチーフは、スピード感がありやや乱暴な運転具合も上海という街を象徴する1つであり、とはいえ彼らの生活の中に密接しすぎて見過ごされているものをうまく発見したように思う。
今回、グラフィックデザイナー/アートディレクターの高田唯を選んだのは、
「その作風だけではなく、デザイン、アート、音楽、教育者、と様々なフィールドを自由に行き来するその生き方そのものがアーティストだと思った」
と、秦さんは言う。
「上海では、大御所デザイナーが美術館でやることはあっても、中堅や新しいデザイナーの展覧会を行う場所は少ない。だからこそ自分たちでやるべきだと思ったし、やっぱり上海の人も生で高田唯さんの作品を見たり、アーティストとしての高田唯さんに会いたい。オープニングにアート界やデザイン界、他様々な業種の人々が来て、トーク/レクチャーが満席だったのも、やはり本人を見たい、という表れ」
秦さんとの話や、トーク/レクチャーイベントでの話で、現地の人から時々出てきた言葉「中国はデザインが遅れている」という認識が気になった。
確かに第二次大戦後、東西が分断してから本格的な市場開放まで、つまり40年代後半から1992年までは、西洋を軸とする文化圏では、後期モダニズム、およびポストモダニズム、デジタルへの移行期、と大きなデザインの流れがあり、現代のデザインはそれをベースにしている。
だが、その間社会主義的リアリズムであったり、独自のデザイン文化があり、またさらに遡れば、1920年代〜40年代初頭までの世界的に「デザイン」という言葉と文化が認知されてきた時代には、東京よりも上海のほうが先を行っていた。
また、現代中国のスマートホンのアプリ普及もデザインされたものと考えれば、むしろ日本よりも先を行っているとも言える。
中国はデザインが遅れているのではなく、独自のデザイン文化を持っている、という解釈のほうが正しいように感じる。もっと自信を持っても良いのではないだろうか。
ただし、法律的には海外の情報は多く遮断されていて、日本から中国の情報を得ることも、中国から日本を含め外国の情報を得ることも、ハードルはある。例えば日本と台湾、香港などと比較すれば、交流の量が圧倒的に少ない。
それぞれが、少ない情報を頼りに憶測を展開してしまっている状況を改善できれば、もっと面白い事ができそうな気がする。今回の展示が打開策の1つとなってくれる事を期待したい。