編集宮後です。
いきなり意味不明なタイトルですみません。最近は本を書かれるデザイナーも多いと思うので、ものをつくる人が文章を書くということについて考えてみたいと思います。
デザイン雑誌の記事を読んでいて「このデザイナーさん、いいこと言うなあ」と思って、その方の著書を読むと「あれっ? なんか違う人みたい」と思うことはありませんか? 雑誌記事の多くは、デザイナーへの取材をもとにライターが文章をまとめているので、いわゆる「いい話」「オチがある話」になるよう、話を「盛って」しまうことがあるんです。要するに、「なんか、この人いいこと言ってる!」と読者が思えるようにうまくまとめるわけですね。
一方、デザイナー本人が執筆されている著書では、ライターや編集者が手を入れることはありますが、基本的にはご本人の言葉が直接文字になって本になります。文章には、その方が普段考えていることや意識がそのまま出てしまうので、実際以上に「盛ろう」としてもだめなんです。恐ろしいほど、素のままの自分がさらけだされます。そのときの自分の思考や意識、精神状態などがダイレクトにテキストになって出てくる感じです。なので、文章を書くことは脳の中を丸裸にされているようで、とても怖い行為でもあります。
そういう目線でデザイナーの方々の著書を読むと、いろいろな気づきがあるはずです。「なぜここでこの接続詞を使うのか? このときの筆者の気持ちは?」など、国語の問題を解く要領で読解していくと、いろいろなことがわかります。なので、デザイン学生や若いデザイナーの皆さんには、編集されていない文章を読んだり、トークイベントでデザイナーの生の声を聞いたりしてほしいのです。
どのくらい誠実に、どのくらい深く考えられているのか、読者の目線に立って書かれているか。私がデザイナーの文章を読むときにチェックするのはその3つです。そのような「いい文章」を書くデザイナーは、デザインもすばらしいことが多い。「相手の立場に立って深く考える」というのは、文章だけではなく、デザインもそうだからです。
なので、あくまでも個人的見解ですが、「いい文章を書ける人」=「いいデザイナー」だと思っています。ここでいう「いい文章」とは、プロのライターのような技術的にうまい文章ではなく、上記に挙げた3点がそろっている文章のことです(ただし、「文章が書けない=デザインがダメ」ということではありません。思考タイプではなく、直感タイプのデザイナーですばらしい仕事をされる方は、ご自身の直感を言語化するのが難しいのです)。長々と説明しましたが、タイトルの「デザイナーと文章力」がようやくつながりました。
「お前が言うなよ」と石が飛んでそうですが、わたくしも「日々精進せねば」と思いつつ、このブログを書いております。生あたたかい目で気長に見守っていただけると幸いです。