ライター渡部のほうです。
学校は夏休み。
世間はお盆休み。
フリーランスとしては社会的な「休み」というのはあまり関係ないのですが、自宅作業が続くとどうしてもマイペース、怠けがち。本を読んだりDVD見たり、極楽ではありますが、恐らく夏休みの最後に泣くことになるのでしょう。
溜まった仕事の書類を横目に、溜まった「見てないDVD」を立て続けに見ています。
イギリスBBCのミステリドラマ『Father Brown(邦題 ブラウン神父)』は、日本でもおなじみGKチェスタートンのブラウン神父シリーズをベースにしたドラマで、現在シリーズ2(シリーズごと各10話、合計20話)まで放映され、シリーズ3も予定されています。
イギリスBBCのサイト:
www.bbc.co.uk/programmes/b03pmw4m
日本で放映しているAXNミステリのサイト:
http://mystery.co.jp/program/father_brown/index_s01.html
原作は1911年〜1935年に発表されていますが、ドラマは50年代を設定しています。
ドラマや映画は必ずしも原作に忠実でなくてもいいのですが、原作が英国ミステリ好きが好きそうな20年代、30年代(同じくBBCのポアロのシリーズは30年代設定に作り直しています)なのに、なぜ50年代を選んだのだろう、と思いつつ見ておりました。
全体的にあまりドロドロした人間関係の絡まない軽いタッチの(今で言うとコージーミステリ)物語が多いので、楽しさを演出するには50年代という時代が適切だという判断かもしれません。
もしくは現実的に20年代、30年代より、50年代のほうがセットや小道具を揃えやすいからかもしれません。
ちょいとググったところ、番組プロデューサーCeri Meyrickのインタビューがあり「時代モノを作る時は、人の記憶が残っている時代にするといいというアドバイスを受けたため。自分としては時代を感じさせない話にしたい」とあります。
私自身50年代の記憶はありませんが、50年代に生まれた文化はよくリバイバルしているので、多くの人が理解しやすい時代なのでしょう。また、50年代は新しい製品が続々と市民生活に入り込んで来た時代である一方、特に田舎の町(ドラマの設定は架空の町ですが、撮影はコッツウォルズで行われています)は昔ながらの生活も営まれていた時代。「時代を感じさせない」という意味で、50年代の田舎町を選んだのは納得がいきます。
『Father Brown(邦題 ブラウン神父)』で面白いと思ったのは、車の扱われ方。
デザイン史をやっていると、どうしてもその当時の最新の出来事を取りあげることになるのですが、実際の生活というのは新旧が混ざり合っているものです。
一般市民でも自動車が買える時代になった50年代、というのは日本もイギリスもさして変わらないのですが、現代のように皆持っているという時代ではありません。
主人公のブラウン神父は車がほとんど運転できず、自転車を乗り回します。一方、警察は車をバリバリ使っていて、ブラウン神父はスピードの勝負には負けるのですが、細い道や抜け道を駆け巡ります。ドラマの中で直接的に表現されてはいないのですが、細かく洞察する探偵役の神父には、自転車のスピードや裏道を、急いで解決に結び付きたい警察には車を、という関係が見えてきます。
モーターショウが行われるけれど、町のご婦人方には車のことはさっぱり、というシーンがあったり、貴族+お金持ちの象徴ロールスロイス+運転手、という存在もまだ健在です。
調査のために遠出をし、途中運転手のシドだけが田舎の宿に残されるシーンがあります。
その時神父はシドに「どこに向かってるかは分かるね」と言うのですが、シドは「(車なしで)どうやって行けって言うんだ」と返します。
車によって人々の移動は自由になったものの、限られた人だけが車を持つことができ、(都会なら公共交通もあり、タクシーを呼ぶこともできるのでしょうが)田舎では車の調達もままならない、まだまだ皆が移動するという環境ではないことをうかがわせるのです。
ドキュメンタリーではないドラマを信じるわけにもいかないのですが、歴史好きの集まるイギリスなので、ドラマの歴史考証もはげしく間違った解釈を加えることはないでしょう。
それにしてもDVDを見たり、その感想をブログに書いている時間があったら仕事しろ、と、自分でも思います(でも仕事をし始めると眠くなります)。