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アメリカ旅行を経ての雑記
ライター渡部のほうです。

アメリカから戻って3日。やっとゾンビ状態から回復しつつある。
もう少し書けば、ロンドンに2週間、東京に1週間、アメリカに10日、という旅行期間を経て、やっと、ということなのだが、今回アメリカ(LAとアーカンソー・ベントンヴィル)でのカルチャーショックは大きかった。
疑問が湧いてくるのだが、自分なりの解答を得られない状態というのは気分が悪い。
とはいえ、ライターという職業上、疑問は持ち続けなければいけないのだろうなあ、とも思う。

その疑問を文字化すれば、少しは解消になるのかもしれないというわけで、ブログに書いてみる。

・アメリカではなぜあんなに商品のサイズが大きいのか。
 食品のサイズが大きい。「アメリカ人は大きいから食べる量も多いのだよ」という理由ではないような気がする。スーパーマーケットで売っているスナックのサイズが1袋250gくらい。チョコレートブラウニーが食べたいと思ったのだが、6個入り。Klondikeのアイスクリームも6個入り。
 そもそもスーパーマーケットのありかたが、日本のそれとは異なるのだろう。車でやって来て家族用、週末一括購入として買う。
 とはいえ、なぜまとめて買わないといけないのだろうか。1つのブランドのチョコレートブラウニー(実際買ったので恨みが…)を、6回食べる、あるいはのべ6人が食べることを商品が強いている。
 LAではミニスーパーやコンビニエンスストアがあり、小さいサイズの食品もあったが、アーカンソーのベントンヴィルでは見なかった。

・日本も含めて「まとめ買い」はなぜ人を魅了するのだろうか。
 答えは簡単で「そのほうが安いから」。なのだが、上に書いたように、同じ食品を食べ続け、同じ商品を使い続けることを考えると、怖くなる。
 日本もそうだが、冷蔵庫の容量が大きいこと=良い、というのはあまりに単純すぎると思う。ストックが増え続け、賞味期限が来るまでに全て食べきれるのだろうか。

・栄養成分表は1回分が書いてあるけれど、本当に1回に分けるのだろうか。
 アメリカ滞在中は野菜不足になりがちだったので、人参ジュースを買っていた。栄養成分表は食品に義務づけられているので、説明は詳しいのだが、約430mlで「2回分。1回分は70kcal」と書いてある。他の食品も、「8回分」とか複数分書いてある商品が多いのだけれど、ペットボトルに入った飲料をきっちり同量2回に分けたり、袋に入っているスナックをきっtり8回に分けたり…しないような気がする。

・なぜあんなに薬を買うのか
 私は頭痛持ちなので、旅先の現地でも必要があれば頭痛薬を買う。おおよそ10回分くらいあれば余るくらいである。アメリカではファーマシーチェーン、Rite Aid とWalgreensに行ったが、40錠や100錠という単位。薬単体も大きく、tablet cutterという錠剤そのものを切る器具すらあった。
 ちなみに女性用生理用品は、日本と変わらない10個入り、18個入りくらいが多かった。
 どちらも「家にストックする」という意味では変わらないだろうに、なぜ錠剤系の薬はこんなに多いのだろう。

・なぜパッケージに魅力がないのだろうか
 これは私感なので、意見は様々分かれるところだろうし、商品によっても異なると思う。
 概ね、スーパーマーケットで見るもの、ミニスーパーなどで見るものは、量が多くてお買い得感、というのがまず目に飛び込んできて(パッケージ単体というよりは商品の並びや値札のありかたのほうが大きいけれど)、商品それ自体のシズル感が足りない。
 ごちゃごちゃしていなくてすっきりしたデザインが多い、という意味では魅力があったけれども、商品の中身や魅力を十分に伝えていないものが多いように感じた。通常商品裏の説明は、(表示義務のせいもあって)長い。が、字が小さく、文字量が多いので読み切れない。多分、全部読んで買っている人は少ないと思う。

・ブランドネームしか見えていないのではないだろうか。
 シズル感が弱い理由の1つとして(写真、イラストが弱いわけではない)ブランドネームが大きい、あるいはブランドネームしかない、ということが挙げられるように思う。
 その商品ができた50年代、60年代、70年代(まあ、いつでもいいのだが)から変わってないようなパッケージも非常に多く、それはそれで味わいはあるのだが、そのようなものばかり見ていると、ひょっとしてこの人たちは「変えなくてもいいや」と思ってやしないか、と疑ってしまう。シズルやパッケージからの訴えかけがなくていいのであれば、ブランドネームがはっきりと分かるほうがいい。よって変わらなくても、もしくは、変わらないほうがいい。ただそこにはパッケージの機能性が薄い。
 日本やアジア域のように、月刊雑誌のようにコロコロとデザインが変わるのも問題だが。

・Trader Joe's のロゴ。
 LAでまともだなあ、と感じたTrader Joe's www.traderjoes.com のPB商品を見ていると (HPのトップから Home→Product News→ Fearless Flyer で、右に出て来るリストをクリックするとある程度、商品が見れる)、手書き風のロゴと調和していないパッケージが多いことに気がついた。商品の文字がセリフであれサンセリフであれ、スクリプト体であれ、イラストがあれ、写真であれ、Trader Joe'sのロゴ文字を一体化して製品パッケージを作っているというより、逆の方法で、あえて違うスタイルでパッケージを作り、Trader Joe's というロゴ文字が浮いて見えるように作られているように感じる。「私はTrader Joe'sで物を買っている」という意識を助長させるものとも受け取れる。

・LAの把握しづらさ
 LA自体が広大で、かつエリアによって全く人種も違えば文化も違い、英語も通じない所も多々あり(というのは私が泊まった場所のせいもあるけれど)見るからに貧富の差が激しく、「共通性」に欠ける。
 量産や公共性で成り立つデザインが力を持ちにくい土地だと感じる。
 公共交通(地下鉄、バス)があるのだが、この表示がモニターの文字ベースで非常に見づらい。バス停も「え?これ?」というくらい存在が小さい。
 LAで受けいれられる商品を作って下さい、と言われたら、非常に苦しいと思う。

・LAのデザイン性のなさ
 LAダウンタウンの地域に特化したフリーペーパーの新聞があったので読んで見たら2面に「最近、LAのアパートを選ぶ基準として、スタイル性、デザイン性が見いだされている」という記事があった。それまでは立地や広さ、価格などで選んでいた基準に加え、自分がどういうライフスタイルか、それに合ったアパートの外観、内観か、というのが基準になってきたようだ、という内容である。
 えー、今更?という感じなのだが、ざっくり見て、建築はデザインのトレンドから20年くらい遅れていそうだし、LAのように全く違うコミュニティが存在する中では、全般的に「良し」とするデザインは作りにくいだろうし、普及しにくいだろう。
 という話をヨーロッパやアジアにもよく行って、アメリカに割とよく来る友人に言ったところ「そのデザインのなさが、風通しの良さになっているような」と言われた。
 確かに、「これがトレンド」「これがよい」という基準、規格は、人の個性に対して逆のベクトルである。デザインを規格、と捉えた場合、デザインされすぎた土地というのはそれはそれで個性を潰しているのかもしれない。例えば日本のような。

・日本は単一的
 商品の話ではないけれど。
 欧米都市部から帰ってくると、「なんで日本は日本人しかいないのだ?」と思う。実際は日本人だけ、ということはないのだけれど、非常に均質的な国だと思う。私がロンドンによく行く理由は、様々なバックグラウンドを持った人々、異なる意見を持った人々がいて、異なる文化を見ながら新しい物を作っていこうとする方向性があるから。
 日本の物は日本でしか通用しない感覚に溢れている。具体的な例を出せば、成田や羽田といった国際空港のトイレ。水流の音がするボタンとか、お尻を洗う機能とかのボタンが多すぎて、一番重要な水を流すボタンはどこなのだろうと思ってしまう。で、実際は自動フラッシュだったりして、がっくりしたりするのだけれど。

・単一性、均質性
 何度も旅行に行ってるのに、今回あえて日本の単一性、均質性について考えたのは、アメリカのアーカンソー、ベントンヴィルがそれに近い状況だったから。
ベントンヴィルは(と言っても、ホテルの近辺とWalmartくらいしか見てないけど)ゴミ1つ落ちていないきれいさで(LAから行くとびっくりする)、新しい建物が次々作られ、人々はスマイリーだし、親切だし、優しいし、「ベントンヴィルはいいところですよ」と多くの人に言われたけれど、確かに犯罪率は見るからに少なそうで、子供は無邪気に遊び、と、まるで理想郷のようなところなのだが、白人ばかりでビビってしまった。統計では約9割が白人。街の発展は主にWalmartの本社があり、開発もWalmartが支援していると聞いた。
 旅行者として3泊するくらいならいいけれど、ここに住めと言われたら、私の性格上無理だろう。コミュニティがしっかりしてそうで、そのコミュニティにがっちりと入り込まなければ孤立しそうだ。(車も運転できないし…)。
 ベントンヴィルはWalmartが作った街といって過言でない。仮にWalmartの企業が弱体化したらどうなるのだろうか。また、生活用品のほとんどをWalmartで買っている人々の暮らしぶりは、どういったものなのだろう。やはり「まとめ買いでお得」な商品をストックし続ける生活なのだろうか。
 街の人からベントンヴィルは生活費が安い、とも聞いた。具体例では3ベッドルームの家に3エーカーの土地を買って1000万弱、と聞いたが、1つの家族が住むのに(農場経営者ではない)3エーカーも必要なんだろうか。それともそれは、物をストックし続けるためのスペースなのだろうか。
 大きいこと、量が多いことは豊かだ、ということに疑問を持たないのだろうか。

 まだまだ疑問は続いて行くのであった。
by dezagen | 2014-03-24 08:03 | プロダクト・パッケージ
『これ、誰がデザインしたの? 続(2)』
渡部千春著、デザインの現場編集部編
美術出版社刊
04年以降の連載記事をまとめた2冊目の書籍。連載で紹介したアイテムのほか、名作ロゴやパッケージ、デザインケータイなどを紹介。
 
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