ライター渡部のほうです。
すでに読者の皆さんならご存じのことだとは思うが、4月3日、デザインタイドトーキョーのメールニュースが届いたので、この時期山ほど届く、4月半ばに行われるミラノサローネでの展示参加のお知らせかしらん、と軽い気持ちで開けて見たところ、
「2012年の会期を最後に解散することとなりました。」
というお知らせだった。
このお別れの挨拶は「デザインイベント」という1つの文化、長い目で見ればブーム、の終わりを告げるものである。
大概の場合、1つの文化が終焉するのは自然消滅するのだが、こうしたきちんとしたステートメントで締めてくれたことは、私のような伝える媒体の立場の人間としてはありがたいし、立派だと思う。
メールニュースの言葉をもう少し引用しよう。
「90年代後期から始まったデザインイベントの継続によって、
人々の生活にデザインというものが浸透する状況が培われました。
それに伴い、今ではデザインそのものの可能性が枠を大きく超えて拡がっています。
私たちは、そのような局面を迎えていることを強く認識し、
新たなビジョンと創造する力をもって、次のステージを準備したいと考えています。」
私がこのステートメントを「立派」だと感じるのは、デザインの世界がこれまでとは違う新たな方法へと向かう局面を迎えているにも関わらず、それをなかなか認めず、言い出さず、行動に移すことなく、これまで通りの方法の中で模索していた、あるいは、模索しているフリをしていたからである。
少なくとも東京において、デザインイベントは必要がなくなってきている。
現在デザインイベントを必要としているのは、100%designが現在行われているシンガポールの近隣諸国や上海を中心とする中国の商業地区、あるいはモスクワ、インド、南米など、いわゆるASEAN、BRICSの国々だろう。
これらの国々はデザインをイベントとして盛り上げ、意識化させ、一般認識として普及させる必要があるからだ。
なぜ、東京にはデザインイベントが必要なくなったのか。東京のデザインイベントの経緯を振り返ってみたい。
以前(2006年頃、かなり古いけど)、東京のデザインイベントがどのように始まったか年表にした図があるので参照まで。
私自身の認識では、東京のデザインイベントが商業ベースではなく、一般的な文化イベントとして始まったのは、1998年のHAPPENINGだと考えている。
当時、プロダクトデザイナーといえば企業のインハウスデザイナーがほとんどで、個人で活動している人も少なくはなかったが、彼らが作品を発表する機会はほとんどなかった。あったとしてもインテリア関係や建築関係の業界内に向けられたものだった。
ヨーロッパでは事情が異なってきていた。
特に1993年にドローグデザインがミラノサローネで発表すると、新しいアイデア、デザインへの新しい解釈が生まれ、プロダクトデザインもまた文化の1つという認識が生まれてきていた。
この勢いはロンドン他の都市に飛び火し、デザイン文化は盛り上がりを見せていた。
HAPPENINGは内外の個人で活動するデザイナーを集め、主に青山近辺に点在するショップのスペースを利用し、展示した。観覧者はポラロイドで写真を撮り自分のカタログに写真を貼ることで、ただ見せる/見るのではない、参加型のイベントを作った。
当時『デザインの現場』の編集者だった田邊直子さんに、こんなイベントがあるんです、と口頭で教えられたのだが、過去に例のないイベントだったため、最初一体何をどうするイベントなのかもよく分からず、田邊さんの後ろにくっついて行った覚えがある。
私自身も取材を申し込まなければ話をする機会のなかったデザイナーに、気軽に話をできるチャンスだった。2,3の展示会場を回って、面白い、と気づき、その次の回には少しだったがお手伝いをさせてもらった。
当初は十数組の展示で始まったイベントも、東京デザイナーズウイーク、東京デザイナーズブロック他イベントと相乗効果を上げ、2001年、2002年は誰1人として全部は回れないほどの巨大イベント群となった。
学生の課題っぽい素人作品から、実験的なインスタレーション、プロや企業のプロトタイプ案や新作発表まで、さらに自動車メーカー、建築、音楽、飲食、スポーツなど様々な分野を巻き込み、内容は玉石混淆だった。
あまりの数の多さ、規模の大きさに付いて行けなくなり「もっと製品化に向かう作品を見せて欲しい」と言った(記事に書いた)のは、間違いだったかもしれない、と今となっては少し反省をしている。こうした意見は私だけではなかったとはいえ。
と言うのは、2005年、つまり東京デザイナーズブロックが終わり、デザインタイドに引き継がれた頃から、展示品、展示方法の質が上がり、いいものを効率良く見れるようにはなったが、その分、実験的なアプローチや無茶をする若手も減ってしまった。
メディアがデザイナーの自由を萎縮させてしまったのかもしれない、とも思う。だが同時に、印刷メディア自体が萎縮してきたこととも無関係ではないだろう。
やや話がそれてしまうが、ちょうど東京のデザインイベントが成長してきた時期と同時に、ウェブサイトのメディアが成長し、紙媒体が減り、2007年にはiPhoneが発売され、デジタルの情報がいつも手元にある、という状況になった。
『デザインの現場』は2010年に休刊したが、メディアの潮流の中ではそれも仕方のないことだったと思う。どこにいても、世界の情報が簡単に(そのほとんどは無料で)手に入り、個人ブログやSNSを通じて誰もが情報を流すことができるのだから。
個人のデザイナーが一般に向けて作品を見せる機会が皆無に等しく、東京のデザインイベントが始まった1990年代後半とは全く事情が異なっている。
一般的にもデザインの認識が高まり、定期的なデザインイベントという機会を設けなくとも、デザインの展覧会に出かけて見に行く。むしろ個々に行われる展覧会やイベントのほうが、実験的な作品に出会えることが多くなっている。
もうデザイナーはイベントという枠に捕らわれる必要はない。少なくとも東京に関しては。
再度、デザインタイドの言葉
「今ではデザインそのものの可能性が枠を大きく超えて拡がっています」
これもまた大きな意味がある。
2011年に震災が起こった時、当初、デザインは何もできない、無力だと感じたが、その後、節電のポスターや緊急キットの作り方、電力などインフラの整わない中でのメディアの作り方、避難所や仮設住宅のデザインなどなど。デザインは無力ではなかった。むしろ、これまで目につかなかった可能性を広げた。
デジタルメディアが発達し、広告が変容し、インターフェイス(主にデジタルに使われるが、パッケージもまたインターフェイスだと思う)のデザインは進化し、グラフィックとプロダクトも曖昧になりつつある。
これは日本に限らず世界的な事象である。
つまり、デザイナーだけでなく、デザインそのものが、イベントという枠を必要としていないのではないだろうか。
私はミラノサローネには行かない人なのだが、そこに集うデザイナー、メーカー、デザイン好きで訪れる人々、彼らが今、デザインをどのように捉え、人々に伝えようとしているのか、デザインタイドの解散を受け、デザインイベントのメッカであるミラノが(言い訳がましい締めにすると、ミラノは元々家具見本市なので、家具に集中するという方法もあるけど、それも含めて)今年は非常に気になっている。