ライター、渡部のほうです。
ご無沙汰の美術系学校のシンボルマークのシリーズ。
美術系学校のシンボルマーク5に続いて第6回目は武蔵野美術大学。
http://www.musabi.ac.jp
武蔵野武術大学、略して武蔵美卒の有名デザイナーが多いのは、このブログ読者ならご存じのはず。
というわけで、学校の歴史を少々。武蔵野美術大学という名前になるまでの道のりは意外に長い。
1929年に「帝国美術学校」として開校。当時のデザイン科に相当するのは工芸図案科。
1935年は学校が分かれ、帝国美術学校はその名前を保持し、一方は多摩帝国美術学校(現多摩美術大学)となるのだった(劇的だなあ)。
同年、工芸図案科が、図案工芸科となったのは、よく見ると、工芸、と、図案、の順番が逆になっただけだが、工芸より図案(グラフィックデザイン)のニーズが高まった、ということだろうか。
その3年後、1938年には、さらに図案工芸科が、純粋工芸・実用美術・建築美術・工業美術と分かれる。美術学校の付属的なものだったデザインの地位が確立し始たことが伺える。
さて、戦後。
1947年に「造型美術学園」と名前を変更。この時の学園長が山脇巌!
(以後のデザイン科目の名称は頻繁に変わっているので、ここでは割愛)
その翌年、1948年に「武蔵野美術学校」、1961年に現在の鷹の台のキャンパスが出来、1962年、晴れて現在の学校名、武蔵野美術大学、となった、という経緯。
武蔵野美術大学(以下武蔵美)のシンボルマーク、実はタイプの異なるもの2種類ある。
1つめは「MAU」。1996年から使われているもので、武蔵美の広告、ウェブサイトなどでよく目にする。
デザイナーは勝井三雄氏。
大学ポスター、各種広報媒体、大学公式グッズなどに使用。
よく見ると、ラインの接点のところに小さな白い玉ができている。
これは何でしょう?と武蔵美の広報の方に聞いてみたところ
「白い部分が三角形のペンで、その先にインクがたまっている様子を丸で表現しているそうです」
とのこと。
ペンから出て来るインクのようにアイデアを創出しようという意図なのか…。
この点は勝井氏に直に聞いてみるしかなさそうだ(機会があれば)。
シンボルマーク、もう一つは「美」。こちらはなんと、帝国美術学校時代から使われている。
堂々と漢字一文字、しかも「美」。
「結局美大って何を学ぶところなんですかね」などと常々考えているところなのだが、
「こちらの校旗をご覧下さい。美、です」
と言われたら、ぐうの音も出ない。
右のはらいが手前に長く、なんとなく脚を広げて「どうだ!来い!」と言わんばかりに立っている人のようにも見える。
気になるデザイナー(書家?)については「帝国美術学校創立者の一人である金原省吾先生が、中国の宗時代の金石文から選んだ文字という説、あるいは金原先生自身の筆など諸説がある」とのこと。
現在は、校旗や卒・入学式典の舞台、大学の印刷物や大学公式グッズなどに使用。
全然タイプの違う2つだけれど、一般的には前者、立派さが求められるところでは後者、使い分けができていいのかもしれない。
2つシンボルマークを持っている学校で結構あるのだろうか。ちょと気になる。