ブログの楽しさ
ブログで楽しく書き、楽しく読んでもらうために大切なポイントは、「自分を軸にする」ということだと思う。
研究の文体
石原千秋の『学生と読む『三四郎』』の中に「レポートの書き方」の詳しい説明がある。
大学のレポートでは「私は〜と思う」という形式の文ではなく、「〜は〜である」という形式の文が求められる。もちろん、これも厳密には「私は「〜は〜である」と思う」という文の構造になっているのだが、いま傍線を施した「私は〜と思う」の部分は、大学のレポートでは隠されていて、書かれないのがふつうである。それが「研究」の文体である。
(石原千秋『学生と読む『三四郎』』P131:原文には「私は」「と思う」の部分に傍線が施されている。)
そして、「私は〜と思う」の部分を隠すために、研究は大変な苦労をするのだ、と語られる。
“「私は、美禰子は野々宮から逃げたのだと思う」と言うことは簡単だが、「美禰子は野々宮から逃げたのである」と証拠を挙げてキチンと言うことは至難の業なのである。”(石原千秋『学生と読む『三四郎』』P221)
たしかにレポートはそのように書かれるべきだ。
ブログの文体
いっぽう日々の生活の中で更新するブログで、表現するときには、どのような文体が適しているだろうか?
毎回、「研究」の文体で書くことは、難しいだろう。読むほうも気軽に読めない。大変な苦労がいる。
映画を見て楽しかったことを書くために、分析し証拠を挙げ、キチンと説明しなければ、と考えると、時間がいくらあっても足りない。
ブログは「個人が書いたものを、大勢に継続して読んでもらえる可能性のある場」なのだから、「私は〜と思う」の部分をはっきりと意識して書くのが良いと思う。
継続して読む人に、自分を伝えることができれば楽しい。そして、そのような文章を書くことが、ブログを続ける大きな喜びのひとつだと、ぼくは、思う。
文章に、毎回「私は〜と思う」をつけろ、という意味ではない。それは、煩雑だ。
具体的にそのような言葉がなくても、「私は〜」と自分を主語にすることを意識しているかどうかで、文章は変わってくる。
表現は、自分の中にあるものを公の場に引きずり出すという行為だ。
自分で体験・経験したことを、自分で考え、ちゃんと自分の言葉で、自分のこととして書くことを意識する。
自分を伝えるためには、「自分を軸に」して書くことを考えなければならない。
お題
ゴーストが あらわれた!
ああああが みがまえるより はやく
ゴーストは おそいかかってきた
コマンド?
ゴーストの こうげき!
ああああは 3ポイントの
ダメージを うけた!
ああああの こうげき!
かいしんの いちげき!!
ゴーストに 9ポイントの
ダメージを あたえた!
ゴーストを たおした!
けいけんち 3ポイントかくとく
4ゴールドを てにいれた!
ああああは レベルが あがった!
上記の文章は、ロールプレイングゲーム「ドラゴンクエスト」(1986年)の戦闘シーン・メッセージだ。
さて、次回までのお題。
これを、自分が体験したことだと考えて、書き直してみよう。
とはいっても、実際にゴーストと対戦した人はいないだろうから、もとの文章を大きく変更しても可。自由に。
正解とか優劣を決定するわけじゃないので、設定や制約は自分で決めること。ともかく、他人じゃなくて、自分を軸にして(自分に起こった出来事だと想定して)書いてみてください。