前回の課題
文章術さんは「一文を短く書け」という。
そこで、「文を短くする」の実践として、以下の文を「センテンスを分けて、読みやすくしてみよう」というのが
前回の課題だった。
お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数は要らず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。
課題文を確認しよう。
「ひとつひとつ」、さらに「それぞれ」*1なんて書いてあるから、お皿ひとつに、ひとつの食材を並べる*2のかと思ってしまうが、後で「美しく配合させて」とあるので混乱する。
調理法を伝える文章として読むと「悪文」である。句点がなく、だらだらと長い文章である。
これを、センテンスを分けて、読みやすくしてみる。
以下、ぼくが書いてみた回答。
以下のものを、お皿ひとつひとつに手際よく並べて出します。
・ハム
・卵
・パセリ
・キャベツ
・ほうれんそう
・お台所に残って在るもの一切合切
いろとりどりに、美しく配合させます。
手数は要らず、経済です。
ちっとも、おいしくはないです。
しかし、食卓は、ずいぶん賑やかになります。華麗になります。
たいへん贅沢な御馳走のように見えます。
これは、課題を出したあとすぐに書いてみたもの。つまり、みんなの回答を見るまえに書いた回答だ。料理レシピとして、読みやすさを考えて改変してみた。
*1:「それぞれ」を引くと「おのおの」って書いてあったので、「おのおの」と引くと「一つ一つ。めいめい。それぞれ」って書いてあった。ほとんど同じ意味だ。「それぞれ」を削っていた人が多かったし、ぼくの回答も「それぞれ」は入れられなかった。
*2:実際に、一枚の皿にひとつずつ食材をのせると解釈して改変してくれた人も、幾人かいた。
太宰治の『女生徒』
実は、課題文は、
太宰治の『女生徒』の中盤に登場する文章を抜き出したものだ。
それを隠して出題したのは、前後の流れなどを度外視して回答してもらうため。文豪の名作だからっていうのが先入観になってほしくなかったし。つまり、太宰の伝えたいことをではなく、抜き出した文章だけで意味を考え、改変する実験なわけだ。
“ネット上でよってたかって、文豪の作品を知らずに添削”*3するのを楽しんでもらえれば、幸い*4。
そして、予想を上まわる数&バリエーションの回答がよせられた。
感謝。
ストレートなチャレンジや、大胆なアレンジや、大喜利回答*5や、パスティーシュ*6や、さらには、
ブログ文章術インベーダー*7、
ブログ文章術回答ジェネレータ*8まで登場!
すげぇ。
“全方位的プレイで米光さんの文章術が遊び倒されているのを” *9ワクワクしながら見てました。
“縦の序列を昇っていくための文章ではなくて。多様な横のつながりを楽しむための文章を書く場としてのブログ”*9は、やっぱり楽しいなぁと再認識した次第。
きっと、みんなにいじられて、太宰も空の上でニコニコ笑っているだろう(ほら、あれ、あの雲! 太宰の笑ってる顔に見えるよ!)。
ストレートなチャレンジの中では、コメントに書いてくれた枡野浩一さんの回答が、句点の多さと、読みやすさで、インパクトが大きい。
お皿ひとつひとつに、お台所に残って在るものを並べて出す。手際よく。ハム。卵。パセリ。キャベツ。ほうれんそう。それぞれ一切合切、いろとりどりに、美しく配合させる。手数は要らない。経済だし、ちっとも、おいしくはない。でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になる。何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。
23mm_シホゴンパパのひとりごとでは、文章を分析、つまり述部をひとつひとつ取り出し、主部、修飾部、それぞれを美しく配合させて、完成させてくれた。
ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させる。それを、お皿ひとつひとつに、それぞれ、手際よく並べて出す。手数は要らない。経済だ。ちっとも、おいしくはない。でも食卓は、ずいぶん賑やかに華麗になる。そして、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。
で!
センテンスを短くすると、元の文章より読みやすくなる。料理レシピとして、誤解されにくい文になる。
ぼくの回答も、元の文よりも読みやすくはなってると思う。
でも、「読みやすい文章」は「伝わりやすい文章」だろうか?
残念ながら違う。
では、
「読みやすい文章」と「伝わりやすい文章」は、どう違うのだろうか?
ってところで、次回!
もう一回、「一文を短く書けって言うけどさ」が続きます。
「たくさん回答ありがとう記念」で、次回更新は、なんと明日だ!