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2006年 07月 04日
柴田元幸『バレンタイン』ロングインタビュー vol.1
これまで数々の翻訳を手がけてきた柴田元幸さんが、初の小説集を発表した。エッセイから小説にシフトしていった経緯、モチーフになっている子供時代のこと、主人公がやたらと殴られたり痛い目に遭う理由、小説を書くときのメカニズムなどについてお話をうかがいました。(インタビュー・構成=平林享子)
【お話を伺ったのは】 柴田元幸:しばたもとゆき 1954年東京生まれ。東京大学文学部教授。専攻はアメリカ文学。現代を代表する翻訳家のひとり。エッセイ集に『生半可な學者』『死んでいるかしら』『舶来文学 柴田商店』『猿を探しに』など。訳書は、ポール・オースター、スティーヴ・エリクソン、スティ-ヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベックなど多数。メルヴィルから現代までのアメリカ文学を論じた『アメリカン・ナルシス』で’05年サントリー学芸賞受賞。 【取り上げた本】『バレンタイン』柴田元幸/新書館、 1,050円 (税込) 「バレンタイン」で始まり「ホワイトデー」で終わる14の短編集。結婚して25年になる妻のロボットが壊れる「妻を直す」。夜中の台所でいつも幽霊に遭遇する「午前三時の形而下学」。ある日突然、時間が昭和に逆戻りする「ホワイトデー」など、リアルとシュール、ホラーとコメディが入り混じった妄想ワールド! >>試し読みもできる新書館の情報サイトはこちら 柴田元幸、初の妄想集!? ――『バレンタイン』は待望の小説家デビュー作ですね。 「大航海」という雑誌でずっとエッセイを連載してるんですが、現実があまりにも退屈なので、もう妄想に行くしかないんです(笑)。それでまあ、わりと小説タッチのものが多くなってきた。でもエッセイとあまり変わらないんですけどね。ちょっと妄想の度合いが高いだけで。 ――雑誌掲載分以外は、「書き下ろし」ではなく「初活字化」となっていますね。 「バレンタイン」「映画館」「ホワイトデー」は、バレンタインのお返しとして書いたものです。以前は翻訳したものを渡してたんですが、ここ数年は自分で書いた文章をお返しに渡してるんですね。あと、「期限切れ景品点数券再生センター」「書店で」というのは、書店のイベントのために書いたもので。だから、どれも気楽に書いてます。僕自身も楽しみながら書いたものばっかりですね。「そんな、気楽に書いたものを本にするなよ」って言われそうですけど(笑)。「夜明け」というのは、「Coyote」の新井敏記さんから「生まれて初めての旅の思い出を書いてください」と言われて、書いてみたら、こういうのが出てきたんです。「バレンタイン」や「ホワイトデー」は、このタイトルで書こうと決めてホワイトデーの前日に書いたものだし、なんとなく枠を与えてもらうとやりやすいですね。どれも締切の前日とかに、ひと筆描きみたいな感じで1時間か2時間で書きました。 ――1050円(税込)とお手頃な価格ですね。 それは強くお願いしました。ホントは手に収まるくらいのサイズにしたかったんです。一人前の本じゃないから(笑)。 ――「生半可な學者」の「半人前の小説」ということでしょうか(笑)? これはもう、僕が今まで出した本の中で一番売りのない本だから。僕が書店でこれだけイベントをやったりできるのは、翻訳者だからなんですよね。好きな本しか訳してないから「こんなにいい本を訳したので、みなさん読んでください」って自信をもって言える。でも、作家が自分で「僕、こんなにいい本を書いたので、みなさん読んでください」とは言わないですよね。それは、いい本を書いている人だって言わないんだから、ましてや私が(笑)。 ――小説と翻訳では、使う脳はちょっと違う感じでしょうか? それは違いますね。翻訳は原文がそこにあって逃げないから、音楽を聴きながらでも、できるんですよね。創作は、どんなにレベルが低くても、頭の中にしかないから、ぼやぼやしてると逃げちゃう。そういう意味では、わりと緊張を強いられますね。そんなに長いものを書いてるわけじゃなくても。 ――今までにたくさんの小説を翻訳されてきたことは、ご自分の文章にも影響を与えていると思われますか? たとえば、作家のエッセンスみたいなものが柴田さんの中に蓄積されていて、それが書いているときにポロッと出るような感覚とか? それはどうなんだろう。「期限切れ景品点数券再生センター」は、ベン・カッチャーの漫画『ジュリアス・クニップル、街を行く』のイベントをやったときに、いつもイベントでは朗読するんだけど、これは漫画なんで朗読できないからベン・カッチャー風の小説でも書くかって書いたものだし、「書店で」も、やっぱりイベントのときにわざとバリー・ユアグローのスタイルを借りて書いたものだし。どっちもはっきり意図的にやりました。まあでも、わりと染みついてるのかな。翻訳してなかったら、書けないかもしれませんね。 ――作品の舞台は柴田さんの生まれ育った京浜工業地帯の下町で、登場するのはご両親や奥様だったり、これまでのエッセイ集『生半可な學者』『死んでいるかしら』『猿を探しに』などの読者にはお馴染みの場所、人物だったりするんですが、肉体をもった主人公が動き回って痛い目に遭ったりする身体感覚、その感触は、やはりエッセイとは違いますね。 エッセイは固有の時間に限定されない一般論を書くけど、こっちはある特定の時間の中で「こういう出来事がありました」という、「物語の時間」というのがあるのかもしれないですけどね。床が古くて汚れている感じとか、そういう細部を実感してもらえれば嬉しいですね。 第二回「今の自分は”なにかのまちがい”」に続く。
by books_special
| 2006-07-04 15:03
| インタビュー
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