世界を愛し、世界に愛され…笑って宇宙へ旅立たれたコス友社長さん。
2023年 09月 07日
この3週間ほど、とてもとても参ってしまうことや、イレギュラーなことが重なりました。
こんなことが起こるのかしら?という衝撃なことが次々と。
今年は本当に、なんと激しい年なのでしょう。
全ては巡り巡っていて、繋がっているのだと思います。
先日、
福島は会津若松…そして世界へ、大きな影響を与えた社長さんが68歳の若さで他界されました。
このブログでも、以前よりご紹介させて頂いていました会津が誇る、敬愛する社長さんです。

1500人を超える人が訪れたとのこと、会津若松全体が社長さんへの愛で1つになっていたような気さえしました。
本当は、綴ることどころか、あまりに胸が締め付けられ、心の整理などと容易ではありません。
いくら経っても、その悲しみは変わらないでしょう。
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(午前中などに長時間浸かるときは何かしらの作業のために持ち込みますが、夜は滅多にそんなことはしません)
そこに、私をとても可愛がってくださっている舞台監督・照明など、往年の名俳優のほとんどの方に光を当てていらっしゃったのではないかと思われる、舞台業界の大ベテランYさんからのメッセージがありました。
急ぎ確認をすると、奥様からの命を受け、代わりに葬儀のご案内をなさったお友達様の文章へ辿り着きました。
宇宙を越え、無の空間へ吹き飛ばされたような感覚でした。
涙も出ないまま、連絡をくださったYさんへ電話をかけ、震えながらお話しました。
「ちぃ、辛いね、辛いよね…あんなに良くしていただいたからね…」
本当にありがとう。。
受け入れることは出来ずとも、後悔したくはありません。
この日は、娘が午前中から夜中まで書道作品に没頭していました。
(夏休みでしたから、心のままにさせてあげることにしました。)
ですので、真夜中に一緒に湯船に浸かっていた娘も事態を把握し、湯船から飛び出し、主人の元へ走り、事情を伝えてくれました。
私たちの仕事は、親や大切な人の死に目に逢えないと覚悟しています。
こうしてチャンスを頂けたことに感謝しています。
娘は初めての会津です。
それがこのようなきっかけになろうとは、言葉もありません。

もともとは、15、6年前でしょうか…
宝塚OGでいらっしゃる方が会津に大きなスタジオをお持ちで、そこで特別講師として月に一度、泊まりがけで指導に伺うお仕事をしておりました。
会津には、
「会津の三泣き」というものがあると言います。
(2)やがて会津での生活になれ、温かな心と人情に触れて泣く
(3)そして会津を去るときには、離れることの辛さに涙する
私は2と3だけしか経験はございません。
……これは摩訶不思議な話ですが、私とほぼ入れ替えで亡くなった祖父の生きた人生の記憶が、私の中に鮮明にありまして。
その祖父がどうしても行きたかったと心残りにしていた場所が、会津若松でありました。
ですからいっそう、磐梯山をはじめ四方山に囲まれた自然豊かな街に触れる時間は、特別な感情が溢れるのです。きっと祖父の強い想いが通じたのでしょう。
(余談ですが、アメリカ同時多発テロ9.11でこの命が消滅していたかもしれないという、大きなショックを癒すために、免許合宿へ行ったのです。)
春の桜はもちろん、四季の移り変わりも美しかった。
私は仕事柄、怪我をしてはならないと、幼少から雪の多い場所へ出向いたことはなかった(撮影で雪山へ行くなどはありました)為、冬の東北地方で過ごすことも大変珍しく、貴重な思い出でした。
「千紘先生がお泊まりのホテルはすぐわかる、だって入り口に雪だるまがあるから」とおっしゃった生徒さんがいました。
生徒さん達との時間は、短くとも濃厚で、朗らかで心の美しい方々ばかり…
立派な発表会には(私が任された作品も含め)私も少しだけゲスト出演し、みなさんと素敵な思い出を頂きました。。
魅力的で熱心な生徒さん達に混ざって、いつも端っこの方でひたむきに頑張る美しいお嬢さん…お稽古着らしいものは用意できないようでしたが、いつも誠実、透き通った眼差しで、ちゃんと復習もして臨んでいるのが伝わり、私はよく声をかけていたのです。
今でもそんな様子を覚えていると言ってくれる子がいます💦
比較的、そういうことがよくあるタイプだったので驚かなかったけども、この場所の純粋さや神聖さを表しているように感じましたし、座敷童ちゃんも含めて、なんて清らかで、豊かで情熱的な人たちが集まる場所だろうと感動したものです。
そのスタジオの中で、先生の右腕となって支えていらした奥様(これまた底なしのパワーをお持ちの、最高に素敵な、私も大好きな方です。)、そしてお嬢様(宝塚を目指しお勉強されていましたが、現在は一児の母、会津で様々な健康活動を提供するお店のオーナーさん。)と出逢います。
お二人とも長年生徒さんとして果てしなく全力、ママさんは細かなお衣装だってお手のもの!お2人ともキラキラと活動されていました。
東京へ、主催の先生とご一緒に私の舞台にもおいでくださいましたし、いつの間にか、家族ぐるみで仲良くさせていただく関係に。
そして同時にパパさんとも、出逢いを頂きました。
パパさんは東京へいらっしゃることがとても多く、1年に数回、お食事をご一緒させて頂いておりました。
パパさんは
世界的に大貢献されている企業以外にも、ITベンチャー、様々な会長職、オーケストラのコンダクター、鍼灸の世界、ワイン業界…あげればキリがないほどの沢山のお役目をこなし、いつ寝ているのか不明なほどに駆け回っているのに、ひょうひょうと軽やかに人々を笑わせたかと思えば、物事やこの世の真髄について腰を据えて語り合う時間も大切にされ、さまざまな存在を平等に愛し、多くの方に愛された方でした。
私とは、親子ほどに離れた年齢差でありますが(私の両親とほぼ同い年です)
お話をする機会を重ねているうちに、
いつしか、
『千紘先生は、哲学者なんですね。それに、まるで宇宙を通して会話しているみたいだ。宇宙を介して哲学を語り合えるお友達…コス友だ!』なんておっしゃるようになり、
コス友会と称したお食事会は、毎回健康的で美しい食事へと連れて行ってくださいました。

人間とは何か、芸術とは何か、仕事とは、家族とは、愛とは何か。
まさに宇宙空間を漂うような、贅沢で、貴重な、素晴らしい時間をいただきました。
世界を飛び回りながらも、一人一人を大切になさる方。
震災の時も、貴重なお話を沢山聞かせてくださいました。
コロナ禍になり、お会いすることが叶わず悲しんでいた時も、パパさんからヒョイッとご連絡をいただきました。
お電話をして、奥様にも代わって頂いたりして、お会いできずとも、変わらぬ最高のご夫婦様にとても元気を頂きました。
そして、その1年後。

(しかも、どうか同じ神様をまた頂きたいのだと、わがままも言いました)
すると「こぼうし君、千紘先生に合わせてくれようとしてくれてるんだなぁ。よし!絶対ゲットせねば!お任せください!」と快諾くださり…
お守りを持って上京する日取りを整えてくださって…
また美味しいイタリアン(パパさんがフィレンツェで通ったお店の系列店)へ連れて行ってくださり、久しぶりのコス友会が叶いました。。
白虎隊の猫ちゃんも、我が家を力強く守ってくれています。
メインである火の神様・水の神様は、一回り大きなタイプをくださいました。
そして、リクエストしていた火と水の神様
火の神様を寝かせているのは、火が起きないようにという意味合いです。
(よく見かける白地に赤青のにっこり起き上がり小法師さんも、同じように赤色は寝かせるそうです。でも、我が家にいらっしゃるお客様は、お優しさゆえ、知らずに直してくださる方が多いのですよ。)
パパさんが必死に探してくださった神様達。
いっそう宝物です。

こちらは、娘のお芝居の初舞台の際のお守りにいたしました。
「いやぁ、あっちこっちに、やりたいことがある。まぁ、引き受けたからにはね、何事も精一杯、心を尽くしたいですね。
心を亡くすと書いて忙しい。人間としては勿論、ビジネスにおいてもなくしていけないのは心です。相手方に自ら忙しいと伝えることは仕事に追いついていないと言うのと変わりない、信頼を失くす行為だもんね。それは世界共通ですよね。
そして、人生を豊かにし、うまく運ばせるのは愛とユーモアをもてるかどうか、やはり、心のゆとりが肝なのですよね。
千紘先生は強運もお持ちだけど、いつだって愛に変換し、考えを押し付けることを嫌うがゆえにプランB、Cを出す底なしの勇気とユーモアがある。
でも、お相手を傷つけたくないからこそ自分を犠牲にしてしまう弱さは、とても人間らしいけど、辛いですよね。
………………………………………………
パパさんの言葉は、
どんな時も、私の世界を認めてくださって。
会津へ到着すると、まるでこの街全体、まるで磐梯山までもが、パパさんを偲んでいるように感じました。
実際、方々から1500人もの方々が葬儀に駆けつけたと伺っています。
利用したタクシーの運転手さんは、行きも帰りも別の方でしたが、私たちの喪服を見て「あぁ、宮澤さんかい?…信じられないですよ」と。
本当に、街中が、世界が、悲しみの中でした。
落ち着いた頃にお電話させていただこうと、奥様にも何も言わずに出向きましたし、とにかくひっそりとお伺いしようと決めていましたが…
娘も「本当に素敵な方だったのが伝わるね…」とずっと眺めていました。。

その後も、別の生徒さんのお父様が声をかけてくださり…瞬時に当時良くして頂いたことが思い出され、再会がこのような機会であることも含め、また涙が込み上げました。
本当は立派になったであろうお嬢様のご様子などを伺ったり、再会を笑顔で喜び合いたいところですが、双方胸がいっぱいで、少しだけお話しさせていただき、頷き合ってお別れしました。
第二会場では、大きなスクリーンに中継で葬儀の様子が映し出されました。
パパさんのフルート演奏が上映され、やはりもう少し残ろうと、着席させていただきました。(パッと見ると一番前あたりしか空いておらず、そちらへ)
パパさんの優しく暖かな音色を聞いて、ようやく、呼吸が整ったように感じました。
その後スクリーンが切り替わり、映し出された大きく立派な祭壇の真ん中に、大きなパパさんのお写真がある…はずですのに、モニターが反射して真っ白に。
おかげで、目を背けることなく、お式に集中できました。
弔辞をお読みになった方々も、ただただ深い愛と、悲しみと、そしてパパさんがいつも大切にされていたユーモアまで涙を拭いながら添えていらして…皆様心からの言葉を捧げていらっしゃって…。
それはママさんには内緒で娘さん達が協力して撮影していたそうです。
「皆さんがこれをご覧になっているということは、私はもうこの世にはおりません。そして、そこに横になっている亡骸も、私ではございません。ま、お気になさらず。」と、パパさんらしい口振りで始まり、ご家族様はじめ、多くの方々へ愛と感謝を伝えていらっしゃいました。
最期は、「人生はたくさんの愛に溢れています」「…私の人生、最高でした!!」と。
(ある時は、美ボディコンテストに挑戦なさって全国11万人の中から見事グランプリに輝いたご経歴もお持ちです。)
つい先日、ママさんとやっとお電話ができました時
そのお話は私の母にも伝え…一緒にボロボロ泣きました。
「うちの嫁さんは元気すぎて、一体どこまで行くんだ?と思っちゃう」なんて、嬉しそうに話されていました。
パパさんは、もうすでに宇宙を飛び回り、いつもと変わらずに多くの道を創り、希望を与えていらっしゃることでしょう。
でもそのパワーの素も、変わらずにママさんの存在なのだと思います。
「100歳まで一緒にいられると思って、3週間後くらいにパパの後を追うわね、とずっと話していたけど、やっぱり30年後にします!」と語られたそうで、ちゃんと皆様に笑っていただけたのよと…パパさんが「はいはーい、わかりました!」と笑いながらお返事をなさっていることまで想像でき、また涙が込み上げました。

幼い頃から音色を聴いては、微笑んでいました。
「今日は難しいでしょうから、また少し日を置いて、落ち着かれた時にお電話しましょうね」と。
残念そうにしていましたが、理解していました。
お焼香の列に並び、ママさんやお嬢様たち、ご親族様に一礼をしようと思ったら、先ほどまで終始お寂しさを懸命に堪え、毅然としとやかなご様子でしたのに、私に気がつきガガッと目を見開き、足をババッと前後にされ「千紘先生っ!来てくださったの…!」と大変驚かれて。(私の知っている、元気なママさんが垣間見えました)
…驚かせてしまって本当に申し訳ないと思いながらも、
ママさんを目の前にし、我慢していた涙がポロポロ溢れてしまいました。
(後に聞くと、娘さんは「千紘先生は絶対いらっしゃる」と思ってくれていたそうです。)
まだまだ列も途切れませんから、娘も短くご挨拶をし、落ち着いて、すぐにその場を後にしました。。
ですが、全てのお焼香が終わり喪主のママさんのご挨拶が始まり、思わずまたモニターへ駆け寄ってお話を聞きました。
その声に、また胸がいっぱい。
お別れのお花をどうぞとアナウンスが流れます…
娘が、「ママ、私、お花を入れて差し上げたい。パパさんにお会いしたいよ。」と。私も同じです。もう一度会場へ戻り、お花の列に並ぼうとした時…
静かに、ゆっくりと私に近づいてくださったのは、これまた、生徒さんのお母様。
実は会津に向かう日に見た【夢】に、その方のお嬢様が、登場してくれていたのです。
眩いほどに立派な五色のお着物を纏った娘(A)ちゃんが、どこかへ嫁ぐのか、はたまた何かの本番なのか…凛々しく、幸せそうに、前へと進む様子から始まり…私がとても喜んで眺めていると、対岸にパパさんが同じようにニッコリと見送っているのです。
一体何だったのだろうと、ずっと心で繰り返しその映像が流れていた中で、まさかそのお母様が目の前に登場。思わず、夢のお話をしてしまいました。
会津では知らない人はいないであろう、美味しいスイーツを提供している会社を経営されているご家族様で、後でご挨拶に伺いますと簡単にご挨拶をして、その時はお別れしました。。
その後も、お花の列に並んでいると、存じ上げないご年配の奥様から
娘はその理由をこの場所でお話しして良いのか、私に少し尋ねて…
そんな恐れ多すぎるダイレクトな言い方ではいけないと、私がすぐにフォローを入れ
「実は、如来様から直接『心の勉強をすると髪が伸び、髪の力で螺髪ができて、いずれは悟りが開くのですよ』と教えて頂いたそうで…幼少からずっと信じて伸ばしているのです。」と説明をいたしました。
すると「あら!びっくり!宮澤さんの御本尊は如来様ですよ。お嬢さんは宮澤さんと如来様で繋がっているのね!」と。
あぁ、そうだわ、、今になって思い出しました。
パパさんは、私が娘を出産した時、なんと両親と親友の次に、娘を抱いてくださって…
*出産報告をすると「すぐ行きまーす!」と即答。会津からビューンと病院までやって来てくださって。(しかも最初は間違えて別の病院に行ってしまったあたりが、常に笑いを忘れないパパさんです。)まさか本当に来てくださるとは、夢にも思わず、到着前から泣きそうだったのを覚えています。
「うをぉぉぉぉ!!こりゃ凄い!素晴らしい!落ち着き放って、全てを受け止め、どっしり構えてるなぁ…」と満面の笑顔のパパさんに抱かれ、なんて幸せな子なのだろうと。

なんと、如来様?お釈迦さま??風なポーズに!!

「俺、そんなにご利益ないんだけどな…」なんて大笑い。
いえ、すごいご利益があったのですよ。本当に。。
(ママさんのこの出来事はよく覚えていてくださいました)
ファーストシューズも、誰よりも早くパパさんから贈って頂きました。
夫婦で協力して編めるタイプの真っ赤なお靴。
パパさんらしい贈り物でした。

(当時、娘の1歳の誕生日が本番でした)
その様子を、今回訃報を教えてくださったYさんが遠くで見守ってくれていて、そのお姿だけでも、パパさんのオーラと愛を感じたものだと教えてくださいました。

「(会って話せなかったけど……)宮澤パパに繋いでくれたちぃにも感謝してます、ありがとう」
パパさんとYさんは直接お会いしていない御関係でしたが、私繋がりで、いつの間にかやりとりをされていて…心を通わせていらっしゃることに私も喜びを感じておりました。
Yさんの想いも、パパさんにきちんとご報告いたしました。

お花を入れる際、娘と共にきちんとパパさんのお顔を拝見しました。
あ、本当だ。これは、パパさんじゃないんだ。
そう思いました。
やっぱり、もうあちこちに飛び回ってしまっているんだわと。
すると娘が「笑っていらっしゃるね。ママ、セレスティーヌみたいに、笑っていらっしゃるよ。きっと、本当に幸せな人生だったのよね。」と小さな声で。
セレスティーヌとは、7月に旅立った、我が家の愛するカタツムリちゃんでありますので(ニッコリと、何とも美しい微笑みを浮かべてこの世を去りました)、そのようなことを申し上げてはと慌ててしまいましたが、いや、、パパさんはどんな小さな命も、生きとし生けるもの全て平等に愛して、受け止めるお方でしたから、、
娘の素直な言葉も、きっと笑ってくださるだろう、あちらでセレスティーヌとも逢ってくださっているに違いないと思いました。
*ママさんは電話でパパさんの分まで大笑いし、セレスティーヌの最期の時にも心を寄せてくださいました。
花入れの後、またもう一度ママさんと娘さん達と少しお話しすることもでき、ついに、会場を後にしました。。
タクシーの運転手さんも、ずっとお待たせしてしまい申し訳ありませんでしたが、「また1つ歴史が幕を閉じたような気持ちだよ」と肩を落とされながら、お優しく駅まで届けてくださいました。
ロッカーの荷物を受け取り、先ほどの夢に出てきたお子さんのお母様のケーキ屋さんへ寄らせていただこうと、またタクシーへ。
私の伝え方も悪く、なんだか最初は全く違う場所へ行ってしまったのですが、無事に辿り着き。。
伺うと、なんとお母様に加えて、また違うお母様と生徒さんがいらっしゃって。
あれよあれよと、そのままケーキ屋さんのカフェで2時間ほど過ごさせていただきました。
まさか12年もの月日が経っていようとは、つい昨日もお会いしたような錯覚に陥るほど、自然に会話を交わし、懐かしいお話や、近況を伝え合い、ありがたい温かな時間でした。。
改めて、再会を喜び、きっときっと、パパさんが巡りあわせてくださったんだと、互いに思いを馳せました。
パパさんはこの美しい会津で、誰一人も寂しい想いをさせまいと、私たち母娘のこともちゃんと、お優しい方の元へと導いてくださったに違いありません。
同時に、私の中にある会津への大きな感謝と愛、想いや切なさを、埋めてくださったのだと思いました。
そして、夢の中に出て来た娘さんも、後押ししてくれたのでしょう。
お母様達も『ご葬儀がきっかけであったことは残念でなりませんが、Yさん(パパさん)の志し通り、安間先生を会津との えにしの如く、また私達と引き合わせて下さったこと、お亡くなりになってもYさんはすごい方ですね。本当にこころより感謝でございます』と。。
特別な思い出が残せました。
パパさんの「あぁ良かったですー!」という声が聞こえます。
「千紘先生、これ好きだったよね?」と好みまで覚えていてくださって、その場で皆さんと頂いたり、お土産までくださって。。。
*ごまみそせんは、絶対に買って帰ろうと思っていたので、鞄に入るだけ買わせていただきました。
さらには、帰りがけに娘が「わぁ可愛い」と立ち止まってしまって、私の見えぬ間に、お母様が可愛いハリネズミちゃんを娘に贈ってくださって。あらまぁ、本当に。。ありがとうございます。。。
*また、短い間に娘の心理や深い祈りの部分まで感じ取ってくださったようで、とても嬉しかったです。。

せっかくなので、パパさんママさんに連れて行っていただいたことのある、ゆかりのお店へ伺いたいと色々思い出すも、曖昧で…私はなんとうっかりパパさんへ電話をかけようとしてしまいました。
みんなで「きっと出てくれちゃうよ!」なんて笑い合いました。
やはりそれほど、現実だと思えていないのですよね。。。
お母様方と娘さんが、すぐに調べ、会津の郷土料理屋さんの電話予約もテキパキと済ませてくださって。
さらには、そこでも、可愛い母娘お揃いハンカチ(八重桜)を私にこっそりと買ってくださっていて。ありがとうございます。。
(何やら娘にどれがいいと尋ねてくださったそうで、娘がありがとう、いいのよ、いいのよと遠慮しまくったそうで…それでも、慌てて考えてくださったそうです。)
ご紹介くださったのは
【元祖輪箱飯 割烹・会津料理 田季野】さん
お母様達は『一加ちゃんにはちょっと渋すぎたかしら』とご心配を頂きましたが、いえいえ、娘はこういった落ち着いたお店が何より好きで、とても喜んでおりましたし、美味しそうに頬張っていました。
私もパパさんに別のお店ではありましたが、連れて行っていただいたことがあります。
娘も早速挑戦…が、私の想像を超える大きさでかじってしまい「か、辛い…」と流石に驚き、わっぱ飯で必死に中和しておりました。案外辛くないネギが多いとのことですが、普段おちょぼぐちで頂く娘が、気合を入れて一口が大きめだったようで、あんなに2センチほどかじってしまっては、辛いですよね。。

美味しい桃ジュースまでサービスくださいました。
後にご挨拶をしましたら、「大事な先生であると伺っております。」と。
そして、葬儀にもいらしいていて、娘の様子を覚えていてくださったそうで。。。
こちらでも、パパさんを偲び、またご親切にしていただいて、温かな時間をいただきました。

時間はかなりギリギリでしたが、お母様達が計算してくださった通りの電車にも間に合い、わずかな時間で、もう少しだけ赤べこさんを買い足して。
上の赤べこさん達は、工芸店で購入。

娘はそれまではまだ会津の温かさに包まれているのを感じていたのでしょう。
新幹線に乗り込む前に突然泣き出してしまい、、
「ママ、私、ここにもっと早く来たかった。また、また絶対に来ようね。」と。
あぁ、娘は確かに、会津の愛を頂いたのだと・・・
涙目ですが、ハリネズミちゃんが寄り添ってくれていて有り難かったです。
(夢に出て来てくれた、娘さんのお名前をこの子につけさせていただきました。)

そして、あくる日には、車で送ってくださったご家族様の長女である、この日は会えなかった東京にいる生徒さんからも連絡が!(当時中学生だったのにもう30歳!)
しかもこれこそ、出逢い直しのような…驚くような共通点がザクザクと。。
彼女はずっとずっと、私のブログも読んでくれていたそうで、長年の熱い想いを教えてくれました。
これがまた不思議で深いご縁があったことに互いに感動し、また、メッセージの隅々から伝わる、賢さと気立ての良さと誠実さにまた感動。
彼女との再会も、私の人生をまた彩ってくれるだろうと、とても希望を感じました。
もちろん、それも含めて、パパさんからの贈り物であると確信しています。
少し前、とても困ったことに直面してしまったのですが、
これまで同様、本当に私が下を向いてしまいそうになった瞬間を逃さずに
一人でも多くの人に笑顔と愛と未来を届けようと世界中を駆け抜け、あちこちに素晴らしい架け橋を築いたパパさん。
会津は、世界は、宇宙は、どれほどに美しく、面白いものであるかを、教えてくださいましてありがとうございます。
どうかこれからも変わらず、宇宙(そら)を通して、パパさんと愉快な哲学対話をさせて頂けるならば、嬉しいです。

娘がこの夏、取り組んだ超大型作品・・・
選んだ言葉は『道』でした。

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力強い中に柔らかさと伸びやかさのある線で『道』を表現しています。
道の学びは心技体。心と体を健やかに整え、
技を磨く中で己の弱点を見つめ修正を重ねていくことが
道の学びの真髄(しんずい)です。
何度見ても、いい『道』が書けましたね。ほれぼれします!
娘が小学校へ提出したレポートから抜粋しますと、
(レポートはA3サイズ5枚のそれもまた大きな作品となりました。)
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世界中を旅して、素敵な人にたくさん出会えたらいいなぁ
もっともっと、みんなと一緒に幸せな道を歩けるといいなぁと思ったからです。
元気があって、楽しくて、
わぁ……そうだといいな。。
この作品を見た瞬間、色々な涙が込み上げた意味の1つかもしれません。
娘が描いたような觔斗雲に乗って、
今日(9月7日)は私の誕生日。
明日(13日)は娘の11歳の誕生日ですから、もしかしたらパパさんはまた面白い登場をしてくださるかもしれません。