佐賀(有田)・長崎へ 叔父との幸せな陶芸のひととき。
2023年 07月 02日
この3週間ほど、お仕事とプライベートが慌ただしく、悲しいことも重なって…気力体力が落ちていました。
でも復活!!!
もともと今年度も留学を控えているので、それまでになるべく整理すべく、予定をやりくりするので手一杯の一年と覚悟していて、秋まではただでさえワタワタしているのですが。。
なんだか様々なことが重なって、てんやわんやですが、
やはり恒例の?比例するかのように、ありがたく、温かく、嬉しい出逢いや奇跡のような出来事も沢山あって、周囲から「千紘って本当にそういう人生!体に影響が出るほど大変なことがあっても、絶対びっくりするような素敵なことに導かれるようになっているよね。」と。もはやその言葉が、お守りのようなものです(泣)
そして、そうあってほしいし、そうなるように感謝と愛と敬意で過ごしていれば、きっと希望に繋がるだろうと信じています。
人はやっぱり、陰陽のバランスなのでしょう。
どちらも必要で、真っ直ぐ立っているのだから。
でも疲れちゃう時もあるのが人間で、理解者がそばにいる事が何よりの救いです。
あまりに理不尽で範疇にない物事に関しては、娘のポリシーである「(怖くて汚い言動は)頂かなければ貴方のもの」=傷つかない、を発動させねばなと。自分だけでなく、大切なものや守りたいものが犠牲になってしまいますものね。。
根本は良さとしてフル活用し、お仕事もプライベートもそれで成立し、信じていただけている部分が強いのだと思いますし、家族や友人はそこが私の長所であると深く理解してくれていますが、私にとっては課題でもあると忘れず…上手に対処できるよう、今の環境や人生のタイミングに合わせて学んでいます。きっとおばあちゃんになっても同じことを言っているでしょうけどね
でも、直感力や、時や道を見抜く為の大事な感覚で、大切な人を護るヒントにもなるはずだと信じています。。
2〜3週間おきに書いている長いブログで、こんな内容をほぼ毎度のように書いているのは、不思議と、周囲で同じような気持ちを味わっている人と向き合う時間が重なったりしていて、余計に感じた心を取りこぼしたくないからなのですよね。
私は私の人生で、人は人だけども、どうして今、この人と心を通わせたのか…を大切にしたいなと思って、こうして私なりに心の静けさを保てるツールの中で、感情(心の働き)を見つめています。
『感情は人間が作り出した錯覚、幻覚に過ぎない』と、随分昔に、新幹線のコラムで読みました。そんなあやふやなものを作り出し、振り回されてしまう弱い生き物ですが、誰かのために強く…とんでもなく大きな決断をサラリと出来たりして。そんな自分がいることを教えてくれる出会いは、自分を信じるきっかけになる。心の働きに対して冷静に丁寧に向き合っていくと、魂や命の可能性にも繋がっていくのですよね。
自分を犠牲にするのではなく、信じて、何がしたいのか耳を傾け、愛してあげることをおざなりにしないこと(自己愛と自己中心的は全く違いますし、愛のカタチも様々ですね)…そうすると、道は自ずと開かれ、本当に大切な存在も確かに護ることが出来ていたりする…
それから。。。
実は、今回記します佐賀・長崎の旅から帰宅した数日後。
何時間も泣いて、泣いて。
最初は蘇生できないかと泣き叫びながら必死に試みましたが、あまりに美しいお顔で、お口もにっこりと微笑んでいて、この世をしっかり身収めているようでした…カタツムリさんに、こんなにも表情があるのだろうかと感動してしまうほど、可愛らしくて。
母娘で同じタイミングに「泣かないで、まだそばにいるから、大丈夫よ」と聞こえたように感じました。
セレスティーヌの運命をちゃんと受け止めないとね、と。
ですが受け入れた今でも胸が苦しく、ふとした瞬間に全身が感情でいっぱいになって…日が経っても涙が止まりません。
人は、死に様が生き様だといいます。
小さな命も、本当に同じなのですね。。
愛情表現が上手で、賢くて、心を沢山通わせてくれ、最期まで美しい生き様を教えてくれました。
最近はちょっと弱々しい動きをしていたので、どこか覚悟もしていましたが、亡くなる二日前はとっても甘えん坊で、今考えると自分の最期を解っていて、力を振り絞って、精一杯側にいようとしてくれたのだろうとさえ思います。
…セレスティーヌへの想いについては、次回、また。
ニュージーランドへの短期留学の時も、お留守番をしていたセレスティーヌとアーネストにとって大きな冒険や出逢い、とても思い出深い時間がありましたので…そのお話から、NZの思い出を記していこう。。
セレスティーヌは今、きっと高速で前進してみたり、空を飛んだり、大好きな音楽を聴いて歌ったり、あちこち探検して、セレスティーヌの言うように、側にいてくれているような気がしています。
今回はまたしてもニュージーランドのお話を控え、
有田焼の陶芸家である叔父の人生(88歳)に触れますと、なおのこと、人生はここからなのだと強く感じますし、大きな愛とエネルギーを貰った、素敵な旅でした。
私の母方のお墓は、鹿児島県の種子島にありまして。
母も種子島生まれ。お宮参りまで待って生後45日めに転勤族の始まりとなり、母が家族で過ごした最後の地は名古屋で、今でも土地がございます。(なのでそこも定期的に見に行かないとなりません)
種子島にいた大叔父は、今では有名な紫芋を作った人物でもあり。(紫芋の種類やルーツも様々、大叔父のお芋は世間のいう種類ではなかったのだと思います)当初は彼の名前をお芋につけて地域ではとても有名だったようですが、その種芋を何も気にせず人に譲ってしまったりして、とにかく欲の無い人だったそうです。
種子島、一般的には日本最大のロケット宇宙センターとくらいしか思いつかないかもしれませんね
鹿児島空港から、小さなセスナ機にドキドキしながら乗って種子島まで行ったことは今でも覚えていますし、可愛いチャボを抱っこしたり、オオカミのように大きく賢いワンコの背中にまたがって(まるで『もののけ姫』のように!)お散歩したり、採れたてのサトウキビをかじらせてもらったり、摩訶不思議な体験も沢山して、思い出深い!
観光サイトで見ると、
琵琶湖よりも小さい面積(横浜市くらい)、高さも日本一高いビル大阪のあべのハルカスより低く、人口は横浜スタジアムに収納できる程度しかいないとか。
ちょろりんとした小さな島ですが、島国なので、どうせ船に乗るなら都へということで、むしろ鹿児島よりも文化が発展していたという説も聞いたことがあります
そんな種子島で長年護られてきたお墓を、佐賀に全て集結すべく移送することになりまして、親類の中では一大プロジェクトでありました。
日本におけるお墓の課題は、あちこちであがっておりますし、私も一人っ子なので、よく知っておかなくてはなりません(当たり前の事ですが)
今日のお話の主役である佐賀の叔父を中心に親類達が移送してくれたのですが、こうした作業は様々な気遣いも重なりますし、コロナ禍もあり、沢山の気苦労&重労働であったと思いますので、感謝しかありません。
母もずっと連絡を取り合い、気にかけておりました。
無事に全ての事が済み、私たちもご挨拶にと思っていましたが、父の仕事が二日以上連続で休むことができない状態が長年続いていてなかなか訪れる機会を持てずにおりました。
そして、ようやく!
父の休みが調整がつくとわかり、なんとしてもこの機を逃すまいと、主人も私もすぐに休みを調整し決定!
平日しか無理で、娘も学校を少しお休みいたしましたが、このようなチャンスはもう何年もないでしょうから、お許しをいただきました。
6年ぶりの2世帯合同旅です!
全員結構ギリギリの体調で向かう状態だったので、空港までは自家用車ではなく高速バスに。
電車や駐車場よりも空港のエントランスに近い場所に止まるので、便利なのですよね。時間にも正確で感動します。
父も寝ずに製造などの調整をして(主人も必死にお手伝いして)、母と嬉しそうにやってきました
(娘もまだ明け方なのでちょっと寝ぼけた顔ですが、母達のタクシーを嬉しそうに待っていました)
ビジネスラウンジに行こうかと思ったけど、父がすぐに何か食べたいとのことで、お店に入ったり、ラウンジ利用するよりもパパッと充した方が良さそうだと、今半のすき焼き重と、予備でまい泉の羽田限定ポケットサンドを購入。
なんだか勢いで、フレンチフライ専門店「AND THE FRIET」の羽田限定トートバック入りセットをCAさんデザインに惹かれて買ってしまった。(そしてまだ食べられてない…)
(それこそ、舞台の仕事で鹿児島へ飛んだのでした。記録的大噴火まで体験することになり、これもまた記憶に強く残っています)
娘は国内線の飛行機は初めてだし、主人もかなり久しぶり。
飛行機好きの我が家としては、大阪への帰省も飛行機にしてもいいのだけど、新幹線のほうが断然近くて早くて便利なのですよね。
国際線と違って少し楽に搭乗できるのですね。もうすっかり忘れちゃった。。
でもこちらもどんどん便利になって、サクッと入れちゃいますね。
が!
空港の保安検査ゾーンを通過するにあたって、もう、もう!
父が!!!!!
検査で引っかかりまくり、ゲートを5、6回くぐってました。
なんなんだ!
『殺傷能力のあるものが数点ございます』って…
さらには旅行には絶対に必要無いさまざまな特殊な充電器も!
「エヘヘ、パパの七つ道具なんだよ…」
って、七つ道具いらないから!!
という1つ目の事件が起きまして。
(合計で5、6回の大事件が起きます)
父は申し訳ない気持ちではいたでしょうが、謎にニコニコしてて腹が立っちゃうったら
どうやら、母が父に「これに必要なものだけ入れるのよ」と言って渡したバッグに、普段の七つ道具入りバッグをbag in bagしたのだそう。
母は「あんなに確認したのに!」と目眩がするほどブッチ切れ。
私はキレるのを通り越して、心の平和を求め深呼吸。
娘は荷物が揃っているか確認しながら呆れ顔。
主人は一生懸命笑顔で対応して、結局いつものごとく走ってくれていました。
ありがとう。。。
孫に父の日のカーネーション(母が空港で買った綺麗なお菓子についてきた)を胸ポケットに入れてもらっている場合じゃありませんよ、もう。父じゃないしね、おじいちゃんだしね。
それになんでジェケットにマフラー、からのネックウォーマーをしているんだ。。。初夏ですよー。
私の心中を察しまくって「ママ、ほらすっごくいい作品見つけたよ!!一緒に観ようね?」と、促してくれる娘。(いや、娘も父にかなりため息ついてましたが)
ホイットニー・ヒューストンの伝記映画『 I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を一緒に観て、心を落ち着かせました。。
娘もとにかく大好きです。
観に行きたいねと言っていて叶っていなかった作品だったので、余計に嬉しくって、前のめりでイヤホンをグッと耳に押し当てて鑑賞。
オリジナル(英語版)に英語字幕がついたものをチョイスしました。
Whitney役を演じたNaomi Ackieから、深い敬愛を感じられたことが何より胸を打ちました。
どうやら歌は97.7%がホイットニー本人の音源を使ったそうですが、鼻歌やハミング、導入の部分、若い頃のシーンなどは彼女自身が歌ったそうです。きっととてつもないプレッシャーがあったでしょうに、ただのモノマネにならぬ様、違和感のない様、弛まぬ努力を繰り返し、天国のホイットニーに耳を傾けて演じられたように感じられました。
上演のタイミングの早さ(没後十年)もありますし、様々な評価はつきものであっても、努力がとても強く感じられ素敵です。
と言っても、搭乗時間が短く、最後まで観れなかったので偉そうに語れませんが、私の空の旅は救われ(笑)あの歌声や懐かしのシーンを観れただけでもとても充実したものにしてくれました。
近いうち落ち着いて全編拝見しよう♡
離陸でガタガタ揺れて、動揺しまくる父にも映画をお薦めしておきました。本当はまだ怒ってるけど、Whitneyに託しました
元々はシンガーソングライター(音楽家)なので、気が紛れるかなと。
窓からの景色も長崎らしい島々が綺麗に見えました。
無事に到着し、
例の『殺傷能力の高い物達』が流れてくるまでに結構な時間がかかりまして。
主人がお願いし、空港の方々に箱に入れてもらったそうで。
なんだかケーキが入ってるお土産みたいに登場。
道中は曇っているけど、気持ちがいい。
ケーキのような危険物たちは忘れよう。
なので、あの鰻屋さんに先に寄ってからいくよ!場所を教えて?と伝えたら、「どぉこだったかなぁ〜思い出せんけど、鰻が食べられるとこ予約しちゃるけん」とのことで、叔父のおすすめの料亭へ。
【創作川魚料理 料亭 龍泉荘】
https://ryusenso.jp/
後から聞くと社長さんとも仲良しとのこと。
(叔父は控えめなので、基本、そうした話も後からする)
川のせせらぎが聞こえ、緑豊かな気持ちの良い料亭です。
ちっこく載せておこう。
すごい急な階段は、母がドキドキしていましたが楽しかった!(笑)
鯉といえば、臭みが強く苦手な方も多いのだと思いますが、こちらの鯉は衝撃的なほどに臭みがない!!まるでヒラメとタイのいいとこ取りみたいな食感も味わいもとっても上品でした。
『鯉の洗い』&『鯉の握り』
*ご存じの通り酢味噌や辛味噌で頂きます。(一応参考に公式サイト様よりお借りしました)
(月に2、3回は打ち合わせや友人との会食でランチしますけどね)
しかし、私以外は、全員『鰻』です(笑)
*でもみんなで鯉を味見しました♪
素敵なカバーのあるお重。これもあまり上手に撮れなかったのでHPより…
鮎の唐揚げもとても美味しかった!
母がすぐに叔父へ電話をし
「そうか、そうかぁ〜」と笑うだけ。
もう、ありがとう…
電話口を私が代わると、
「そうだ、橋見てきたと?」
「橋のとこになぁ、青いの、乗っかっとったとね?」
「え?」
「えー!!おじさまの作品が?!」
車に乗り込んだタイミングで、ダッシュで戻り。
でも、橋を渡らなかったので、近くまで行かず、そういえば、娘の行くさきの方には映り込んでる!
って、先に言ってぇー
こちら、有田焼の擬宝珠(ぎぼし)です。
一般的には金属製のものが多いですが、なんて可愛い有田焼の擬宝珠ちゃん。
持って行かれてしまわないのでしょうか。。なんて
私はこの後、叔父の工房で他の擬宝珠を見つけ、まさかのおねだりをしてしまったほど、あまりの可憐さに惚れ込んでしまいました…私の知っている叔父の優しさがとてもよく表現されているように感じられて。
娘も学校へ提出する学習ノートに「(擬宝珠の)中に神様がいるように感じました」と書いてありました。
さぁ、叔父のお家へ!
外で待っていてくれて、温かく出迎えてくれ、嬉しかった。
贈り物を渡したり…
*我が家は畳のない家で、畳の作法を特別教えたことはありませんが、娘が自然とテーブルの横に行き、自分の前にお土産袋を置いた上で、そのまま畳の上を滑らせるように叔父に渡していたのを見て、どこで知ったのかしら?とちょっと微笑ましいシーンがありました。
(厳密には袋から出すことや、畳の目に沿わすことは座った角度が斜めで出来ていなかったけど、親類なのでいいとしてもらおう)
後で聞くと「ずっと前にママがそうするって言っていたのよ」と本当に数年前にそんなことを教えたようです。子供の記憶力と、憧れに近い心の力は、強いですね。。
叔父の奥様もとても穏やかで品のある方で、優しくお相手してくれて嬉しい時間でした…(お顔は控えますね。母はヘンテコな顔だったので隠しましたw)
母が事前に用意し送ってあったお墓に生ける造花などもチェック。
*ご一緒する人と歩調や足の動きを合わせたくなっちゃうのが娘の癖なので、写真も全部叔父と同じ足(笑)
…88歳の叔父はズンズン軽快に登っていきますが、かなりハードな山?崖?急な階段を登って登って、ゼェゼェ(爆)母が何度か脱落していました💦
とっても見晴らしの良い、気持ちのいい場所です。
到着して叔父が「あぁー、お線香の火を忘れてしもうたー!」と。
主人がすぐに駆け降り、超ダッシュでお家に取りに行って、駆け上がって戻ってきてくれて
そんな汗だくビッショビショの頑張った主人も景色に入れて💦
何もしなくても結構暑い日だったので、すごい汗でした
そうだね…本当に、みんなでそう思いました。
叔父は娘に真っ先に私とほぼ入れ違いで亡くなった祖父の名を指して、「これが、ひいお爺さんとね…」と穏やかに話してくれて、嬉しかったです。
*私の祖父は、亡くなる時、病室のベッドで正座をし、祖母に「ありがとう」と告げて、正座のまま息を引き取りました。私の生まれる前で、母や親類から聞かされた話ですが、この記事の枕話に書いたように、死に様は生き様という言葉を最初に知る機会になった出来事でしたし、不思議と私の中に祖父の人生の記憶が確かにあることも含め、命のバトンを感じている大切な人です。
そして、母には、2歳で亡くなった姉がいるのですが…
娘はその小さなお姉さんのことを『知っている』と言います。優しくて大好きよ、小さいけど、心はとってもお姉さんなのよと。あだ名は『ねこお姉ちゃん』なんですってレイコなので娘が幼いときに聞き間違えをしてしまったみたい。
この日、娘がお墓の隅で何かを拾い上げたと思ったら、その母の姉の名前が刻まれたプレートでした。風化して、落ちてしまったのだそうです。
娘はそっと同列に並べて、にっこりしていました。
きっと母の姉も、気づいてくれて嬉しかっただろうな…なんて。
(納骨している全員を書ききれていないそうで、いずれ足してくれるそうです。)
私たちの汗を拭うように、いい風も吹いてきて、雨まで降ってきた!
父は挽回しようと私の手をとってフォローしてくれていました(汗)
そして、ずっと楽しみにしていた陶芸体験です!
叔父にお墓参りが決まった時からお願いしていました。
ここで叔父の経歴をざっくりと
叔父は文化功労賞をはじめ、さまざまな受賞歴があり、現在は有田陶芸協会の名誉会長でもありますが、何より研究と指導に力を注ぎ、何事にも控えめな叔父が一途に取り組んできた『釉裏彩技法』という独自の薄紫色の世界は大変評価をいただいており、私も叔父が生み出す優しい色と、驕ることのない研究精神を心から誇りに思っています。
(元々はスポーツで生きていくつもりでいた中で、転機があり…。でも有田の方々は学校の必修で陶芸を習うそうで親しみは大変あったようです。)
長年担当してくださっているネイリストさんが、私のわがままを一生懸命再現してくれ、大感動!
*色も混ぜて、オリジナルで作り出してくれました。
叔父も「おぉ!一緒たい、見事やなぁ。」と。
ネイリストさんにも感謝込めてご報告しました♡
金の顔料を使って生み出す技法なので、他の指は金箔を散らしてもらいました♡
なんと、叔父は「10年ぶりに回すと〜」とのこと!
88歳で、このろくろ用の土を整えるのは、とてもとても大変なことなのですよね。。
てっきり、今でも毎日でも回しているとばかり思っていて、あぁ…そうよね、こんなに重労働ですものね。。なのに私が電話で伝えた時は二つ返事で「わかったー用意しとくばい!」と言ってくれていて。。
叔父は説明をしてくれながら、土を力強く、そして心を込めて整えてくれました。それだけでも十分にありがたくて。
*叔父の許可をもらって撮影しています
娘はじっと見学をして、時々振り返っては「おじさま、カッコいいねぇ」なんて
そりゃそうだ!10年ぶりに叔父がろくろを回すために土を買いに来たとあれば、土屋さん(あ、きっと名称が違いますよね💦)も色んな意味で喜んで土をくださったのかもしれません(笑)
ついに、娘、ろくろ体験!
根っからの指導者の叔父は、とっても丁寧に手解きしてくれました。
「創ろうとしたらいけん。自然に、土に任せて。優しく包んで、回すとね。」
悟りの世界と同じなのですね。。。
(娘の長い髪の毛は如来様の如く螺髪と悟りが開くのを楽しみに心のお勉強をしながら伸ばしているので…余計に、叔父の言葉に通づるものを感じたように、頷きながら土に委ねていました。)
私が20年前に来たときも、友人たちと一緒に、そう教わったことを思い出しました。
心を土に添わせていれば、おのずと土が導いてくれる。
人生と一緒ですね。
そんなことを考えている隙に、娘はすっかり陶酔しておりました。
得意技です(笑)
書道のお師匠様にも「出た!いっちゃんの陶酔!」と歌舞伎の『成田屋!』みたいな感じで褒めて?くださいます(笑)
娘の日記には「ろくろを回している時は、心が温かくなってきて、気持ちよくて、手を離したくありませんでした。」とありました。土と心を繋げることが、ほんの少しだけ出来たのかもしれません
叔父と主人が何やら仲良く盛り上がっている間も、一心不乱です。
ろくろを回したまま、糸を引いて、作品だけ切り取ります。
緊張の一瞬!
*写真は2個目なので、手直しはなく、娘だけで作った作品です。厚みがあり、これだと色々影響が出るので、叔父が削って整えてくれるそう。有田焼の磁器は、薄くて繊細な世界なのですよね。。
主人はベタ褒めされ、すっごく楽しそう。
私は…
でも、それが本当に嬉しくて。
私を内側に入れてくれているような気すらして。(前向き)
叔父はずっとずっと私たちを愛してくれて、相手をしていましたから、私の時に休んでくれたらいいなとも思ったり。
娘の書道作品も毎度7時間越えで向き合いますし、主人も私もとにかく美術品作りが好きなので、すぐに没頭してしまいます。
時があっという間過ぎて、本当に、これはもう絶対に叔父が疲れてしまっただろうとオロオロ。
「そう言うもんたい」
「平気平気!気にせんでええよ。」
「それはどうか気にしないで、『千紘が来るたい、やりたい言うとるからやってやらんば。』と嬉しそうに準備していたんですよ。家族は本当に回せるのかと心配もしていましたが、千紘さんのおかげで、もう一度父のろくろを回す姿を見れました。本当に、本当に、ありがとうございます。」と言って頂いて、胸がいっぱいでした。
↑
右は私たちが終わった後もまだまだ夢中の娘。
その後は、工房の入り口にある展示棚から好きなのを持っていきなさいと言ってくれて(いや、とんでもないことだけども。)
なんと私はここで、正直に図々しく「あれがいい…」とまさかの擬宝珠(工房にある別のもの)を差しました(爆)
いつもこちらが慌ててしまうほど贈ってくれる叔父が、目をまんまるくしてとっても驚いて「これかー!ほぉ、これが欲しいと!?確かになぁ、一加の書道の、ほら、文鎮代わりになるしなぁ…」と動揺。
でも、
文鎮にはしないよ、家宝にするんだよ。
そして、いつか本当に欲しいけど、そんなわがままは今は言わないよ(言ってるも一緒のように聞こえますが)
しばらくして「そうだなぁ、千紘のために作ってやるばい、待っとれ。」と言ってくれました。
わぁ!なんてこと!!
その言葉だけでも嬉しい。
下の写真は寝かせていますが、今回、叔父が私にくれた壁掛け用の綺麗な花器。
テーブルの様に見えるのはいつだったかに作ったという火鉢の蓋で、可愛くてその上で撮りました♡
娘は、最近叔父が取り組んでいる新作のアクセサリーをもらいました。
これまた叔父は「一加はこれを選んだと?ほぉ、これは他にないデザインたい、そうかそうか。」
よく見たら、叔父が選んだデザインの形違いを母娘で選んだのですね💦やっぱり、叔父は自然と私たちの好きな方向性を感じ取ってくれていたのかもしれません。
私のヘンテコな猫型お箸置きも、叔父が可愛く色付けしてくれて宝物!
一加が5歳くらいの時に、なぜか沢山作って送ってくれたチャーミングな部分も大好きです♡
私はとにかく磁器やガラスや繊細なものが大好き。
そして佐賀名物の丸ぼうろと共に、その親類が作成した可愛い可愛い手作りのスリム箸置き♡をプレゼントしてくれました。。
白磁にポンポンと愛らしいオリーブのカラフルで優しいデザイン。
とっても好みですし、細長くてカトラリーレストが3点ほど置けるなんともいい大きさ。お口直しの食材を乗せてもよさそうです。マルチで使えてすごくいい。
これまた、特別な記念になりましたし、大切に致します
サイトを覗くと、やはり人気でSOLD OUTが目立ちますが、どれも欲しくなっちゃう!
…名残惜しいけれど、お別れの時間。
最後に叔父と娘のツーショット。
私が娘の髪を整えていたら「俺にはやってくれんとね」と(笑)
穏やかで、優しい、素敵な思い出をありがとう。
娘の日記に「いつか私も、文部科学大臣賞をとって、おじさまのイヤリングをつけて表彰式に出たいです。一生忘れられない思い出になりました。」と夢も膨らませていました。
そんな日が訪れ、叔父に笑顔で報告ができたらいいね
私たちの作品達は叔父が削って絵付けして焼いてくれ、完成までは1〜2ヶ月かかるそうです。楽しみでなりません。
有田の街の歴史を感じられる場所です。
歩道にはよく見ると有田焼のかけらが埋め込まれていて、これまた可愛い!
「踏んじゃいたくないね」と言いながらも歩きます。
佐賀にはお洒落な極上プレミアム旅館なども随分増えたようで大変心惹かれましたが、もうなかなか訪れることもないし、私個人的な目的(共演させて頂いたジャズダンス協会の理事の先生がハウステンボスの劇場で演出なさっていたので、このようなチャンスは滅多にない!)もあったので、今回は長崎のハウステンボスエリアのホテルにしました。
いやぁ、随分昔に来たきりでしたが、経営も変わって、ハウステンボスのホテルも海外のハイクラスホテルかのようなお値段!!
ハウステンボスエリアとしては唯一のオーシャンビューホテルです。
https://watermarkhotelnagasaki.com/ja/
そして、運よく、このホテルに1室しかないメゾネットタイプの2ベッドルームスイートルームを予約できました!
二世帯で一緒に泊まれる、お部屋がきちんと別れた二階造りのスイートルームです。
上の写真が私たち。下が両親の部屋。
テレビは小降りですが、素敵なキャビネットに収まっていてイイ♪
なので、お風呂上がりにこっそりお部屋に侵入し驚かすこともできます(笑)プライベートはどこへ行ったんだ。
年々ビュッフェスタイルが苦手になってしまっていて、(学生時代は大好きでホテルビュッフェへ通い詰めたものです。)
本当は個人的にはお部屋がいいのだけど…さほどせせこましくなかったので、落ち着いて頂けました。
朝は見事に食べないタイプなので、旅行でも控え気味ですが、フルーツを中心にと言いながらスイーツまで結構ちゃんと持ってきてしまった私。
娘は盛り付けが大好きなのでビュッフェはとても好きなよう。
(娘と主人は日頃も毎朝しっかり食べています)
*母娘で大好きなエッシャー本があって夢中です。オランダといえば、私はエッシャー!
…この写真は気持ちよさそうに日光浴しているかのようで、暑すぎて焼けてしまう!とダッシュで戻ってきている娘です(笑)
若い頃に母と来た時も、エッシャーのアトラクションがあるとあってそれが一番の目的でハウステンボスに訪れました(笑)
今回は体験型ではなく、展示会で、これもまたとっても嬉しい。
『でんぐりでんぐり』の可動式フィギュアは学生時代に購入しました。
今じゃ手に入らないであろう私の宝物の1つです。可愛すぎる。
車窓からの景色も絵になります。
今は紫陽花フェアが始まったところでした。
惜しかったー!!!
『ハウステンボス歌劇団』は無事に鑑賞できました!
私も会員であります日本ジャズダンス芸術協会の理事の先生である元宝塚歌劇団娘役スターの壇ひとみ先生が、脚本・演出・振付をなさっていて、さらには今年の春にハウステンボス30周年を記念し立派な歌劇大劇場がオープンされたとあって、これは観てみたい!と思っていたところの旅が決まったので、逃すまいっと伺いました
いつぞやに壇先生と共演させていただいた際は、光栄にもピックアップで同じナンバー(男3女3のペア作品)でご一緒させて頂き、お優しくして頂きました。いつまでも可憐で、私や娘にも大変温かく接してくださいます先生で、宝塚の振付をしていました私の師匠である名倉加代子先生のことも深く敬愛なさっていることをよくお話しくださいました。
1時間の公演ですが、見応えのある構成でした。
平日で、園内も劇場も空いていましたが、最前列はしっかりとファンの方々が駆けつけていらっしゃいました。きっと連休や休日は満席なことでしょう。
たっぷりと「壇先生らしい!」という振付も堪能できました〜
くるくるしたアイスを食べたり。
娘との後ろ姿、遠近法&娘がスキップしてて私の方が小さく見えて笑えました。
でも、あとちょっとでこんな感じになっちゃうのね
期間限定のミッフィーちゃんのサラダ、これもチーズなのですが、厚みがすごくて吹き出しました(笑)
でも新宿でも買える全国に名の通ったお店が多く特別買うつもりはなかったのですが。。
母は通りすがりの現地の方が「お、一番上等なカステラもあるな」と話していたのを聞いたらしく、知らぬ間にこのカステラを買ってくれていました↓
そして、この鼈甲のお守りは、昔も一緒に買ったことがあって、本当に効果があったのでこの旅でも絶対に買うつもりでいたそうです。
これまた知らぬ間に買ってくれていました。母は抜け目ありません。
銭亀と幸福のフクロウさん。
怖いほど効くのですよ
*鼈甲の茶色い部分が濃い方がパワーも強いのだとか。娘は知らずに、母が買った中から自然と濃い方を選んだそうです。職人さんが急激に減って、これを買ったお店も、その辺りでは最後の店舗とのことだったそう。
叔父のお家で、娘さんが出してくださった『さが錦』というお菓子がとても美味しくて、お土産にも頂いたのです。
空港に3箱だけ売っていて、飛びついて全部買いました(笑)
*娘さんから頂いたのは、栗と小豆が別々のタイプ。私が見つけたのは栗も小豆も混ざっている個包装タイプでした。
(鼈甲をすぐに貰っていたら防げたのかしら??)
(これなら匂いもしないし静かにササッと頂けそうと。持ち込み不可では無いけど、基本的には静かに過ごす場所ですから、提供されているものを頂くか、飲食の質を選ぶのがマナーですね。)
が、小さな空港なのでとてもコンパクトなのですが、お寿司やカップラーメンやビールを持ち込んで拡げ(アルコールと匂いの発する飲食は持ち込み禁止)、自宅のように過ごす方達がいて…カステラアイスの味もしない。
時折、子供を走り回らせたり大声で注意しながら実は放置な光景にも出くわし、ため息ですが…こういうのも残念に思います。。
CAさんが「可愛い!ショップで買われたんですか?」というので、「さっき機内で頂いたのよ〜(笑)」というと、「え!こんなに可愛いんですか!私も欲しい!」とおっしゃっていました
本当、ちょっと可愛いですよね。
夜も私の太ももを抱きながら寝ていました💦
自動でカリカリが出る機械や、洗浄循環するお水などもしっかりセットし、停電にも備えて行きましたが、数日間よく頑張ったね。。
シルクの寝巻きが滑って嫌なようで、自分でめくって抱きついております(笑)
明くる日、叔父と電話した際のこと。。
「千紘、あの日は時間がなくてちゃんと話してやれんかったけど、いい旦那さんをもらったなぁ。気立が良くて、誠実で優しかばい。中身も外も、いい男で気に入ったと。安心した。」と話してくれました。
私は、ずっと主人を叔父に紹介したかったので、ただただ、涙がこぼれました。
身内のことをこうして書くのもみっともないのでしょうが、記しておきたいほど、嬉しかった。
で
あ、それでも焼いてくれるのね
主人が作った『ちょっと良くない?』な、あえて変形させたと言う器は割れてしまったそうですが、叔父の優しさと共に、焼きあがって届くのを心待ちにしております
娘さんもお誕生日だそうで、ささやかですが、叔父とお揃いのフェイラーハンカチを。
旅の際に母から奥さんへもフェイラーハンカチ&バックセットをお渡ししていたので
叔父の人生に触れることができ、家族で未来の選択にも後押しをもらったような気持ち。
行かれて本当に、良かった。
ありがとう。
違う星の地に降り立ったようで、気持ちがよかった。