平和を願って執筆活動を続けてらした橋田先生にしか書けない歴史の裏側…先生の信念とも重ね合わせながら創られ、しなやかで懐の深い、愛と信頼の春日局の本質が描かれているのです。
天皇様がお亡くなりになり、昭和最後、そして平成最初のNHK大河ドラマとなったことも印象的です。
その後の橋田先生の作品へはTBS創立40周年記念ドラマ『橋田壽賀子スペシャル 源氏物語 上の巻 下の巻』
総制作費は12億円以上と、大変豪華な企画でした。
橋田先生の強い熱意で完成したと伺っています。
私は光源氏(片岡孝夫さん)と紫の上(大原麗子さん)の娘の明石の姫を演じました。
*正確には光源氏と明石の上(古手川祐子さん)の間に生まれた子で、紫の上の養女として育てられます。
また余談ですが、私が受験生の頃に受講した某塾にて、授業で源氏物語の明石の姫を取り上げた教材を使用しました。
その時、先生は「TBSで源氏物語のドラマがあってね、そのビデオは私の宝物なんです」と紹介なさっていて、何だかとても嬉しかった…
そうそうたる役者さんが勢揃い…これまた光栄の極みでありました。
同じく光源氏役を務められた東山紀之さんも、様々な現場や舞台楽屋でお会いすることが多く、その度に優しく話しかけてくださいました。
大原麗子さんとは、この作品以前にもドラマでご一緒させて頂き、大変お優しくしてくださいました。
スタジオでは「私の隣にいらっしゃい。」と、お椅子を並べて、待ち時間を過ごさせてくださり、嬉しかったものです…
*北野武さん(ビートたけしさん)と大原さんが主演なさった『浮浪雲』という作品です。
大原さんがお亡くなりになった時も、またお墓参りをした時も、不思議な体験をしました。
抱きしめてくださったり、楽しいお話をしてくださった際に感じた、甘くて優しい香りが今でも忘れられません。
そのドラマの出演シーンをご覧になったプロデューサーの石井ふく子先生が、私をご指名くださり、石井ふく子先生の半生を描いた舞台(帝国劇場)で、石井先生の幼少期の役を演じさせていただきました。
石井先生にも大変お世話になり、先生への感謝は常に心に在ります。
舞台は、源氏物語の少し前になります。
橋田先生も劇場にお越しになり、素敵な言葉をくださいました。。
その後、誰しもが知っている長寿ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』の舞台版に、泉ピン子さん演じる「五月」の娘役(愛)をダブルキャストとして出演させていただき、翌年の東京/地方公演ではいじわるな?いとこ(加奈)をシングルで演じました。
二通りの役と向き合うことができたのはまた貴重な出来事でした。
当時中学1年生で、単身、地方のホテルでの長期ステイは大変ドキドキしていましたが、泉ピン子さんのお優しい計らいで、ピン子さんのお付きの方が毎朝私と一緒に劇場まで通ってくださり、本当に有り難い日々で。。
中田喜子さんのお付きの方には、休演日にお出かけに連れて行っていただいたり、それを中田さんにご報告するととても笑顔で細部まで聞いてくださいました。
夜はホテルの部屋に共演しているお姉様方がお相手にきてくれることもあり、寂しさを埋めてくださいました。
お付きの皆様も、舞台だけでなくてTV版にもご出演されている素敵な俳優さんばかりです。
小さい頃から寝つきが悪く、その時は毎日明け方まで眠れずに過ごしていたので、この頃は楽屋で仮眠をとることもしばしばありました。
本当はとんでもなく無礼なことと承知していましたが…東京から出張をお願いしていた個別教師の先生に起こしてもらったりして、、なんとかやっていました。
が、、案の定、一度大ポカをしてしまいます。
誰にも告げずに、本番の空き時間に居眠りをしてしまい、、
気がついたら、自分の出番の数個前のセリフがモニターから聞こえてきました。
死に物狂いで廊下を走り、「すみませんすみません、通ります!出ます!!!」とスタッフさんや出演者の皆様を掻き分けて、舞台に飛び出し、ギリギリ出番に間に合いました。
休憩時間に、山岡久乃さんをはじめ、皆様の各楽屋にお詫びに伺いました。
ピン子さんのお部屋へ伺った際…
恐る恐るのれんを潜ると、手招きをしてくださり、「はい」と美しいポチ袋をくださったのです。
訳もわからず受け取ると
「優先順位を間違えずに、よくやったね。根性あるねぇ。」
「一番大事なのは、お客様。芝居の流れを止めないこと。こっち(役者やスタッフ)そっちのけで走ったんだ。大事なことが何か解っているんだね。」と。
私がありがたくて泣きじゃくっていたら「これからも水に流されず、色にも染まるんじゃあないよ。」と言ってくださいました。
その後、スタッフさんに謝罪に行った際、
「千紘ちゃんのスリッパ(楽屋履き)、こっちにあるから見に行ってごらん」と袖に案内してくださいました。
確か、スリッパも袖にすっ飛ばして舞台に飛び乗ったはずでしたが、終演後そのことまで気が回らず恥ずかしくて…行ってみるとそこには私のスリッパが袖の隅に綺麗に揃えてありました。
「これね、ピン子さんが揃えてくださったの。周囲には『あの子を叱らなくていいよ』っておっしゃってね。」と教えてくださいました。
胸を熱くしながら、改めてお礼に伺いました。。
私のホームシックや不安な気持ち、うまく寝付けずにいることもご存知だったのでしょう。
至らない自分を情けなく思いながらも、いただいた愛を無駄にしたくないと、最後まで向き合うことができました。
ちょうどその数日後に地方公演を視察にいらした橋田先生にも、大変嬉しいお言葉、励ましを頂きました。
今考えれば、橋田先生から頂いた時計を持参していれば良かったです…。
ピン子さんから頂いたお言葉は、今でも人生の支えになっているものばかり。
別のドラマでご一緒した時は、私のコンプレックスであった苗字(本名も同じ)の相談にも乗ってくださって、豪快で力強いアドバイスを頂きました。
そのお言葉に心救われ、自分の名前をちゃんと愛せるようになりました。
今では主人がお婿さんになってくれ『安間』を継いでくれていますから…
ご本人からしたら、どれも忘れてしまうようなわずかな出来事かと思います。
ですが、幼かった私の心にしっかり留まり、こうして人生の支えになっている程の大きな影響を与えてくださいました。
やはり、時代を作られた素晴らしいパイオニアの方々は、何気ない一言、所作1つ、微笑み1つに、重みが在ります。
泉ピン子さんが、橋田先生を看取られ、納骨もなさったと伺い、
また、石井ふく子先生のコメントを読んで、涙が止まりませんでした。
橋田先生と最後にお逢いしたのは、もう10数年前でしょうか。
何かの仕事でテレビ局におり、その際にご挨拶させて頂く機会がありました。
…笑顔で気さくに出迎えてくださり、大人になった私に驚かれてらっしゃいました。お変わりなく、パワーを頂き、光栄でした。
友人が、橋田先生の追悼番組を観ていたら、私が映ったのだと教えてくれたり…
またある友人は橋田先生の記事を色々読んで「千紘は本当に素敵な作品に恵まれたんだなぁとしみじみ思ったよ」と連絡をくれました。
本当にその通りです。
橋田先生の創られる作品は、いつだって『人間そのもの』
素朴な日々の中にこそ、人間の美しさや醜さが溢れている…
今はほとんどテレビをつける習慣がなくなってしまった(YouTubeなどを代わりに利用している訳でもなく)のですが…今でも『渡る世間は鬼ばかり』の特別放送は調べて録画して毎年楽しみにしておりました。
舞台のみの出演ではありましたが…あの音楽が流れると、劇場の袖で味わったなんとも言えない心地よい緊張感と、共演させて頂いた方々やスタッフの皆様の優しさ、『幸楽(劇中のラーメン屋さん)』の良い香りが蘇り、、感謝の涙が頬をつたいます。
✱TVだけでなく、舞台の劇中でも本物の美味しいラーメンが登場し、お客役の俳優さんは毎回数口分がよそってあるラーメンを舞台上ですすります。
橋田先生と石井先生の愛から生まれた『人間そのもの』に携われた貴重な時間を、これからも宝物に、人間らしく生きていきたいと心から思います。。。
そして、先生の残された素晴らしい作品や、頂いた学びを、我が子や、大切な人に伝え続けたいと。。
*実家の小売店の飾り棚に今でも飾ってある、春日局の土鈴です。
母が、つい先日、実家に咲いた木香薔薇を持ってきてくれました。
この木香薔薇は植えたものではなく、父が仲良くしている野鳥達(ピィちゃん)の贈り物で、自然に育ったものです。
毎年可愛くお家を彩ってくれて家族ニッコリ。
今年はまた随分とツルが伸びて、お隣にお邪魔してしまいそうだったので、沢山整えたそうです。
例年よりも色が濃く、とても可愛い。
上手ではないけど、3つに分けて生けてみました。
木香薔薇の花言葉は、「純潔」「あなたにふさわしい人」「初恋」「幼いころの幸せな時間」「素朴な美」
どんなお花にも(特に黄色い花には)ネガティブな花言葉がつけられがちですが、木香薔薇にはマイナスなイメージの花言葉が一切ないのだそうです。
「幼いころの幸せな時間」
まさに、橋田先生から頂いたものだね…と母としみじみ。
橋田先生への感謝の想いを込めて、お家のあちこちに飾りました。
春日局のガイドブックを楽しそうに読む娘。
読めない漢字も沢山ありますが、美術関係の本から興味を持って、歴史書なども興味津々に読んでいます。
「橋田先生は、一生懸命おふくさんのことを調べて、考えて、どうしたらおふくさんの優しさが伝わるかなって思って、書いたんだね。。私は、もう橋田先生には逢えないけど、心でご挨拶してみよう。ちょっと緊張しちゃうけどね。…おふくさんにも、ご挨拶しよう。」なんて話していました。
今は大切な方々の側に寄り添われたり、きっと各地の美しい景色をご覧になっているのかなと想像しております。
天国にいかれた折には、おふくさんや、大原麗子さん、、素晴らしき名優方と楽しく談笑なさり、あちらでも豪華キャストの素晴らしいお話をお書きになられるかしら。。
このような寂しい出来事が訪れるとは思いもしませんでしたが、
娘をきっかけに、改めて橋田先生から頂いた日々に感謝していたタイミングであったことも、何かの導きなのかもしれません。
橋田壽賀子先生、本当にありがとうございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
3年生に進級した我が子のことや、最近の出来事を書き溜めておりましたが、またの機会に。
木香薔薇の花言葉のように、娘にも沢山の『幼い頃の幸せな時間』が沢山訪れることを、心から祈っています。
では。。