遊ぶ さて、父親よ、本当に本気で子どもと遊んでいるか?
日曜日に、疲れた顔して、2、3歳児のわが子を近くの公園に連れて行き、
テメエは煙草を吹かし、子どもがブランコに乗っているのをただぼんやり
見てるだけじゃ、子どもと遊んでることにはならないんだぜ!
徒競走なんかでも、どっちが早い?なんて、真剣に親父は子どもに返って、子どもの目線で争ったことがあるか?
俺は、役者の特技をいかして『こちらFIB! 君たちは完全に包囲されている! 武器を捨てて速やかに出てきなさい!』なんて、本気で叫び、隠れている子どもをわくわくさせたもんだ。
君は、「ちびくろさんぼ」になって、ソファをいかだに見立てて、子どもと共に広い海を漂流したことがあるか?
子どもは、遊びに夢中になればなるほど、一人の人間としてその想像の世界で生き始める。そして、目に見えないものをみるのだ! そこから、想像することを覚えるのだ。
始めからテレビを見て、怪獣にわくわくしても、その怪獣の形や声を押しつけられてしまえば、そこから先を想像する余地は微塵もない。
それとは対照的に、夜寝る前に物語を読んで聞かせることは、とても大切だ。
ああ、その山姥は、ああ、そのお化けは、ああ、その剣士は……。耳から聞くだけだから、その子は体中で、その姿や怖さや勇ましさを想像する。脳ミソと心がフル回転するのだ。
自分の愛する子どもを将来、本気で幸せにしたいんだったら、その辺りから
始めることだ。やたらにアルファベットを教えることじゃないぜ。
俺は一生懸命子どもたちと遊んでやってると思っていたんだ。
ところがある日、めずらしく早めに帰って『今日はお前たちとしっかり遊んでやるぞっ』と、いさんで家の門を開けたと思いねぇ、いきなり3歳の三男坊が、『パパ、今日は遊んでやれないよっ、よっちゃんと、ふうちゃんが来るから……』ときっぱり断られてしまったのだ。
その瞬間、思考停止状態。しばしその場に立って、水遊びをする三男坊を見つめていた。俺は、今まで、子どもと一生懸命遊んでやっていると思っていたんだ。ところが向こうも、親父と一生懸命遊んでやっていると思っていたらしい。まあ、お互いそれなりに努力していたというわけだ。そこまでいかないと、遊びじゃねえらしい。勉強になったぜ。
命がけの愛 幼児期から、少年期、少女期までが一番、深い愛が必要なんだ。
この時期に親が命がけで愛してやること。金を掛けることじゃない! 命がけの愛を感じさせることなんだ。そすれば、子どもをはブレないぜ。親が命をかけて子どもを愛することは、子どもにとっては本当に怖いことなんだ。
昔、げんこつ和尚という坊さんがいた。その和尚は子どもが悪さをすると、げんこつを1つ、ゴツンと見舞った。しかし、子どもはちゃんと言うことを聞いた。和尚に本当の愛があったからだ。今、愚かな父親がわかった風に、『言うことを聞かない生徒を殴るぐらいの気骨のある先生が欲しいですね』なんていうけど、それはとんでもない話ですぜ。
今、何処にげんこつ和尚がいると思ってるんだ。ただ頭にきて殴るだけですぜ。
下手をすれば殺されますぜ。そんなことをいう親父に限って、自分で愛と責任とエネルギーを持って息子を殴れないニセモノなんだ。
チャップリンの幼年期は、母一人、子一人で、食べるものもない極貧の家庭だった。母親は、1杯のスープをチャップリンに飲ませるだけでも精一杯だった。何しろ、極貧の挙げ句、母親は精神異常をきたし、精神病院に入院したほどなのだ。しかし! 母親は1杯のスープをチャップリンに飲ませながらも、ぼろぼろになったアンデルセンの絵本を読んで聞かせたんだ。
俺が言いたいのは、これが育ちが良い、という事なんだ! 金を掛けることじゃないんだ、命がけの愛を与えることなんだ。そして、その子が一人前になって、社会に出た時に、『あの子は育ちがいいね』と言われ、皆から愛される人間になるんだ。親はずーっと子どもに密着して、共に人生を生きるわけにはいかないんだぜ! 他人に愛される人間にすることなんだ! 子が他人ばかりの社会で荒波を泳ぎ切って行くためには……独立した愛が必要なんだ。
チャップリンはその後大スターになって、母親を無事に病院から受けだして、幸福にした。チャップリン自身も色々人生で、苦しいことがあったが、そのたびに、育ちの良さを発揮して、スマートに苦難を乗り切っている。
本物を知る やくざな親父の俺は、3人の息子が小学校に上がる前は、週に1枚、必ずやらせたことがある。それは、世界の名画、日本の名画、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、佐伯祐三、藤島武二、等、とてつもなく難しい絵を模写させることだった。
模写できるわけがないけれど、怖い親父の命令だから、できないながらも、必死にその絵を見る。その間、BGMに、音楽を静かに流してやる。
なぜこんなことをしたのかというと、小林秀雄という??これ以上優れた評論家は出ないだろうが??この人が、『骨董』というエッセイで、昔、鎌倉にあった老舗の骨董屋の主人は、丁稚小僧が新しく入ると、まず最初に、今で言えば何百万もする陶器や書画を扱わせたというのだ。最初に本物の美しさに触れて育つと、その丁稚小僧が将来、番頭になった時、どんな上等なニセモノを売りつけに来ても、騙されない。
俺は、最初に本物を学ぶことがいかに必要かを知ったのだ。
生まれてまもなく、カラーテレビで色を知り、CMソングで音楽を知る、幼児たちよ……。ニセモノにどっぷり浸かって育った大人たちよ! 今や、誰が誰を騙しているのか、それすらわからなくなっしまってた大人たちよ!
情報、情報ばかり追い求めるが、この情報過多の時代に、その中らから真実を見つけだす教育が、その人間の最後の生きる道になるんだぜ! そのためには幼児時代から本物を味合わせることだ。そして、もっと大切なことは本物の大人、本物の先輩に会うことだ!
その子の最初に出合う大人、その子の人生の初期に、愛を持って出合う大人……それは、両親だ! その両親が本物なのか?! 一番身近な大人がニセモノじゃ、こりゃ、子どもはたまったもんじゃないぜ。昔は、君たちも本物を目指したことがあったかもしれないが、ご両親サマよ! 社会に出て10年もすれば、もう、いっぱしのニセモノに育っているんだぜ、そのニセモノの価値観で子どもを教育しちゃいけないぜ! 子どもは、シルバーシートに座って、お受験に首っ丈だぜ。前には、ご両親サマが立っているというわけだ。その横で、爺さん、婆さんが、シルバーシートに座れずに死にかけている。
では本物とは? 簡単なことなんだ。法律も世間体もなく、給料の値段でえらい、えらくないをいっさい超えた、真・善・美。言い古されているが、とりあえずこれから学ぶんだ。真・善・美なんていうと、その言葉自体が化石のように聞こえたら、君はもうすでに助からない姉歯設計士だぜ。
法律に反しても、己の心を裏切らないことなんだ。己の心に嘘をついて生きるのが一番手っとり早い!? バカ言っちゃいけねぇ。子どもにも、いつの間にかそれを教えることが、世の中で成功することだと錯覚させて、塾に通わせ、名門校を狙い……。その結果が国会喚問の道だぜ!
己の心に嘘をついているのは、己が一番知ってるはずだ! それすら気付かなくなったら、もう君たちは子どもと共に、タイタニックの世界で沈んでいくのだ。
ご両親様、君たちの親から受けた愛は不満があるかもしれない、しかしその2代・3代先の親たちの愛が連綿と続いている事を思い返してみよ! その総合の愛を受け継いでいるのだ! その愛を自分の子どもに伝えると思えば、なまやさしいことではないぜ。
襟をを正して祖先の愛を伝えよ!