カテゴリ:RELEASE
- 1991 10/25 7th Single 「ヒゲとボイン」 発売[ 1991-10-25 15:06 ]
- 1991 9/30 7th Album 「ヒゲとボイン」 発売[ 1991-09-30 20:30 ]
- 1991 6/21 6th Single 「BLUES」 発売[ 1991-06-21 20:27 ]
- 1991 1/21 5th Single 「スターな男」 発売[ 1991-01-21 20:25 ]
- 1990 12/1 6th Album 「ハヴァナイスデー」 発売[ 1990-12-01 20:23 ]
- 1990 11/1 5th Album 「おどる亀ヤプシ」 発売[ 1990-11-01 20:22 ]
- 1990 10/21 4th Single 「命果てるまで」 発売[ 1990-10-21 20:17 ]
- 1990 10/1 4th Album 「ケダモノの嵐」 発売[ 1990-10-01 20:12 ]
- 1990 7/21 3rd Single 「働く男」 発売[ 1990-07-21 20:08 ]
- 1989 9/1 2ns Single 「デーゲーム」 発売[ 1989-09-01 20:06 ]
シングルのジャケットは、曲タイトルのきっかけになった小島功氏による書き下ろし。
この曲のビデオは専用メガネをかけると立体に見えるが、かけないと普通の映像という特殊な撮影方法で8月にロサンゼルスで撮影したが失敗!ここでも詰めが甘いのであった。
※ツアータイトル修正しました。ユニバカさんご指摘ありがとうございます。
宮崎公演の思い出ある方!コメントお待ちしてます。
発売日のメンバーはOFFで、翌日からユニコーン史上最長の80公演を行ったツアー「舞監無き戦い」のリハーサルが始まるのであった。
このアルバムのツアー名を考えた時に、「ヒゲとボイン・ツアー」や「ボインとヒゲ・ツアー」というのは“ちょっとな~”と思い、別のツアー名を考えていたこの時期、マネージャーの原田・鈴木が映画「仁義無き戦い」のビデオにはまり、見まくっていた。そこへ、それまで一緒にやってきた舞台監督が失踪したという情報が入り、このこのツアー名になったのであった。
ちなみにアルバム名の由来は、前年「ケダモノの嵐」で日本レコード大賞のアルバム大賞を受賞した時にもらった盾に女性が横になっている図柄があったが、その女性が漫画家・小島功氏が「ビッグコミックオリジナル」で連載していた漫画「ヒゲとボイン」の登場人物に似ていた事がきっかけとなった。
この握手会では直筆のサイン色紙をプレゼントしたのだが、そのためにレコーディングスタジオでは連日手の空いたメンバーがサインをしまくっていた。
発売日のこの日は「嵐のケダモノ・ツアー」の倉敷市民会館での公演があった。91年最初のライブだった宇都宮で阿部がブルースリーの立ち回りをやって脱臼した直後の公演だったので、阿部は左肩を吊った状態で演奏した。
この曲はシングル用にミックスをやり直したが、確かシングルのヴァージョンは最初のギターの前に“パンッ!”というSEが入っている。この音はスタジオでスリッパで床を叩いた音を録音した記憶がある。
発売日であるこの日は「嵐のケダモノ・ツアー」の東北から戻って、12/3の京都までのつかの間のオフ。
このアルバムは9月にNYで録音したのだが、ジャケットもNYのデザイナーに発注し、向こうでのレコーディングと平行してデザインのやり取りをした。そこで、渡米前にアルバムタイトルを決める必要があったが、曲は揃ったが、歌詞は揃っていない状態だったので、これまでの全ての楽曲を録り終ってからタイトルを考える方法が使えず、かなり悩んでいた時、EBIがポロッと言った「ハヴァナイスデー」が採用されたであった。
コンセプトは子供に向けて!である。どこからか子供からの支持が低いというデータがあるという事で、楽曲も装丁も子供を意識した。
4日後の10/24からは『嵐のケダモノツアー』がスタートという、ツアー準備の真っ最中。
ちなみこの時に使用したウクレレはFamous ukulele社製のモデル名がFU-120Pという楕円型のウクレレで、レコーディング直前に入手し、ツアーでも使用された。
ビデオは下着姿の女性が写っており、これまた軽い放送自粛に追い込まれた。
カップリングの「PTA」は、この時期人気爆発中だったTMネットワークを意識した曲で、後日、TMネットワークのラジオ番組に奥田が出演した。
冒頭のセリフは当時のマネージャー達による。先生が原田、生徒が鈴木である。
夏のイベント直後にNYでのレコーディングとなったため、本作品のリリースに向けた写真撮影のスケジュールが取れず、ジャケットはリハーサルスタジオの壁に幕を張り、撮影された。撮影時にはスタジオに椅子を持ち込み、マイクスタンドの向きを変えたり、地味な努力をしたが地味なイメージはぬぐいきれない。さらにCDのキャップ(キャッチコピーなどが書かれた“帯”と呼ばれる左ハジの部分」で川西が見えなくなってしまう自体が発生、急遽キャップに穴を開け、キャッチコピーを“この人がドラム”とした、いつもの詰めの甘い結果となった。
※丸い穴が開いていたのは初回から数年で、価格が下がった現在発売されている商品だと赤いキャップに「グッとお求めやすくなりました。」というコピーで川西は完全に隠れてしまっている。こう
いった素敵なキャップも穴1つ開いているだけで特殊仕様という事なのでしょうか?
前日には同フジテレビの「夜のヒットスタジオR&N」に出演、イベント翌日の7/23には北海道キャンペーン。東京に戻った7/25にはフジテレビ「夜のヒットスタジオ・スーパー」出演という、フジテレビのテーマソングらしい動きになった。
この曲のレコーディング中に川西の腕の調子が悪くなり、急遽ドラムをサンプリングした。
プロモーションビデオは全裸の白人女性数人がメンバーの回りを歩いているという刺激的なビデオだったが、各局で放送自粛となり、あまりプロモーションにならなかった。記録では撮影されたのはシングル発売から一ヶ月ほど経った8/27となっており、タイミングもズレズレで、あげく放送自粛という、いつもながら詰めの甘い結果となってしまった。
坂上氏を起用したインパクトは強く、解散後に発表された「UNICORN MOVIE 6 THE VERY RUST OF UNICORN」にも収録されているが、朝の情報番組のインタビューも受けている。
この時期、民生はSPARKS GO GOとTHE BAND HAS NO NAMEの前身となるバンド『モダーンズ』の活動を行っており、翌日の9/2は新潟県民会館でライブを行っている。
記録によると9/18には音楽番組「歌のトップテン」出演となってる。
モダーンズは8/25に大阪国際交流センターでのライブを見たディレクターの松浦氏の閃きによって、数週間後にはLAでのレコーディングへと続くのであった。
このシングルヴァージョンはアルバムに収録されたものとはMIXが異なり、よく聞くと間奏部分のSEで「テシマー!」という声などが聞こえる。これは坂上氏の歌を取った後にメンバーにより追加された。
※この曲は野球アニメのテーマソングの依頼があって作られた曲だが、採用されなかった。
※間奏で聞こえる女性ヴォーカルはPSY・Sのチャカさん。










