The John's Guerrilla OFFICIAL BLOG 「Seize The Time」
Leo(vo,g)、Ryoji(g)、Kaname(b)、Junichi(ds)

2004年結成、2007年、渋谷を中心に始動。現代のUK、USインディロックシーンや、60's / 70'sの多様なカルチャーやアートからインスパイアされ、独自のデフォルメを加えながら辿り着いたサイケデリックなサウンドアプローチは、都内ライヴハウス、クラブシーンにおいて圧倒的な支持を獲得中。ファッション、アート界をも巻き込み、MySpaceや口コミでFM各局関係者や各メジャーメーカーが殺到。現在盛り上がりをみせている、海外インディロックの影響直撃の若手バンド勢にして最右翼と評されており、メロコア、パンク以外では成し得ていない英詞ロックシーンを確立すべく、2008年6月25日についに初の音源をCRUXレーベルよりリリースした。


RELEASE INFORMATION
The John's Guerrilla
on sale
1st. Double A Side Single
「Shoot the radio/  Shadow disco」

1.Shoot the radio
2.Shadow disco
3.Jewel(LIVE)
※Shoot the radio PV収録
RTC-005 / ¥799(tax in)
カテゴリ:未分類
  • 先週より                       Ryoji
    [ 2012-02-09 17:40 ]
  • 映画の巻
    [ 2012-02-07 18:50 ]
  • 詩について 中原中也について
    [ 2012-02-05 22:16 ]
  • rock n' roll nigger (サンペイ)
    [ 2012-02-04 20:58 ]
  • 今村祭  Ryoji
    [ 2012-02-02 02:00 ]
  • スーザン・ボイル
    [ 2012-01-31 16:42 ]
  • ボブマーリーについて2   今村怜央
    [ 2012-01-30 23:05 ]
  • 感覚について  ボブマーリーについて 今村怜央(本当に長文。)
    [ 2012-01-30 22:50 ]
  • SONGS IN THE NIGHT
    [ 2012-01-30 00:51 ]
  • まさかの♪まさかの♪
    [ 2012-01-24 15:39 ]
先週より                       Ryoji
先週からちょうど1週間パリへ行っていました。ここ数年ライヴで海外へ行ったりはしていましたが、音楽を忘れて旅行で海外へ行くのは約3年ぶりくらい。この時期のヨーロッパはもともと厳しい寒さでさらに大寒波が接近しており、気温は-8度から最高でも-1度という極寒。息を吐けば海賊の立派な葉巻の吸いっぷりの様に、一瞬に息が白くなります。



夜、オペラ駅周辺ををぶらついていると見覚えあるスペルがデカデカと光っていました。その下には長蛇の行列。この寒さの中、何事だと思うとARCTIC MONKEYSのワールドツアー。共演もMILES KANEとかなり豪華で調べてみるとツアーは今後Black Keysなどと共にUSやメキシコへ飛ぶそうです。



個人的に大好きな画家モディリアーニや、ピカソ、マティスやジャンコクトーも出入りしていた洗濯船(アトリエ、アパート)にも行くことができました。


他にも以前ジョンズのメンバーとパリへ行ったときに廻った懐かしの蜜の市へ行ったり。過去をたどる旅行でもあってとても懐かしい気分を楽しみました。




ジョンズメンバーとパリへ行ったときは貧乏すぎる旅行で食事もろくなものを食べず、代わりに毎夜クラブへ通学する日々。しかし、ある日あまりにお腹がすいて蜜の市のはずれにある偶然入ったビストロでなんとなく頼んだ料理がものすごく美味しかったことが記憶深く残っていました。メニューも読めず知っているフランス単語なんてボンジュール、ボンソワールだけ。「メルシー」は「おいしー」って意味だと最終日まで勘違いしていたくらいの知能指数。笑
今だからこそ、あの時頼んだ料理が田舎風パテだったことが分かりますが当時はあれが何だったのかすら分からず、ただただ出てきたものを「美味い!美味い!」っと食べて感動していました。
真冬にもかかわらずパリの生活は美しいなぁと改めて感じさせられる旅でした。

帰国した日はそのまま友人の誕生日祭へ行き、昨夜はリハーサル。
少し音から離れていたただけに久しぶりに鳴らすギターは、なんだこりゃって思えるくらい最高に気持ちいい
by emm_tjg | 2012-02-09 17:40 | Trackback | Comments(1)
映画の巻
こんな映画を一年前に見たのです。


かの有名な「あさま山荘事件」を題材にした
映画で御座います。

ピアノメイカーで有名な河合楽器の保養所に
連合赤軍のメンバー5人が、
浅間山荘の管理人の奥さんを
人質に10日間にわたって
立てこもった事件であります。

とにかく総括が凄まじい事に
なっております。
元々総括とは反省を意味しておりますが、
連合赤軍での総括は
私刑であります。

殴ることこそ指導と考えていた
リーダーは殴って気絶させ、
目覚めたときには
別の人格に生まれ変わり、
真の革命戦士になれるという
論理を導きました。

散々殴られた挙句の果て、
ロープで吊るされまた更に
殴るの行為を行い
内臓破裂や外に吊るされた為
凍死で死亡したケースが
大半であるとされています。

約2ヶ月半の間に死亡したメンバーは12人
なんともおぞましい事件では有りますが、
この時点でどこに向かって行っているのか
見失いつつもあるような印象を受けました。

この後、事件が起こるのであります!
この当時、立て籠もり事件の
生中継をしている時に
日清のカップラーメンが
知名度を一気に上げましたね!
手配したお弁当が寒さで
凍ってしまった為に、
カップラーメンを提供したという事です♪

その後ヨド号のハイジャック
大使館への襲撃と続いて行きます。
映画は三時間半とかなり
長丁場ですが、是非一度ご覧下さい!!

石井
by emm_tjg | 2012-02-07 18:50 | Trackback | Comments(0)
詩について 中原中也について
第一章 あいさつ

メンバー更新ブログも1週間無事達成できた。

読んでくれてる皆さま、友人たち、ありがとう!

月曜日は、俺の回だから、

また書きたいことをゆっくり書いていくよ。

前回は、

ボブマーリーについて、書かせてもらった。

今日は、

詩について、中原中也について書こうと思う。



第2章 詩人 

詩人であった中原中也(1907-1937)。

僕は詩人は、当時でいうロックスターみたいなもんだと想像してる。


昔のバンドも無いころ、はたまた、アコースティックギターすら珍しいころ、

音楽は、クラシックが全盛。楽器が必要だったり、教育も必要で、

金持ちの許された特権だったのかもしれない。


それにくらべ、

詩という芸術は、

紙とペンだけで、人々に問いかける、投げつける芸術。


シンプルな勝負。

言葉に託す、自分の命。

そいつは、時を超えて、万人にわたる可能性。

時空も、国も、超える永遠の叡智。

歴史に一番近く、一番早い芸術。


作品は自費出版がほとんど。(どの時代の詩人も)

その瞬間にも、今の音楽と同じように流行なども当然ある。

そのなかで、いかにして、自分があり、何を書き、何を見て、何を詠むか。



これだけ書いても、

今のバンド、音楽、ミュージシャンたちの心境や状況と変わらない気がする。

そして、1960年代にロックスターがたくさん死んでいくのと同じように、

小説家や、詩人たちも皆、自殺や、病によって、命を落としていく。

芥川、谷崎、太宰治、川端、三島、有名どこでもこれだけいる。

そして、

中原中也もまた30歳の若さで命を落とす。


第三章 中原中也の歴史(簡潔にまとめる)




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/41/Nakahara_Chuya.jpg



凄く簡潔に、彼の歴史を話すと、(今日は詩がメインの為、)



小さいころ弟が死ぬ。はじめて詩をかいた(このとき8歳)

15歳で、友人と詩集をつくってみる。


高校に進学するときに失敗しまくる。


田舎から高校のために上京して、

16歳のころ、恋人が出来て、

同棲する。


ついに進学が決まる。

親友にも出会い、

順風満帆にいくかと思ったら、

恋人を親友にとられる。(18歳)



大学に進学したけど、

長続きするようなタイプでもなく、辞めて、

アンダーグラウンドな集団と、

活動を始める。(音楽楽団)

フランス語にはまる。

専門学校にもいく。

同人詩というスタイルで、作品を発表したりもする。(自費出版オムニバスみたいなもん)(このとき19歳)



語学の大学に進学して(24歳)、

ようやく、出版社から作品がでる。(フランスの詩人アルチュールランボーの和訳作品) 
(今まで、ライブ会場や、ディスクユニオンだけだったのが、タワレコや、ツタヤでCDを発売するみたいなもん)


●ちなみに、このランボーというフランスの詩人は、音楽でいうとセックスピストルズみたいなもんです。いつか彼についても詳しく書きたい。



大学も卒業して、

同人誌も参加しつつ、

遠縁の人と結婚する。(このとき26歳)


翌年には、子供が生まれる。(長男)

最初の詩集作品も完成し発売する。(山羊の歌)(27歳)


今現在もある、(歴程)という詩集の同人誌が作られる。

そろそろ、就職しろってことで、

親戚にNHKの仕事を紹介されるが、

面接の末に、落とされる。

そして、2歳の長男が急死する。(11月)

精神が壊れはじめる。(このとき29歳)

翌年、

入院して、

心療しつつ、引っ越したりするなか、(1-9月)

新しい作品を作り、(在りし日の歌)

親友に託す。

10月に

故郷に帰って、心機一転をはかるが、

結核性脳膜炎を発症し、同22日に死去。1937年。(30歳)


翌年、1月。二男も、亡くなる。

4月 在りし日の歌  刊行される。(メジャー流通)





こうやってみると、なんともいえない人生である。

想像するに、

相当なやんちゃおぼっちゃま。

実際、すさまじく不幸というよりも、


現代では、

もしかした、近所に居るかもしれないくらいの悲壮さだと俺は思ってる。

しかし、悲しみをしっかり、かみしめ、生きるしかできない彼の人生だ。

表現されるために、神様が息子の死などの悲しい試練を与えたのではないかと思えるほど、

詩人としては、無駄がない人生。



酒癖はかなり悪かったらしい。

草食系代表の太宰治を、

けちょんけちょんに、

いじめてたらしいし、

何度も学校をドロップアウトしたり、

仕事を紹介されたのにも関わらず、

面接で落とされたり、

もしかしたら、

今でいうDQN要素すらあったのかもしれない。



写真で見るかぎり、

ハットをかぶってたりと、

かなりオシャレさんだ。


繊細すぎる、

やさしい魂だけは、そのままのロックスターだと思っている。




そして、

詩人は預言者だとも思う。


悲しい詩を書く人間は、悲しい人生を全うしなければならない、

自ら生きる如く詩を書き、

また詩の通りに生きる。

これが、詩人の宿命だと思っている。

いや、アーティスト、芸術家は、皆、作品の描く本質に寄り添って生きなければならないだろう。

そうでなければ、人を感動することの出来る力は、生れやしないはずだ。

それは、生きてるときに評価されるとは限らない。


しかし、本当の生きる力を爆発させながら、人生を全うし、何かを生みだし、意志を持ち、作品を残したならば
きっと届くのであろう。



時空を超えて、まさに見る人、聞く人、の人生を預言されたのかと錯覚するほどの力が、詩が、


現に、2012年の俺の心をつかむ。

僕を支える大好きな詩を検証してみる


第4章 頑是ない歌

死ぬ前に、完成した在りし日の歌(ちなみにこの作品には、亡き児文也の霊に捧ぐと  始まっている。)から



頑是ない歌



思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた

それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう

考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと

思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ



第5章 俺なりの詩の読み方


一つ一つ俺なりに感じたところを、難しい詩ではないが、向き合ってみたい。(俺の見解なんで、指摘があれば是非頼む。)



思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ




思えば遠く来たもんだ  

というのは、場所もあるが、歳月の距離も語っている。この詩の書かれた27歳から29歳のころからみた、12歳の冬との歳月の距離。


十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

  

生まれ育った港町で
12歳の冬の日が沈むころに、
港の空に鳴っていた汽車の湯気は、今はどこにいってしまったのかと。

みんなが、小さいころや、12さいのころ、
様は、自我が芽生えてきたころ。

なんとなく大人になりはじめて、

漠然と夢や、将来、など考えながらも過ごした、

あのころの、いつもの通学路や、

景色はどこにいったのか?

的なイメージだ。



雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた



またここで、12歳のころの景色に戻って、


雲の間に月はいて


月とは、絶対的なモノである。しかし、天気によって、みえなくなったりする。

それが雲の間にある月という 言葉から

12歳の迷いや、悩みや、答えや、希望、も見えたり、隠れたりする心境をイメージする。


それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた


なんとなく、月を見ながらも、未来を考える12歳の少年が、

日々町で聞こえる汽笛の音を耳にする。


汽車とは、自分を遠くに運ぶ象徴だと思える。

少年はどこか、遠くにいきたい、大人になりたいが、

12歳ではまだ無理だ。
まだ世界を知らないし、目覚めたばかり。

まだ来ない未来と現状。迫ってくる汽笛という大人への出発の合図を聞くたびに、

しょんぼりして、体をちいさくする。

しかし、自分がそんな気持ちでも、
月は変わらず、
そこにあり続けている。


月はその時空にいた      この行から

自分の気持ちとは関係なく存在する残酷さと、
不変の持つ、やさしさを
感じとることが出来る。



それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ



景色は、大人のころに戻る。

この部分はそのままだ。


なにも出来ずにいた、あの頃から何年たったのか、

汽笛の湯気を、

なにも出来ずに、眼で追いかけて、

悲しくなっていた12歳の俺は今どこに?と。

悲しみながら、語ってるわけでもなく、

なんかこう、愛おしく語ってるイメージだ。

今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど

生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ



景色は、大人のまま。

今を語っている。


今、自分にも、子供も嫁もいて、(子供や嫁は大人の象徴だと思える)

あのころ望んだ、大人になった。

きっとこのまま、歳をとって生きていくだろう。

生きていくんだろうけど、

今まで、昔のように思える生きてきた日々や、人生や景色、

夢をかなえるまで、努力してきた日々や、悩んでいた夜が

こんなに恋しいと、

この先、生きていけるか自信がもてないよ、と。

遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅうては
なんだか自信が持てないよ



昔の夢を追いかけていた頃が、

恋しいというのは、

目標を達成させてしまった寂しさ、

あんなに、夢を達成することが人生そのものだった。

夢見てた日々が、叶った今、

それでも、変わらず人生は終わらないし、

大人になったこれからも、

目標や夢を持って行きなければならない。

昔の純粋な12歳のころの気持ちや、今までの人生の道を、

おもうと、

もう一回頑張る自信が持てないよと。

そんな解釈だ。


さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ

考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう



こうは言っても、結局がんばる自分の性質。

つまり自殺などは考えないよと、

そんな自分に同情しないではいられないけど、

まあ悩むけども、

それはまあ結局頑張るとして、

こうやって、昔のことが、恋しくて、ノスタルジックになるけども、

どうにかやっていくでしょう。


考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと



考えてみれば、簡単だ

結局、意志の問題だ、やるかやらないのかの問題だ!

やるしかないし、

迷ってるよりも、やればいいんだ、後は結果がついてくる。




本当にシンプルな、問いと、

意志がすべて、や、結局がんばるというありきたりな真実の自分への答え。

しかし、カラ元気や、悲しみや、疲れ、が詩からは漂ってる感じがする。


そして最後の句につながる。



思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いずこ


考えてみれば、簡単だ

結局、意志の問題だ、やるかやらないのかの問題だ!

やるしかないし、

迷ってるよりも、やればいいんだ、後は結果がついてくる。

そう思うし、そんなのは分ってるんだ、


だけども結局 それもそれだ


生まれ育った港町で

12歳の冬の日が沈むころに、

港の空になっていた汽車の湯気は、今はどこにいってしまったのか


と、第一句に戻って、終わる。

第一句と違うのは、


思えば遠く来たもんだ


と、はじまらない。

冒頭は、ポジティブに肯定しながら、昔を振り返ったのに、



最後は、

思うけれどもそれもそれ

と、今の自分を、否定しながら、

あの頃の純真の自分を恋しんでる印象も持つ。

つまり、

明るく強がって、自分をほめたり、

昔を、振り返ったものの、

結局大丈夫、このさきもなんとかなるよ

と、

励ましてみても、

結局!!!!(この結局というのが、この詩のテーマでもある気がする)

このさき自信を持って生きていくのが大変だと

嘆かずにはいられず、

あの頃の自分を問うてしまう

つい、魂からあふれ出てしまった嘆きや、寂しさを持たせる印象のラストだと思う。






本当に大好きな詩だ。

シンプルでいて、

誰にもわかるような、

傷のような詩。

生の倦怠と虚無感。




最後に

彼ら、詩人から学ぶことは一つ。

芸術と、人生を切り離すな。

常に、自分の人生を詩と共に歩きなさいということだ。

どうか、俺自身も、

よいこと、

わるいこと

きたないこと

きれいなこと

うれしいこと

かなしいこと

きもちいいこと

きもちわるいこ


すべてに誠実に

自分の人生を全うできるようにと、常に祈っています。














by emm_tjg | 2012-02-05 22:16 | Trackback | Comments(0)
rock n' roll nigger (サンペイ)
ジョンズゲリラブログをご覧のみなさま、こんばんは!
ドラムのサンペイことカメガヤです。

年末から年始にかけて行われたレコーディング。
みなさまも風の噂で聞いたかも知れませんが、かなり素晴らしい出来になっております!
手前味噌ですみません!

そんなレコーディング中での出来事、そういえばジョンズゲリラって結構メンバーそれぞれ音楽の趣味が異なっているなという話になりました。

僕はニューウェーブ

カナメは80's japanese hard core

リョウジはUK

レオはレゲエ

マツコップはメタリカやスリップノット

なんというバラバラな組み合わせ、、。

それでは僕たちの核はどこにあるのでしょう?






、、そうだ!The doorsはみんな共通して好きだ☆






マツコップ「俺、ドアーズは聴かない。」








\(^o^)/\( ´Д`)/\(^o^)/







マツコップ「そういえばマンソンの来日公演のチケってまだあるのかな?」


!!!!!!!!!!!!!!!


そんなに詳しい訳ではないけど、マリリンマンソンがカッコいいというのはメンバー一致で思っている事。
そうだ!僕たちの原点はマリリンマンソンだったのだ☆


ということで貼っちゃいます!

ロックは死んだ♪


(音楽の趣味の話はかなり部分的、そしてザックリなんで誤解しないでくださいね☆)





by emm_tjg | 2012-02-04 20:58 | Trackback | Comments(0)
今村祭  Ryoji
先月の26日の深夜から日付変わった27日にかけてレオのサプライズ誕生祭がスタジオファミリアで盛大に行われました。レオが到着する前にパーティーグッズやフード、撃鉄部隊はコスプレをし、各自思いのまま準備を整え待機。

彼がマックのハンバーガーが大好物ということは有名な話で、20個のハンバーガーとバナナもテーブルにセットされ、もはや神様への供え物の様な絵になっていました。
そして待つこと1時間弱。渋谷からレオが到着し宴は開始。


「今日はこの世のドラッグすべてをやって死んだって構わないくらい最高だ」っと冗談飛ばしつつ、もの凄く喜んでいた模様。良かった。
ちなみに初めの一手はバナナを食していました。笑

二度目の誕生日ケーキの登場もあったりと中々の騒がしい夜になりました。


by emm_tjg | 2012-02-02 02:00 | Trackback | Comments(0)
スーザン・ボイル
火曜の私だよ^^
なんだか、ここ数日でバンド日記をメンバーが
書いてくれてるおかげで、凄いことになってるわよ!!
バンバン書いてね^^


え~この前デイジーバーでマニ君のバンド
The Perhapsのライブにお邪魔しました♪
マニさんのボーズスタイルは、
鉄砲玉のようで怖かったですが、
でも最近は声に張りが出てきて、
ナヨナヨな感じからオリジナリティーを
醸し出してきているような気がします。

演奏の内容もメチャうまとは行きませんが
充分四人のグルーブは出せていますし
他のバンドには無い、なんとも
不思議な空気感をステージから放ち出します!!
まだライブの経験値は大変少ないのにも関わらず、
ここまで完成度には驚かされるばかりであります。

次のライブが2/19日曜日に
2マンライブとの事ですので、
是非遊びに行って下さい^^


映像はベック、
この編成ずるいやろ!!
ツインドラムとか惚れる!!
髭やThe Rootsっぽくて良い。
そろそろアルバム出すんじゃないかな?


あと一昨日のSTYLE BAND TOKYOに
yeahsのNICK ZINNERが見に来てたとか!?
畜生!!俺は彼のギターが大好きなんだ!!

以上!!
by emm_tjg | 2012-01-31 16:42 | Trackback | Comments(0)
ボブマーリーについて2   今村怜央
第6章 希望



http://youtu.be/zGO8HN1QQdI


ようやく、彼にも転機が訪れる。
いわゆるメジャーの会社が興味を示したのだ。
ジャマイカに一番近いロンドンにて、
レゲェがアンダーグラウンドだが、人気がわきはじめる。
パンクカルチャーと結び付くのは、もう少し先。


このとき27歳。子供は増える一方。

ようやく、契約がきまり、
本人たちは今まで聞いたこともない製作費と、ギャラ。(メジャー会社からしたら、大した額ではなかった)

それに伴い、ロンドンツアー。(ジャマイカと行ったり、来たり)

寒い気候と、

メンバーのベジタリアン故の、食事の悩み(今でもロンドンの飯はまずいが、、)、
ストレスは高まるが、
希望がようやくそこまで見えてきた。


レコーディングを敢行。

会社の人は、
これでは、聴衆が聞きなじみが無さ過ぎるから
白人のアレンジを雇い、
オーバーダブを指示。

世界観が壊れると、メンバーは嫌がったが、
ボブマーリーは、推奨した。

そして、レゲェミュージックを世界に広げる名作が誕生する。

ロックの匂い持ち、怪しく、聞いたことのない詩と、新しいサイケデリアを醸し、緊張感を持つ、レゲェのリズム。

『catch a fire』    


第7章変化は一瞬

この成功を機に、

目まぐるしく活動していく。

世界中をツアーでまわる。

しかし、うける場所もあれば、全然ダメな場所もある。

それは、時代問わず、皆一緒だ。

皆が通る道だ。

それでも希望が見える限りは、やるしかない。


しかし
このツアーをきっかけに、
メンバーのバニーが脱退を申し出る。

宗教上の飯の合わなさ、
ツアーのタイトさ、
ジャマイカが恋しい、
飛行機が怖い、、、
まあ限界だったんだろう。


昔、歌を教わった先生ジョーヒッグスを、召集して、穴を埋め、ツアーをまわり、

2枚目の作品を出す。


『burnin』

http://youtu.be/za01QWLXisQ



これがthe wailers名義では、最後になる。

これを機に、解散し、


bob marley & the wailersに代わる。




そして、皆の知る、ドレッドロックスのボブマーリーとなっていき、




世界のスターになっていく。



第8章 成功、そして生きるということ


どんどん、ラスタファり運動に傾倒し、

聖書が一生の書物となり、


黒人の解放者になり、


国を変え、(u2のボノは、世界で彼の写真を見ない国は無いとか言ってたり。)

あらゆるアーティストに尊敬され、

時には、銃で撃たれ、


相変わらず、マネージャーに金を、持ち逃げされたり、


忘れてたが、彼の性格は、

非常に寡黙で、シャイでいて、ほとんど笑わないぐらい厳しい人だったらしい。

そんな厳格な彼が、

女にはまいっちまう性格らしく、

世界中に恋人を持ち、

子供も、おそらく10ー20人

おそらくもっといるらしい。


とにもかくも、


変わらない熱意で。

走り続け、

メッセンジャーになり、世界中で聖人のように慕われ、

世界中で、公式でない音源も合わせたら余裕で一億枚以上売るスターになった。


しかし、彼も逃げれないものがある。


ガンだ。



原因は色々あるが、

定説には、

サッカーで負傷した足の傷をほっといたら、

ガンになってしまったとかが有名だが、理由は関係なくともかく、

ガンになっちまった。


調子の悪い兆候は、たくさんあった。

はじめて、声が出ないとか

元気がなく、

痩せてきたとか、もろもろだったらしい。


ニューヨークのセントラルパークで、

ランニング中に

突然、泡吹いて、ぶっ倒れて、

病院行き。

ガンが全身転移してる為に

寿命が2-5ヶ月しか

持たないと診断される。


ボブは、

母親にこう言ったらしい。

『ママ、僕は何も悪いことしてないのに、こんなにも、ジャー(神様)に忠実生きてきたのに、なぜこんな目にあわなければならないの?』


いくつかのライブをキャンセルして、


最後のライブを敢行する。

http://youtu.be/eFIdlk5dq5k




ライブはアンコールを3回やり、

本人はもちろん分っていたし、メンバーも、

リハーサルの段階で泣いていたらしく、

テンポも速めになっている。




体はボロボロなのに、

もう聞いてると、泣きそうになるくらい素晴らしいパワーが

あって、元気がないときには、よく慰めてもらっている。





そのライブ後、

家族は

ガンの名医を探しだし、診療してもらうために世界中動き回ったらしい。


そして、一番好きなエピソード。



一応ヤマを越えて、

治療中の話。



ガンの治療には、たんぱく質が良いとされたらしく、
肉を食べなきゃダメといわれ、パクパク笑いながら食べてたらしい。

ラスタファリアンは、基本的に肉も食わないらしい。

彼にとっては、全てであったはずの、宗教の規律を、ガンのためには長いドレットも切って、肉も必要なら食う。


ようするに生きたかったんだろう。

生きるってことを全力でやってのけた。


それに尽きる。

全力で生きる。


たくさんロックスターはいるが、

全力で生きようとして、自ら死ななかったロックスターが一番好きだ。

(ジョンレノンもそうだな。彼についてもいつか書こう。)



しかし、残酷なもので、治療しても結局死の運命には勝てなかった。



1981年5月11日 脳腫瘍を患いアメリカ・フロリダ州の病院で死去。36歳没。同月21日、キングストンにて国葬された。

36年間の人生だった。

僕は、ジミークリフや、ピータートッシュも、リーペリーも、レゲェも好きだが、ジャンルとしてなら、おそらくロックの方が好きだ。

しかし、この世に存在した芸術、人間、一人の音楽なら、ボブマーリーが一番好きだ。

どうかいつまでも、僕の憧れであり続け、人間のあるべき姿であると導き続け、素晴らしい音楽と、言葉で、僕に勇気と情熱を奮い立たせ続けてください。

あなたと、出会って、知れば知るほど、俺もあらゆるものに負けずに、生き抜くと決めました。

いつまでも満足という結果までは、ほど遠いな。

俺も生き抜こう。



以上が、これでも簡易的にまとめてみたボブマーリーについての考察だ。


この文章が簡潔するまでに、5時間かかってしまった。

次第に、簡潔的に、深く書けるように精進します。




また来週会おう。


読んでくれてありがとうございましたっ!!!!!


by emm_tjg | 2012-01-30 23:05 | Trackback | Comments(0)
感覚について  ボブマーリーについて 今村怜央(本当に長文。)
第一章 あいさつ

2012年

我々の新しい作品が出るにあたって、もう一度歩き出すということも兼ね、
メンバー皆で、もう一度共通のツールで、
情報や何かを発信したい、もしくは、残したいと思い、
昨今、たくさんのSNSが溢れる中、もう一度ブログという手段に戻ってきました。

これからまたよろしくお願いします。

文明は進化して、絵画や生演奏しか無かった100ー200年前とは、あらゆる事が変化して、進化している。

今はみなさん知ってる通り、、音楽や、本や、あらゆるものが、手軽になり電子化されたり、(配信や、電子書誌など)

昔はおそらく、蓄音器などで聞いてたのも、生演奏に比べたら邪道とかいわれたのだろう。

お互いにたくさん良い所があるだろうし、結局答えは歴史が決めていくだろうしレコードなど、紙などは無くなっても、流行なども兼ねて結局巡るものでもあるだろう。


けど、昔から一つだけ変わらなくて大切なことは、

文字や絵など、自分の目で見て、音楽は、自分の耳で聞くということだと思う。

これが狂わない限りは、どんなに進化して、世界が奇天烈になっても、文化と芸術は死なないと信じてる。
(それすら怪しい状況を生んでる現状もあるが、、、、)


第2章 なぜブログをいまさら書くのか?


自分の目でみたものを信じて、自分の耳で聞いたものが貴方の真実。



ツイッターやフェイスブックと違い、ここは僕たちを本当に好きな人、繋がっている人たちが見てくれてる人が多いと思っている。

たくさんの人にバンドの存在を伝えるという事よりも、

文字制限もなく、タイムラインも関係なく、

とことん深く言葉と向き合って、何かを毎回残していこうと思っている。

例え、紙じゃなくても、声じゃなくても、拙いバンドのブログでも、

あなたの目に届くことを祈ってる。


真面目に難しいことだけ!!!って訳ではなく、好きな事や伝えたい事はしっかり書きたい。


僕にとっては、一週間に一回の、言葉のLIVEだと思って、書き綴っていく気持ちだ。


良いところでも悪い所でもあるが、ブログで書いた簡単な言葉でも、永久にネットの中で、残るかもしれない。

なおさら、いつ死ぬか分らない以上は、最後の言葉になっても良いように残しておく。

これは、もはや、僕の生き方だ。



出来るだけ長文で書いていきたい。


他のメンバー(僕は月曜日担当)も、自分の価値観でつづっていくだろうから、

どうか、僕の文章が長く、退屈だとしても、スキップして貴方が好きな情報をキャッチしてくれ。

この点が、バンドブログであえてやる理由の中で、一番気に入っている。



今日は1回目だ。とりあえず自分の一番好きなものを書こう。(ようやくここから始まり笑。長いぞ?)





第3章  ボブマーリーについて

http://youtu.be/nlk9Sj4Ns2k

歴史上、ジャンル問わず、もっとも僕が尊敬する人物ボブマーリー。

軽く生い立ちを話してみよう。


1945年ジャマイカの貧民地区に生まれる。白人の父親を持つ混血児。
生まれて幼い時、よく近所の人たちの手相を見て、未来を占って、驚かせたりしていたが、
ある日、手相はもう見ない!!と言い放ち、僕はこれから歌を歌うんだ!!と宣言したりしたらしい。

1950年代に
家族と都会に移住する。
トレンチタウンという、本当に危なく、貧民街に移り住み、そこで人生のすべてを学んでいく。
本当に札付きの悪だったため、(rude boy)、
音楽に専念するために学校をやめて、

後にラスタファリ運動、宗教を教わる、音楽の先生ジョーヒッグスと出会う。町のなかで至るところにて、
音楽はあり、コーラスや歌の練習をする日々。
その鍛錬の中、後にバンドを組むピータートッシュやバニーウェイラーと出会い、
The Wailers
を結成する。。。。。。。。。。


この60年代当時ジャマイカの音楽業界は、やはりマフィアみたいなやつが仕切ってて、
曲ごとに契約して、そのたびに一週間の食事代くらいの本当に少ない金しか貰えない。
それでも、みな現状を打破する為に、歌を歌い、歌を作った。

金が無い、生活は苦しい、お前だけが必要だ、、、、などよくある歌だ。

人間の欲の根源に忠実に歌うのは、黒人の嘆きだ。そして、The Wailersとは、嘆きの民という意味でもある。

またみんな同じ生活をしていた。皆金は無く、生活も苦しい。

だから、それは、みんなの歌になっていった。

これは、まだレゲェが始まる前の話。まだ時代はskaからロックステディに、移るころだ。


http://youtu.be/ybmPHD7FPcQ

第4章ボブマーリーの練習量


まず彼を尊敬する部分で大きいところでもあるんだけど、
彼の練習量。黒人だから皆うまいわけではない。
みんな死ぬほど練習してる。
才能はもちろんだが、しっかり練習してる。
あらゆるものを犠牲にしながら、生活しながら、日々特訓だ。

有名になった後の話だが、
金持ちになって、キングストンの高級住宅地区に家を構え、
一日中、ごろつきや、ドレッドロックスたちや、子供たちが勝手にブラブラくる環境の中、
バンドメンバーも半分くらい一緒に住んでいたらしいが、

毎朝6時に起床、クルー全員で浜辺までランニング、もしくはサッカー、
昼に飯食って、あとは、夜の11時近くまでバンドの練習。
それを、ツアー始まるまでは、ほぼ連日だ、、、、。


週2-3日の4-6時間でも、現代の日本ならガンバリ屋さんに入るのだが、
はるかに超えていく練習量。


バンドは、別に練習の時間がすべてと思わない。

ただそこまで、
有名になったとしても続けるストイックさと、
音楽、グルーヴ、そして共に音を奏でる仲間に対する情熱が、


僕にとっては、まだまだ俺は甘い、まだまだ頑張れると、勇気を奮い起し、謙虚さを与えてくれる。



第5章 音楽の苦悩と意志

ボブマーリーが21歳ごろ、リタという女性と結婚する。
いわゆる出来ちゃった結婚だ。
リタも、教会などで歌ったりしていた。
後の、ボブマーリー&ウェイラーズのコーラス女性3人組のリーダーだ

http://youtu.be/HRTRY58pgrs




この時点で、彼の財力は、ほぼ0に近い。
ジャマイカの有名レーベルから作品は出していて、
町で有名にはなっても、なにも状況は変わらない。

そこで、彼は決心した。

母の住んでいるアメリカ(母親は再婚してアメリカに住んでいた)に行って、働き、金を蓄え、
今度こそ自分のレーベルをつくろうと。



結婚式の翌日に、アメリカに飛び立つ。。。


(1ー2年ぐらいだったかな?)

ようやく、金も溜まり(確か掃除婦かスーパーの整理係とかで仕事してた)、

帰国し、

バンドを再結成し、

アメリカで生活しながら、曲もたくさん書いてたので、

さっそくレコーディングに挑む。

そして、自分たちの会社で、レコードを作り、売るのだが、

まだノウハウもなく、1年ぐらいで倒産する。。。。


仕方なく、元のレーベルに頼み、5年ほど活動し続け、リーペリーと出会ったり、音楽を進化させながらもレゲェを発明していく。(ジャマイカ全体が、レゲェを発明したに近いが、、)

うっすら世界に届きはじめる。ある時、転機が訪れる。。。






まあざっとこの時点で突っ込みどころ満載なんだが、
とにかく、たくさん失敗してる。
普通の人の何倍も失敗している。
現代だったら、多分世の中が許さないくらい、失敗してる。

それでも、彼を支えていたのは意志なのだろうか?
それとも、音楽しかない道を自ら作った宿命のおかげなのか?

とにかく、たくさん失敗して、それでも、あきらめることは無かった。

全部歌にしていった。

それが、歌を歌う人の唯一の幸せであり正解だと思う。


信じるままに生きて、あきらめずに、すべてを受け入れ、勝てなくとも、何にも屈することなく、挑み続ける。




第6章 希望



http://youtu.be/zGO8HN1QQdI


ようやく、彼にも転機が訪れる。
いわゆるメジャーの会社が興味を示したのだ。
ジャマイカに一番近いロンド
by emm_tjg | 2012-01-30 22:50 | Trackback | Comments(0)
SONGS IN THE NIGHT
ジョンズゲリラのブログを御覧のみなさん、初めまして、ドラムのサンペイことカメガヤです。


最近はベースの要君ばかり更新してくれてたんで、そろそろローテーションでメンバー全員が更新しようじゃないか!って事で初めて書きます!

この間、新年を迎えたかと思ったら、もう一月も終わり、、。
今年の初ライブ観戦は代官山ユニットで行われたFOSTER THE PEOPLE!!

今回、友人二人と僕の三人で観に行ったのですが、終演後に全員一致の意見が出た話、、。


サポートギタリスト、ストロークスのアルバート・ハモンドJr.に似てね⁈








主に髪型、、。





それ、ハ○てるだけじゃん、、。


まぁ、みんなで楽しめて何よりですね!

とにかく、とっても楽しかったのでまた日本に来てくださいませー!







今年の初購入曲はSAMANTHA CRAINというアメリカのカントリーシンガーのNEW EP。

渋谷のHMVがまだあった時の話。

初め、当時はCAJUN DANCE PARTY、現YUCKのダニエル君のソロを買おうと思っていましたが、店内で流れる曲が気になり、店員さんに尋ねた事がきっかけで好きになりました。


以前、シアトルのライブハウスCHOP SUEYでライブをやった時、たまたま店長のヒサトさんにSAMANTHA CRAINの話をしたら、「先月、うちに出てたよー。」との事!!

み、観たかった(゚o゚;;

そのうち日本にも来ておくれー!



by emm_tjg | 2012-01-30 00:51 | Trackback | Comments(0)
まさかの♪まさかの♪
1/21は下北沢デイジーでライブでござんした。
来て頂いたお客様有難う御座います!
その時の写真!!

三瓶さんがいまむ~にお説教してるように
見えますね^^



さてマニさんと三瓶さんがつぶやいて
いたのですが、
映画ヒミズって面白いのかな?
まあ原作とだいぶ変わってると思うのだが
2人とも絶賛しておりまして気になりました。

近いうち見に行こうかな?
映画館で見るのモテキ以来!!
昨日の深夜と本日早朝に
ファニーゲームっと映画と
Kidsというハーモニーコリンの
映画をみました。
今日はパッゾリーニの
豚小屋という映画を見ようと思います。

以上
by emm_tjg | 2012-01-24 15:39 | Trackback | Comments(0)