2017年 07月 26日 ( 3 )

「加計ありき」の問題点

「加計ありき」で決めてきた今回の経緯はなぜいけないのか、

問題は主に2点あると思っています。

一つは、加戸前愛媛県知事がいうように、

今回の経緯で、「四国にこそ、必要」という理由を解決できることなのか、ということです。

「今治市分科会」第二回会合で、

帯広畜産大学畜産学部の猪熊壽教授が、

獣医師の地域偏在の問題に対し、入口出口を本当に解決できるのかと指摘しています。

入口、つまり学生の募集について、
地域枠30人とあるが、例えば地域出身者の入学・授業料の減免などはあるのか、

出口、つまり就職先として、
地域枠30人でとっても、四国だけで就職先などその規模をはけるのか、

また「世界に冠たる・・・」というが、グローバルの出口はどういうところを考えているのか、

という質問に、

加計関係者は同時に行われた他の質問には答えていますが、

この問いには返答していません。

つまり、そもそも獣医学部新設を目指した

「四国に獣医師が不足している」「世界に通用するライフサイエンスを目指す」

という目的を見込める計画にはなっていないといえるのでいでしょうか。

この「今治市分科会」の第二回会合で、加計学園による獣医学部の新設が

きまり、実質、ここでの決定が国家戦略特区の認定となったことは

前のblogで書いた通りです。

二つ目の問題点は、

これらの「荒っぽい」事業計画であるにも関わらず、政府肝いりの政策を決める

それこそが、「行政をゆがめる」

「岩盤規制の穴のあけ方の問題」ということです。

「経緯は議事録をみればわかる」とこれも、政府がよく言いますが、

「国家戦略特区会議」こそ、公開ですが、

「区域会議」も「分科会」も非公開(運営規則第二条)

公開するのは、議事要旨と配布資料のみです。

すべての発言をチェックできるのなら、

猪熊教授の質問にも答えている形跡をみることができるのかもしれませんが、

議事要旨から外す内容とも思えず、

そうなると、非公開の会議の中で、「密室的に」「内々に」

ことを進めてきた、どうしてもそう思わざるを得ず

とても残念な思いです。

52年間も新設が認められなかった理由も未だよくわかりません。

既得権益を死守するためと言われていますが、

本当にそれだけなのか、獣医学会や獣医師会からの説明も必要と思います。

ただ、教育委員や私立大学の理事を務める経験から

少子化、人口減少の中で、学校経営は厳しい環境に置かれています。

その中での「新設」。

それには相応の理由が必要であると、私は感じてならないのです。

「加計ありき」2

国家戦略特区による加計学園の獣医学部新設が認められた経緯は以下の通りです。

1、広島県・今治市が国家戦略特区第三次指定となったのは、平成28年1月29日。

その後、

2、「広島県・今治市国家戦略特別区域会議」の下に平成28年3月30日に

  「今治市分科会」が設置され、

3、同年9月21日に、第一回会合が開かれました。
  ここで、今治市から「獣医学部新設を申請したい」という希望が出され、

4、第二回会合が開かれた平成29年1月12日に、具体的事業者として加計学園関係者が
  会議の構成員(案)として出席(「案」の決と取った形跡は公開されている議事要旨から 
  はみてとれないが)、事業計画の説明を行いました。

  そして、この分科会で議決→平成29年1月20日の「区域会議」で、獣医学部新設の区域計画の認定を決定→同日、「国家戦略特区会議(座長:安倍総理)が家計学園による今治市での獣医学部新設の認定を行った、ということです。

公開されている議事要旨等からは、このような経緯がわかります。

また、24日の衆議院での閉会中審査で、

加戸守行前愛媛県知事は、平成17年度から、構造改革特区として加計学園と一緒に獣医学部新設を目指してきた旨の発言がありました。

政府側は、獣医学部新設を目指してきたのは、

特に、国家戦略特区としては「今治市」であり、
1月の告示を行うまでは、加計は一切
関係ないという主旨で国会での答弁を行っています。

でも、時系列で考えれば、獣医学部新設=今治市・加計学園

というのは明々白々。

その証拠に、「京都府分科会」は設置されていないのです。

いくらごまかそうと思っても、国民の目はごまかせないと思わざるを得ません。
  

「加計ありき」1

二日間にわたっておこなわれた国会の閉会中審査。

「言った」「言わない」のやり取りが続いています。

また「総理は加計学園が国家戦略特区として獣医学部を申請したことを知ったのは
いつだったのか」というところに疑惑の目が向けられています。

私はこの問題の本質は、

「国家戦略特区」として認めるにあたって、本当に公正、公平な判断があったのかどうか、

ということであると、思っています。

つまり、「加計ありき」だったのかどうか、ということ、

それにより行政が公平・公正な判断をしなかったのではないかという疑惑という一点に絞られると思っています。

政治や行政の世界、また今回の「国家戦略特区」という総理大臣肝いりの政策を進めるという
ことでなくても、

一般社会でも、

「言っていなくても意をくむ」
「言わんとしていることを想像しながら、最適の行動をとる」

ということはよくあることです。

夫婦や家庭の中でも、大いにあることです。

そういった、人間社会での普通のやり取り、

人とのかかわりを考えれば、

「加計」という個別具体名を挙げなかったからといって、

「加計ありき」ではなかったとは言い切れないと私は解釈しています。

ならば、どこで「加計ありき」であったと判断するかといえば、

政府が公開している資料、

国会での答弁で十分裏付けられるのです。

あとは、国民が、この経緯をよく見、考え、一人一人が判断すればよいことではないかと

思っています。

細川珠生 ブログ


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