劇場紙風船 TEXT+PHOTO by 河内山シモオヌ

リンガー! (原題 THE RINGER)

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ringerには「競技不正参加者、替え玉」という意味がある。それがなぜかオーストラリアの口語では「抜群のやつ」になる。「小屋でいちばん速い羊毛刈りの職人」をringerというらしく、そこから来ているとすると、口語とはいえ特殊な表現なのかもしれない。公開終了後の紹介になってしまったが、『リンガー!』はどちらの意味も当てはまる映画だ。


昇進させろと上司に直訴した会社員スティーブ。あっさり聞き入れられるが、さっそく命じられたのは長年勤めた用務員のスタービ(移民で奥さんに先立たれて子だくさん)をクビにすること。解雇を告げるだけというのはできず、スティーブは彼を雇って自宅の芝刈りを頼む。と、事故でスタービの指が取れてしまう。保険に加入していなかったため、スティーブは高額の手術代が必要になる。

さてスティーブには、借金で首の回らなくなった叔父ゲイリー(ブライアン・コックス)がいた。ゲイリーは「スペシャル・オリンピックス(知的発達障害のある人たちに日常的なスポーツトレーニングと、その成果の発表の場である競技会をサポートする国際組織)」の放送を観て、甥が学生時代、陸上選手で俳優志望だったことを思い出した。彼はスティーブに知的発達障害者を装わせ、2週間のスペシャル・オリンピックス競技会に出場させる計画を思いつく。

ゲイリーの金貸し屋は、スペシャル・オリンピックス6度の優勝に輝くアフリカ系のジミー(レオナード・フラワーズ)が好きだ。正確にいうと見るからにアスリートの身体をしたジミーが、飛んで走って殊勝なポエムを詠む宣伝用映像が好きだ。ゲイリーはスポーツ賭博の胴元もやっている金貸し屋に、今度のジミーの勝敗を賭けようと持ちかける。自分は負ける方に賭けてスティーブが優勝すれば、借金もなくなるし多額の金が手に入るという計算だ。ご都合主義的とあなどらないでほしい。むしろ一秒の無駄もない展開に、私は引き込まれた。


スペシャル・オリンピックスの賛同を得て、全面的な支援のもとに製作されたという『リンガー!』。スティーブを演じるのは、身体をはったバラエティ番組『ジャッカス』のメイン・パーソナリティ、ジョニー・ノックスヴィルだ。こういう役を、ジム・キャリーに頼らなかった人選に注目したい。
顔のパーツが若干中央に寄ったノックスヴィルは、気弱な会社員スティーブとして登場する最初の場面から、この役に選ばれた理由がわかるなあとしみじみ感じるような、説得力ある表情をしている。ところが叔父のしつこさに負けて「知的発達障害者のジェフィー」を装って以降は、油断したり罪悪感からブルーになったりで、演技がほころびまくったまま競技場をうろつく。

つまりスティーブはそれほど装っていないし、ノックスヴィル自身『ジャッカス』の時と、そう変わらなくなっていく。なのに「障害者はこういう表情や動きをするよね」という私自身の思い込みと一致する演技がちょっとでもあると、「あっ障害者に見える見える」と感じてしまう。
映画の中でも、スティーブのワンパターンな決め顔が、たまに天使の笑顔のように受け止められるという奇跡が起きる。現実にはありえない反応だと思うかもしれない。が、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の原作者やクヒオ大佐など、長年うまくやっていた詐欺師を思い出してみよう。周囲の思い込みや期待に逆らわない彼らの演技。最小の力で最大の利をもくろんだことをうかがわせる、チープな仕掛けの数々。ゲイリーの悪だくみは、こんな現実に裏打ちされている。

ゲイリーは自分の都合でスティーブを叱咤激励する。台詞を聞いていると、日常によくある「感動的な前向きの励ましメッセージ」と、一字一句違わない言葉がいくつか出てきた。
じつはringerという単語は、dead ringerという語句になると「生き写し、そっくり」の意味を持つ。この意味も映画のタイトルに重ねられているとしたら、それは「ジェフィー」と実際の障害者がdead ringerなのではなく、叔父のヤクザな言葉と、感動を呼ぶわかりやすいメッセージが「そっくり」ということだろうと、私はみている。


スティーブの正体を見破ったのは、チームメイトたちだ。彼の「ケチャップとれる?」という一言を、「“とって”と言えばいいのに」と、テーブルにいた全員で大笑いしてずっとからかう。彼と我の数が違うと簡単にこういうことが起きるのだが、食べカスも浴びてむっとしたスティーブは素で喋ってしまう。
場が険悪になったこの時、スティーブはスタッフのリン(キャサリン・ハイグル)に甘えてごまかすという方法でピンチをしのぐ。「何か欲しいとき僕らもやる」わざとらしい演技を、スティーブはさらにあざとくやったため、彼らの疑いは決定的に。

リンはスティーブに恋愛感情を持たせたらいけないと思う一方で、怪しさのあまり孤立するスティーブを、新入りだし周りと打ち解けるのに時間のかかる性格なのだろうと考え、特別に心をくだく。彼女を好きになったスティーブが体験する現実の不条理や、ある一線を意識的・無意識的に引いておきながら、それを侵す行動をしてしまうリンの矛盾は、恋愛を通してていねいに描かれる。

結局、チームメイトはスティーブの偽装をリンにも告げず、彼をしごいて勝たせることに決める。ここは安いヒューマニズムを蹴散らす、すてきな場面になっている。
彼らに問いつめられたスティーブは正体を明かし、来た理由を図解で説明する。さりげなくUncle Gary→Bad manと書くが、スティーブ自身は同情されない。そんなことより彼らはジミーが嫌いだった。そしてスティーブは、ジミーの優勝を阻止する駒に使えそうだった。

TVでは視聴者に向かって「みんなと同じだよ」と、受けのよい台詞を囁くジミー。見開いた目のまま、ニイーッと作る笑顔が〈嘘だけどね〉と教えてくれる。凡人より優れた身体能力を持つジミーにそう言わせたり、優勝したらディズニー・ワールドに行くとスピーチさせようとする、彼のマネジメント(もっといえば、それを求める視聴者)の薄気味悪さが、ここから伝わってくる。競技場で会ったジミーがじつに嫌な人間だったからという以上に、こういうディテールが映画の最初からぴしっと積まれているので、スティーブに「いてくれ」と頼む彼らの台詞が効くのだろう。


次第に仲よくなるチームメイトとスティーブは、ある夜、宿舎のロビーに布団を持ち込んで「キャンプ」をする。俳優になりたかったがうまくいかなかったと語るスティーブに、みんなが聞く。
「ハリウッドへ?」
「いや」
「ブロードウェイに行ったんだろ?」
「行かなかった」
「小劇場?」
「…違う…みんなに無理だと言われた」
「僕らもよく言われる」
挑戦の痕跡を見つけてフォローしようとするものの、彼らの基準からするとスティーブの「うまくいかなかった」は、「なれたらいいな」だけだったことがはっきりする。この後、俳優に大切なのはルックスだという意見にみんなが深くうなずき、スティーブは「俳優になれなくても挑戦すべきだったよ」(原語は容赦なくて「まあ、君は十中八九ダメでしょ。けど、やってみるぐらいはできたよね」)と諭される。

ハリウッド女優たちの井戸端会議とインタビューで構成された映画『デブラ・ウィンガーを探して』では、中年以降も需要のある性格俳優のことを、「足の裏みたいな顔」と言って盛り上がっていた。そんなルックスなのにまともなオファーがあるのよ、というニュアンスと、男優の場合は成熟したかのように見えるものが、映画界から必要とされて羨ましいという気持ちを込めて。この言葉に照らせば「挑戦すべきだったよ」は、まことに正しい。


この映画には善玉悪玉という図式が、ありそうでない。両方の面を必ず、時にギャグ漫画的手法でみせるので、人の言動には善悪の両方がわかりやすくついて回る。スティーブは自分のやっている騙しを、正当化してくれそうな理屈にすがるのをやめ、よく考えて善がまさると思った行動に賭けて出る。

『リンガー!』はハッピーエンドだが、現実だとスティーブ的真摯な態度は、善悪の見極めのハードルをなるべく低く設定して、善人ぶりたい人間から疎まれたりする。映画はその辺りにも目配りを忘れず、最後のお祭り騒ぎのシーンで、観客に現実向きの提案をする。「少しだけ敬意を払って」と。自分は優しいとか善いとか思い込んでみても、同じようには感じない人がいる。その意見を聞いてもう一度考えることをしないで、得体のしれない善意だけを押し出す横暴な人間が、他人へ敬意を払うことは、たしかに難しいだろう。

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☆公開終了後の作品のため、画像はチラシの表裏を載せました。裏面の画像は、クリックすると大きくなります。
☆「リンガー!」の短い記事が、こちらにあります。→リンガー!
また、ブラウスタイン監督の前作『ビヨンド・ザ・マット』の記事を、このサイトのフォローページ「劇場紙風船 おふろ場」に掲載する予定です。『ビヨンド・ザ・マット』は、WWF(現WWE。当時はパンダマークの団体WWFに敗訴する前でした)の社長からドサ回りの元スター・レスラー、新人まで、アメリカのプロレスに関わる人々を捉えたお勧めのドキュメンタリーです。
by kouchiyama-simone | 2007-05-31 23:32




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