劇場紙風船 TEXT+PHOTO by 河内山シモオヌ

『エンジョイ』の前に

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舞台『エンジョイ』(新国立劇場 小劇場2006.12.7~23)を演出した岡田利規(1973-)は、ふだんチェルフィッチュという演劇ユニットを主宰していて、少し前から小劇場演劇とダンスの世界で注目されています。

チェルフィッチュ公式サイトより要約:岡田利規のソロユニット。チェルフィッチュ(chelfitsch)とは、自分本位という意味の英単語セルフィッシュ(selfish)が、明晰に発語されぬまま幼児語化した造語。04年、『三月の5日間』で第49回岸田戯曲賞を受賞。

岡田は今のところ、「俳優が1つ~複数の役を演じる」劇ではなく、詳しく言うとこんな作品をつくっています。今、劇を観ているつもりで説明してみます。
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舞台上にいるあの男(トップ画像中央のメガネ)は、出てきて冒頭で「僕じゃないんですけど、加藤君っていう…」と言い、加藤君の話をし始めた。
でもある時は加藤として喋っている。この場合だけいわゆる「登場人物」的だ。
どちらもひっくるめてあの男のことをいうと「加藤の話をする、誰ともわからない男だが、たまに加藤として喋る男」になる。長いので以下は加藤(同上)だ。

なだらかに傾斜したステージの隅っこに、滑りながらたまって加藤(同上)と川上(同上:左のチェックメガネ)が喋るさまから、私は隅に残ったパチンコ玉を連想した。
佇まいのしょぼさが銀玉的、というのとは違う。台詞や身体の動きのほんの微妙な箇所で、ラフに表現すると「あっこの人たち似てる」という瞬間があり、そこでわずかに両者の抽象化が起きる。起きるタイミングは毎回違うはずだ。観ている人の受け取り方によっても異なるだろう。つまりいつもそれが不定・不随意に起こり得るように、台詞が書かれている。
これが頻発すると、両者は外見の差異に関係なく、さらに似はじめる。多分それで二つの球、パチンコ玉を連想したのだ(ちなみにほかの作品では、出演者ABCの三者間などで役の引き渡しが起きるのだが、それと今説明した抽象化は異なる。『エンジョイ』での役の引き渡しは、第3幕で一度行われるのみに抑えられていた)。

そもそも「加藤の話をする、誰ともわからない男だが、たまに加藤として喋る男」の時点で、すでに加藤(同上)は一つの具象=加藤君という架空の人物にとどまろうとしていない。そんな状態でこの抽象化が進むと、目の前に具象的な二人の人間がいるのに見分けがつかなくなるような、なんとも不思議な体験をすることになる。

彼らはダラーと喋っているが、考えたり感じたりしてから言葉が生成されるまでのリズムはとても速い。肉眼では捉えきれない細かな必然がいくつも交錯する科学の世界から例を引くのはおこがましいが、無理矢理スポーツにたとえると、テニスのライジング(バウンドしたボールの上がり端をヒットする。通常の打点で捉えるより、先手攻撃の可能性が開ける打ち方)に近い。
しかし身体の癖を戯画化したように見えたり、見えなかったりする動きの生成リズムはさらに速い。2つのリズムはずれたり合ったりする。

しかも「加藤の話」として語られると、加藤の言葉の生成リズムに、加藤の話を喋る人間のリズムが混じってくる。一つの身体には、3つの身勝手なリズムが並走することになる。おそらく、舞台上の時間を超越的に支配する音/無音のリズムを、テキストを伴う演劇にしかできない方法でなるべく消し、たくさんのリズムが交錯してスリリングという実験をしているのではないかと思う。

…今日はここまでにします。次回、舞台『エンジョイ』の詳しい話をします。
1月2日、続きをアップしました。エンジョイ(四幕)/RIDING GIANTS
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新国立劇場『エンジョイ』撮影:谷古宇正彦

SWITCHonExcite劇場紙風船に載せた記事について、また身体や舞台を観るという行為についてふだん考えていることを、年末に全3回で書きました。
映画にちなんだクリスマスカードの画像を、間に載せています。
クリスマスカード/2006年の劇場紙風船 その1
クリスマスカード/2006年の劇場紙風船 その2
クリスマスカード/2006年の劇場紙風船 最終回
by kouchiyama-simone | 2006-12-30 17:42




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