劇場紙風船 TEXT+PHOTO by 河内山シモオヌ

マッチポイント

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ちょうどATPランキング1位のテニスプレーヤー、ロジャー・フェデラーが来日中だ。
身体のバランスが崩れない華麗なストロークを観ていると、ボールの軌道をすぐに追わず、ヒッティングポイントに視線を残している(通常はこの逆で、フォロースルーとともに目でボールを追うことは大切だと、しつこく教えられる)。なんでこんなことができるのかといえば、そもそも打った瞬間にボールがどこへ行くか正確にわかっているから、らしい。

そういうアスリートに「偶然勝ちましたねえ」とマイクを向ける記者はどこにもいないように、選手がポイントを取るまでというのは必然の連続だ。肉眼では捉えきれないが、現場でヒッティングの音を聴いてリズムの変化を読み、OAでスロー映像の助けをかりると、細かい必然がいくつも交錯する信じられない世界に近づける。

ところが日常生活では、偶然にしか思えないことが起きる。
それは人の認識が、物事の因果関係をすべて把握できるようにはなっていないからだ。いや私は全部お見通し、だからたくさん金をよこしなさいという人間が、ろくなものであった試しがないのがいい証拠だろう。

さてウディ・アレンの笑いと、私の個人的なコメディ観とはどうしてもあわないので、極力観るのを避けてきた。でも、ネットにかかったテニスのボールがどちらに落ちるかで勝負が決まる、それと紙一重の運の行方に翻弄される主人公の姿を重ねて…と『マッチポイント』を紹介している文を読んで気が変わった。

試合中にコードボールでポイントが決まると、会場は「ああ、ひっかかっちゃったか」というムードになり、まず盛り上がらない。ポイントを取った側の選手も、相手に向かって「すまない」みたいなジェスチャーをとることが多い。
まさか70歳のウディ・アレンが、ゲームの中でもっともたやすく目に見える、コードボールというただの必然に運を感じてロンドンに行き、体裁は違うけどやっぱり皮肉たっぷりのアレンらしいコメディ(書くだけでもう観たくない)をつくったとは、ちょっと考えられない。そんなわかりやすさに見せかけた、より高度にいやらしい映画なのではないか。

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アイルランド出身で、ある程度知られたプロ・テニスプレーヤーだったクリス(ジョナサン・リース・マイヤーズ)は早くにツアー生活を退き、リゾート地などでコーチの職を渡り歩いてきた。新たにロンドンの特別会員制クラブに雇われたクリスは、大富豪の息子で上流階級の青年トム・ヒューイット(マシュー・グード)の気さくな招きに応じるうち、ヒューイット家の面々に気に入られる。やがてトムの妹クロエ(エミリー・モーティマー)と結婚、トムの父アレック(ブライアン・コックス)が経営する大会社で働き順調にのしあがっていく。

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一方クリスは、トムの婚約者でコロラド出身のノラ・ライス(スカーレット・ヨハンソン)に強く惹かれ、結婚前からこっそりと関係を持っていた。トム・ノラの婚約破棄、そしてノラとの再会(写真下右: 左から順にクロエ、クリス、ノラ)をきっかけに、クリスは再び燃え上がる。妊娠を強く望む妻クロエには子どもができずノラが身ごもり、自分と生活しろとクリスは迫られる。

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全体にサスペンス風のつくりになっているが、出色だったのは食事のシーンだ。
非大衆的なレストランで夕食を取る、それぞれ結婚前のクリス、トム、クロエ、ノラの4人。クリスはちらとメニューを見てローストチキンと言う。味に馴染みがあって手頃なものを選ぶという、食べ物にあまり関心がない人の典型的な頼み方をする。

するとヒューイット兄妹が、キャビアを使った料理を延々と勧め続ける。いかに美味しいかを陽気に語る笑顔が決まり、歳を取ったらこの兄妹、他を顧みない「我らが善意」がもっと強固になるのかなという、厄介な素質を存分に漂わせる。つまり映像は現在の彼らの性格を端的に捉えるよりも、むしろ前後の時間、特に未来のイメージを鮮やかに描き出す。

ノラ(イプセン『人形の家』と関係あるかもしれないが、割愛)はこの時、うまく存在感を消している。
ぱっとしない女優の卵ノラが、アメリカ地方都市の病を一通り抱える家族、故郷、仕事へのアンビバレントな気持ちをあらわにするのは、クリスと二人、食事をしつつ酒を飲む別の場面だ。やはりここでも現在の彼女だけでなく、アメリカ時代のノラの身体や感情、人との関係を含み込んだ多層な世界がスクリーンに映し込まれている。

ノラの妊娠で追いつめられたクリスが取った、ある仰天の行動を境に、映像は突然くだらなくなる。これは予想しなかった展開だった。
「くだらない」と感じたのは、出来事の因果関係をすべて把握しているからだ。私は必然だけが支配する世界(多分超越者の視点)から、人物たちの言動や、登場する刑事たちの科学捜査の間違いを眺めたことになる。

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それよりも刑事に言い訳するクリスはどうだろう。すさまじいまでの身勝手な理屈は、トップ・プレーヤーのボールのように高速で繰り出されて予測がつかない。シーンは前後するが、善意の妹クロエもなかなかのもので、株で大損したクリスに「パパは家族の力になれることが嬉しいのよ」と優しく言う。たしかに彼はオペラ劇場のパトロンで、税金対策と呼ばれる芸術の力添えまでしている。が、一代で莫大な財をなした切れ者のパパが、ビジネスでいつまでも好々爺面を下げてくれるとはとても思えない。
そういえばトムも、ノラとは違って母親も気に入る申し分のない女性と出会うと、運命の相手が現れたと言ってすばやく結婚を決めていた。真意は推し量るだけ無駄だろう。

ただの都合のいい理屈が、ある人物にとっての「正しさ」や「運命」に変わるまで。その猛烈な速さに目眩がしそうになると、ヒューイット家の人々は、クロエの子の誕生祝いに現れたトムを指して「アンクルトム~」などと、ハエの止まりそうな駄洒落をいって喜びはじめた。速いのから遅いのまで、いろんなリズムが並走・交錯するノイジーな日常を、彼らは、私たちはこともなげに生きている。

カメラは、主人公の環境の変化とともにゆっくり変わることも丁寧に捉えている。まずはクリスがぶら下げるショップの袋。それから言葉だ。だが、それや上流階級の戯画的な描写はどちらかといえば表層的なことで、人間の認識の及ばない必然の世界を、こんなにもコケにしたすばらしい創造にはかなわないと思う。そして運や偶然をずいぶん昔に発見した人間の、都合のいい日常を描いた『マッチポイント』。
人がそこにいる限り、面白いものはできる。歳を重ねて長年の仕事場兼飯の種だったN.Y.を離れ、低予算でカメラを回した監督に厭世的な視線はない。観終わった後は映画の中の天気とは裏腹に、運動した後にも似たすがすがしい感覚が残った。

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恵比寿ガーデンシネマ、シネスイッチ銀座 ほか全国ロードショー
配給:アスミック・エース
コピーライト:(C)JADA PRODUCTIONS 2005
by kouchiyama-simone | 2006-10-07 08:43




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