ペーパーバックの数が増えていく TEXT+PHOTO by 片岡義男

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55 ペーパーバックの表紙とは

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 煽情的な、という言葉があった。過去形で書くのは、いまではこの言葉をほとんど見かけないからだ。ある一定の事柄を一定の方向に向けて強く煽っていく、という意味がそのまま字面にあらわれているような、したがってその意味でも捨てがたい言葉かとも思うが、死語となりつつある言葉のひとつだと思っていいのだろう。
 色欲をめぐる煩悩を他者に喚起してもらうことのなかに、そのような煩悩のある程度の発散という満足を得られるという種類の、文章、映画、写真、絵画、さらには舞台での出し物や演技、踊りなどが、おしなべて一律に煽情的であった時代が、かつて存在した。素朴で牧歌的な時代だったのだろう。いまは素朴でも牧歌的でもない地獄絵図のような時代だから、煽情的な、というような言葉を用いる対象が、どこにもない。だから言葉のほうだけが、静かに死んでいくほかない。
 一九五十年代の終わりから一九六十年代の初めにかけて、デルという出版社から刊行されたペーパーバックのなかから、煽情的と呼び得るような表紙のものを六冊選んで、太陽の直射光のもとで写真に撮ってみた。その当時の風俗小説と言っていいだろう。六冊のうち四冊までは、このデルのペーパーバックで初めて世に出た作品だ。写真のなかでいちばん左にあるのは、私立探偵を主人公にしたハードボイルドふうのミステリーだ。
 煽情的である、と呼び得るという意味において、六冊のどれもが郷愁を誘う。一九五十年代にはこれよりもっと煽情的な表紙絵が大勢だったし、その前の四十年代には、表紙絵はさらに煽情的だった。この六冊の頃になると、絵柄は煽情の具体性を維持しているけれど、表紙ぜんたいの面積に対する絵の部分の比率が、明らかに小さくなりつつある。いちばん左の私立探偵ミステリーは、一九五七年のものだ。絵のなかに女性の姿が大きい。五十年代における一般的な傾向が、ここにはまだ残っている。
 表紙絵が煽情的な性格だからと言って、内容も推して知るべしなのだろう、と思ってはいけない。きわめて真摯な、純文学とさえ言っていいような作品も少なくない。ここにある六冊も、たいそう真面目な作品なのではないか、と僕は感じている。
by yoshio-kataoka | 2007-01-26 10:53

54 二冊しかないから気になる

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 アラン・プライアーの一九六十年代なかばの作品が二冊ここにある。僕の知るかぎりでは、さらに四作ある。それらがペーパーバックになったかどうか、定かではないけれど、ペーパーバックになっていて当然だと思うと、自分の手もとに二冊しか見つからないことじたいが、まず気になる。どちらも充分に面白そうだから、まだ手に入れていないものが、余計に気になるわけだ。
 『ジ・オペレーターズ』は、人生をそのどん底までほぼ食いつめきったような男ふたりに女性ひとりが加わり、三人ひと組で一発逆転という最後の望みをかけて、犯罪を計画して実行するその顛末が、一編のサスペンス小説になっている、という作品であるようだ。『尋問者たち』のほうは、強姦した上での殺人という性犯罪を、若い警官と年配の刑事が捜査して解決にいたるまでを描いた、警察物語だという。コロムビア映画によって原作の映画化権が買われ、ほどなく映画になる予定だと、裏表紙にはうたってある。
by YOSHIO-KATAOKA | 2007-01-19 21:29

53 エドワード・ルイス・ワラント

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 エドワード・ルイス・ワラントというアメリカの作家の名やその作品を知っている人は、きわめて少ないのではないか。僕も知らない。その小説作品をペーパーバックで二冊、持っているだけだ。僕がいまも大量に持っているペーパーバックのなかには、ずっと気になっているこの一冊とか、なぜか気持ちをとらえ続けるこの作家のこの二冊、というペーパーバックがたくさんある。エドワード・ルイス・ワラントのこの二冊も、そのような例のひとつだ。手当たり次第に買っているうちに山となったペーパーバックのなかに、あとになって点検していくとことのほか気になるものが何冊もある、ということだ。
 一九六十年に出版された『ザ・ヒューマン・シーズン』が最初の作品で、『ザ・ポーンブローカー』はその次の年のものだ。どちらの作品をめぐっても、若いジューイッシュ・ライターだったワラントは絶賛を集めた。彼は若くしてこの世を去ったようだ。『ザ・ヒューマン・シーズン』では、都会に生きる人たちの底なしの根なし草状況が、その底まで追い込んで描いてあるようだ。『ザ・ポーンブローカー』は、ブルックリンで質屋を営む男性に託して、落ちるところまで落ちきった人生というものが、描かれているという。一九六十年代の初めに、僕はこの二冊を手に入れた。読むのはいつになるのか。
by yoshio-kataoka | 2007-01-12 14:20

52 一九七十年の地下雑誌

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 ペーパーバックというかたちでの、雑誌の試みだ。タイトルは『カウントダウン』という。そして副題は「サブタレニアン・マガジン」だ。一九七十年の二月に『1』が出版され、おなじ年の四月と六月に、それぞれ『2』と『3』が出版された。一年に五冊が刊行される、という予定だったそうだが、僕はこの三冊までしか持っていない。三号雑誌に終わったのではないか。
 サブタレニアンとは、地下の、地中の、隠れた、といった意味だ。内容は当時の流行だったアンダグラウンドそのものだが、そうは言わずにサブタレニアンと呼んだ。そしてカウントダウンとは、これも当時の流行だったレヴォリューションの日が来るまでの、それをめざしての思考や行動の日々の、一日また一日の積み重ねのことだろう。
 一九六十年代後半のアメリカで、アンダグラウンド・プレスが各地に生まれた。プレスとは主として新聞という形態を意味した。もっとも作りやすかったからだろう。編集から製作まで新聞社としての機能を整え、新聞と呼ぶに足る内容とかたちを持ち、かなりの部数を販売して利益すら出していたところもあった。だが多くのアンダグラウンド・プレスでは、人も組織もあってなきがごときで、前の号に続いて遅ればせながら次の号をなんとか出す、という状態だった。
 しかしそれゆえに、既成のエスタブリッシュメント(これも当時の流行語だ)からの出版物にはとうていあり得ない、さまざまな魅力が満ちてもいた。主として西海岸で、いくつものアンダグラウンド・プレスを、僕は取材してまわったことがある。古いスクールバスを手に入れて座席の多くを取り払い、その内部を編集部にしてそこに寝泊まりしながら、ピッピーを絵に描いたような人たちが刊行していた『オルフィアス』というアンダグラウンド新聞があった。その新聞に掲載される予定の文章を書き、原稿をいつも持ち歩いているのだが、編集部のバスがいまどこにいるのかわからなくて困っている、と案内役の友人が言っていた。
 一九六十年代後半のアンダグラウンド・プレスから採録した記事、そして当時のアンダグラウンドの書き手に依頼した文章に、イラストレーションや写真を添えて、少なくとも三号までは成立したのが、ここにある『カウントダウン』だ。四十年近い時間が経過したあとであるいま、三冊をとおして読むと、アンダグラウンド・プレスを支えた当時の青年たちがどんなことを考えていたのか、きわめて軽便に知ることが出来る。
 農地に対して使用すると効果絶大である除草剤が開発されたことによって、農地の雑草取りという底辺労働からすら追い払われて失業した黒人たちを、社会の変貌が次々に作り出していく底辺層としてとらえた論考があったりする。いまの日本も変貌を重ねている。これまでは存在しなかったような底辺層が、確実に発生している。社会が見せる新たな様相は、新たなる底辺層の出現なのだ。
by yoshio-kataoka | 2007-01-05 21:06




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