ペーパーバックの数が増えていく TEXT+PHOTO by 片岡義男

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42 九つの短編で一冊を

b0071709_10485533.jpg J.D.サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』の、一九六十年第六版だ。こういうデザインの表紙は、ペーパーバックではかなり珍しい。二十歳のときに買っていまでもまだ持っている理由は、まずそのあたりにある。三十代なかばにさしかかる頃から小説を書き始めた僕は、その三十代が終わろうとする頃、当時は毎日のように顔を合わせていた編集者とふたりで、『ナイン・ストーリーズ』というタイトルの短編集を書き下ろす計画を、相談したことがある。サリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』を読み、主題や状況設定、人物の配置などを、パクるのではなくカヴァーするという方針で、カタオカーの『ナイン・ストーリーズ』を作ったら面白いだろうか、そうでもないだろうか、というような相談だ。
 冒頭にある『バナナ・フィッシュに最適の日』という短編をまず僕は読み、これはカヴァーするのは簡単だと思った。横田基地の外、十六号線の近くにあった横田ゲスト・ホテルを舞台に、基地で働く日系のアメリカ軍人の息子が、基地で盗んだ拳銃で頭をぶち抜いて死ぬ話にすればいい、というようなことを僕は編集者に語った。ここまでは記憶しているのだが、ここから先がどうなったか、僕はなにひとつ覚えていない。多忙さのただなかで立ち消えとなったのだろう。
 それから何年かあと、僕は『バナナ・フィッシュに最適の日』の翻訳を依頼され、翻訳した。なにかの本のなかで活字になったはずだ。なにかの本ではなく、九人の人が一編ずつ翻訳を受け持った、『ナイン・ストーリーズ』そのものだったかもしれない。
by yoshio-kataoka | 2006-10-25 10:51

41 占領下のペーパーバックが三冊

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 僕が子供の頃に自宅にあったペーパーバックだ。ほかにもたくさんあった。玩具にして遊んでいたから、この三冊にも見覚えはある。大半は散逸してしまったが、たとえばこの三冊のように、いまでも僕の手もとに少しは残っている。
 戦争で外国の戦場に出ている自国の兵士たちのために、アメリカ軍は本を送る運動を始めた。初めのうちは民間から寄付された本を前線に送っていた。百万単位で増えていく寄贈本は、一千万冊にも達するかというところまでいったのだが、寄付ではとうていまかないきれないほどに戦線は拡大され、動員される兵士の数は増え続けた。
 民間の出版社に協力してもらい、アメリカ軍が独自に前線用の小型本を製作することになり、エディションズ・フォ・ジ・アームド・サーヴィセズという非営利の共同事業組織を創設し、そこが兵隊用のペーパーバックを作って海外の戦場へ送り出し始めた。
 この当時の戦争では、前線の兵士たちにとっては待ち時間が多く、それをどう過ごすかは、軍にとってたいへんに重要な問題だった。動員を待っているあいだ。動員されて目的地へと向かうあいだ。戦場で位置につくまで。戦闘へと動員されるまで、待機している時間。こうした待ち時間の兵士たちには、本を読ませておくのがいちばんいい、とアメリカ軍は判断した。
 すでに本になっている数多くの作品のなかから、委員会が選んだタイトルを、協力していた出版社が印刷し製本した。一九四三年から四七年までのあいだに、こうして作られた兵士用のペーパーバックは、一千タイトルを越え、製作部数の総計は一億二千万冊を越えたという。戦争が終わったあとも、二年間にわたって製作が続けられたのは、たとえば日本を占領していたように、戦後の処理を海外のあちこちでおこなう軍人がたくさんいたからだ。
 戦争中に製作されたペーパーバックは横長の小型本だったが、戦後になると、背丈の低かった頃の標準的なペーパーバックのサイズとなった。ここにある三冊は戦後のものだ。一九四二年から四五年にかけて、『サタデー・イーヴニング・ポスト』という家庭雑誌に掲載された短編を編んだ一冊。ヴェラ・キャスペーリーの、高度と言うなら思いっきり高度なミステリー。そしてパット・スティーヴンス保安官が活躍する、西部劇ミステリー。
 一冊それぞれ単独でも、あるいは三冊揃っても、いまだに濃厚にただよう独特な雰囲気は、写真に撮りたい気持ちを僕に起こさせる魅力を持っている。
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by yoshio-kataoka | 2006-10-17 11:28

40 良く出来た表紙というものは

b0071709_10481142.jpg リチャード・ニーリーという著者のこの作品は、サイコーティックな殺人者をめぐるサスペンス小説であるようだ。僕はまだ読んでいない。ほかにどんな作品があるのかも知らない。一九六九年にシグネット・ブックスのオリジナルで刊行されたものだ。
 ペーパーバックの表紙に裸の女性が写真で登場する例は、たいへんに少ない。ここにあるこの表紙は、ほとんど例外的な存在だと言ってもいい。その例外的な存在が、巧みにデザインされたものであることを、買った人としての僕は喜んでいる。
 縦に長い長方形のスペースに、必要なものすべてが効果的に収まっている。タイトルと著者名、それを分かつ白い線。タイトルの上の小さな文字によるコピー。ぜんたいがきっちりとまとまって緊張感を維持している。画面の右側にあるテーブル。その上のカクテルやバッグ。そして電気スタンド。背後の壁がそれを見る人の視線を垂直に受けるだけとなるのを避けるため、画面の左側に、手前に向けてのびる壁の一部分を取り込んでいる。壁がこうしてごく単純に二面になるだけで、視覚でとらえるこの光景に奥行きが生まれる。
 フロアにある白いものは、毛足の長いカーペットだろう。その上に女性の裸体が横たわっている。女性の体の特徴をうまくとらえ、それをじつに巧みにモデルのポーズで表現している。脚の重なりぐあいや両腕の位置も、完璧だと言っていい。髪も素晴らしい。そしてこの裸の女性は死体なのだ。
 少なくとも画面のなかに見るかぎりでは、彼女は全裸であり、それがペーパーバックの表紙としては珍しい。しかも表紙ぜんたいのデザインが、いま書いたとおり、良く出来ている。落ち着いた雰囲気すら漂っている。読んでみようか、と思わなくもないのだが。
by yoshio-kataoka | 2006-10-10 10:50





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