ペーパーバックの数が増えていく TEXT+PHOTO by 片岡義男

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9 西部劇小説という銃の世界

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 ゴールド・メダル・ブックスで刊行された数多いペーパーバック作品のなかから、題名にGunあるいはGunsという言葉を持った西部劇小説を、十五冊抜き出して集合写真を撮ってみた。ゴールド・メダル・ブックスは、コネティカット州のグリニッチに本社を置いていた、フォーセット・パブリケーションズという出版社から、刊行されていた。いまではフォーセットはどこか大きな出版社の傘下だろう。ゴールド・メダル・ブックスという名は、もう使われていないのではないか。
 一冊ずつ手に取っては、呆れたり妙に感心したりしながら眺めているのとは、また違った感銘を写真から受ける。どの作品も表紙絵をともなっている。西部という現場において、男たちによって銃がさまざまに駆使される様子が、どの表紙絵にも描かれている。リアリズムひと筋の絵だ、と思ってしまうとそれは誤解となる。一見したところ、リアリズム描写のように思える。しかしなおもよく観察していくと、銃の駆使されかたに独特な美化があり、その美化はファンタジーにつながっている、ということがわかってくる。
 アメリカの銃はリアリズムだ、と多くの人に思われているが、リアリズムという面は確かに持ちつつも、基本的にはファンタジーなのだ。ファンタジーとしての銃。アメリカの理念を押し立て前進させていくのが銃であるとして、その銃がじつはファンタジーなのだとすると、理念もまたファンタジーではないのか。銃で渡り合う敵はファンタジーを成立させる敵役だ。そして戦場は、ファンタジーを限りなく現実へと接近させる、悲しい試みの場だ。
by yoshio-kataoka | 2006-05-26 21:31

8 冷静な観察者の視点から

b0071709_1221744.jpg『女性たちと小説』という題名の短編集だ。僕は1と2を持っている。どちらにも二十六人の女性作家による、二十六編の短編小説が収録してある。3はおそらくなかったのだろう。1には欧米の作家たちが集めてある。十九世紀に活躍を始めた人たちから、アリス・ウォーカーやマーガレット・ドラブル、ジョイス・キャロル・オーツなど、僕とほぼ同世代の作家たちまで、二十六人だ。2は世界各国の女性作家たちの短編で構成されている。1が一九七五年に、そして2はその三年後に、ニュー・アメリカン・ライブラリーのメンター・ブックスで刊行された。
 古書店でペーパーバックを買うことを、この頃の僕はすでにやめていた。古書店にペーパーバックがさほど出まわらなくなったし、新刊が時をへず日本に輸入されるようになってもいた。だから新刊で、興味をひかれるものはかたっぱしから買っておく、という方針に転向していた。
 ショート・ストーリーズ・バイ・アンド・アバウト・ウィメン。女性は作家に適している、という説が何度も繰り返し説かれてきた。編者のスーザン・キャヒルが序文のなかで書いているとおり、この説を最初にとなえたのはヴァージニア・ウルフだった。人々とその置かれた状況を観察し、彼らの性格を分析していくという、動よりは静の場面に置かれることの多かった女性たちが発揮した能力は、小説を書くにあたってまずなによりも必要とされるものだった、という説だ。冷静な観察者の視点。作家としての女性たちは、ここから出発するのだろう。
by yoshio-kataoka | 2006-05-26 13:10

7 僕にはクロスワード・パズルを

b0071709_10154453.jpg 僕は子供の頃からクロスワードの熱心な実践者だ。空いた時間があればからずクロスワードを解いていた時期が、十代の後半から二十代のなかばまで、十年ほど続いた。バーに誘われてカウンターの席についても、ほどなく英字新聞を小さく開いて片隅のクロスワード・パズルをあらわにし、鉛筆を指先に持って黙り込んで考える、というようなことをして嫌われていた。ずうっとクロスワードを解いていられたなら、人生はどんなに快適だろうかと、いまでも思うことがある。
 クロスワードのペーパーバック、あるいはそれに関連した辞書などのペーパーバックを、かつて大量に持っていた。いつのまにかその数は少なくなり、いまはこれだけ、という様子を写真にしてみた。さらにそのなかから五冊を選び、ならべて写真に撮ってみた。クロスワードを解くときに使うのは、一端に消しゴムのついた黄色いナンバー2の鉛筆なのだ、ということがこの写真を見るとよくわかる。どの表紙のデザインのなかにも、黄色い鉛筆が登場しているではないか。そしてこの黄色い鉛筆の常備が、いまの僕には十ダースほどもある。
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by yoshio-kataoka | 2006-05-22 10:21

6 桟橋の突端にて

b0071709_14575615.jpg 一九九三年の、バランタイン・ブックスのペーパーバックだ。かつてバランタイン・ブックスは単独の出版社であり、ペーパーバックのブランドのひとつとして、バランタインはよく知られて評価も高かった。いまではランダム・ハウスの一部門であるようだ。
『桟橋の突端』という題名が気になって買った。読んでみた動機も、おなじくそこにあった。マーサ・グライムズには十冊を越える作品がある。これはそのなかのひとつで、ミステリーと呼んでいいだろうか。アメリカ的としか言いようのない悲惨な人間関係が、いくつも起きる殺人事件に共通する主題となっている。ひとりの人物が実行した連続殺人事件だから、主題は共通して当然だろう。
 離婚して子供を捨て、家庭を壊してなお、底辺をさまようかのように生きる女性を、幼くして自分も母親に捨てられた体験を深く持つ男性が、ひとりずつ殺していく。離婚や子供を捨てる行為にはまだいたってはいなくても、遠からずかならずやそうする、と思われる女性をも殺してしまうところが、工夫と言えば工夫だろうか。
 いくつもの殺人事件という謎が、ひとりの人の捜査努力によって少しずつ解かれていく過程を、客観的に描いていくという書きかたとは、まるで別のところに成立する文体と展開だから、そこを読んでいく小説かとも思う。湖に向けて突き出ている桟橋のこちら側と、対岸にある富裕層の別荘地域とそこに集まる人々との対比が、主題のしめくくりの部分で効果を上げなくてはいけないはずだ、と僕という読者は思った。しかし富裕層の人物の造形には、明らかに破綻がある。こちら側と対岸とにまたがるひとりの青年の、物語のなかで果たすべき役割が、不充分だからだろう。
by yoshio-kataoka | 2006-05-19 22:20

5 ロス・アラモスの原子爆弾

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 アメリカン・ファーマシーがまだ日比谷にあった頃、そこで買った何冊ものペーパーバックのうちの一冊だ。第二次世界大戦でアメリカが原爆を製造した過程のぜんたいが、マンハッタン・プロジェクトと呼ばれた。そのプロジェクトは、一九四五年の春、第一回の爆発実験に成功した。このときの様子が、小説のクライマックスのひとつとして、この作品のなかに描写であらわれる。
 原爆を製造するための具体的な作業は、サンタフェの外に広がる荒野の台地で進行した。必要とされるあらゆる施設や設備が、本来ならなにもない荒野の台地に、すさまじい勢いで急造されていった。多くの人員が動員され、大量の資材が消費されたのだが、そのプロジェクトは、おもて向きにはどこにも存しないものとして、秘密のなかに保ち続けられたという。
 サンタフェのメサに現出したプロジェクトの現場は、町とも工場とも施設ともつかない、不思議な場所だった。すべては秘密で、しかもいっさいが存在しないことになっているのだから、プロジェクトのぜんたいが架空のものであるとも言えるような、奇妙な現実だ。そこで殺人事件が起きる。それを捜査するために、アメリカ陸軍から捜査官が派遣されてくる。その捜査官の視点から、物語は描かれている。
 殺人事件は嫉妬が原因の単純なものだった。だがそれを捜査していく過程で、原爆製造にかかわる機密が、かなりの量の文書のかたちで、外へ、つまりドイツへ、漏れていた事実が発覚する。発覚の経路やそれにかかわった人物は特定され、事件は解決するのだが、そのときはすでにドイツは降伏している。しかも漏洩した文書だけでは、アメリカがなにをやろうとしているのかはわかっても、原爆を製造することはとうてい不可能だ。だからそちらの事件のほうは、いっさいなにもなかった、という処理がなされる。歴史のなかの小さな一部分がリライトされるのだ。
 原爆を製造していく現場、という歴史的な事実のなかに、嫉妬による殺人事件という架空の物語が入れ子になっていて、そのなかにはさらに、ひとりの女性を魅力的に造形しつくすという試みの、恋愛物語が落とし込んである。話としてはほんのちょっとしたものなのだが、ペーパーバックで五百十七ページの、読んでいて退屈しない小説に仕上げてある。オッペンハイマーやフェルミといった、原爆製造にかかわったキー・パーソンたちが、小説のなかの人物として、実名で登場する。
by yoshio-kataoka | 2006-05-15 11:41

4 悲しいカフェのバラッド

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 カーソン・マッカラーズのペーパーバックが八冊あった。だからそれらを重ねて、このように写真に撮ってみた。上から二冊目に見えている顔は、マッカラーズの顔写真だ。『悲しいカフェのバラッド』が四とおりある。バンタムの版が一九六四年のものと一九八六年のものの、ふたとおり。そしてペンギンが、いまふうの、あるいはそのときふうの装丁にくるんで刊行したものが、二種類。『リフレクションズ・イン・ア・ゴールデン・アイ』もふたとおりある。
 『悲しいカフェのバラッド』を僕が読んだのは、十八歳の秋だった。なにげなく読み始め、強力に引き込まれて読み続け、読んだあとは呆然となったのを、いまでもよく覚えている。そのときのバンタム版はもう手もとにない。バンタム・ブックスが小型から大きくなり、値段が五十セントになったとき、五十セントで発売されるシリーズが、バンタム・フィフティと呼ばれた。『悲しいカフェのバラッド』『結婚式の出席者』『心とは孤独な狩人』の三作品が、このバンタム・フィフティで刊行されていて、装丁は共通している。表紙に使ってある絵が、作品の雰囲気をかなりのところまで伝えている、と僕は思う。その三冊も写真に撮っておいた。
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by yoshio-kataoka | 2006-05-12 10:17

3 あなたも小説を書かなくては

b0071709_1950497.jpg 一九六五年の初夏ではなかったか。あるいは、その次の年の夏。六七年や六八年ではない。と言いきる根拠はどこにもないのだが、根拠のなさを根拠にすると、あれは一九六五年のことだった、ということになる。
 当時の神保町にはバーがたくさんあった。そしてその頃の僕は仕事と遊びの場が、神保町とその周辺だった。いろんな雑誌に冗談のような文章を書き、もっと冗談のような新書の原稿を、神保町や駿河台下の喫茶店をはしごしながら書くのが、その頃の僕の仕事だった。
 編集者に誘われて入ったバーで、当時の僕とおなじような年齢の女性が、ホステスとしてカウンターの向かい側についてくれた。いろんな話の連続のなかで話題は仕事のことになった。「こちらはサラリーマンだけど、あなたはなにをしてる人なの?」と、彼女は僕に訊いた。だからたったいま書いたようなことを、いまの自分の仕事として僕は彼女に語った。
 「ということは、もうじき小説を書くのね」
 と、彼女は言った。この台詞を僕はいまでも覚えている。小説を書くことが、目標としてはっきりあったわけではなかったけれど、このままいけば小説を書かなければ格好のつかないことになるのかな、という思いだけは淡く頭の隅にあった。
 「ダーチャ・マライーニのような小説を書いてよ」
 と、彼女の台詞は続いた。この言葉も僕は記憶している。単に記憶しているだけではなく、ひとつの謎としていまも残っている。
 彼女が言ったダーチャ・マライーニのような小説とは、一九六三年に発表してなにかの大きな賞を取った、『マレーズの時代』のことであるはずだ。マレーズは翻訳しにくい言葉だが、倦怠のほうへ傾いた気味のある不安感や不安定な気持ち、といった意味だ。
 この作品が英語に翻訳されたのは一九六三年だ。一九六四年にデル・ブックスから刊行されたペーパーバックを、神保町のバーでホステスからマライーニの名を聞いた三日ほどあと、僕は手に入れた。マライーニのような小説を書けと僕に言ったあと、「でも、あなたは男ですものね」と、彼女はつけ加えた。
 『マレーズの時代』という小説は、土俗的な世界とすら言っていほどのローマで、土俗性そのもののような人間関係のなかで、さらなる土俗性の発露である恋愛の手練手管を、その微妙きわまりない細部まで本能のように身につけている若い女性が、その本能を発揮していくことのなかに時代のマレーズを感じる、というような小説だ。彼女の一人称で書かれている。
 あなたは男ですものねとは、だから若い女性の一人称でこのような小説を書くわけにはいかないでしょう、といった意味だ。そしてこう言うからには、彼女はそのときすでに『マレーズの時代』を読んでいたことになる。日本語訳が早くも刊行されていたのか。話題の作品が翻訳されると、彼女はいち早く読む人だったのか。文庫本で翻訳が出たのを僕は知っているが、それは十年以上もあとのことではなかったか。
 まだ小さい頃のデル・ブックスによる『マレーズの時代』が二冊あった。だからこれも二冊重ねて、記念写真を撮ってみた。
by yoshio-kataoka | 2006-05-08 10:49

2 ベスト・テンの第十位に

b0071709_20184885.jpg おそらく一九八十年代の初め、名前をまるっきり覚えていない雑誌から、「アメリカのハードボイルド小説のベスト・テンをあげてください」というアンケートの依頼を僕は受けた。それぞれの作品に短い言葉を添えつつ、十冊をベスト・テンとして選ぶのだ。ベスト・テン、あるいは、自分にとってのこの一冊、といったアンケートないしはエッセイ原稿を、僕は不得意としている。しかしそのときはなぜか引き受け、僕なりのベスト・テンを作った。
 そのときに第十位にあげたのが、ウィリアム・R・スコットという作家の、『ハンガー・マウンテン』だった。一九五五年にデル・ブックスというペーパーバックの、書き下ろしシリーズで刊行された。僕が読んだのは二十歳くらいの頃ではなかったか。感銘を受けた僕は、これはとっておこう、ときめてそのとおりにした。だからいまでもある。

b0071709_201901.jpg 僕が読んだのを写真に撮ったあと、まだ小さいサイズだった頃のデル・ブックスの山のなかから、もう一冊、見つけた。だから二冊を重ねてもう一度、写真に撮ってみた。両方を掲載しておきたい。一冊と二冊とでは、雰囲気がかなり違ってくるはずだ、と思うから。
by yoshio-kataoka | 2006-05-02 10:05




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