ビーチサンダル・クロニクルズ TEXT+PHOTO by 今井栄一

042【HOWL、星子、デニーさんのこと】

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 「HOWL」が今年でオープン10年になると聞いて、驚いている。
 そうか、10年前に、僕は、ぶらりと、あの「HOWL」に入ったのか・・・。
 なぜ、あの店を僕は見つけたのか。
 もちろん、「店の方がオマエを見つけたんだ」と、まるでヘミングウェイかチャンドラーのような気障なセリフで納得することもできるだろう。でも、そうじゃない。
 なぜ僕はあのときにあそこを通りかかり、そして、「HOWL」の前をただ通り過ぎるのではなく、わざわざ中へ入ったのか。そして、僕は、なぜ、入れたのか。

 「HOWL」は、東京・青山、外苑西通り沿いにあるバーだ。デニーさん、という伝説のバーテンダーがいる店。

 こんなことがあった。
 いつしか僕も「HOWL」の常連客のようになり、いつものようにある夜飲んでいるときのこと。デニーさんが、ドアを開けて入ってこようとする客にこう言ったのだ。
 「悪い。うち、会員制なんだ」
 言われた客は(3人連れだった)、腑に落ちない顔をして、すごすごと外へ戻っていった。
 僕は、なぜ、そのようにして断られなかったのだろう?
 10年前と言えば、(今でもそうなのだけれど)僕は生意気盛りの若造で、「あれ」と「これ」の区別さえつかないくらいの、自意識過剰な青二才だったはずだ。
 デニーさんは、あの夜、そんな僕を招いてくれた、と言うべきだろう。
 とは言え、それが10年前の「どの夜」だったのか、残念ながら覚えていない。こういうとき、日記を付けていたらよかったのになぁと思う。初めて「HOWL」へ入った夜が、夏だったのか、秋だったのか、冬だったのか、春の宵だったか・・・。それは何曜日で、何時頃だったのか。そのとき店は混んでいたのか。僕はそこで何を飲んだのだろう? そして、しばらく飲んだ後にどうしたのか。僕はそのとき幸せだったろうか。孤独なヤツだったろうか。
 もちろん、あらゆるバーに(あらゆる正しいバーに、と言うべきか)、孤独な者は集う。ニューヨークでもパリでもリスボンでも、孤独、というカードを持っていれば、バーは歓迎してくれる、はずだ。
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 「BAR HOWL」。
 奥行きが広く、手触りの良い、美しいカウンターにスツールが並ぶ、とてもオーセンティックなデザインのバー、とも言える。けれど、どことも違う、とも言える。似たようなデザインのバーはニューヨークにもロンドンにもあるだろう。けれど、「HOWL」は結局、「HOWL」でしかない。デニーさんがそうさせているのだろうし、彼の作る酒は、そこでしか飲めないのだ。
 店内は明るくない。むしろ、暗い。古いガス灯を思わせるぼんやりした光が灯る店だ。小さな空間。広くはない。狭い、と言うべきだろう。10人も座れるだろうか。スツールはいくつあっただろう? 数えたことがないからわからないけれど、たぶん、7つとか、8つくらい。そんなバー。
 もちろん、パリやロンドンのように立って飲んでも構わない。常連がけっこう来るから、にぎわっている夜にはかなりの混雑となる。

 あれはいつだったか。東京の熱い夏の夜だった。
 店内があまりにぎゅうぎゅうなので、僕はギネス・スタウトの泡がきれいに収まるのを待ってから、そのワンパイント・グラスを片手に外へ出て、入口横に置かれている小さなベンチに座って飲んだ。目の前に、外苑西通りがあり、行き交う車、ときどきだけ通り過ぎる人々、気持ちのいい夜の時間だった。冬の今は、さすがに路面では飲めない。

 細長い4階建てのビルの1階が「HOWL」だ。少し前までは階上にもうひとつ専用の部屋があり、プライベート・サロンのような感じで飲むこともできた。だいたい1人で行くのが心地いい店だけれど、何度か、3人、4人、連れだって行ったとき、上の部屋で飲ませてもらった。下で飲み物をもらい、金を払って、自分で持って上へ行くのだ。階段は外にあって、パリの古いアパルトマンについているような螺旋階段だ。酔っぱらって降りるのが怖かったから、上で飲むときはあまり飲まなかった。とは言え、「HOWL」は酔っぱらうために入る店ではない。酒をきちんと飲む人間のための店だ。礼儀正しい酔っぱらいたちの店。酒を飲めば酔っぱらう、それは当然だけれど、誰もが礼儀正しい紳士淑女であることが、暗黙のルールとして、あるいは正しい文法として、そこでは求められるのだ。少なくとも、僕はそういうことを、つまりそのような「正しいバーの文法」を、デニーさんの店で学んだと思う。
 気障ったらしく言うなら、僕はあの店で、少しだけ大人になった、ということだろう。
 たぶん。
 そういうバーが東京にもあるのだ。今も。

 「HOWL」の名前は、もちろん、アレン・ギンズバーグの詩からとられている。そこは、永遠のビートニクスたちが集う空間でもある。
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 デニーさんは伝説のバーテンダーだ。僕よりずっと年上の常連客の中には、「HOWL」以前からのつきあいがあるという人々がいる。たとえば「STAR BANK」という店。確か六本木か西麻布にあったバーで、その店とデニーさんの作る酒の美味さについて語った記事を、何かの雑誌で僕は読んだことがある。
 デニーさんはまた、オートバイ乗りでもある。『イージーライダー』のような大型バイクに乗って旅をする。彼が、アメリカのどこかのハーレイ乗りたちが集結する祭典に日本人として参加している様子を、古い雑誌で見たことがある。とは言え、デニーさんは彫りの深い顔をしているから、アメリカへ行くと、きっと「アメリカン・インディアン」と思われるだろう。

 10年前、僕が「HOWL」に通い始めた頃、デニーさんは長髪だった。かなり長いストレートの髪の毛をポニーテイルにしていた。そして、ヘヴィ・スモーカーだった。
 彼は、カウンターの中でひとり、静かに酒を作る。そして、煙草を吸う。自分は店では酒を飲まない。お湯を沸かして茶を飲んでいる。客には茶は出さない。「HOWL」には、酒以外の飲み物はないのだ。酒が飲めない客は、入れない。
 僕は、カウンターの向こうにいる彼を、「かっこいい大人」と思った。実際、クールで、シャイで、けれど笑顔がとってもピースフルな、素敵な大人。僕は彼に憧れて、髪の毛を伸ばしたのかもしれない。今、デニーさんは髪の毛を短く刈り、僕は、長髪をポニーテイルにしている。デニーさんは今、もう煙草を吸わない。「愛のためさ」と彼は笑う。なるほど、ボブ・ディランも唄っていたけれど、時代は変わる、のだ。

 バーテンダー、という仕事を僕はしていたことがある。
 ニューヨークと、キーウエストで、僕はちょっとだけその仕事をしていた。理由はいろいろあって、また、そこに至るまでの物語もあって、それはここでは書ききれない。僕が言いたいのは、「バー・カウンターの向こう側から見る風景というものが、ある」ということ。その風景は、バーテンダーをした者にしかわからない。僕は、その風景を見たことがある。
 HOWLは、もしかしたら、その「風景」が最高にクールなバーなのかもしれない。しばらく僕はそこへ行っていなくて、つい最近、実に久しぶりに行ったのだけれど、かつてよく通っていた頃、HOWLへ訪れる常連客たちは、クールで、かっこいい大人たちだった。僕にはそう見えた。あんなふうに酒が飲みたいな、夜の始まりを過ごしたいな、そんなことを考えながら僕は、デニーさんの作る酒を飲んだ。
 ギネス・ビール、ウィスキー、ワイン、何でも飲めるけれど、デニーさんが作るカクテルは、世界中でここでしか飲めない美味しさだ。笑われるかもしれないけれど、僕はデニーさんの作る、つまりHOWLで飲む、ピニャコラーダとフローズン・マルガリータが、大好きだ。デニーさんが作るフローズン・マルガリータを「世界一だ」という常連客は多い。
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 デニーさんはずっと、考えていた。
 「ニューヨークやパリ、ロンドン・・・、世界の都市にはそれぞれ、独自のリキュールがあって、それは世界中で飲まれている。なのに、東京には独自のリキュールがない。世界に誇れる、素晴らしいリキュールが。オレは、それを作ってみたいね」
 東京のリキュール。
 デニーさんは、何年か前から、梅を使って独自のリキュールを作り始めた。最初は趣味、つまり、店で気に入った客に飲ませる酒として作っていた。しかし、いつしかそれは本格的なものになり、ついに、アルコール製造のライセンスを取得し、「自分のリキュールを製造、販売」するようになった。
 それが、『星子 HOSHIKO』という酒=リキュールだ。梅酒ではない。梅を使ったリキュール。東京の酒。
 クラッシュアイスで冷やして飲んでも美味いし、熱燗のように温めて飲んでも美味い。温めると、香りが強く感じられる。それが楽しい。氷で飲めば、さわやかだ。デニーさんの酒らしく、アルコール度はやけに強い。すぐに酔っぱらう。けれど、ハイになったりはしない。メロウな、ゆったりと酔える不思議な酒だ。
 僕らは、この『星子』をデニーさんの店で飲むことができるし、ネットでボトルを買って自宅で自由に飲むこともできる。僕は、デニーさんの店へ行って飲むし、注文して自宅でも飲む。毎日。メロウな気分が心地いい。
 デニーさんが作った東京の酒、「星子 HOSHIKO」は、実に美味い酒だ。

 今宵も、HOWLで。


<今回の旅のヘヴィ・ローテ>
『NIGHT RIDE TO HOME』VARIOUS ARTISTS
『SAG VOYAGE 2006』VARIOUS ARTISTS
『BRUSHFIRE FAIRYTALES』JACK JOHNSON
『NO GOOD FOR NO ONE NOW』OWEN
『THE BEAUTIFUL LIE』ED HARCOURT

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by imai-eiichi | 2007-01-09 23:35




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