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SNAIL RAMP
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タケムラ
南相馬市の支援物資集積所で残りの物資も下ろした後、
八幡小学校の教頭先生から言われた通り、
この震災がどんな被災状況を作り出したのか、
それ理解する為に俺達はトラックを走らせた。

まず国道6号線を南に向って下った。

時折、通行する車両を見かけるものの
相変わらず、外を歩いている人はいない。

地震の揺れで路面は荒れており、激しく車体を揺らす。

国道沿いにもかかわらず、店や会社は閉まっており
人の気配自体があまり感じられない。

国産大手の車のディーラーがあった。
よくある全面ガラス張りの、かなり大きい店舗。

揺れに耐えられなかったのだろうか、
その非常に大きいガラスが、広範囲に渡って割れていた。

そう言えば、1軒だけ営業しているローソンがあった。
商品の品揃えは2〜3割だったろうか。
でもあの時期で、あれだけの品を揃えて営業を再開させるのは
並大抵の苦労では無かったと思う。

後日、ドキュメント番組でローソン本社の震災後の取り組みを
放送していたが、やはりかなりの障害があったようだ。
それでもそれを成し遂げた、あの姿勢は賞賛に値すると思う。

俺達はそのローソン横で昼食を取った。
勿論、自分達の食べ物等は東京から持参していた。

あの段階で、現地で食料を調達する事は、
被災した方々の飲食料を奪う事にもなりかねないからだ。

俺達が車を停めた目の前には線路があった。
いわゆるローカル線だが、そこを電車が通る気配は全く無かった。
恐らく、あの日以来不通なのだろう。

車両ごと津波に流されたという報道も耳にしている。
この路線なのだろうか・・・。

ローソンを出て、更に南へ下る。
途中で斜めに道を入っただろうか。
荒川が「あっ」と声を上げた。

道路脇の田んぼの様な所には、ガレキに混じり
漁船が何艘も横倒しになって見えている。

津波の跡だ。

やはり津波はここまできていたのだ。
海とおぼしき方角を見やったが、
ここから海岸線なんて到底見えない。

それでも、この内陸まで全ての物を飲み込みながら
大きな津波が押し寄せたのだ。

俺達は
「もし今ここで再度強い地震が起き、津波が来たら・・・」と思い、
慌てて避難ルートを再確認した。

更に進むと、道路はテープで封鎖されていて、
これ以上南に下る事は出来ない様にされていた。

そう、原発だ。

相馬市や南相馬市をもうちょい南に下ったその先には、
あの「福島第一原発」がある。

南相馬市の南部は避難区域にかかっている。

実際、行き止まる手前から既に辺りに人の気配は全く無く、
集落はあるものの、そこに住んでいる人がいないのは明らかだった。

そこは、無人の街だった。

俺達は封鎖された道路を左折し、海岸方向に進んだ。

ちょっと進んだだけ、ほんとにちょっと進んだだけで
その惨状は、もう目の前に広がっていた。

建物は何もない。

そこが元々、どんな使われ方をされていた土地かなんて
全く分からない。
そこが住宅地だったのか、畑や田んぼだったのか、
全く見当が付かないのだ。

あるのはガレキ、ひっくり返った漁船、グシャグシャに潰れた車。

海に通ずる川には、建築中のような橋があった。
でもそれは橋桁だけを残し、橋床は流されてしまった橋だった。

橋桁から推測するに、それは道路幅10mはありそうな
コンクリート製の頑丈そうな橋だったが、
それすらも津波は持って行ってしまった。

帰り道に確認すると、
流された橋床は、橋桁から数百メートル内陸に押し流されていた。


気付くと俺達は全くの無言だった。
どの位黙ったまま、車を走らせていたのだろうか。

車はやがて河口、そして海岸線付近に出た。
この先は道路の損傷が激しく、もう先には進めない。

「降りてみようか・・・」

ドアを開け、ガレキの上に降り立った。
地面をよく見ると、家の土台・基礎工事の跡がある。
どうやらここいらには、家があったようだ。

30m程先にちょっとした高台がある。
そこには辛うじて家屋の痕跡を残した家があったが、
1階部分には3台の乗用車が、
ぐしゃぐしゃにしたティッシュのように折り重なっていた。

辺りは完全に静まりかえり、物音ひとつしない。

誰もいない。

全く見た事の無い光景。

この日はやたらと晴れていたのだが、
それすらも非日常的に感じられてきて、
「ここは日本なんだろうか?」と思っていたのが、
次第に「これは現実なんだろうか?」に変わっていった。

やがて後方から警察車両のバスがやってきて
俺達のすぐ前で停車した。

そこから警察官とおぼしき10人程の人間が降りて来た。

彼らが「警察官」だとはっきり認識出来無かったのは、
制服を着ていなかったからだ。

着ていたのは、真っ白な「放射線用防護服」だった。

全身をすっぽりと覆った格好に1.5m程の長い棒を持ち、
彼らは行方不明者の捜索を始めた。

放射線の影響も有り、ここらの地域は
行方不明者の捜索自体も遅れているのだろう。

ガレキの地、白装束の集団、非日常的な光景ではあったが
それでも、それによって俺達はふと現実に返った。

「危ないな。行こうか」

トラックに乗り込み、来た道を引き返していった。

車中、俺達は普段では有り得ないような量の飲み物を摂っていた。
理由は分からない。
喉がカラッカラになっていた。



海沿いの街は壊滅した。

南相馬市と相馬市、
両市の死者・行方不明者は1953名にものぼる。

運良く津波から逃れ、生き残る事が出来た方々も
今度は放射線の恐怖に襲われている。


以上が、4月6日福島県相馬市、南相馬市に入り、
自分の目で見て来た事。

ローソンの奮闘に対する賞賛以外、なるべく私感は省き、
出来るだけ客観的に書いたつもりだ。

これを読んでくれたみんなが何を思うか、
それは個々それぞれだろう。

今はもう明け方だ。
でも教頭先生との約束は果たせた。

俺はちょっとホッとしてる。

長くなって申し訳無いが、
次回のブログで最終的な報告とお礼を言わせて欲しい。

もうちょっとのお付き合いを
by ex_snail_ramp | 2011-04-26 05:46 | タケムラ(その他) | Comments(3)
タケムラ
八幡小学校避難所の先生やおばあちゃんに見送られながら、
俺達は南相馬市に向った。

ここは福島第一原発にも近く、
避難区域や屋内退避区域に指定されている地区。

それ故、物資も行き届きにくい地域で
物資不足からくるあまりの困窮に、
南相馬市の市長自らが、YouTubeで助けを乞うメッセージを発信。

そのショッキングな発言、様子は
日本のみならず世界的なニュースにもなった。

八幡小学校で物資を下ろしていた時も
「南相馬市用の支援物資」はコンテナの奥に取り置いていたのだが、
そうとは知らない小学校の先生が

「あのう・・・、
 奥にある食料と水も頂いてもいいですか?」

とおっしゃったのだが、

「すいません・・・、あれは南相馬市用の物資なんです」

と説明すると、ハッとした顔で

「そうでしたか!いや、あっちはもっとひどい状況なんで
 是非あちらにお願いします!」

と慌てて訂正。加えて、

「そうですか・・・、南相馬にも行ってくれるんですね。
 ありがとうございます」

と言っていた。
南相馬への支援自体が、やはり少ないのだった。

南へ下る俺達。
相馬市も出歩いている人は少なかったが、
南相馬市はもっと少なかった。

というか歩いている人は、ほぼ皆無だったのではなかろうか。

車で移動している人は見かけても、外でおしゃべりしていたり、
歩いて移動している人を見かけた記憶が無い。

そして事前に物資集積所と言われていた、厚生病院へ到着。

中へ入ると、集積所というスペースは無く
病院の一角で、ゴッタ返す人達を診療をしている。

「あれ・・・?」と思いながら看護士さんに訪ねるが、
「物資を?ここへ?」と合点がいかない様子。

「南相馬市市役所の方から、
 ここが集積所だから持ち込むように言われたのですが」

と言ったら、集積所はここでは無く、
少し離れた所にある市場だ、と言う。

そこへの行き方を教えて貰い、トラックを走らせる事10分弱。
教えられた「卸売り市場」に着いた。

そこはバレーボールのコート2面分程の大きさで、
作業着姿の男性20人程が手持ち無沙汰に座っていた。

支援物資を運んで来た旨を告げると、
事務所で書類を書くように促され、奥へ通された。

「ほぅ〜、東京から来てくれたのかい。ありがとなぁ」と
おじちゃんに声を掛けられながら、物資内容等の書類を書き終えた。

事務所を出ると、もう荷下ろしは始まっていて
10人掛かりで作業にあたってくれていた。

おまけにフォークリフトも使ってくれていたので
作業は順調に進み、スピーディーに終わった。

物資置き場になっているスペースを改めて見回してみた。

その時、南相馬市で避難所生活や自宅避難を続けている方の人口が
どの位なのかは分からなかったが、
それにしてもそこにある物資の量というのは
心もとない量だった。

勿論、他のスペースにすでに移されている物資もあるのだろうが、
それにしても、だった。

目的の地に支援物資を届け、
コンテナが空っぽになったトラックに乗った俺達。

「支援物資を届ける」という役目は、一応無事に終えた。

しかし、八幡小学校の教頭先生との約束がまだ残っていた。

現地に行く前、電話で打ち合わせを重ねている時に
教頭先生にこう言われたのだ。

「もし本当にこちらに来て頂けた際には、
 被災地のこの現状、被害を時間の許す限り、つぶさに見て行って下さい。
 そしてそれを皆さんに伝えて欲しいのです。」

今回の支援に際し、様々な現地関係者の方達、
宮城・福島県の行政、災害対策本部、支援本部、
避難所の方達と話してきた。

しかし、こんな事を言うのはこの教頭先生だけだった。

教頭先生自身も相馬市という、
津波で壊滅状態になってしまった街に深く関わる
れっきとした被災者なのだが、
それと同時に、未来を創っていく教育者としての発言であるのだろう。

俺も人生の中で色んな「先生」に出会って来た。

しかしこの教頭先生ほど、教育者として素直に尊敬出来る人には
残念だが出会ってなかったかも知れない。

「この先生の生徒になってみたかったな・・・」

そんな事を心の底から思ったのは、初めての経験だった。

小学校を後にする時も、教頭先生は重ねて俺に言った。

「出来れば、でいいです。被災の状況を見て行って下さいね」

「はい。失礼にならないよう気を付けながら、そうさせて頂きます」

教頭先生の前で、俺は従順な生徒だった。

(次回に続きます)
by ex_snail_ramp | 2011-04-21 04:02 | タケムラ(その他) | Comments(3)
タケムラ
「物資支援」の続き。
福島県相馬市にある八幡小学校避難所に着いた俺達。

そして校庭の片隅に車を停め、職員室へ。

「東京から物資を持って来た竹村です。教頭先生はいらっしゃいますか?」

事前に教頭先生と電話でやり取りをしていたので、
その先生を呼んで貰う。

「あらまぁ、よくいらっしゃいました!ありがとうございます。」

教頭先生は満面の笑みで迎えてくれた。

ちなみにこの教頭先生は女性で、電話の時から凄く感じの良い方だった。
しっかりした話し振りからも、その人格が伝わってきたし、
後述するが、教育者としても非常にしっかりした方だったのだ。

「お話ししていた灯油は勿論、他の物資も色々と有りますので
 ちょっと見て頂いて、必要な物が有れば良かったら使って下さい」

そう話すと、数人の先生がワラワラと出て来て
トラックの荷室を覗き込んだ。

「おー!灯油だ。助かるなぁ」

実は相馬市に入った4/6、この日から結構暖かくなり、自分的には

「これ、もしかしたらもう灯油はいらないんじゃないか・・・。
 俺、かなり空気読めてない感じか?ちょっと気まずい・・・。」

と恐縮していた。そこで、

「もし、もう暖かくなって灯油が邪魔になるようであれば
 こちらでどうにかしますんで」

と申し出た。すると、

「いやいや!この辺ではまだ朝晩がかなり冷え込むので
 灯油は本当に有り難いんですよ」

とのお言葉を頂いた。それで俺は一安心。

灯油や他の生活物資を
現地の先生達と俺達、みんなで下ろし始めた。

その途中に校長先生もわざわざ来て頂き、挨拶をして下さった。

ちなみにこの校長先生、かの「鈴木宗男」氏にかなりの激似の為、
俺の中では「宗男」と呼ぶ事が密かに即決。

支援後、帰京して友達に「向こうはどうだった?」と訊かれると、
「どうもこうも、宗男そっくりの校長先生がいたわ」
というのが第一声になった。

様々な生活物資を下ろす時には、先方に物資リストを見て頂き、
必要な物を優先して下ろす方式を取った。

これは、避難所の物資置き場のスペースにも
限りがある場合があり、そうした場合は
ストック物資がかえって迷惑になる事もある為、この方式にした。

灯油、食料、水、お菓子、下着類、子供用品、カセットボンベ、
おむつ、生理用品などなど、わんさか下ろした後に、
ビニール袋に入った何かがあるのが目に付いた。

何だろ?と思い中を見ると、紙パック入り(1リットル位)の日本酒。
これはどうかなー?と思いながら、先生達に、

「すみません、日本酒もあるんですがどうでしょう?」

と勧めてみた。すると、

「おぉ、酒か!どれどれ。○○先生〜!お酒ありますよ!」

と奥にいた先生に声を掛けた。
するとその○○先生がニコニコしながら出て来て、

「いや〜、こういう時でもやっぱ酒は飲まないとな!頂きます!!」

と言って受け取ってくれた。そして、

「あとですね、築地の市場に勤めてる方が用意してくれた、
 コレはどうでしょう?築地なのに、何故か大量のどら焼きです。」

と言うと、ドッと笑いが起こった。

文面からも分かって貰えるかも知れないが、
ここの先生方は、想像していたよりも明るい雰囲気を持って過ごしている。

宗男似の校長先生も俺に言っていたのだが、

「ここにいる者は悲観なんてしてないんですよ。明るく頑張るんです」

その言葉通りの方々だった。

ちなみにこの八幡小学校には幼稚園が併設されていて、
そこでは自宅避難されている方々に向けての物資配給も行なわれている。

今回支援した物資はそこでも使って頂けるとの事。

物資をそこに運びながら様子を見てみると、
ジャンル分けされた段ボールの中に入った物資を
必要とする人が選んで持っていけるようなシステムのようだ。

チラッと覗いた時だけでも10人以上の方々が
物資を選んでいた。

一通り物資を下し終えると、校長先生が、

「せっかくなんで、体育館に避難されている皆さんに
 メッセージをお願いします」

と俺に言った。

えっっ?!いや、そんな、急に言われても・・・、と
まさかの展開にドギマギしたが、

「東京から物資を持って来てくれた人がいる事を紹介します。
 そこで是非、メッセージをお願いします」

そう言うと、宗男はスタスタと体育館に向っていく。
どうしよう、どうしようとオロオロしながら後を付いて行く俺。

いや、こんなひどい災害に遭い、
苦労しながら避難生活をされている方々へ、
掛けたい言葉、伝えたい気持ちは山程ある。

そうじゃなければ支援には来ない。

でも、そんなのはこちらの勝手な気持ちであって、
そこで過ごす事を余儀無くされている方々にとって、
受け止め方は様々に違いないのだ。

言葉は選ばないといけない。
少なくとも誤解を受けないように、気持ちを伝えねばならない。

今までもラジオで何年も喋ってきたり、
ライブでMCをしたりと、沢山の人前で喋る事には
ある程度慣れているつもりだ。

それでも時として、受け手側の方々に
自分が意図した事と違う捉え方をさせてしまったり
反感を抱かせてしまう過ちをしてきたものだ。

しかし、この場では絶対にそんな事はしたくない。

でも完全なぶっつけ本番で、被災されている皆さんに
気持ちを伝えるのに、俺はあまりに未熟だ。

どうしよう・・・。

逡巡している間に、体育館に着いてしまった。
校長先生に付いて中に入る。

一面に毛布が敷かれ、
避難されている方々がそれぞれにグループを作っている。

皆さんから見える場所まで入った校長先生が声を出す。

「すみません皆さん、ちょっといいですか。
 この方は朝早くに出て、
 東京から色々な物資を届けに、この小学校に来てくれました。
 せっかくなので一言頂きます」

すると体育館にいる方々が拍手をしてくれた。

が、それは「パチパチパチ、パチパチパチ」と言ったもので
ちょっとした歓迎とそれなりの困惑が入り交じった、複雑なものであった。

しかしこれは、避難されている方々にとってみれば突然の事であり、
急に物資を持って東京から来た、という男を前にして、
どうして良いやら分からないのは当然だろう。

完全に宗男の暴走だ。

しかし俺は何か喋らないといけない。

「今回の震災、被害に遭われた皆さんに心からお見舞いを申し上げます」

文字にするとキチンとしているが、実際はかなりたどたどしかったと思う。
俺は喋り始めた。

「震災被害のあまりの大きさにショックを受けた事」

「被災地以外のみんなも、被災地を本当に心配し、何かをしようとしてる事」

「物資募集をした時もすごい勢いで集まり、それは全国規模で寄せられた事」

「関東でも物不足や計画停電が起きているが『被災地の苦労を思えば』と
 皆が協力的な事」

「救援に向ったはずの輸送車が、放射線を恐れて引き返した事に対し、
 言いようのない憤りを覚えた事」

「だからここに来た事」

「とにかく日本中で、被災した方々を何とかしたいという気持ちが
 溢れかえっている事」

「出来る事は何でもするから、遠慮などせずにリクエストをして欲しい事」

こんな様な事を喋ったと思う。

つっかえつっかえ、本当に必死に喋った。
言葉を選ぶ余裕なんて無かった。
話す順番もメチャクチャだった。
多分、同じ様な内容の事も重複して喋ってしまったと思う。

とにかく伝えたかったのだ。

みんなが物資に代えて俺達に託した、被災した方々を思う気持ちを。


「大変なご苦労をされている所に、突然のお邪魔をしてすみませんでした」

俺は最後にそう言い、頭を下げた。

もう、すぐにでも逃げ出したかった。

冷ややかな視線は見たくなかったので、
出来れば顔を上げないでおきたかった。

でも、顔を上げた俺に見えたのは、柔らかな笑顔。

聴こえてきたのは、大きく鳴る温かい拍手。

そこでの暮らしを余儀無くされている方々、
皆がとても大きく温かな拍手をしてくれていたのだ。

俺は面くらってしまい、どうしていいか分からず
「すみません、すみません」と何故か謝りながら、
拍手で送られながら外へ出た。

1人のおばあちゃんは、俺のそばへ来て

「ありがとうね。来てくれて本当にありがとうね」

と何回も繰り返しながら、外まで丁寧に見送ってくれた。

そして俺達は次の支援先へ向った。
放射線の影響で避難地域になった、南相馬市だ。

(すみません。もうちょい続きます)
by ex_snail_ramp | 2011-04-17 00:38 | タケムラ(その他) | Comments(8)
タケムラ
今回は物資支援、前日から当日の話し。
ある程度まで書いたんだけど、何だか長くなってきてて。
なので何回かに分けてアップしていきます。


出発前日の夜、20時頃から下北沢で2tトラックに
みんなから提供して貰った支援物資を積み始めた。

前々日に機材車に一度積んだ物資を、トラックに積み替えるのだ。

佐川急便のトラックよろしく、後ろ向き同士に車を駐車し、
荷室から荷室へ積み替える。

これは物資を下ろす場所が2ヶ所の為に
積んでいく順番を考えながらの作業。

当日は「相馬市」→「南相馬市」の順番で物資を下ろす為に、
荷室の奥側に「南相馬市用物資」、
手前に「相馬市用物資」を積まねばならぬ。

ここでの物資の量はそこまででも無かった為に
1時間位で作業終了。次は浦安にあるジムで積み込みだ。

積み込み終了後、各自宅に戻り、夜中3時には東京出発予定の為、
急がなければならない。

しかし結局の所、浦安のジムでの積み込み開始が22時半。
そして大量の物資。

こりゃ手間取るなぁと思っていたら、有り難い事に
会長夫妻、選手、
そしてわざわざこの為だけにに来てくれた会員さんが
手伝ってくれた。

そして0時過ぎにやっと積み込み終了。

みんなでやってもこれだから、
スタッフ荒川と俺だけの積み込みだったら
かなりヤバかったな。

それにしても、あの物資の量。
本当に凄かった。

無償の善意があれだけ集まるってのは、
それだけみんなが被災地を想い、
動いてくれたっていう事をヒシヒシと感じたよ。

そのお陰もあり、荷物の重さなんて感じなかったね。

感じたのは、

みんなから託された大事な物資を被災地に届けるんだ、っていう
責任感の重さ。

大変な思いをされてる被災地の皆さんに、
一刻も早く食料や水、物資を届けるんだ、っていう気持ち。

ここまで数日に渡り、一日平均2時間の睡眠で準備をしてきたが、
この時は、眠さや疲れも全く感じなかった。

積み込み後は一度解散してから、朝4時に合流。
結局徹夜での出発となった。

支援物資を載せたトラックは、東北道で福島を目指す。

高速道路だというのに、路面の状態にもダメージが見られ、
時折激しい揺れを感じながらの走行。
まだ現地に着いてもないのに被災のダメージを感じるとは、
一体現地では・・・、と暗たんたる気持ちにもなった。

福島西インターチェンジを降りたのが朝7時頃だったか、
そこでは朝の交通渋滞が始まっていた。

そして外を見ると出勤中の人が歩いているのだが、
その、ほぼ全員と言ってもいいだろう。
必ずマスクをしているのだ。

嫌が応にも原発の影響を感じずにはいられなかったし、
放射線に冒される危険と隣り合わせで
日常生活を送らなければならない現実を、そこで肌で感じた。

福島原発からはそこそこ離れている福島市でさえ、こうなのだ。

もっと近い相馬市、挙げ句、南相馬市に至っては
そこに住む方々にとって、もっと切実な問題であろう。

相馬、南相馬の両市は地震の揺れだけで無く、
津波によっても壊滅的な被害を受けた地域。

更に降り掛かる、原発の放射線の恐怖。

それを恐れた救援物資輸送者の現地入り拒否。

そして極度の物資不足での困窮へ。

負のスパイラルにも程がある。

東電が、とか他都道府県行政のもっと積極的なバックアップが、とか
ここでは敢えて何も言うまい。

そこに期待出来ないのなら、
被災地外にいる自分達で何かをするしかないのだ。

少なくとも、あのタイミングではそうだった。

だからあそこに行ったのだ。


福島市からちょっとした山を越えると相馬市だった。
ここから、自衛隊の車両もかなり目につくように。

第一の目的地は、避難所になっている八幡小学校。
初めての土地だが、スタッフ荒川がすんなりと発見する。

いつも思うが、荒川の
「行った事の無い土地でも土地勘を発揮する」能力は素晴らしすぎる。
おまけに運転が本当に上手い。
言っておくが、ちょっとやそっとの上手さじゃない。

俺の知っている中でもダントツに上手い。

そして校庭の片隅に車を停め、職員室へ。

「東京から物資を持って来た竹村です。教頭先生はいらっしゃいますか?」

(次回へ続く)
by ex_snail_ramp | 2011-04-15 02:41 | タケムラ(その他) | Comments(3)
タケムラ
先週土曜の下北沢SHELTER「SCRAMBLE!」、
来てくれたみんな、ありがとう!

楽しいライブが出来たわー。
次回は7/17(日)で、ローカルサウンドスタイルが決定しております!
みんな遊びにきてな〜。

んで、今日からしばらくは
東日本大震災被災地の方々に対する今回の物資支援等の話し。


物資支援する事を確実に決めたのが、3/27。

そして翌日だか翌々日にはHP、twitterで支援物資を募集した。

しかし正直な所、そんなに集まらないだろうなと思った。
そんな中、友人や知人が10人程度でも物資を持ち寄ってくれたら
御の字だと思っていた。

最初は灯油を何百リットルか全部自分で買って、
1人で現地に届けようと思ったのがそもそもの発端だったから、
他の人達の物資がどの位集まるかどうかは、
失礼だがそこまで重要視していなかった。

でも一応、支援物資を持ち込んで貰う場所として、
まず世田谷区下北沢のライブハウスCAVE BEを設定。

加えて、東京の東側の人が
持ち込み易い場所もあった方がいいかもと思い、
千葉県浦安市にある俺の所属ジム「ケーアクティブ」も、
集積場所として後日に追加設定。

ジムの会長にその許しを得る時にも

「いや、物資の集積所と言っても
 多分、畳み1帖分位のスペースがあれば大丈夫かと思うんで」

と言って許可を貰った位だった。

しかしHPに集積所の情報を載せた、その日の夜から
物資を届けてくれる人が現れたのだ。

しかもポリタンク入り灯油を4つも持って。

まさかいきなり物資が集まり出すとは、全く思わなかった俺。

練習直後で思いっきり上半身裸だったが、
その応対をさせて貰った。

そして翌日から持ち込みは勿論、郵送でも次々と支援物資が届き始め、
1日につき畳1〜2帖分位のペースで物資が増えていった。

日々、ジムのスペースを占領していく支援物資。

「みんな、本当に優しいな〜!」とめちゃめちゃ嬉しくなったが、
その反面「ちょっとマズイかも・・・」とも思った。

会員さん達の練習スペースが、日を追う毎に狭くなっていくのだ。
月々の会費を払っている会員さん達の邪魔になるのは、
ジムとしては見過ごせないはず。

「すみません・・・、
 この物資の山はどうにかしないといけないですね・・・」

と、会長に申し出た俺。すると会長は、

「良かったじゃないか!ジムとしても協力するからな!」

と言ってくれ、ジム内や、ジムのブログでも物資募集を呼びかけ、
それを見た会員さん達も更に協力してくれるようになった。

そして個人的な友人達も次々と協力してくれた。

わざわざ実家に眠ってたポリタンクを取り出してくれ、
灯油入りで提供してくれたり、一番入手が難しく
今回の支援のネックだったガソリン携行缶も
ツテを辿って借りてきてくれたりもした。

バンドの若い子はわざわざ四国の地で
ホームセンターを10軒以上探し回って携行缶を購入し、送ってくれた。

三重県の実家のお父さんの知人から借りた、と言って
送られてきた携行缶もあった。

それぞれみんなが、
必死になって必要な物を探し出してきてくれたのだ。

本当に有り難かった。

ミネラルウォーターがほとんど買えない、このご時世に
幼い子を持つお母さんが、その貴重な水を「提供します」と
申し出てくれもした。

俺とは全く面識もゆかりもない地方の人達が、
「友達から聞いて」と、その地元で物資を集めてくれて、
ドーンと送ってくれたりもした。

遠くは鹿児島からも届いてたんだ。
しかもデカイ段ボール3つ分。

他のジムの方達やキックボクサー達も自発的に協力してくれ、
気付いたら物資が届いていた。

twitterにも書いたのだが、
俺はどうやら日本人を少々ナメていたようだった。

今時の若い人達はもっと他人に対して冷めていて、
今回の震災に対して同情はしても、
それ以上のアクションはなかなか起こさないと思っていた。

しかしこれは完全なる誤算で、俺の薄っぺらな間違った想像だった。

実際のみんなは、本当に被災地の方々を心配し、
「何かしよう!」と本当に献身的な行動で物資を集めてくれたんだ。

東京にしても何気に物資不足で、集まりにくい品目もあった。

しかしそれをツイートしたり、HPで呼びかけると
みんなが必死に集めてくれた。

顔を知らない者同士だったかも知れないが、
被災地の方々を思う気持ちから生まれた
素晴らしい連携だった。

それでも物資の品目間に、量の差がある物もあった。
そんな場合は、みんなから募金してもらった支援金で
テコ入れをして買い足し、充分な量を確保した。

そして大量の物資を仕分け、パッキング。

実はこれが一番大変な作業だった。

個人個人がパッキングして提供してくれた物資を解き、
種類別に分け、数をカウント。
それを種類別にパッキングしていく。

気の遠くなる作業ではあったが、
これもみんなが手伝ってくれたお陰で、
何とか出発までに間に合わせる事が出来た。

これが出発前々日までの事。

連日深夜までの作業になった上に、
それから現地の情報を取ったりする為に
毎日の睡眠時間は2時間程度になり、それが3〜4日続いた。

そして前日。

現地まで物資を運ぶ、
ハイエーススーパーロングバンに支援物資を積み込む日だ。

まず下北沢CAVE BEにある物資を積み込んでから、
ジムで更に物資を積み込む予定だった。

しかしCAVE BEで積んだ時点で、かなりの量。
「全部入るかヤバいかも知れません・・・」とのメールが来たものの、
「ま、何とかなんだろ!」とタカをくくってた俺。

ジムにきたハイエースを見てびっくり。
その荷室は物資で満載。
あとは載ってもダンボール1〜2箱分、
というスペースしか空いてなかったのだ。

頭を抱える俺達。
明日はもう出発の日。しかし車に物資が積みきれない・・・。

しかも完全に寝不足だった俺達は、皆その頭が回らず
対応策をきちんと考える気力も萎えていた。

おもむろに自販機で温かい飲み物を買い、
車内で男4人、ただボーッとそれを飲む事、約10分。

気持ちを取り直し、

「前日で空いているかは分からないが、2tトラックをレンタルしよう」

そう決定し、夜中4時にレンタカー屋に電話を掛けまくる。
ようやくトラックの目処が付いた。

これでひと安心。

明日、支援物資を積み込んだらようやくの出発だ・・・。

そんな事を一瞬思っただけで、その日は眠りについた。
by ex_snail_ramp | 2011-04-11 13:03 | タケムラ(その他) | Comments(1)
タケムラ
東北地方太平洋沖地震被災地に対する支援物資募集にご協力頂きまして、
誠にありがとうございました。

支援チームは4/6(水)早朝3時に東京を出発し、東北道を北上。

福島県相馬市にある八幡小学校避難所と
南相馬市の卸売り市場・支援物資集積所に物資支援をして来ました。

皆様から託された数々の支援物資は
避難所生活をされている方々に確実に届きました。

原発付近で自宅待避を余儀なくされている方々にも
この支援物資が渡っています。

皆様から寄せられた善意は、
苦労されている方々の気持ちを温めたはずです。

多大なるご協力、本当にありがとうございました。


今日は取り急ぎ、簡単な報告とお礼までです。

後日の早い段階で、今回のもっと詳しい報告、
現地での所感などをいつもの調子で綴り、
アップしていきたいと思います。
by ex_snail_ramp | 2011-04-08 05:28 | タケムラ(その他) | Comments(3)
タケムラ
皆様、東北地方太平洋沖地震の支援物資募集に
ご協力頂き、誠にありがとうございました。

皆様の献身的で温かな協力のお陰で
充分な量の物資が集まりました。

これ以上は車に載せられない為、
今回はここで支援物資の募集を一度締めさせて頂きます。

伝えたいお礼は山程あるのですが、
まずは取り急ぎ、募集締め切りの告知まで。

集まった物資の数々などの報告は、また後日。

出発は明日の深夜。

皆の想いを大事に届けてきます。
by ex_snail_ramp | 2011-04-04 16:06 | タケムラ(その他) | Comments(12)
 

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