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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
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このところ、祝賀会や記念パーティが続く。
今日は神戸大学の田原教授の退官記念パーティ。 教授のお人柄を反映し、豪華だが和やかな会であった。 ![]() こういう時、誰もが迷うのは、どう挨拶すべきかである。 具体的には、おめでとうか、ご苦労様か、いや本当はまだ現職に未練があるなら御愁傷様か、など、当人の気持ちは様々でありうるからだ。 ま、来賓の挨拶を聞いていると、その辺は曖昧に、当人の功績をたたえ、これからの活躍も期待するような表現が大勢を占めるようだ。 皮肉な奴だと、そいつがいなくなってみんな喜んでるから、祝辞でいいんだというが、これは僕の場合には当てはまったかも知れない。 だが、医者の場合は教職にあっても定年は曖昧である。その後、関連の市中病院の院長など、70代まで歴任することが多いからだ。ま、これも一種の天下りの渡り鳥と言われてもしょうがないが。 まして開業医の場合は一種の自由業なので、定年は存在しない。 この辺が一般のサラリーマンと違うので、アンチエイジングで定年後の生き方を論ずるときに、十束ひとからげに出来ない難しさがある。 ![]() ”川上先生、「心のアンチエイジング」御出版おめでとうございます。 先生は僕にとって同僚で恩師。 20数年を北里で御一緒に過ごし、最後の数年はメスを捨てて、僕は先生に弟子入りをしたことを思い出します。 素晴らしい御本ですね。 頭をがんと殴られた感じ。 失礼ながらこれまで僕は先生を只の「塩基配列の塊」ととらえていた。 どうして、どうして・・・ここに展開されているのは、ご自身の豊かな心の世界。 路傍の花に生命の不思議を見いだし、 一転、宇宙のビッグバンから生命の誕生。 そして分子生物学の超ミクロ世界へ。 そして「体のアンチエイジング」へと行き着く。 そこからさらに「心のアンチエイジングの高み」へと誘う。 そして最後は「神とは何か」の問いかけで終わります。 あえて言えば、デジタルからアナログへの見事な回帰。 ジャック・モノーの「偶然と必然」を思わせるものがあります。 これほど深い「アンチエイジングの考察」をみたことがありません、僕自身の著書も含め。 僕はその対局の、言わば上っ面の「見た目のアンチエイジング」に血道をあげています。 でもそのどちらも大切。 これからまた、昔のようにご一緒に手を携えて、残り少ない人生を歩みましょう。 最後に、自分の宣伝を少し。 明日の夜、「世界で一番受けたい授業」に登場します。 話題は「体のたるみ」 ご笑覧のほどを。” というのが、今夕、川上先生の出版記念会で僕が差し上げた祝辞である。
今日は新入社員の研修の一環として、「アンチエイジングのレクチャー」を行った。
総勢19名。皆実に生きがいい。 反応もてきぱきとし、レクチャーをしても楽しかった。 これからの成長が楽しみである。 ![]()
分子生物学の大家、川上名誉教授が本を出された。
題して「心のアンチエイジング」 教授は北里大学で20数年をともにした同僚であり、僕の恩師でもある。というのは実は僕は定年間際に弟子入りし、学生と一緒に分子生物学の実習をさせていただいたからである。 ![]() さすが分子生物学の大家である。 生命の不可思議から説き起こし、ご自分の経験、感慨を交えながらアンチエイジングを解き明かし、最後は宗教観まで展開される。 あまりにも即物的な「体のアンチエイジング」にのめり込んでいる今の抗加齢医師たちに対して、時宜を得た頂門の一針と言えよう。 序文で教授は喝破される、 「体の老化は止めづらい。しかし心の老いは止められるのだから。」
「陳清波」といえば、僕のようなゴルフと縁なき衆生でもお名前を存じている名ゴルファーである。
その陳清波さんと、ゴルフダイジェストの企画で、対談をさせていただいた。 そのお話をいただいたとき,”僕はゴルフは出来ないのですが“とご辞退したが、”いえ、ゴルファーが「お若ですねといわせる」為には・・・という視点でお話くだされば”と、僕の近著のタイトルを引用した編集孃に乗せられてしまったのである。 お会いしてみると、僕と同い年というのに、遥かにお若く見える。しかも運動と無縁にきた僕と違い、いかにも精悍である。 しかもお話を聞くと、そのライフスタイルは、僕が「お若いですねといわせよう」で提唱しているアンチエイジングなライフスタイルそのものである。 考えてみれば、ゴルファーは青空のもと、芝のカーペットの上をのびのびと歩き回り、全身の筋肉も使い、しかもプロとなれば、スコアの為に食事も配慮し、生活も節制にこれ努める。 ゴルフを軸とした生活はアンチエイジングにならざるを得ない。 アンチエイジングの医師としては“何もいうことはないですな“と申し上げると、”どうです、先生も始められたら”と迫られて、たじたじとなった。 “80歳? 今からでも決して遅くないですよ“ととどめを刺された。 「今からでも遅くはない」は、僕のアンチエイジングのモットーの大切な一つだからである。
マックエアと格闘しながらブログを綴っている。
今日は学習院のアンチエイジング・セミナー。今年の第一回目。 滑り出しは上々。フォトをご覧ください。 ここまで操作するだけで、くたくたになりました。 ![]()
僕が医学部を出たときには、日本にはまだ形成外科が存在していなかったことは以前書いた通り。
8年後に帰国したときは既に日本形成外科学会が設立され、2、3の大学で形成外科が診療班として活躍をスタートさせていた。 同じように、僕の留守中に日本で初めて導入されたものとして、ピザを忘れてはならない。 今の、イタリアン・ブームを思うと嘘みたいだが、昭和39年に帰国したときは、飯倉のニコラスが日本初のピザ屋として評判になっていた。 当時本格的なイタリアンは材木町のアントニオぐらいだったと思う。 その後リストランテとしてキアンティが誕生し、一つの文化現象となり、ピザも石焼釜や宅配も人気を呼ぶようになった。 そして今食べようとしているのは、麻布の国際文化会館の作品で、僕の見立てでは東京で一押しのピザである。 ![]()
マックエアを衝動買いしてしまった。
それも昨日のことである。 これにはちょっと悲しい事情があるが今は触れたくない。 まだ操作に慣れるのに必死だが、具合は上々。 実は僕は、日本最初のマックを持っている。 あの頃はNECの98が主流だったが、電通でマックのPR担当をさせられた友人にそそのかされて、初めてのパソコンにマックを選んでしまったのだ。 あの頃のマックは、今と比べると新幹線と人力車ほどの差があり、日本語の対応も不十分で、パソコンそのものからしばらく離れてしまったが、ここ10数年はウィンドウのお世話になってきた。 それが、去年暮れから使い始めたiPadとの相性がよいということで、銀座のクリニックの隣のアップルストアに足を踏み入れたのが運の尽きだった。 なるほど、初代のマックに比べると雲泥の差である。 使うのが楽しくなる。 しかも値段は10万ちょっと。 ちなみに僕の初代マックは200万円で、数年の月賦で買った覚えがある。 今は骨董品の価値が出てきたというが、元は取れないだろう。
今日は大原易子女史のアルト・リサイタルだった。
夫君は僕の朋友の皮膚科の医師で、虎ノ門病院の皮膚科部長、副院長をこの三月無事勤め上げられたところである。 易子夫人は、今でもウィーンにレッスンをうけ、2,3年ごとにリサイタルを開かれる。 このような名歌手を細君に持つというのはどんな気分か、いささか羨ましく思う。 ところで芸術家は長生きというのが僕の持論である。 感性で生き、社会の規範と別の次元で暮らすからというほかに、ことに声楽家は、深呼吸で身体の隅々まで酸素を行き渡らすからといったら、あまりにも即物的だろうか。 我々はユウゲニズムで名高い岡田謙三画伯と親しかった。 “日がくれたら寝床に入り、日が昇れば起きる事にしている”といわれ、なるほどと思った。 また、横山大観画伯は「米のエキス」(日本酒のこと)を主食とし、89歳まで活躍されたことはよく知られている。 芸術家のこの気ままさがアンチエイジングに通ずる道だろう。 さて大原君はゴルフの名手である。 彼は二冊の予定帳を持ち歩き、仕事の話を頼むと、一冊を開いて、いや、残念だがずっと詰まっているので、という。 が、ゴルフの話になると、今ひとつの予定帳を覗き、ア、ちょうどあいてるとおっしゃる。 これもアンチエイジングな生き方かもしれない。
「成城学園」は変貌した。
成城学園は配偶者の育った街である。 僕の育った下北沢も若者に人気の街になったが、昔ながらに雑然としている。が、今日、久しぶりに訪れた「成城学園」はより垢抜けた街になっていた。 ![]() 学生時代、我々は毎日のように下北沢と成城学園を行き来していた。 これなら、いっそいっそ、居をともにした方が効率がよいのではとニューヨークに移り住んだのが、我々の結婚のいきさつである。 ![]() 昔はなかったが、今成城には「椿」という人気のトンカツ屋さんがある。 今日は成城のはずれに住む次男の嫁さんと町を散策し、「椿」で夕食をとった。 配偶者にとって成城は、いつまでも懐かしい街のようである。育った街が懐かしめるのはうらやましくもある。 何故か僕は下北沢にあまり愛着がない。 いささか寂しいことではあるが。
いよいよ、今日は本年度「アンチエイジングカフェ」のスタート。
今年は6回のセットメニューで、アンチエイジングの最新情報を網羅する予定。 参加者は美女20人と男性一人。 ![]() なるべく一方通行のレクチャーでなく、ディスカッションを交えながら、参加者にもお考えいただき、答えを探って行くようにした。 一つには、この分野は今まさに進行中の学問であり、すでに回答があるとも限らず、また必ずしも正解がひとつというわけでないからである。 ただ、初めての試みなので、予定した資料の半分も消化できなかったのは、こちらの不手際としてお詫びしなければならない。
先週の学会の最後のセッションは「形成外科の修練が美容外科にどう役立つか」といったテーマだったとおもう。
“え、形成外科と美容外科は同じじゃないの?”といわれる向きも多いかもしれないが、形成外科には火傷、怪我などの外傷、そして唇裂等の先天奇形の修復などを扱ういわゆる再建外科のほかに、今ひとつの軸として美容外科が含まれるのである。 その区別は、対象とする醜形の原因が病気であれば再建外科、正常ならば美容外科ということになる。 とは行っても、用いられる手法はまったく同一で、また目的も美であるので、美容と再建を無理に分けるのはナンセンスという考えもあるが。 例えば正常の鼻を高くすれば美容外科だが、怪我でつぶれた鼻を修復する際、もとの鼻が形がよくなかった場合、無理して元通りの鼻を作るより、よりその人の顔にあった美しい鼻を造ろうとするだろう。これでも定義上は美容外科でなく再建外科になる。 このような混乱が起こるのは、再建を復元と同義語に捉えるからであろう。 だから、例えば交通事故で顔のキズを修復して、“これ以上は今の形成外科の限界です”、と患者に告げて、“では、この先は美容整形ですか”と言われるとがっくり来てしまう。 つまり、美容か再建かは原因による区別なので、怪我によるキズの修復は、何をどうしようと、定義上、再建と呼ぶことになっているからだ。 再建と美容の線引きはともかくとして、原因が病気にある再建外科の患者に比べ、正常な肌にメスを入れられる美容外科の患者の方が、一般的に結果に対する期待度が高い、つまりより洗練された技術が要求される厳しい分野である。 したがって、美容外科は再建外科に熟知した専門医が行うべきで、素人の医師が安易に手を出すべきでないというのが、今回のセッションの結論のようであった。 わけの分からない議論に聞こえるかもしれないが、要は、マスコミであくどい宣伝をしている、「自称美容外科医」の罠に引っかからないようにということらしい。
僕の関係しているNPO法人アンチエイジング・ネットワークでは、年に数回、アンチエイジングレッスンと称して、ライフスタイルに組み込めるアンチエイジングの様々な試みを体験してもらっている。
例えばハイヒールの歩き方、メーキャップ・アーティストの指導、アロマテラピーの講義などである。 今日はネイル・アートの実践。 ネイル・アートのパイオニアの滝川スクールから3人の講師をお招きして、10人ほどの小グループで、ワークショップを開催した。 ![]() 男にとっては、爪などは月に一回ほど、爪切りでパシパシ切るだけの存在だが、女性にとってはこれほど奥深いものとは知らなかった。 二時間ほどかけて、キャーキャー叫びながら実習を終えたが、今日のところは、ネイル・ケアの基本で、ジェルを使った本格的なネイル・アートに到達するまでは、後どれほどのレッスンが必要だろう? ![]() 次回はヨガを予定している。
今度の車のオーディオはなかなかよく出来ていて、CDはチェンジャーでなく、メモリーに落とし込むようになっており、数千枚は収納可能である。
まだ百枚も入っていないが、ドライブ中、センターコントロールで、自在に切り替え可能なので、運転中はほとんどCDをかけっぱなしで、走るオーディオルームの感がある。 色々な曲を流していると、ドライヴ中のリッスニングに適しているものと、あまり繰り返し聴きたくないものがあることが分かった。 聞きたくないという中には、元来の作曲家や曲の好みもあるが、お気に入りの曲でも、続けては、とご遠慮するものがある。 結論から言うと、ベートーベンなどは、やはり構えて聞くので、高速などで単調な走行のときはよいが、街中でのストップアンドゴーには不適である。 だが、最近では家では何かと中断されることが多いので、クロイツェルやラズモフスキーなどは走るオーディオルームの方が楽しめる。 また演奏スタイルの違いなど、今まで以上に聴き分けられる様になった気がする。 注意が散漫になってドライヴ中は危険では、と配偶者は心配するが、むしろ反対のように思える。 音楽が響いていると、意外に視覚が全面の風景に集中するが、音がないと、視覚をつかさどる脳の部分が瞑想、いや迷走を始めてしまうような気がする。また、声楽曲のように、言語が入ってくると多少注意が散漫になるかもしれない。 その点、バロック例えばビバルディの四季やモーツァルトの器楽曲など、ドライヴ中には最適のようだ。 そしてこれは好みの問題かもしれないが、毎日のように鳴らしても飽きず、気が休まるのが、ナルシス・イエペソのギター曲である。 音楽療法という学問があるくらいだから、ドライヴと音楽の相性の研究もあってはいいのではなかろうか?
久しぶりに我が家に戻ると、どっと疲れが出て、ひたすら寝に寝ている。
朦朧とした頭で、形成外科学会をふりかえってみると、 ①かつては再建優位の本ホンちゃんの形成外科ではタブー視されていた美容外科の演題が圧倒的に多く、参加者も満員御礼だったこと ②招聘講演に聞き応えがあるものが多かったこと。例えば、 「はやぶさ」を開発した川口教授のお話 バイオエシックスのパイオニア木村教授の「バイオ絵シックはなぜ必要なのか」 僕にとって最も興味深かったのは、スカイツリーの設計者吉野繁さんの「時空を越えたランドスケープの創出」であった。 実はこの設計に関わった、元芸大学長の澄川教授はニュー・ヨークにいる長男の恩師で、去年三越の展示会だったかで、スカイツリーには日本の木造建築、特に五重塔のノウハウが利用されたとお聞きしたからである。 ③そして感慨深かったのは、ぼくが医学部卒業したときには日本に存在しなかった形成外科学会が、いまは参加者2千人を超える一大学会に成長したことである。 会長の内沼教授、そして教室員の皆さん、本当にご苦労様でした。
今日は学会なか日。
![]() 木村利人先生のバイオエシックスの話は、ベトナムの枯れ葉作戦の悲劇を通奏低音にして、心に響くものがあった。 そして可能なこととやってよいことの境も意識せず、突っ走ってきた医学、というか科学技術全体だが、に対して、項門(こんな字でよかったですかね?)の一石だった。 ![]() 夜は、小錦夫妻のショーも交えての盛大な懇親会だった。
学会初日。
![]() 無事、特別講演「形成外科の裏街道」を終えた。 さすがに裏の裏の暴露はご遠慮したので、一部の方には物足りなかったかもしれない。 ![]() その後、美女軍団がトレーダー・ヴィックで慰労してくれた。 夜は名誉会員の集まり「悠々の会」(別名「ヨイヨイの会」)があり、 “今時の若者は・・・”と、老いぼれどもが夜半までしぶとく気炎を揚げてきた。
第55回日本形成外科学会の幕は切って落とされた。
というといかにもありきたりの表現だが、其のスタートとなった会長招宴は見事なものであった。 ![]() 参加者の数、ニュー・オータニのシェフ腕よりの料理もさることながら、食前のウクライナの歌姫のリサイタルは圧巻だった。 6歳の時、チェルノブイリ原発事故に遭遇し、故郷を失い、今は日本に定住しているという。 ギターのような楽器を弾きながら、ある時は切々と、ある時は楽しげに愛らしいウクライナの歌を歌う、語りを交えながら。 前回の学会は3・11の一月後、中西会長の英断で、四国で開催された。 あれからの一年を思い浮かべ、胸にこみ上げるものがあって、乾杯のあいさつの促された時、不覚にも言葉を失ってしまった。 ![]() 演奏中は撮影はご遠慮をと言われたので、ディナー後、彼女の本とCDにサインをしてもらった時のフォトをアップする。
モンテカルロから車を走らせ、目的地のヴァンスに就いたのは昼前だった。
だが、お目当てのマチスの礼拝堂は2時まで昼休みで門はしまっていた。 幸い車で15分ほどのところに、サン・ポール・ヴァンスという美しい村があり、其の墓地にはシャガールが眠っているという。 村はすぐ見つかったが、車を止めるところがない。 野菜市場の隣にレストランがあり、どっしりした木の門の向こうには中庭が広がり、木立の中の30ほどのテーブルを、ボーイ達が忙しそうに白いクロスでセッティングしている。 ![]() とりあえずここでランチをと、車を駐めようとすると、マネージャーらしい男が〝予約はあるか”と聞く。 〝いや”と答えると、もう“予約で満席” だという。 すると、野菜市場の親父が手招きして、小声で“チップを渡せ”とささやいた。 何がしかの紙幣をマネージャーに渡すと、あら不思議、パッと二人の席が用意された。 なるほど、「地獄の沙汰も・・・」の諺どおりである。 ![]() アスパラと子羊でランチを済ませ、車を預けたまま村を散策する。フランスの村によくあるように、狭い石畳の通りの周りには、土産物屋、画廊などがひしめいている。 石畳を上り下りして、村を抜けたところに墓地はあった。 ![]() シャガールの墓はすぐわかった。 マネージャーから教わった通り、ユダヤの習慣で墓石の上には、花の代わりに小石が積まれているからである。 我々も小石を拾い、ローマ字で名前を書いてそっと墓石の上に載せて墓地をあとにした。 マチスの礼拝堂は意外に小ぢんまりとした造りだが、コート・ダジュールの爽やかな日差しが、マチス最晩年の壁画を美しく照らし出していた。 フランスには「フランスの美しい村」という協会があり、150ほどの村を認定している。 サン・ポール・ヴァンスは其の中に入っていないようだが、おそらく認定されたどの村にも負けないくらい、魅力的な村といえるであろう。
時差ぼけのあおりか、今朝目覚めたのは昼近くだった。
今日は復活祭である。 キリスト教徒にとっては、クリスマスよりも大事な祝日だ。 所属の山手教会には夕方のミサがなくなったので、上智大学のあるイグナチオ教会の6時のミサに参加した。 ![]() 丁度一週間前の枝の祝日はモンテカルロに居た。カンヌ周辺をドライヴし、夕方アンティーブのピカソ美術館を見学した後、隣の伽藍で6時のミサがあるのを知り、一時間半ほどのフランス語のミサにあずかることができたのを想い出した。 たまたま、美術館のテラスで失敬したオリーブの若枝を手にしていたので、プチ窃盗の贖罪も兼ねて祝福を受けた。
今日は「世界一受けたい授業」の収録だった。
テーマは「体のたるみ」。 時差ぼけの朦朧とした頭で授業を行った為、しどろもどろの講義になり、クィズの場面では、講師として〝正解です“と言いながら、○の代わりに×のプラカードを出したり、 境正章名校長が救ってくれなければ、散々な授業になるところだった。 放映は28日である。あな恐ろしや!
実は昨日パリから戻って、今時差ぼけの最中である。
モナコに4泊、パリに3泊。足かけ9日のアンチエイジングの旅であった。 ![]() モナコでは、国際アンチエイジング学会、そしてパリでは??? モナコの学会はモンテカルロのど真ん中、コート・ダジュールを見渡す絶景のロケーションで、しかもカジノと隣り合わせにある。 参加者は多数の筈なのに、会場は空きが目立ったのはそのせいだろうか。 ![]() ![]() 今年で10回目になるこの学会だが、今回は会長の特別な計らいで、日本人を前面に押し出したプログラム構成だった。 そしてジャパニーズ・セッションは大人気で、講演後も演者に質問者の列が並ぶほどだった。 ![]() 其の絶好のロケーションに居ながら、僕は不幸にしてギャンブルに興味が全くないし、失う金の持ち合わせもない。 そこで余暇を利用して、レンタ・カーでカンヌ周辺の美術館巡りをした。 ピカソ、マチス、ルノアールなど。 彼らがカンヌ周辺に居を構えた理由も納得がいった。コート・ダジュールの自然無しに、あの色彩と大胆な構図は生まれなかったろう。 また、今回ほどカーナビのありがたさを痛感したことはない。あれなしにはモナコを脱出することも、ましてや帰還することも不可能だったろう。 時差ぼけから恢復し、記憶が解凍したところでおいおい旅行記をブログに挙げていくので、乞うご期待。
セクハラ、モラハラ(モラル・ハラスメント)続いて、アルハラが問題になっているそうだ。
アルコールの飲めない者、また飲みたくない者に宴会などでアルコールを強要するアルコール・ハラスメントのことである。 こういう場での飲兵衛は実にしつっこい。 新入部員や新入社員の歓迎会がアルハラの格好の場所になるという。 昔、と言ってもまた半世紀も前の話になるが、外科の医局のハラスメントはすさまじいものがあった。 入局の儀式と称し、昼間野球をし、百メートル泳がされてから、護衛付きで宴会場に誘導される。そこで長い訓示の後、無礼講となる。 僕等の前の年は、飲めない奴には胃カテーテルが突っ込まれ、ビールと小便を半々に割ったものがつぎ込まれ、一人、急性の肝障害で死亡したという。 が、これはあくまで風評である。 さすがに僕等の年はそれは自粛されたが、アルハラは健在で、御遠慮すると介添え役に羽交い絞めにされ、口を割って飲まされそうになった。 僕は親父の体質をついで、それまでは全く酒は飲めず、ちょっと口にしただけでも苦しくなった。 これでは殺されると思い、介添えを突き飛ばしたので、そいつは窓から落ちたが、幸い一階だったので大事には至らず、ぼくも難をのがれた。 アルコールだけではない。二次会と称してキャバレーや芸者遊びを強要するのも、無粋な男にとってはセクハラともいえる一種のハラスメントである。 僕はどういう訳か元来、全くその手のことに興味がない、というか苦痛でさえある。金を払って女を遊ばせているようにさえ見える。 だがこれまでの男社会では、そんな時に仲間づきあいを断ると“お前、それども男か!”と恫喝される。 いよいよ追い詰められた時の僕の魔よけの呪文は、 〝俺は金で買える女には興味がない。〝という一言だ。 座がしらけることは確実だが、これほど効果的なセクハラ男どもの撃退法は無い。
〝ホーム アウゥイ フロム ホーム“という言葉があったと思う。
高級旅館にもかかわらず、たとえば京都の俵屋などはその安らぎを与えてくれるのは、村松正視が「俵屋の不思議」に描いたとおり。 その安らぎを求めて、海外でも僕はこじんまりした旅籠屋風の宿を探しては泊る。 こじんまりとは言えないが、同じ雰囲気はニューヨークでも、アルゴンキンなら味あうことができる。 どちらも以前、このブログで取り上げたが、パリでは? 僕の好みは、ヴォージュ広場のパヴィョン・ド・ラ・レーヌである。 モナコ、パリとほぼ10日の旅を終えて、僕は今、涙ながらに其の旅籠屋をあとにする。
年に数回は学会で海外出張を続けていたころ、旅の途中で、何かホテルのフロントなどの対応がよそよそしくなってくるので不審に思い、ハタと或ることに気がついた。
普段はそれほど意識しているわけではないが、なるべく人に笑顔で接しているのが、異国での緊張が続き、疲れがたまると、ついこちらの表情がこわばってくることに気付いたのである。 それからは海外旅行中には意図的に顔面筋を緩め、笑顔で人に接するようにすると、相手の対応も和やかになり、こちらの緊張も本当に溶けてくるという、良い循環が生まれることが分かった。 アメリカの週刊誌「サタデー・レビュー」の編集長で、「ヒロシマ」の著者でもあるノーマン・カズンスが、難病の膠原病にかかり、医師に見放され、自分で当時ライナス・ポーリングが提唱したビタミンCの大量療法と「笑い」によって病気を克服したことは、その体験記によってよく知られている。 これは50年も前の話だが、最近になってやっとアンチエイジングの世界でも、ビタミンCの大量療法と、「笑い」の効用が認められてきた。 ことに「笑い」は癌患者の苦しみを軽減すると言うことまで言われている。 このように「笑い」は、リラクゼーションと相まって、アンチエイジングだけでなく、人間関係の潤滑油として、積極的に個人、個人のライフスタイルに取り入れられてよいのではなかろうか。
この秋のアンチエイジングネットワークの公開シンポジュームのメインテーマは、「睡眠」にしようかと思って今検討中である。
実は去年このテーマを取り上げるはずだったが、入浴とヒートショックプロテインの話になったので、今回は「快眠」其の者を俎上に挙げる予定である。 アンチエイジングの9割はライフスタイルにあるとされているが、其の三大要素が「バランスのとれた食事」「適度な運動」そして「快適な睡眠」であることは繰り返し述べてきたとおり。 だが、睡眠にかんする研究は、他の研究に比べ遅れをとっている。 しかし加齢とともに機能不全になりがちなのが睡眠であり、若いころのバタンキュウに変わり、寝つきが悪くなり、また中途覚醒、早期覚醒も悩みの種でなり、安眠の妨げとなる。 睡眠が他の二つに比べて異なるのは、意識するほどに障害が悪くなることである。 これはリラクゼーションとも密接な関係にあるので、ライフスタイルの改善、寝室という睡眠環境の改善、睡眠剤の適切な使用など、幅広く検討を加えたい。
ヘンぺッキング・オーダーという言葉がる。
訳せばイジメの序列となるか。 雌鶏が弱いのをいじめると、イジメられたのが、さらにもっと弱いのいじめて連鎖反応が続くことからきている。 再来週の、日本形成外科学会の特別講演「形成外科の裏街道」の準備をしながら、図らずも、昔留学時代に覚えたこの言葉を想い出した。 昔、僕がレジデントの頃、形成外科は外科の中では日影の存在だった。僕は外科の同僚から、なんだお前、ニキビ取りじゃないかとか、皮張り屋とか蔑視されたものだった。 その腹いせが、美容外科に向けられ、形成外科の中では美容外科が日蔭者だった。その為僕が美容外科に手を染めると、形成外科医からは、女性の虚栄心におもねる医者にあるまじき行為、と侮蔑を受けた。 そしてある事情から、エステに関わるようになると、美容外科医からは裏切り者扱いをされた。 そしてこの数年、いかがわしいと言われながらもアンチエイジングに血道をあげている。 こうして僕は何時もイジメの序列の最低線を歩んできて、イジメに対する免疫は強固なものなった。 だが、其の形成外科も、また美容外科も、エステもそしてアンチエイジングも、今や人気の分野になりつつある。 そのせいか知らないが、何か事を始めるにあたって、周囲が反対すると、これはものになるかもと思い、すんなり賛成してくれると却って心配になる。 だがこれは、もともとひねくれ者だったこともあるだろうが。 そして今、やってみたいことをいくつか抱えているが、幸いみんなが首をかしげるので、案外うまくいくかも、と都合よく考えている。
このところ学会続きで、新知識とお近づきになれるのは楽しいが、連日午前様でせっかくの新知識をブログでシェアする時間がないのは申し訳ないし、残念でもある。4月半ばの日本形成外科学会が終わるまでこの状態が続けそうなので、ご容赦のほどを。
たるみを論ずるとき、忘れてならないのは瞼のたるみだと、大慈弥教授に先日指摘された。
実は今日の国際学会で彼は上瞼のたるみを手術で矯正すれば、視野が明るくなるだけでなく、頭痛、肩こりも良くなるという、長年の研究を発表して、外国人からも喝采を浴びた。 下まぶたのくまも、たるみが関係しているようである。 詳細はまた後日。
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) by n_shioya 以前の記事
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