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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
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3月17日(土)、独協医科大学でアンチエイジングネットワーク塩谷理事長として講演を行うことになった、
主催団体はNPO法人セニア・サービスセンター。 ![]() この法人は、〝人が人間らしく、いきいきと充実した生涯を全うするため、学習の機会を設け、自立と社会参加、助け合いのネットワークを作り、長寿を喜び合える社会づくりを目的としている団体”だそうだ。 是非、ご参加ください。 【日時】2012年3月17日(土) 開場 13:00 開演 13:30 【場所】独協医科大学・関湊記念ホール(下都賀郡壬生町北小林880・アクセスはこちら) 【プログラム】 第1部/13:30~ オープニング・レクレーション協会(指導者養成委員長:村山哲也) 第2部/13:50~ 講演・話し合い・質疑応答:講師 塩谷信幸 第3部/16:00~16:30 音楽の贈り物(声楽家 小林一博) 【入場料】1500円 【振込先】郵便局00190-3-629089 セニア・サービスセンター ※入場料を郵便局よりお振込後、受講券をお送りいたします。 ※定員を超えてご参加頂けない方にもご連絡いたします。 【定員】先着400名 【お申込・お問合せ】NPOセニア・サービスセンター 担当:えばと 〒321-0954 宇都宮市元今泉5-9-7 宇都宮市まちづくりセンター内 MAIL npossc@gmail.com TEL/FAX 028-660-2228
飛騨高山辺りの太い梁の農家を移築し、囲炉に自在鉤を吊り下げて、というのが僕の子供の頃からの夢だった。
だがアメリカ留学後、仕事に追われ、また欧風の生活の便利さに負けて、もう昔の夢はあきらめていた。 だが、その夢を実現した男がいる。 陶芸家の河井寛次郎だ。 京都の五条通の清水近くに登り窯を構え、大正から昭和にかけて、次々に魅力的な作品を世に送り出した。 ![]() 今日訪れた〝河井記念館“はその寛次郎の住処と仕事場であった。 農家を移築したのではなく、中国地方から気に入った木材をとりよせ、梁を組み、囲炉裏には自在鉤をつるし、南部鉄と思われる鉄瓶がつるされている。 10ほどもある部屋も、自分でデザインした民芸風の家具が温かく配置され、理想の空間を演出していた。 ![]() 其の椅子の一つに座り、半生と作品の解説書を読みながら、不覚にも涙があふれてくるのだった。 暖かな性格と恵まれた資質。 何よりも自分に忠実な生きざま。 そこからあの魅力あふれる作品が生まれたのであろう。 娘さんの言葉によると、彼は陶芸家と呼ばれることを嫌い、自分では陶工と称していたという。
「原発危機と東大話法」という挑発的な題である。
そして内容はもっと刺激的で、しかも一々ごもっともである。 著者は東大教授安富歩という方だ。 ![]() 冒頭に掲げられた「東大話法規則一覧」から拾ってみると、 規則1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。 規則6:自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。 規則9:「誤解を恐れずに言えば」と言って、ウソをつく。 規則15:わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。 規則20:「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したふりで切り抜ける。 参りましたなぁ。(ホントのところ、ほとんどが僕にも当てはまる。) そして、この集大成が今度の原発事故に対する、東大の御用学者の対応だと言う。 しかも、其の利権亡者たちの振る舞いが実名で槍玉に挙げられている。 僕が3・11から数週間、このブログで吠え続け、頭がおかしくなったのではと言われた事項が、鮮やかに解き明かされている。 しかもその根っこにある日本人の抱える「役」と「立場」の果たす役割の分析は見事である。 これでは何のことかわからんでしょう。 なら、騙されたと思って、是非、この本をお読みください。 我々がこの大惨事を機会に、幸せを取り戻すためにも。
このところ、〝100歳まで”が大流行りである。
100歳まで生き延びる方法、それに効果的な食材等々。 まるで100歳まで生きることが人の目的であり、誰でも努力すれば可能なように思わせる出版物で溢れている。 100歳流行りで、正直、いささか頭にきているところだ。 僕の親父は106歳直前で他界した。だが常人ならぬ意思の力で節制に努め、健康生活に励み、それでも最後の数年は要介護だった。 最近、2,3の出版社からの何かアンチエイジングの本をというアプローチがあったので、〝100歳まで生きて何になる?”という題では如何、と言ってしまった。 半ば冗談だが、半ば本気である。 アンチエイジングの目指すところは「健康長寿」である。だがその目的はその質にある。 大切なのは生きている時のQOLである。 今僕は80を迎え、これからどう生きるか考えると大問題である。 まずほとんどの機能は衰えていく。為に自由度はますます制約される。 物理的にも、精神的にも。 そして昨今の最大課題は、年金問題だ。 それを20年耐えていけ? しかもその為につまり予防の為に〝虎の子”も犠牲にする? そこで最近つかわれ始めた言葉が「レジリエンス」である。 平たく言えば「耐え忍ぶ能力」。 とすれば大切なのは、長寿を達成した時に備えて、いかに不自由に対する「レジリアンス」を保つかの方法論だろう。 だが、レジリアンスでは如何にも受け身で哀れっぽい。 デファイアンスならどうだろう。「敢然と立ち向かう」。 でもそんな肩ひじ張ることもアホ臭い。 という訳で、「加齢と折り合いをつける」のが僕のアンチエイジングだが如何でしょうとお話すると だが、「100歳まで生きて何になる?」の方が挑発的で、販売政略にはぴったりですね。”というのが編集氏の言葉だった。 ![]() エステの滝川会長のお招きで「浅草踊り」を楽しんできた。 場所は浅草公園内に仮設された劇場「平成中村屋」。 裏をながれる隅田川の向こうにはオープン間近のスカイツリーが聳えている。 このところ浅草っ子会長のお陰で三社祭、植木市等々、毎年浅草情緒を楽しませていただいている。 ![]() 浅草は魅力的な街だ。未だに江戸時代からの庶民の生活が息づいている。 外国人にも人気なのは故ないわけでない。 明治、大正、平成と日本人の価値観はめまぐるしく変化を続けた。 だが浅草は頑として浅草であり続けた。 ![]() 〝国家の品格”などと、アホなことに肩ひじ張る無粋者はここにはいない。 大体、品格の無い国民が〝国家の品格”を云々するのが滑稽だ。 そんな暇があったら、文明開化、そして戦禍や戦後の無節操な価値転換と無関係にしぶとく生き続けた「江戸の町民文化」を守ることを考えた方が良いだろう。
聖路加病院は先端医療の提供者として知られている。
先端医療と言っても、なにもハイテクのことではない、患者中心の立場から医療を見直し、新しいアプローチを提唱してきた。 看護師の位置の向上もその一つであるが、今日は「精神腫瘍科」という新しい分野の保坂科長と、形成外科部長の大竹科長とプレスクラブで夕食を共にした。 精神腫瘍科とは、癌に悩む方に対する精神科的対応である。人口の三割が癌に悩む今の時代、これまでこのような専門家がいなかったのが不思議なくらいである。 そして今日の話題の中心は、保坂先生が最近出された「人生を楽しむ老い方上手」であった。 丁度、アンチエイジングの究極の目的である「高齢者のQOL」其のものが議論の対象である。 先生にはこれまで多数の御著書があるが、その魅力は、豊富な臨床経験に加え、ご自分の人生経験をもとに、読者一人一人が自分に会った生き方を示唆してくださっていることである。 80歳になった僕にとって、これからの人生は未知への航海であり、すべてが新たな実験と感じている。 こう言っては失礼だが、弱冠60の保坂先生が、80男の心境を的確に把握されているのは、さすがと感服した。
〝それはね、ロダンと呼ぶのよ。”
と彼女は易しく教えてくれた。 〝いや、ルドンというのは19世紀の画家で・・・“ と説明しようとして止めておいた。ちょっと気の毒になったからである。 相手はアメリカの大学教授で、日本の大学で心理学を教えている。 ルドンを知らなくてもかまわない。だが、日本の大学生などロダンも知らないとお言う思い込みの哀れさである。 まだ、進駐軍が、敗戦国の日本の教育を革新しようと、お節介をやいていた頃である。 当時からアメリカ人は、アメリカ文明こそ最高とナイーヴに信じ、最低の教養のある筈の占領軍の軍医でも、ミュンヘンをマンチョンと呼び、パリのチャンプ・エリ・シーというと言うので何かと思ったら、シャンゼリゼのことだった。 最近まで人種差別を合法化していたくせに、自分たちも達成できなかった民主主義を振りかざし、このところ他国政府の人権無視を叩き始めたのは、何かほかの思惑があると思わざるを得ない。 ![]() のっけから脱線してしまった。 今日、三菱一号館の美術館で、ルオー展を観てきたばかりである。 以前にも書いたように、ルオーは僕の〝魂”の作家である。 彼の作品が展示されていると、まるで自分の心の奥がさらされているような気恥かしささえ感じる。 今回お初の「グラン・ブーケ」は素晴らしかった。様々なパステル調の色を纏い、華の精が乱舞している。 だが僕が最も愛するルドンは、アメリカのクリーブランドの美術館にある「花と少女」だ。 又、観に行かねば。 シャガールは人にとって一番大切なものは「詩魂」だと喝破した。 そしてルドンは、僕のささやかな詩魂を呼び起こし、決して裏切ったことがない。
最近、「美魔女」と呼ばれる妖怪が日本に徘徊しているという。
読売新聞によれば、 〝年齢を超越した美しさを持つアラフォー(40歳前後)世代の女性のことで、今やテレビコマーシャルやイベントなどに頻繁に登場する人気ぶりだ。 美魔女という言葉は、美容雑誌「美ST(美スト)」編集長の山本由樹(ゆき)さんが名付けた。2009年の創刊時に「最近の40代って魔法を使ってるんじゃないかっていうぐらいきれいだよね」と同僚と話していたことから生まれた。若々しい一般の女性を紙面で起用、2010年から国民的美魔女コンテストを開催し「予想以上の反響」と山本さん自身も驚くブームとなった。” 「以前は、年齢より若く見えることを『若作り』と否定するような風潮もあったが、今は自己管理の成果と見なされ価値があるとされるようになった」と話す。” 女性が美しくなることは結構だが、「美魔女」には惑わされぬよう心せねば。 また其の風潮に便乗する輩が、というのは僕の同業者でもあるが、増えるのではとも心配になった。 だが記事は 〝美イコール若さという価値観も目立つが、年齢との折り合いをつけることも必要。適度な運動やバランスの取れた食事といった基本的な生活習慣を身につけ、無理なく健康づくりをすることがアンチエイジングだと思ってほしい“ という至極まっとうな意見で〆括られていた。 その発言者は、〝抗加齢医学に携わる医療関係者らで作るNPO法人アンチエイジングネットワーク理事長で北里大名誉教授の塩谷信幸さん“と記されていた。 ふむ、そういうことか。
政治も三流、経済も三流と書いたら、なら教育は五流か?という問いをいただいた。
確かに教育も惨憺たるものがある。 50年前、アメリカ留学から帰国した時、受験競争で潰されていく日本の子供達を観て呆然となった。 戸外で遊ぶ代わりに幼稚園から塾通い、家ではテレビの白痴番組に釘付け。 この子供たちが大人になったとき、日本はどうなるかと危惧したらば、このような日本になってしまった。そして霞が関も永田町も“未熟児”で溢れている。 東大に戻ったとき、そのレベルの低さに唖然とした。 こちらの講義に対して質問は出ず、ただ黙々と筆記している、たとえ出鱈目をいってもその通りに。 ジョークを言っても通ぜず、野暮な話だが説明を加えると、〝ここで笑う“とノートに書いた奴もいる。 アメリカでは教育は真剣勝負だった。 教師でも人間、必ず間違いもある。それを見つけるのが生徒の務めという意識で下調べをしてくる。 正解は必ずしも一つではない、という多様な価値観のもと、自分なりの解答を模索する。そしてその結果を相手に納得させるためのディベートの文化。 そのころ学生運動に血道をあげていた連中に、幼稚園からスプーンフィーディングでスポイルされ、自分の頭を使ったことのないお前達に〝考え方“を仕込むのは、小児麻痺の患者に運動療法を指導するような難事業だと毒づいたこともある。 その後、履き違えた民主主義の悪平等のもと、小尾教育長の手で公立高校は破壊され、ゆとり教育の名のもとに教育のレベルダウンが効果的に図られた。 そしてその後導入されたパソコンや携帯。そしてテレビゲーム。 我々は皆、道具であるべきパソコンの奴隷に堕していく。 自分の頭を使わず、キーボードを打ちこめば、答えが出ると思いこむ。 このあたりで考えを改め、デジタル器機は、アナログである人間の高貴な頭脳を補助する、便利ではあるが遥かに次元の低いツールと肝に銘じたほうが良い。 というのが、小学生の孫に馬鹿にされながら、パソコンと格闘している80歳の述懐である。
政治は三流だが経済は一流と言われていた日本の評価が、経済も三流と格下げされて久しい。
其の日本経済の総帥ともいえる、経団連の会長の都内某所の午餐会での講演は、日本経済の現状にふさわしい内容で、ナマズ総理の答弁も顔負けの空疎なものであった。 問題点として解りきったことを羅列し、具体的な提言には触れないで一時間喋り続けると言うのは、日本のリーダーに必須の一つの才能かもしれない。 ![]() 何故か質疑応答は抜きで終わらせたが、司会者の最後の閉めが傑作だった。 〝さすがは経団連会長、起承転結はお見事で、まるで楷書の名作を観るようでした。“ これを賛辞ととる方はおられますか? 何かお役に立つのではと考えてお呼びした、僕の友人の若手の外資系の社長には、貴重な時間を無駄にさせて申し訳なかったが、これも「日本の品格」と考えていただければ、せめてもの慰めである。 < 前のページ次のページ >
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) by n_shioya 以前の記事
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