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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
風邪は少しずつ快方に向かっている。
それは確かだ。だが歩みは遅い。これでは明日もどうなることやら。 治りが遅いと八つ当たりしたくなる。 大体風邪も治せない医学なんて、何の役に立つんだ! 風邪に効く薬がないというのは医者の常識である。 熱を下げたり、咳を軽くしたりの薬はあるが、皆症状を抑える対症療法で、風邪を治すわけではない。 抗生物質は? ヴィールスに効くものはない、といわれる。じゃ、インフルエンザのタミフルは? 大体まともに風邪の研究をやってる医者にお目にかかったことがない。 暖かくして、よく休めば数日で治ってしまうということもあるが、ほっておかれる一番の理由は、風邪の研究をやっても教授にはなれないからだろう、と毒づきたくなる。何百万人に一人とかの奇病の研究なら、一例でも論文になり、評価される。でもこれは症例に希少価値があるので、研究に希少価値があるわけではないのに。 僕の場合そう頻繁にかかるわけではないが、一旦かかると長引く。 若い時はパット熱が出て、パッと治ったが、最近はだらだらとあまり熱も出ずに、引きずってしまう。 風邪のタイプが変わってきたのか、こちらの体質が変わってきたのか、それもお年で。 普段、健康法など他人事のように馬鹿にしている癖に、一旦寝込むと神妙に今度こそは真面目に体質改善を、などかたく決意するのだが。 そして過去に、いろいろな予防法を試してはみた。大量ビタミンC療法。体温を高めに保つ。うがい。ハーブ療法。葛根湯。そしてコーチゾルまで引き始めに試したこともある。 どれも似たり寄ったりである。 なにかの罰があたったのかとまで考える。 これは思い当たることが多すぎて、どの罪を詫びたらよいのかわからないほどだ。 ともかくもっとアンチエイジングに励むことだ、だれかが耳元でささやく。 でもこれでいったん治れば、そんな決意はすっかり忘れ、また能天気に飛び回るのは目に見えているのだが。
左ひざのトラブルに診断が下った。
半月板の内側の部分の軽い傷みと膝蓋骨(いわゆるお皿)のごく僅かのズレだそうだ。 ![]() 恐れていた軟骨の変化はないようである。 加齢とともにこの軟骨が摩耗すると、いわゆる変形性関節症と呼ばれる状態になり、歩行が困難となるからだ。 とりあえずは、軽いO脚気味を矯正するとよいといわれ、ヒールクッションという薄い柔らかいプラスティックのシートを、中敷きの上に挿入して歩いている。 しばらくこれを続ければよくなるでしょう、というのが先日ご紹介した“膝の名医”の御託宣だった。ただ、一旦傷んだ半月板が元に戻ることはないという。 もし痛みがある場合は、ヒアルロン酸の注射も考えますが、今その必要はないとのことだった。 ところで僕の愛車は暦の年齢は5年だが、走行距離はもう二十万キロに近いので、そろそろ各部にトラブルが出始めている。 幸い今のところ、大幅なリペアの必要はなさそうだ。 車と同じで、人体も年月とともにいろいろ障害が出てくるものだ。車と違い人体は、多少の傷や摩耗は自身の治癒能力で修復していくがそれにも限度がある。 すると次はパーツの交換と言うことになる。人工臓器や臓器移植の出番だ。 車の下取り価格はまず年式が基本のようだが、走行距離も査定の条件の一つで、十万キロを超えるとほとんど零になるという。 二十万キロを超えても、だましだまし三十万キロ、いや四十万キロぐらいまで乗るか、このへんで廃車にして、新しいのに取りかえるか、思案のしどころだ。 だが人体には廃車という選択はなさそうだ。 与えられた身心をエンジンが動く限り、大事に使いこなしていかねばならない。 なんのことはない、それがアンチエイジングじゃないか、と妙なところで納得をした次第。 註:半月板の変化はMRIで診断されたが、わかりずらいのでフォトは省略した。 レントゲン画像は、膝蓋骨を下から撮っている。左の図が左膝で、その左側が左膝の内側を示す。
膝の不具合がまだ続いている。
三か月ほど前、ひざの内側の件の付着部に痛みを感じ、別に痛めたわけでもないので、“いよいよ来たか”と覚悟して整形外科の診察を受けたが、心配はないということだった。 “いよいよ”というのは、関節の中でも加齢でまずやられるのがひざの関節で、変形性関節症と呼んでいる。 平たく言えば関節面を保護している軟骨が摩耗して、動きがギスギスと痛むようになるのだそうだ。 ひざの運動を綿密にチャックし、レントゲンでも異常は認められないので、一過性の腱鞘炎でしょう、厳密にはMRIをとらないとならないが、その必要もないという御託宣だった。 痛みは間もなく治まったが、ひざを曲げ伸ばしするたびに、腱がコリッと動くような感じで、コキンと音がする。心配ないと言われても、いやな感じである。 では、専門家の指導をということで、リハビリに回された。 専門家の話はこうだ。 ひざは最もストレスがかかる関節で、多くの筋肉が付着して進展屈曲の際にバランスを保っている。最も多いトラブルの一つに、ある県の付着部に軽い炎症がおこり痛みを伴うと、それをかばうために一部の筋肉が一時的に弱くなる。そのため元来は垂直軸で動く関節が、軸が横にぶれて関節面がこすれるようになるという。 “これが続けば軟骨に異変も?” “そういう場合もありますね。” ということで、弱った筋肉を強めるための筋トレを教えてもらったが、決して容易ではない。 整形外科の主治医に、なんとか軟骨の退行を防ぐ手立ては、と伺いを立てると、“いや、だめですね。これからは、”というのは僕の年ではということらしいが、“軟骨は劣化するだけですからね。”とあっさり言われてしまった。 “すると究極は手術と言うことも?” “ないわけではありませんね。” てのは人工関節ですか、冗談じゃない! 僕が長年かかわってきた再生医療の分野では、このところ軟骨細胞の培養移植が盛んになっている。 正常でもストレスで摩耗する部位の組織が、培養細胞を移植しても耐えられるはずはないだろう、というのが僕の冷ややかな見方だったが、このへんで考えを改めて、培養条件下で軟骨細胞の強化を図り、変形性関節炎の治療を可能にしなければ、と痛感した。 ただ、自分の関節の再生に間に合うかどうかは疑わしいが。 この数値をよく見て欲しい。157,114,136。 ある日の僕の最高血圧で、9時1分、9時2分、そして9時3分と同じ条件で続けて計ったものである。 同じ場所で、同じ自動測定器を上腕に巻いて、ジット座ったままで。 其のときの最低血圧は、76,74,74とあまり変化はない。 一体これは何ですかね。 血圧は変動しがちだから、何回か計るようにといわれても、これじゃどうしようもないじゃないですか。 計るたびに徐々に下がるか上がるか、一定方向の変化ならまだわかるが。 しかも最低血圧は一定である。 条件はまったく同じで、間隔は空いてない。 これは某病院の外来に設置されているものを、面白半分に試してみた結果である。 要するに血圧計なんていい加減なものだとしか言いようがない。 専門家の先生、なんと答えられます? 確かに血圧は日内変動や、其の直前の運動とか、精神状態で変わることはしっている。 早い話がいつも検査を受ける某クリニックでは、午後に計ることが多いが、最高が130前後である。 ところが同じ時間帯で、銀座クリニックで計ると150という数値が出る。しかも銀座クリニックは、器械を変えても、看護師さんが変わっても、頑として150前後である。 院長もこぼしている。家で計れば130なのに、自分の銀座クリニックで計ると150を超えてしまうと。 不思議なことに、クリニックの女医さんがご自分の血圧を計ってもらうと、家でのと同じ数値だそうだ。 そこで少なくも銀座クリニックの場合は、看護師さんが皆美人ぞろいなことが、男性の血圧に悪影響を及ぼしているのではないかという結論になった。 まあ、僕にいわせれば、検査なんてそんなもんでさ。 あまり数値の虜になって一喜一憂することはない。 例えば今はやりの糖尿病の検査のA1c。上限は5.8とされているが、5.8まではまったく正常で、5.9になると、急に糖尿病になるというものでもない。 あくまで定義の問題で、一つの目安と考え、適度な運動をし、バランスの取れた食事を取って、自分で調子がよければそれでよし。あまり検査値に振り回されないようにと、このあまりにもいい加減な血圧データを前にして、僕は言いたい。 勿論何に限らず正常値の倍以上もあったら話は違いますぞ、念のため。
“もう十年早く治療を開始していれば・・・”
今日は朝から僕の歯の治療をしながら、、鈴木先生は言われた。 今作業しているのは右下の第二大臼歯である。 “思ったより病巣は根が深いですよ。” ガリ、ガリ、ガリ、と病巣を削る音が響いてくる。しかし麻酔はありがたいものだ。まったく痛みは感じない。 それに歯周病の治療も進歩したものだ。昔だったらこの歯はとっくに抜歯されていたろう。 医者ともあろうものが、あまりにもデンタルケアをおろそかにした付けが今来ている。 一年前、昔の詰め物が外れた際に、暫くぶりに歯科がいらいを訪れ、鈴木先生にめぐり合った。 おかげで詰め物は簡単に再接着でできたが、ほとんどの歯が歯周病で、其の何本かは救いがたい寸前まで来ていると言う。 それから何ヶ月もかけて、全体の歯周病ををデンタルケアで改善しながら、問題となる何本かの歯を何とか温存しようと治療が続けられてきた。 一本ぐらい抜いてしまえば、と素人は考えるが、言はそう簡単でない。 今作業している第二大臼歯は、隣の第一大臼歯を昔抜いた後、其のまた隣の第二小臼歯と一緒にブリッジの支柱となっている。 これがなくなれば、ブリッジもかけられず、第一大臼歯は欠損したまま、結果的には二本、歯が足りなくなる。 それだけでなく、上の二本の大臼歯もかむ相手を失い、4本失なったのと同じことになる。 つまり右の奥歯では噛めなくなるのだそうだ。つまり硬いものが噛みにくくなるのだ。 ガリ、ガリ、ガリ。治療は続く。 “まだ、まだ膿が出て来ますね。これを掻きださないと。”先生はおっしゃる。 目を閉じて顎を開けていると、頭は妄想でいっぱいになる。 何人もの作業員が海底トンネルを掘っている。周りは固い岩盤だ。と、其の一部に亀裂が生じ、海水がどっとあふれ出す。あ、いけねえ、こりゃ膿だ。全員脱出! 暫くして先生の言葉が響いてきた。 、“さあ、今日のところは終わりました。”幸い海水の噴出は止まったようだ。 “掻破したあとには抗生剤をつめておきましたので、これで上手く治癒してくれるかどうか、後はあなた自身の治癒能力如何ですね。” 考えてみると、これは僕がいつも治療に際して、自分の患者に言い聞かせてきた台詞だった。 治癒能力様々。どうか最大限チカラを発揮してください。まだ、まだステーキやあわびには未練がありますので。
どうも最近の風邪は昔と違ってきたようだ。
昔はパット熱が出て一日でパット治ったたものだが、このごろは熱もあまり出ない代わりに、だらだらと長引く。 これは我々の間ではよく言い交わされれることだが、北里大学の川上名誉教授に言わせると、変わったのはビールスではなく我々が老化して、免疫機能が落ちただけの話だと言う。 今川上先生が書かれている「(仮題)心のアンチエイジング」の一部を引用すると、 「幼児がカゼウィルスに感染すると、鼻水、くしゃみ、せきと同時に40度を越す熱が出て、すぐにぐったりしてしまう。 母親は驚くが、極期を過ぎるとケロッとなおって、何事もなかったかのように元気に遊び始める。若者が風邪を引いたときも、派手な症状は出るけれども、大方は短時日で治り、翌日は元気に仕事を始める。 ところが歳を取ると、カゼウィルスが感染してもすぐには症状が出てこない。何日か後に気道炎症が始まって、鼻水、くしゃみ、せきのような症状が出る。熱もそれほど上がらないが、気管や肺の内部では案外重篤な変化が起きていることがあるので油断できない。そしてウィルスとの戦いが収まるにはかなりの時間がかかることがある。」 “まさにそうだわ”とごく最近同様の経験をした配偶者は大変納得が言ったようだ。 さらに先生の説明では、免疫機能を担う免疫細胞の数は高齢者でもほとんど減少しない、ただ、其の機能が低下していることが最近の研究で明らかになったと言う。 免疫機能強化には、いろいろなことが取りざたされているが、現時点で確実に有効なのは、ビタミンEだそうだ。ただしこれは高齢者のみに言えることで、若いヒトにはあまり意味がないという。 ところでビタミンC も其の抗酸化作用で全身を活性化するので、風邪を含むすべての疾患に対し、其の大量療法はだいぶ以前から提唱されている。 ちなみに抗酸化作用に関してはビタミンEも有効で、そのうえEとCには相乗効果があるとされているので、ともかく高齢者は、EとCを服用していれば間違いないということになる。 そうは言われても当方としては、風邪のパターンの違いは自分の高齢化だけでなく、やはりビールスのほうも加齢によって、ネチッコイ、意地悪ビールスに変わってきたと思いたい。
改めて今日は医者はありがたい存在だと思った。
数日前、配偶者がのどがいたいと言い始め、どうせ風邪だろうとほっておいたら、けさから急にひどくなり、声も出なければ、物も飲み込めない。文字通り気息奄々である。熱は9度を超えていた。 慌てて、今、歯の治療でお世話になっている神奈川歯科大学の耳鼻科に連れて行った。 部長は八尾先生と言って、北里大学の一期生である。僕も教授時代には何かと彼のお世話になった。 当時耳鼻科の教授は僕の大学時代のクラスメートだが、同級生と言うのはあまり頼りにならない。相談に行ってもどうせお前、年だからしょうがねぇ、と相手にしてくれない。 其の点八尾先生は、丁寧に診察して、特に異常はないから心配ないですよ、と安心させてくれる。 神奈川歯科大学病院には、歯科以外は内科、眼科など北里の卒業生が多く、僕の白内障の手術もここで白内障では日本一の名医、北里大学の清水教授の手術を受けたことはすでに書いたとおり。 しかも今夫婦で歯周病の治療に通っているが、これも実に丁寧な診療で、もう10年早く来てくれればもっと救えたのに、と主治医は残念がっている。 今回も八尾先生は、配偶者ののどを、最近の鼻から入れるファイバースコープで丁寧に点検し、結構な咽頭炎だが、あまり広がってないから、吸引と薬ですぐ良くなるでしょう、と吸引と点滴をして、抗生剤と抗炎症を処方してくださった。 それから数時間たった今、配偶者は別人のように回復して、熱も下がり、つばも飲み込めなかったのが、二人分のおかゆをぺろりと平らげている。 そして“お医者さんてありがたいわね。”と改めて言われたのである。 僕も元来はあまり医者の世話になることがなかったが、最近ヘルニアだのヘルペスだのやって、また白内障の手術も受け、医療のありがたみを実感し、医者とは人助けな商売だと、改めて思いしらされることが多くなった。 なにをいまさらと呆れられるかもしれないが、白状すると僕は医者をやっている間、実は患者さんのためと言う意識があまりなかったような気がするからだ。 ただ仕事が面白いから、究極は自分のために、夢中で手術をしていた様な気がする。 そもそも僕は医者になる気はなかった。 不謹慎と言われるかも知れぬが、ほかに自信を持ってやれることがなさそうなので、周りの勧めもあり、とりあえず医学部に入っただけである。 だが、医学部を卒業すると医者になる以外は使い道がない。 そして幸い「形成外科」という、僕を虜にしてくれた科にめぐり合ったのである。 とするとこの俺でも、かつては医者として患者さんの役に立ったこともあるのかな、と、今更ながら自分が医者に助けてもらうたびに複雑な思いがするのも本音のところである。
両親とも兄弟が多かったので、従兄弟の数も多く、子供の頃は年中行き来して遊んだものである。
やがて皆社会人となると忙しくなり、会うのは冠婚葬祭のときだけとなったが其の冠婚も減って、最近では従兄弟が顔をあわせるのは、葬祭のときだけとなった。 今日は母方の従兄弟の七周忌で、鶴見の総持寺に従兄弟や其の子供らが集まった。 其の従兄弟は、10年前、ALSと呼ばれる筋肉が萎縮する難病ににかかり、3年間の闘病生活の後亡くなった。 ウィキペデイアによれば 「筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、amyotrophic lateral sclerosis、通称ALS)とは、重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で、運動ニューロン病の一種。きわめて進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する。有効な治療法は確立されていない。 有名な患者ルー・ゲーリッグから、ルー・ゲーリッグ(ときにゲーリック)病 (Lou Gehrig's disease) とも呼ばれる。ICD-10ではG12.21。日本国内では1974年に特定疾患に認定された指定難病である。」 とある。 つまり随意筋と言って自分の意思で動く筋肉が、徐々に麻痺して行く恐ろしい病気である。 しかも最後まで意識ははっきりしているが、眼球運動を含めすべての随意筋が麻痺するため、自分の意思表示が不可能になる。 いわゆる金縛りの状態が進行を続けると言えば、多少想像がつくかもしれない。 問題は、早晩呼吸麻痺が起こり、気管切開による人工呼吸が必要になることである。 それまでして延命を望むかどうか、本人の意思表示が可能なうちに、方針を決めるのが通例のようである。 従兄弟の場合は、急性肺炎をおこし、意思確認が不可能なまま、緊急措置として気管切開を行わざるをえなくなった。そして人工呼吸の生活が始まった。 幸い多少指が使えたので、ある期間はノートパソコンで意思疎通を図り、ある程度仕事もこなしたようである。 もし自分がALSになったら、と今思案している。 呼吸麻痺で死にたくはないが、一旦呼吸器を附けたら外してもらうことはできない。医師法違反の殺人罪になりうるからだ。 これこそ“業病”というべきだろう。広辞苑の定義では“業病”とは「悪行の報いでかかると考えられていた難病」とあるが、僕の考えでは「何でこのような病気を神はこの世に存在を許されたのか、と天を呪いたくなるような病気」だからである。
昨日の朝、トーストを食べている時、左の下の臼歯のブリッジが取れてしまった。
すぐ歯科で見てもらって、簡単にはめなおしてもらったが、パンでつめものがとれることはよくあるそうだ。 氷とかせんべいのように固いものは、噛むと割れるので意外に歯には負担がかからない。 ところがパンのようにネチャッとくっつく奴は、噛むときに無意識にすり合わせて臼歯に負担をかけるのだといわれ、なんとなく納得した。 こちらはすぐ再接着してもらえたが、問題は右の上の臼歯である。 今まで歯周病の治療を受けていたのが、骨に及び上顎洞炎を起こしているかもしれないと言う。 これから数週間、歯科通いが続きそうである。
真田先生どうもありがとうございました。
今日のロータリーでの先生の卓話は素晴らしかった。 褥創についての専門的なご研究が卓越していることは充分に承知していましたが、先生の看護に関する深い洞察をお伺いするのは初めてでした。 やはり日野原先生の愛弟子ですね。 すでに高齢である会員、これから高齢化に突入する会員、皆一様に感銘を受けたことと思います。 体力は衰えても、精神はより高みを目指していく。これが先生の言われるサクセルフルエイジングで、老年看護学はそれを支えるものであることがよく分かり、未来に希望が生まれました。 一度又、30分といわず一時間でも二時間でもゆっくりお話を伺う機会を作りたいと思います。 先生のお話に魅了されてフォトをとり忘れたのは、ブログの鬼としては大失態でしたが、それだけ先生のお話にひきつけられたという事で言い訳に変えさせていただきます。 < 前のページ次のページ >
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) by n_shioya 以前の記事
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