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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
今日は暫くぶりにロータリーの例会に出席した。
何ヶ月ぶりだろうか? ![]() 元来は欠席した場合はその週のうちに、どこか別の支部の例会に出席して埋め合わす決まりだが、幸い僕の属する西北ロータリーはその辺はおおらかで、こちらも適当に出たり出なかったりしている。 だが、いつも出れば出たで楽しい会で、特に今日は出席して本当によかった。 ミュンヘン在住の音楽家松尾由香さんが、手勢「レジェンド」と引き連れてミニリサイタルを開いてくださったからである。 「レジェンド」とは国立音大の男性歌手達のグループで、オペラ、カンツォーネ、日本の歌曲など、食後にたっぷり聞かせてくださり、心身ともにリフレッシュして、銀座クリニックに戻ってきた。 午後はクリニックでNPO法人創傷治癒センターの運営会議。 ![]() 夜は夜で、ゼクスグループの社長と幹部の方々との夕食会。 ![]() 忙しいが有意義な一日だった。
一昨夜はN響の定期演奏で、モーツアルトの夕べを堪能した。指揮とオーボエは、もとベルリンフィルの首席オーボエ奏者、シュレンベルガーである。
曲はセレナード10番、歌劇イドメネオ、そして交響曲40番ト短調である。 ベルリンフィル風というか、カラヤン張りのメリハリの利いた明快な演奏だった。 自分は人が青春時代をベートーベンの運命とともに生きたか、またはモーツアルトのト短調とともに歩んだかで、区分けすることにしている、といったのは剣豪小説家、五味康祐だったと思う。 “運命の戸”を叩くダダダダーンという響きは重すぎ、かといってモーツアルトの“死と隣り合わせな”甘美なメロディーにも無条件で陶酔できなかった僕は、若い頃はシューベルトの歌曲に“隠れ家”を見出した。 戦前からのゲルハルト・ヒュッシュ、エレナ・ゲルハルト、ロッテ・レーマン、エリザベート・シュワルツコップ。そして勿論近年ではディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウとペーター・シュライヤー。 彼らの歌い出すシューベルトの世界こそ、「汝れこそわが憩い」であった。 三大歌曲集、そしてあまたの歌曲。どれも珠玉としか言いよう無いが、唯一つをと言われれば僕は迷わずに「水の上に歌える」を挙げるだろう。 戦前の78回転のシェラック盤から流れ出るエレナ・ゲルハルトのメロディーはまさに天上の歌声であった。 LP盤以前の78回転のレコードは、一面の曲の長さが3分から5分ほどしかなかった。 ちょうどマッチ売りの少女が、マッチ一本が燃え尽きるまでの数分間を、繰り返しては暖を取ったように、細い鋼鉄のレコード針がシェラック盤から引き出してくるわずか数分のシューベルトの世界に、僕は繰り返し浸ったものである。 シューベルトの歌曲は一つ一つがそれぞれの小世界を描き出す。 三大歌曲集でも、「白鳥の歌」はハイネの詩集「帰郷」からの歌詞を多く含む遺作集だが、「美しき水車小屋の娘」と「冬の旅」はともにミュラーによる一連の青春の挽歌だ。 だが前者では、主人公は死によって安らぎを得るが、後者では墓場にも安住の地を見出せず、最後は琴引きの老人と救いの無い旅を続けることで終わる。 シューベルトはこの曲を書きながら、涙を流し続けていたという。暗い、暗い、だが名曲である。これを聴いた後では、人の心は元には戻れない。 そして僕は何時の頃からか五味康祐の顰に倣い、「冬の旅」を知っているかどうかで、人を区分けするようになってしまった。
今日はバレンタインデー。
僕にとっては“美女とショコラの日”。 ショコラも嬉しいが、その媒体のほうがもっと嬉しい。 今日は多言は無用。 フォトでショコラの麗しき媒体をゆっくりお楽しみください。 ![]() ![]() ![]()
昨日の雪の後遺症で午後まで首都高は閉鎖。第三京浜も閉まってしまい銀座には行けず仕舞い。
あれっぽっちの雪で、しかも今日は日が射しているというのに、首都圏はこれほど雪に弱いとは。 内地の奴らはだらしないと札幌の友人に笑われる訳だ。 さて先週、さいたま芸術劇場で“リア王”のマチネーを見る予定の日の夜、王子ホールでゲルハーレルの“美しき水車小屋の娘”のリサイタルがあると知ってどうするか迷ったと書いたが、結局はそのまま家に帰ったのは正解だったと思う。 昔だったら欲張ったかもしれないが、最近は頻回でなくて良いから、一つだけよい物をじっくり消化したほうが、味わいが深いと思うようになった。ことにあの蜷川演出の平幹二郎のリア王の後は。 ゲルハーレルは次回の来日を待つこととした。 同じようなことをリヒテルも言ってるのを思い出した。彼の場合はもっと極端で、美術館に行ったら、お目当てを一点だけに決めて、あとは一切見ないという。 彼の伝記の作者で秘書役でもあった河島みどり氏が書いている。 「マエストロはナターシャにブリューゲルを見せたいと言い出した。われわれは国立美術館(ウィーン)に行った。入り口でマエストロはきびしく命令した。 “ほかの展示物を見てはいけない。目的はブリューゲルだ。私がいいというまで目を伏せて廊下だけ見て歩くのだ。” 先にたって歩きだしたマエストロはときどき抜き打ち的に振り返って、われわれが命令を厳守しているかどうかを点検した。ナターシャも私もリヒテルの意図を了解しているから違反はしなかった。 まったく彼の方法論は正しいと思う。たとえ素晴らしい絵でも次から次へ見せられると感動は硬直してしまう。私たちは白紙の心でブリューゲルを鑑賞することが出来た」 僕も同感である。深く“感じる”ためにはストイックであることも必要だ。 むさぼるように見聴きするのは若者に任せて。 やったぁ!遂に聴いた、諏訪内とバシュメットの共演を。 僕の山小屋から遠くないところに、リヒテルの肝入りで立てられた八ヶ岳音楽堂がある。 そこで初めてバシュメットを聴いたのが10年ほど前のことである。 シューベルトの“死と少女”を編曲した八重奏の演奏に圧倒され、以来また機会があればと思っていた。 諏訪内はこれまでCDだけで、これも是非一度生の演奏を、と願っていた。 したがってこの組み合わせは僕には、“夢の共演”といえる。 “だが、コンサートを聴いて、やったぁはないだろう、不謹慎だ。” “でも、あまり素晴らしくて。ソロイスツも演奏をエンジョイしていたし、それにバシュメットもお茶目なので、つい。” 曲目はバッハのブランデンブルグ三番、モーツァルトのビオラとバイオリンの協奏曲、ブルッフのコールニドライ、モーツァルトのバイオリン協奏曲、そしてアイネ・クライネと盛りだくさんの上に、アンコールは三曲もサービス。 G線状のアリア、初めて聞く誰とかのポルカ、そしてモーツァルトのディベルティマンの一楽章。 諏訪内の清冽なバイオリンとバシュメットのメリハリのあるビオラ演奏とソロイスツ合奏は“夢の饗宴”でした。 それ以上はド素人の僕には口が廻らないので、その先はシューベルトの「楽に寄す」にお任せしましょう。 楽(がく)の音(ね)── わがなやむとき 心をおとずれては あたたかき愛を充(み)てつつ 清らかなる境(さかい)に わが身をともないぬ 妙(たえ)なる琴のひびきの さやかに鳴りわたれば この世にも天(あま)つ幸(さち)あり くすしきかな 楽の音 とうとしや 楽の音
AAC銀座クリニックの隣に“しゃぶしゃぶ屋”がある。「らん月」という。
戦後まもなく料亭としてスタートしたが、僕の学生時代は“すき焼き”で知られていた。 そもそも“しゃぶしゃぶ”は関西のもので、京都の「十二段屋」でお茶漬けに牛肉を乗せたのが始まりだとされている。 その後大阪のスエヒロが今の形のしゃぶしゃぶを、自店の料理として出したのが、昭和27年だという。 だから僕の学生時代には、関東にしゃぶしゃぶはなかった。 昭和39年、アメリカ留学から帰って初めてしゃぶしゃぶのの存在を知った。 帰国後すぐに知り合ったキャンプ座間の日本びいきの軍医が、相模原の水車園でご馳走してくれ、その食べ方から、名前の由来を教えてくれたのである。 相模原に北里大学が出来るはるか以前である。 気風のいい女将で、その後北里に奉職するようになってからは、何かにつけて利用させてもらった。 余談になるが、その後「十二段屋」で元祖しゃぶしゃぶをご馳走してくださったのは、今は亡き京大の森本名誉教授だ。 “塩谷君、ここはその昔なんだったか知っとるか?” “いえ” “芸者の置屋じゃった。学生時代、俺はここから医学部に通っとった。” その頃京都では、京大生といえばVIP扱いで、ただ食いも出来たそうである。いわゆる出世払いという奴だそうだ。古きよき時代とはこういうことかと羨んだものである。 ちなみに今度帝国ホテルで開業した宇津木君は北里出身だが、学生時代は水車園から通っていたと聞いている。 前置きが長くなったが、新春を迎えるには美女軍団の“揃い踏み”でと、そのらん月まで繰り出して新年を祝ったのが数日前である。 ![]()
どうして殿方はそんなにバッチイ話がお好きなの、と配偶者にはよく言われる。
だが、男にとって糞尿談ほど楽しいものはない。例の最優先の話題に次いで二番目の関心事である。考えると、一番目の話題もやはり下半身には違いない。 この二つの話題に蓋をしておいて、女性同士では何をどう話しているか知る由もないが。 昔イギリス生まれの小説家、オルダス・ハックスレーが、デカルトの“我思う、ゆえに我あり、コギト エルゴ スム”をもじって、“カコ・エルゴ・スム”と言ったときは、良くぞやってくれたと喝采したものである。 品がないので、さすがの僕も訳すのをためらうが、“我糞をする、ゆえに我あり”であると、ラテン語の教師に教わった。 これほど哲学的な深い考察の対象となりうる物の、形状や性質について思い巡らすのは、非常に高尚な趣味と僕は信ずる。 現にあの芥川の名作短編「好色」も僕にとってはその主人公は、“糞”である。 “天が下の色好み”平中こと平の貞文にも、意のままにならぬ侍従がいた。 そして彼女を自分の心から抹殺せんともがき苦しみ、あることを思いつく。 ここは芥川の筆致で、 「だがその姿を忘れるには、――たつた一つしか手段はない。それは何でもあの女の浅間しい所を見つける事だ。侍従もまさか天人ではなし、不浄もいろいろ蔵してゐるだらう。其処を一つ見つけさへすれば、丁度女房に化けた狐が、尾のある事を知られたやうに、侍従の幻も崩れてしまふ。おれの命はその刹那に、やつとおれのものになるのだ。が、何処が浅間しいか、何処が不浄を蔵してゐるか、それは誰も教へてくれない。 ああ、大慈大悲の観世音菩薩、どうか其処を御示し下さい、侍従は河原の女乞食と、実は少しも変らない証拠を。……」 そして鍵は糞だと思いつく。 平中は機会を探し、女の童から侍従の糞の入っているはずの箱を奪い取る。 「この中に侍従のまり(糞)がある。同時におれの命もある。・・・」 その蒔絵の箱を開けると、意外にも丁子の上澄みに、かぐわしい二寸ほどの物が浮かんでいる。 [平中は今つまみ上げた、二寸ほどの物を噛みしめて見た。すると歯にも透るくらい、苦味の交ざった甘さがある。その上彼の口の中には、急ち橘の花よりも涼しい、微妙なにおいが一ぱいになった。侍従はどこから推量したか,平中のたくみを破る為に、香細工の糞をつくったのである。」 ここで僕は、長男が芸大の彫刻科にいる頃、粘土やプラスティックでさまざまな糞を彫塑していたのを思い出す。それを見せる時の彼の楽しそうな顔を。 ところで僕がこれほど糞にこだわるのは、数年前、痙攣性便秘をわずらってから、糞の世界は趣味の域を超えて、毎朝の死活問題になっているからである。
このところ医者通いが続いている。
歯周病の治療、眼底のレーザー照射。 それだけでも忙しいのに、数日前はひどい下痢に悩まされた。聞く所によると、熱も咳も伴わない下痢だけの風邪がはやっているそうだ。 ビールスには違いないが、これを風邪と呼んでいいのだろうか。 今日は友人から20日遅れの年賀状が届き、年末から風邪を引いて一進一退でまだ寝込んでいるという。医者の話ではこのタイプも今はやって居り、その典型的なものだと褒められたという。 薬が増えすぎたのか、風邪も形を変えて、あの手この手で攻めてくる。 また最近は公害やジャンクフードで、こちらの免疫機能も劣化しているのかもしれない。 昔の、熱がパット出て、パット治る風邪が懐かしい。
男と女の間には、決して埋まらぬ溝がある、と誰かさんが言っていたような気がする。
早い話、僕も配偶者も東京生まれの東京育ち。二人とも標準の日本語を話す。しかし、家では話が通じないことはしばしばある。 だから、と僕は良く冗談に、日本語を習おうかというアメリカ人に言い聞かせる、日本語というのはこれほど難しいと。 すると相手は言いかえす、それは英語でも同じだと。 やはり男と女は違う種族なのかもしれない。 たとえば日常生活で待ち合わせも鬼門である。 うまく出会えるのは三回に一回と言ったら、配偶者にはまた大げさなとしかられるかもしれないが、それに近いことは確かだ。 決めた場所は同じはずでも、お互いはまったく別の場所で待ち続けるという不思議な現象はしばしば起こる。最近はボケが加わって、この現象はますます頻発するようになった。 日本人同士でもこうなら、国際結婚となればそのギャップは大げさに言えば、グランドキャニオンにも匹敵することがあっても不思議ではない。 はじめは二人とも盲目であっても、やがてその深淵に目をむくこととなる。 最大の原因は“愛情の表現”の相違のようだ。 三船敏郎の昔のコマーシャルのような、“男は黙って何々ビール!”などアメリカ女性には通用しない。 言挙げの国の女性は “I love you!”と明確な表現を要求する。 その代わり彼女らは、自分なりに夫を喜ばせようと努力する。 何時までも若さをと皺伸ばしの手術を受け、たれた乳房をリフトし、腰周りの脂肪を吸引する。 これも皆愛する夫の為と痛みをこらえて。もちろん金は夫の懐から出るが。 このような努力が日本人の夫を白けさせるかもしれないとは夢思わない。 だが、もっと深刻なのはセックスライフのようだ。 男性の場合、年齢を重ねても最も旺盛なのはギリシャの男。最も情けないのは日本の男性とはよく言われることだ。 そして白人女性は、年を経るほどに欲求はいや増すばかり。白人男性はその期待に答えるべく機能維持にいじましい努力を重ねる。 アメリカ人にとって抗加齢医学とは、“美と健康”などという奇麗事ではない。学会の議論も大半はセックスライフに直結するそのものずばりの話題といっても過言ではない。 これで日本の男性と白人の女性のカップルに破局が訪れた場合の、裏の理由の一端はご理解いただけるかな。 でも夫婦といえども別の人格。多少のギャップは当たり前。開き直ってそのズレを楽しむことも、サクセスフルリビングのコツといえるでしょう。
“ねえ、ドクター。わしたちのスマイルはプロフェッショナルスマイルに過ぎないのよ。だからいい気になっては駄目。”
そういいながらも彼女は、にこやかに微笑みかける。 金髪に青い瞳。ルージュのあでやかな口元。その間にあるスキーのジャンプ台のような心地よいカーブを描い鼻筋と、ちょっと上向きの鼻先は僕の作品である。 じゃ、今のスマイルもプロフェッショナル?それとも出来栄えにご満足?いやそれとも・・・。僕は都合の良い妄想にふける。 彼女はパンナムのスチューワデス。ユナイテッドに吸収される前、パンナムのスチュー(スチューワデスの愛称)は空色のユニフォームの誇り高き美女軍団だった。 スチューの世界も他の女性職場と同じように、お局さんが仕切っていた。その一人のまぶたの皺取りがうまく言ったおかげで、子分たちが次々に僕のところに来るようになった。目、鼻、乳房そして脂肪除去。なんでもござれだった。 彼女もその一人で、鼻の美容整形を希望して現われた。ちなみに欧米人が鼻の美容手術といえば小さく低くすることを意味する。 “で、そのプロフェッショナルのスマイルと本物とはどうやって見分けるの?” 彼女は笑って答えない。 では今のは?など野暮なことは聞かないでおいた。 今改めて見分け方を考えている。 目元かな? よく“目が笑ってない”という言い方があるじゃないか。 でも、解剖学的には、口元の筋肉が緩めば、目の周りの眼輪筋も連動して緩むはず。 また、眼球自体はただの球形で、大きさも人によってあまり差はない。大きさの違いは眼裂、まぶたの開き具合で決まる。 そして表情で目つきが変わるのも、まぶたとその周辺の皺の寄り方だと教わった。 僕は改めてデズモンド・モリスの人間観察学のバイブル「ボディウォチング」を開く。 あった、あった。瞳の大きさである。“瞳孔はその人が好ましいと感じるものを見ると、正常以上に拡大し、嫌なものを見ると針の穴ほど小さくなる。・・・つまり瞳孔は嘘をつくことが出来ないのである。”と言っている。 あの時は瞳で見分ける知恵は持ち合わせていなかった。 ただ、万事自分に都合よく解釈して生きてきた僕は、あの時の彼女の微笑みもただのプロフェッショナルスマイルではないと決め込んで、お付き合いを深めていった。もちろん節度を持って。 |
![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) by n_shioya 以前の記事
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