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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。
カテゴリ:美について
  • 失われた時を求めて
    [ 2011-08-23 23:17 ]
  • アンリ・ル・シダネル
    [ 2011-08-22 23:04 ]
  • 美の迷宮
    [ 2011-08-19 21:24 ]
  • ワシントン・ナショナルギャラリー
    [ 2011-08-15 22:27 ]
  • 人はなぜ「美しい」がわかるのか
    [ 2011-08-13 22:05 ]
  • 蕗谷紅児
    [ 2011-07-14 22:21 ]
  • 男の伊達
    [ 2011-07-12 21:33 ]
  • 趣味のカメラ
    [ 2011-07-04 21:54 ]
  • 「美の秘密の力」
    [ 2011-06-12 22:01 ]
  • 岩手の家具
    [ 2011-06-10 22:48 ]
失われた時を求めて
「美の迷宮」をさまよいながら、子供の頃のことをもい出した。
それは小学5年のとき、親父と一緒の富士登山の帰りに富士屋ホテルに泊まった時の話である。
あの髭のホテルマネジャーが、館内を案内してくれた。そして屋上のプール脇の温室で目にしたのは、溢れるばかりに咲き誇ったグロキシニアの鉢の大群だった。
赤、青、ピンクの覆輪。肉厚の葉。
グロキシニアを見るのは初めてだった。
これほど美しいものが世の中にあるとは、と感動したのを思い出す。

その後町の花屋でも見かけるようになったが、あの時の魂を奪われるような感じは生れてはじめてだった。
その後は?
その後、どのようなものやことに美しさを感じたか?そしてその時の感じは。
こう考えるのは、今僕は美とは観るものと観られるものとの相互作用としてとらえようとしているからだ。
こうして僕の「失われた時を求める」旅が始まる。
by n_shioya | 2011-08-23 23:17 | 美について | Comments(2)
アンリ・ル・シダネル
ショックだった。
軽井沢のメルシャン美術館が今年で閉館になるという。
白樺の林に立つ二階建てのメルシャン美術館は、カミーユ・クローデル、シャガールそしてウィリアム・モリス等、これまでセンスある特別企画展で楽しませてくれた。
八ヶ岳の山小屋から片道約一時間半。山に滞在中に一度は訪れるのを楽しみにしていた。
美術館だけでなく、洒落たレストランもあり、即売所ではワインやウィスキーの試飲も可能である。

最後となる今回の特別展示は、アンリ・ル。シダネルだった。
不明にも僕はこの、印象派から後期印象派にかけ、同時代に活躍したこの作家は知らなかった。
一言でいえば、ピサロの雰囲気を、今少し点描がかった手法で描き挙げたと言ってよいだろうか。
人物にしろ、風景にしろ、生物にしろ、非常に楽しい作品ばかりである。
これだけの作家がどうして今までわが国では紹介されなかったのだろう。

先週半ば過ぎ、横浜の猛暑から脱出した我々を待ちうけていたのは、八ヶ岳の豪雨であった。
丸五日間、降りこめられていた。
お陰さまで“思索”にふけるゆとりは十分すぎるほどだった。
そして何よりも、アンリ・ル。シダネルと知り合えたことは最大の収穫だった。
思索の結果は「美の迷宮」として、ブログにアップしていきたい。
by n_shioya | 2011-08-22 23:04 | 美について | Comments(6)
美の迷宮
背中に銀杏の彫り物をした男が“美しい=合理的”などと絡んできたので、以来、“美とは何ぞや”を考え続けている。

とは分かりきったようで、いざ定義するとなると難渋する。
哲学者も “そのものの定義は不可能であり、はその属性によって定義する以外にない。”とさじを投げているようだ。
その属性とは、プリージングすなわち見る人を心地よくさせるものということになる。
さすが詩人のキーツは、“美しきものは永久の歓び”と、長編詩エンディミオンの冒頭で歌い上げている。

だが僕は近頃、アトラクティブの方がよりその属性を顕しているように思い始めた。
アトラクティヴ、魅力的の方がより能動的でもある。

例えば美女を前にした場合、唯眺めているだけで満足できますか。何かアクションと起こしたい、社会の規範に反しない限り。また相手のコンセントがあれば。
だが、花の場合はどうだろう。女性相手と違って眺めているだけで十分に魅力的で喜びを感ずることができる。
といっても、ゲーテの“野薔薇”は、比喩的に薔薇を女性に絡ませているので話はややこしくなる。

そしてまた、アトラクティブにはセックスアピールも含まれてくるので、事は簡単でなくなる。これに線引きは不可能であろう。
と、まず定義で躓いている。

そしてまた、は見られるものには無くて、見る側にあるという考えもある。“Beauty is in the eyes of beholder”というセリフだ。
とすると、美は主観的なもので客観性は無いのではという議論に繋がる。
にもかかわらず、もし客観性があるなら、当然その基準がなければならないし、出来れば数値化したい。
ギリシャ人の考えたカノンはその一つの試みといえる。

僕の今の考えは、とは観るものと観られる者との間の、「化学反応」だと思う。
化学反応、ケミストリーという言葉は、人の人との心のふれあいというか相互作用、特に男女間の心の通いに使われる言葉である。
次なる僕の興味は、この「化学反応」の結果がもちろん神経系を介してだが、文字通りの化学反応により神経伝達物質である、エンドルフィン、ドーパミンなどのかたちで出現するかである。勿論前段階で性ホルモンも関与していることは言うまでもないだろう。
僕は仮に、美の認識中枢と伝達経路と呼んでいる。

こうして僕はますます「美の迷宮」に迷い込んでいく。
by n_shioya | 2011-08-19 21:24 | 美について | Comments(2)
ワシントン・ナショナルギャラリー
ワシントンには何回か行ったはずなのに、ナショナル・ギャラリーは一度も訪れる機会がなかった。
9月5日で東京での展示も終わりと気付き、暑さで参ってはいたが、慌てて今日六本木の新国立美術館を訪れた。

その甲斐は充分あった。
そもそも印象派の作品はまずアメリカで認められ、はやくから蒐集されただけあって、このメロン財閥の寄付でスタートしたナショナル・ギャラリーは印象派、後期印象派の名作が豊富なことでしられている。
マネー、モネー、ゴッホなど、画集で観たことはおろか、その存在も知らなかった作品の数々に巡り合えた。



そう何よりもセザンヌの素晴らしいのがあった、コッピーが見当たらぬでアップできないが。
by n_shioya | 2011-08-15 22:27 | 美について | Comments(2)
人はなぜ「美しい」がわかるのか

50年前、東大の医学部の学生運動が全国に飛び火して、ついには安田砦の攻防戦になったことを覚えてられるだろうか?
その為、ある年は入学試験中止という異常事態になり、東大の解体論まで突出した。
そのさなか、ある学生の作ったポスターが評判を呼んだ。
僕も、こんな奴がいるならまだ東大も捨てたものではないと、安心したものである。

その学生、橋本治はどうなったかと思っていたが、その後作家となり、演劇、イラストなどでも多彩な活躍を展開してきたことを、つい最近、彼の著書『人はなぜ「美しいが」わかるのか』を目にしてしった。
10年前にちくま新書として出版されている。

さすが橋本である。
のっけから「美しい=合理的」という議論を吹っ掛けてくる。
その後も、判ったようなわからないような奇妙な論旨が展開するが、言わんとすることは何となく伝わってくる不思議な内容である。

ま、僕の素人としての理解では、そもそも「美」というものはそれ自体の定義が不可能で、その属性によって説明する以外にないようだ。それをイギリス圏では、プリージングという言葉で代表させている。
そこで彼の場合は、美の対象とそれを目にする我々との間で発生する、ある交流関係として解き明かそうとしているようだ、とかしか言えない。

不得要領で申し訳ないが。「ミタメ」を追求する以上、「美しい」は避けて通れないテーマなので、これからも模索は続く。
by n_shioya | 2011-08-13 22:05 | 美について | Comments(2)
蕗谷紅児
“金襴緞子の帯締めながら、花嫁御寮はなぜ泣くのだろう。”
昭和初期に流行ったこの歌が、これもまた昭和初期の人気挿絵画家、蕗谷紅児の作と知っている方はどれほどいるだろう。
何も僕はその知識を自慢しているわけではない、今日、横浜そごうの「蕗谷紅児展」を観て、そのほかにも僕の知らなかった蕗谷紅児像が多々あるのに驚かされただけである。

 「蕗谷紅児」と聞いただけで、胸キュンとなる昭和一桁は多数いるのではなかろうか。
竹久夢二のような肺病やみの女でなく、中原淳一のようなバセドウの目玉の子供でもなく、ひたすらに清楚で可憐な女性像を描き続けた。
挿絵画家としてしか知らなかったが、本物の画家を志してパリに留学し、サロン・ドートンヌにも入賞したという。
其の後家庭の事情で帰国。また挿絵画家に戻るが、画家として大成していたら、と惜しまずにはおられない。
ビアズレーやエロール・ルカインを思わせる画風だが、確かなデッサン、きれいな線描で、誰のでもない蕗谷紅児の世界が生まれたろうに。

当時、というのは大正から昭和にかけてだが、子供向けに数々の挿絵の名作家が現れた。
子供を愛らしく描く松本カツジ、戦争画の伊藤幾久造等々、そして高畠華宵なしには吉川栄治の傑作「神州天馬峡」は生まれなかったろう。

日本があの狂気の軍国時代に突入する前、僅かな期間だったが、「大正デモクラシー」と謳歌された時期があったのを計らずも想い出した。
by n_shioya | 2011-07-14 22:21 | 美について | Comments(6)
男の伊達
僕の朝の散歩の折り返し点は山下公園である。
カモメの舞う海辺の彼方の大桟橋に停泊する大型クルーズ船を眺めては、城山三郎の「硫黄島に死す」を思い出す。
僕は城山三郎の作品が好きだ。彼一流の「男の美学」。その頂点があの出世作「硫黄島に死す」ではなかろうか。

書き出しを含め一部を引用する。

“昭和19年七月―――。
横浜港は見る影もない港。いや見たこともない港に変わり果てていた。“

其の横浜から西中佐の軍団を載せた輸送船は硫黄島への死出の旅路に出向する。
ベルリンでの挫折、ロスアンジェルスでの栄光。
そして硫黄島での自決に至る道程で、波乱に満ちた西中佐の一生がフラッシュバックされる。

“長靴に拍車をつけ、馬上颯爽と指揮をとる騎兵士官は、たしかに諸兵科の花形である。士官たちは、ひとりでに、ある程度、伊達者にならざるを得なかった。
(一、服、二、顔、三、馬術)という言葉がある。
騎兵士官たるもの、まず容姿に気を配れというわけである。”

ロスアンジェルスでは
“競技前から「バロン・西」は社交界でもてはやされ、ハリウッドの女優達にひっぱりだこになった。
西は夫人の武子に当てて、たった一回、はがきを書いた。
(おれはもててるよ。アバよ)”

見事ですな!
日本の男たちよ。
世界一の伊達男になって、あの塩野七生とかいう小癪な女の鼻を明かしてやろうではありませんか。
by n_shioya | 2011-07-12 21:33 | 美について | Comments(6)
趣味のカメラ
定年後の趣味としては、写真などは最も適したものの一つであろう。
倫理にもとるアングルに凝らなければ人に迷惑をかけるでなし、多少芸術家気分も味わえるし。
絵も悪くはないが、多少の修業が必要だ。
音楽となると、自分で楽しめるまでは相当の修練を覚悟が必要だし、周りの方々への騒音被害は避けられない。

僕の義弟は定年後写真に凝っていて、同好の士で年に一度展覧会を開く。
今日も銀座のギャラリーで彼らの作品を見てきたが、なかなかなものである。
僕も学生時代は一時写真に凝って、その頃は珍しいカラー写真からとっついて、皆に嘲笑された覚えがある。
写真も絵画と同じで、まずデッサン、つまり白黒から入りそれから“色の道”に進むべきという阿呆な常識がまかり通っていたのだ。
僕は、カラーの方が目で見たまま取れるからずっとやさしいはず、と先達の教えを無視して突き進んだ。
だが、露出だけは遥かに難しい。いちいち露出計で被写体の明るさを測り、絞りとシャッタースピードを決める。
そのため、「色気違いの露出狂」のとからかわれたことは以前にも書いたとおり。

その後形成外科医となってからは、仕事のために連日フォトをとる生活が続き、休みのときはカメラに触るのもいやになった。
形成外科では証拠写真として、術前術後が必須だからである。
そしてデジカメ以前のフィルムスライドは、その整理が又煩雑きわまった。

義弟の作品だが、花盛りの菖蒲を見事にとらえた作品だが、僕はカメラを忘れとりあえず携帯で撮ったので、鮮明でなく作者には申し訳ない。
by n_shioya | 2011-07-04 21:54 | 美について | Comments(2)
「美の秘密の力」
今日は一日庭の寝椅子で本を読みふけった。
ジョン・アームストロングという男の「美の秘密の力」。

絵画を例にとりながら美について論じている。
勿論、美の定義は不可能のようだが、美と考えられる作品の条件、また、何故にそれを我々は美と感ずるかなどの議論は面白かった。
そして例によって、美の主観性と客観性。また、審美眼の育成など、「ミタメ」を論ずる者にとっては大変参考になった。
著者は何が専門なのだろう?

だが、芸術品の美を論ずるのと違い、見た目を論ずることは甚だ難しい。それはその対象の人格にかかわる議論になるからだ。

by n_shioya | 2011-06-12 22:01 | 美について | Comments(5)
岩手の家具
今取り壊し中の歌舞伎座の向かいに、岩手県物産館がある。
岩手県産の食料や土産品を買って被災地を応援しようと、毎日結構なにぎわいだ。

だが今日の我々の目的は、土屋さんの手製の家具にあった。
樫でも、桜でも気に入った丸太を何年でも寝かしておき、また何年もかけて好みの家具に生まれ変えさせる。
木のぬくもりに魅せられた我々は、土屋氏の展示会のたびに何かしら買い求め、狭いウサギ小屋は、足の踏み場もなくなってきた。

それでも性懲りなく、またテーブルを一つ、我が家に持ち込んでしまった。
細長い小さな、高めの机で、スツールに腰掛けて庭を眺めるのに最適だ。
この上に置かせてもらえるのは、「詩」だけである。
イギリス、フランス、ドイツなどの詩歌集。
日に一度はここで詩の世界に浸りたい、エスプレッソを啜りながら。

ちなみに左上のフジタの少女像は原画ではなく、ロイヤルコペンハーゲンの絵付けの陶器である。丁度磁気の白さが、フジタ独特の乳白色を原画並みに再現している。
by n_shioya | 2011-06-10 22:48 | 美について | Comments(2)




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