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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
最近気なる記事を目にした。
肺がんの治療薬イレッサの副作用の被害者の裁判がらみである。 ある種の肺がんには有効だと導入されたが、三か月ほどで肺線維症と言う合併症で死亡例が出始めた。 そして被害者の方々が、製薬会社と国を訴え、裁判所は和解勧告を出した。 だが、国と製薬会社は和解を拒否し、裁判に持ち込んだ。 その結果、裁判所は製薬会社の責任は認めたが、国に責任はないとした。 其の細かい経緯は確認せねばならぬが、引っかかるのは数日前の日経新聞の報道である。 係争中に、厚労省は日本医学会会頭に覚書を渡し、会頭はそれに沿った声明を出したという。 もし本当なら、そのこと自体がやらせと言うか、国家権力の情報操作と言える。 永年霞が関とお付き合いした経験から、これは十分ありうるというか、官僚の常とう手段である。 自分たちに都合のよい御用学者を集め諮問機関をつくり、都合のよい結論を出させ、学識経験者の答申として政策に盛り込んでしまう。 しばしば、会議の前にシナリオは準備され、議事次第として渡されるものが、すでに議事録同然のことも多い。 自分たちに都合の悪い結論が出ると、その部分だけ、正式議事録から抜き取られた経験もある。 又あるときは、予定と正反対の結論が出たため、“申し訳ないが,この会はナカッタことにしていただきたい”と言われ、唖然としたこともある。 政府主導の諮問会議で、中途で委員が辞職することがままあるが、こういう裏の操作が原因のことも多いのではなかろうか。
久しぶりに“青臭い議論”に花が咲いた。
通称「日本の医療を憂うる、ではなかった、考える会」の久々の集まりが、横浜西口のベイシェラトンで催された。 神奈川県の医学部の教授有志の集まりで、当初は名誉教授は僕を含め二人だけだったが、この数年でその数は現役教授より多くなってしまった。 その割には日本の医療制度と教育の改革は進んでいない。 メンバーの議論を聞いたところでは、主な問題は次のようだ。 ①まずは2年の研修制度による、医局制度の崩壊。アメリカ的な制度を中途半端に導入した為の混乱。 さっさと廃止して、卒前教育で臨床経験を身につけさせればよい。 また、医学部の年限を延長など愚の骨頂だ。 ②医師不足が叫ばれているがこれは一時的なもので、また、医師の偏在にもよる。 定員五割増など必要ない。医学部増設などとんでもない話だ。 ③医師、病院の評価を導入し、格差をつけてインセンティブを与えること。 研修医も専門医も教授も、技術料に差がないなど、馬鹿げているとは思わないのだろうか。 また、病院も第三者的な評価が必要であろう。 ④悪名高いゆとり教育のしわ寄せが、医学教育にも及んでいる。やる気のない、グータラ学生が急増している。 ⑤健康保険制度の抜本的改革。 こんな体たらくにしたのは、お前たち名誉教授の世代ではないか、とのそしりを覚悟で、今日の議論を総括してみた。 今後は、これらを連関づけて、一つのパッケージとして改革案を提示しようということになった。 なお、医療崩壊については数年前に立ち上げた別のブログがあるので、参考にしていただきたい、このところ更新を怠っているが。
昨日は神奈川鉄門会の年次総会に出席した。
場所は横浜西口のホテルトーキューであった。 鉄門倶楽部というのは東大医学部の同窓会で、神奈川鉄門会はその支部である。 270名の会員のうち、出席者は50名ほどで、例年にない良い出席率だそうだ。僕も久方ぶりの出席である。 ![]() 東大の本郷キャンパスにはいくつかの門(入り口)があるが、最も医学部に近いのが鉄門だったのでその名がついたようである。 総会後、懇親会に先立って、昭和41年卒の吉村君の「臨床研修医制度について」という講演があった。 彼は今問題になっている悪評さくさくの卒後5年間の「臨床研修医制度」の見直し委員会の委員である。 今騒がれている医療崩壊の一つの原因はこの制度にあるとさえ言われている。 一番問題なのは、前期2年の研修制度とマッチングという採用法であり、取りあえず一年に減らす方向に討議しているという。 これは僕も全く賛成で、大体なんでこんなものをスタートさせたのか不可解であり、全廃して、臨床研修は学部教育に落とし込み、そのベッドサイドを充実すべきと思っている。 僕がこの極論を唱えるのは、半世紀前、医学部が発端で学園紛争始まったとき、青年医師連合(通称青医連)と一緒に、インターン制度廃止、と医局制度の改革に血道をあげ、挫折し、さらに北里大学で医局のない研修制度の確立を試み、これも失敗に終わった苦い経験からである。 医局制度は平たく言えば芸者の置き屋みたいなもので、悪しき面もあったが、日本ではその必要性もあったことは認めざるを得なかった。 結論から言えば、研修制度により医局制度が崩壊し、置き屋を失った芸者が右往左往しているのが現状と言える。 医師不足についても彼の分析は明快だった。 今医師は総数としてはそれほど不足しているわけではない。ただその地域と専門による偏りが問題である。 さらに高齢でも診療を続ける医師の数は増えて続けている。 今医学部の定員を増やしても、それが一人前になるには最低10年はかかる。 そのころは却って医師過剰になり、いったん増えた医師を減らすのには50年かかることになる。 結論は、行政が場当たりにあちらこちらいじくって、さらに混乱を増大することはやめて欲しいということだった。 これも僕は大賛成である。
実は昨日、福岡山王病院の礼賛を書くときに一寸躊躇した。この医療費高騰の時代に何を能天気な、と云われそうだったからである。
ただ僕の真意は別のところにある。 まず、入院生活はもっと快適であるべきという考えだ。病気や手術だけでも十分こたえるのに、病院環境が耳目では踏んだり蹴ったりで、病気も悪くなろうというものだ。 又、現在の日本の制度では、昨日取り上げた差額はあくまで室料だけの問題で、治療は全く平等にうけられる。 アメニティを望む方が、懐具合に応じて選択肢があると考えてほしい。 肝心なことは今の保険制度では、医療費は国家が設定し、医療提供側が必要、適正な治療費を請求できないという、不思議な定めになっている。 したがって現行の制度では、良質な、最新の治療をすればするほど、赤字になるのが実情である。 しかもご承知のように差額徴収や混合診療は原則として認められない。 唯一差額徴収ができるのが室料で、それによって何とか収支のバランスを取っているのが現状だ。 こうして最低限必要な医療、(厚労省が唱えているような理想的なものではない)が被保険者全員に、かろうじて保証さえている。 つまり結果的に室料差額といのは、収入に応じたスライディング・スケールの治療費負担と言えないこともなく、そこでは治療は平等に保障されているが、アメニティは各人の懐具合に応じてという、ある意味で合理的な制度ともいえる。 暴論だろうか?
ディレッタントとしては僕のはるか上をゆく男として、順天堂大学の山内名誉教授がいる。
彼は教養学部時代「芸術新潮」を愛読し、授業中も当時評判になったアンドレ・マルローの美術論「沈黙の声」を読みふけっていたのがいまでも印象に残っている。 本業は整形外科医で、手の外科の名手である。順天堂大学の病院長も務めたが、傍らYY通信なる気まぐれエッセイをEメールで気まぐれ仲間に送付してきた。 それが「エチュード・サンフォニック」という題の私家本となり、今は三巻まで発行されている。 そのYY通信の最新号に、「仁のわざ」と言う徳川義親の文章が紹介されている。 昭和10年の文芸春秋三月号に掲載されたものだが、大変面白いのでここにその一節を孫引きさせていただく。 医は“仁術だからと云って、苦悩と生命を託している医者をいじめるのは心得ちがいだ。もし仁術を主張する人があったら次の話を読んで貰いたい。 昔赤鬼と云われたきわめて強欲非道の高利貸があった。鬼の霍乱ということもあるとおり鬼だって病気にはかなわない。とても重患で命旦夕に迫った。 これに借りた者どもは赤鬼の奴何とかごねて呉れればいいと祈っていたが、命を託された医者だけは懸命に仁の術を施したので、人の恨みも医者の誠意には負けたと見えて、人々の期待に叛いて不思議にも命を取り留めて回復しかけた。 此病人、ある時不意に床の上に起き直って息子を呼んで「すぐに金千両医者にやってくれ」と云い出した 何しろ平常から強欲無類、出すと聞いては舌を出すさえ嫌いな親父が、こんな途方もないことを言ったので、之は親父てっきり気が狂ったのだと思って、いきなり手近にあった煙草盆をとって身構えて、いよいよ親父がおかしくなったら眼潰しをくれて逃げ出そうとしていると、親父の赤鬼はいつになくにやにや笑って 「慌ててはいけない、おれは気ちがいになったのじゃないから安心しろ。じつは俺が初め病気にかかって、とても助からないと思った時、若し医者の力で之が快くなったらこの財産全部お礼にやってもいいと思った。 それが医者の医者の骨折りで病が峠を越したとき、これで助かったならば財産の半分をやってもいいと思った。 病がだんだん好くなるってくるに従って医者にやりたいと思うお礼の金が少なくなってくる。今おれの病気は八分どおり良くなったがまだ二分の不安がある。そこで之で癒ったら千両ぐらいやってもいいと考えている。 此塩梅では病気が全快したら普段の俺の心懸けでは医者には一文だってやるのが嫌になるだろう。医者は命を救ってくれた恩人だ。この気持の変わらないうちに千両やって呉れ」 と云った。 私の話はこれでおしまい。此上書くとお医者の棚卸になる。病気になった時がこわいから此辺で筆を擱く。” なんとも人を食った噺ではないか。 僕から一言。 今の医療崩壊の元凶は「全国民が健康保険によって、最高の医療を受けることができる」と実現不可能な宣言をし、そのメンツにこだわって小手先のビホウでごまかしてきた厚労省にある。 そのため“医療はタダであたりまえ”という概念を国民に植え付けてしまったのが最大の過ちである。
今日は相模大野の小田急センチュリーで“怒涛の会”が、100人を超えるメンバーで、怒涛の如く発足した。
北里大学医学部教職員の同窓会である。 名前は、学祖北里柴三郎の生涯を描いた芝居、“怒涛“から拝借した。 ![]() 最近出版された山崎光夫氏の伝記を読むまでもなく、北里柴三郎の生涯は波乱に満ちたものであった。 破傷風菌の純粋培養、ペスト菌の発見など数々の業績を上げた北里は、当時の人種偏見さえなければ、当然ノーベル賞を受賞していただろうと言われる。 北里大学は40年前の学園紛争を期に、新しい理念のものと、戦後最初に誕生した医学部で、新設大学の中でもその評価は高い。 国家試験の結果がすべてではないが、今年の合格率順位は全国22位で65位の東大をはるかに上回っている。 こうして北里を持ち上げるのは、23年お世話になった身としては当然だが、発足時の北里大学は実に風通しの良い、僕のようなアメリカ帰りのピント外れの男にとっては実に居心地の良い大学だった。 北里がなかったらば、僕はとっくにアメリカに舞い戻っていたろう。 北里の掲げた改革ののろしは、その後大学紛争の壊滅と、旧体然たる医学界の抵抗でついえてしまい、その結果が今の医療崩壊へと繋がっていったというのは、多少短絡的ともいわれそうだが、紛争当時誕生した「白い巨塔」が今またリバイバルで人気を呼んだことでも、この40年間、日本の医療と医学教育がなにも変わっていないことを示していると言えよう。 とまれ、日本の医療崩壊は悲惨の一語に尽きる。 どうしようもなく傾いた時勢を戻す努力を「狂乱を既倒に回らす」というが、そのために生まれたのが、「怒涛の会」だと思いたい。
「医療荒廃」が叫ばれて久しい。
矛盾だらけの保険行政。暴力的ともいえる警察の介入。医師不足による救急患者のタライ回し。 僕もその尻馬に乗って、「医療荒廃」というブログを以前立ち上げたが、長続きしなかった。 二つのブログを更新し続けるのは僕のキャパを超えてしまったのと、「医療荒廃」の抱える問題はあまりにも複雑多岐にわたるからである。 だが、この辺で我々医療従事者も、原点に立ち返ってみる必要があるのではないだろうか。つまり医療は何の為、またどうあるべきかである。 この場合原点となるのは、アメリカでは医学生なら卒業にあたって誓わされる「ヒポクラテスの誓い」である。 現状とそぐわない点もあるが、その精神は今でも十分に尊重に値する。 ここに恩師小川鼎三教授の訳を引用する。 「医神アポロン、アスクレピオス、ヒギエイア、バナケイアおよびすべての男神と女神に誓う、私の能力と判断に従ってこの誓いと約束を守ることを。 この術を私に教えた人をわが親の如く敬い、わが財を分かって、その必要ある時助ける。その子孫を私自身の兄弟の如くみて、彼らが学ぶことを欲すれば報酬なしにこの術を教える。そして書きものや講義その他あらゆる方法で私の持つ医術の知識をわが息子、わが師の息子、又医の規則にもとずき約束と誓いで結ばれている弟子どもに分かち与え、それ以外のだれにも与えない。 私は能力と判断の限り患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない。頼まれても死に導くような薬を与えない。それを覚らせることもしない。同様に婦人を流産に導く道具を与えない。 純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う。 結石を切り出すことは神かけてしない。それを業とするものに任せる。 いかなる患家を訪れるときも、それはただ病者を利益するためであり、あらゆる勝手な戯れや堕落の行いを避ける。男と女、自由人と奴隷の違いを考慮しない。 医に関すると否とにかかわらず他人の生活について秘密を守る。 この誓いを守り続ける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるだろう。もしこの誓いを破るならばその反対の運命を賜りたい。」 どうです、大した誓いでしょう。 結石など特殊な問題は別として、安楽死、医師の教育、医の倫理にかかわるすべてが取り上げられている。 熟読玩味されんことを。 足かけ4年続いた「エッジウォータークラブ」が今日幕を閉じた。代表の島田晴雄先生、会員のみなさん、そして無償で参加してくださった講師のみなさん、本当にご苦労様でした。 その成果は、「医療改革を目指して」という分厚い報告書にまとめられている。 きっかけはビル・ゲーツの始めた「環太平洋健康サミット」にあったという。 その目的は環太平洋の健康増進に関する基本的な課題を議論し、解決を図るというものだった。 シアトルで開催された会議に出席された、現千葉商大学長の島田教授が、そのアイデアを日本でも生かそうと「エッジウォータークラブ」としてこの研究会を始められたのが、4年前のことである。 報告書を読めばお分かりになるが、およそ日本が今抱えている医療問題のすべてが、網羅的にその道の専門家つまり医療担当者、行政、企業の方々によって分析、総括されている。 今日はその最終回ということで、研究会終了後皆でしゃぶしゃぶ料理で打ち上げを行った。 まことに有意義な楽しい会であり、いずれ近い日の再スタートをみな期待している。 島田先生、よろしくお願いします。 ![]()
今日は一晩、日本の医療の将来に関して、熱い議論が繰り広げられた。
「第14回医療を考える医学者会議」である。 結論から言うと、元凶の最たるものは、数年前に導入された「二年の研修制度」 である。 幸いメンバーの一人が、その見直しの委員会に入っているので、大いにこの会議の意見を取り入れてもらおうと、そのメンバーにハッパをかけた。 そもそもインターン制度は意味がないというので、熾烈な学生運動の結果廃止された、過去の遺物である。 ちなみに当時僕は、インターン制度はもっと充実させて存続すべきという考えだった。 それを中身はそのままにだらさら二年に延長したのが今の制度で、しかもマッチングと称して医学部の教室の影響をはく奪して、研修医に研修病院を選ばせたため、研修医がただうろつくようになったのである。 繰り返し述べたように、医局は芸者の置き屋みたいなもので、弊害はあってもそれなりの機能は果たしてきた。 それがいま、置き屋を失った芸者が右往左往しているといったら言い過ぎだろうか。 確かに今までの医局支配は弊害があったが、市中病院と大学病院が卒後教育面で連携を密にしない限り、研修のレベルは保証されない。 また、僻地を含め、必要に応じて医師を配置するのも、置き屋の機能であったので、今は皆、都会の病院に集まり、僻地が無医村になっている。 又、家庭医の養成と基礎研修がごっちゃにされている。 今の二年の研修なら、学部教育で十分こなせるはず。 もしロテーションが必要というなら、専門科目を選択してから、それに合ったロテーションを組めばよい。 いわゆる家庭医的な研修は、それはそれで考えればよい。 又、研修をそれだけ義務化するなら、へき地医療もその中に組み込んで義務づければよい。 どだい行政のやることは、医師を削減したり、急に増やそうとしたり、予算の配分も、理念なきパイの切り分けにすぎず、要するに阿呆首相のもと、阿呆官僚が小細工を弄しているにすぎない・・・ など、など議論は尽きず、さらにはいまどきの若い者の覇気のなさ、そもそも幼稚園から教育が間違っている、いやその責任は親にもあると、議論はとめどなく続いた。 ま、いくらほざいてもそれだけではごまめの歯ぎしりなので、件のメンバーを通じて、2月初めの答申案に会議の結論を反映させようということになった。
今、伊集院静の「羊の目」という本に取り付いている。
何かヤクザの話というので、いささか危ぶんでいたが、さすが伊集院。出だしの戦前のヤクザの抗争、浅草の雷門の場面から引きずりこまれてしまった。 まだ、三分の一も読んでないので、本の感想は読了後に回すとして、ヤクザの世界があまりにもリアルに描かれていて、はからずも僕は日本の大学病院の医局を思い出してしまった。 ヤクザの世界と医局制度は体質的にも、運営面でも酷似している。 教授はオールマイティで、いったん入局したら絶対服従を誓わされる。しかも将来の就職から、結婚といった私生活まで、死ぬまで教室の方針には逆らえない。教授の意に反したら、指を詰めるぐらいでは済まず、国内での医師としての生命は絶たれてしまう点、ヤクザの世界より厳しいかもしれない。 そしてヤクザのシマと同じに、各医局には関連病院というテリトリーがある。 この縄張り争いも、本物の血が流れないだけで、ヤクザ並みに壮絶か、むしろ仁義なき戦いという点では、ヤクザに劣るかもしれない。 医学部を出て留学する際、ぼくは木本組ではない、木本外科に草鞋を脱いだ そのころ木本教授は女子医大の榊原教授と並んで、日本の心臓外科の草分けだった。 その一と月後アメリカにわたり、八年たって帰国した僕は、先ず教授室を訪れ木本教授に帰国のご挨拶とわがままをお許しくださった御礼のべた。 入局してすぐ自分の意思で留学するなど前例もなく、医局のしきたりを無視した行動だったからである。 木本教授は言われた。 “ご苦労だった。 細かいことは医局長の指示に従ってほしいが、二つだけ私から君に言っておこう。 まず、アメリカでは話をする際に、教授が立っていて、弟子が座っていることがあるそうだが、日本ではそういうことはない。 二つ目に、これが大事だが、アメリカでは教授が間違ったときに弟子が指摘することもあるそうだが、日本では絶対にあり得ないことだからな。” 今の若い医師はあきれるかもしれないが、その時の僕は、村の掟を知らないアメリカ帰りのためを思っての親切な忠告と感謝した。 ちなみに木本教授は大変紳士的な方で、医局の決めは決めとして、決して理不尽なことをご自分では言ったりされたりする方ではなかった。 しばらくしてドイツから僕の友人の医師が東大を訪れた。 附属病院や医局を一通り見終わると彼は“すばらしい!”と感嘆の声を上げた。その後がいけない。 “まるで百年前のドイツの医学部を見るようだ。”と。 そう、百年前、我が国は当時先端を行っていたはずのドイツ医学を輸入した、その教授オールマイティの権威主義とともに。 戦後ドイツは医学界の頂点から滑り落ち、その権威主義も崩壊したが、わが国では軍部は崩壊したが、医学界にはまだ、「白い巨塔」が厳然と存在していた。 これに対して青年医師連合(いわゆる青医連)が結成され、さらに全国的な学園紛争に発展し、安田砦の攻防戦で終焉を迎えるようになったのは、このすぐ後のことであった。 これを話し出すと、一冊の本になってしまうが、今の医療崩壊の原点、また改革のチャンスはここにあったので、別の機会に譲る。 一言だけ付け加えれば、あの時うやむやな形で医局制度と研修制度が元の鞘に収まったのが、今日の惨状を招いたとも言える。 < 前のページ次のページ >
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![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) by n_shioya 以前の記事
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