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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
アメリカのキャンプ場は日本のような若者でにぎわう場所ではなく、どちらかと言えばつつましい庶民が、子供連れで自然と親しむ場所である。
ほとんどが国立か州立の公営で、広大な敷地の中に自然を損なうことなく、テントを設営する場所がゆったりと取られ、水場もそれぞれに確保されている、もちろん便所は共同だが。 その他シャワーや薪の用意されているところもある。 これらの設備については、ランドマクナレイのガイドブックに詳細に記載されているので、自分で適当と思われるキャンプサイトを繋いで、旅を続けることになる。 使用料は当時で、車一台につき1ドルほどだった。 やり方としては僕たちのように車にテントを積むか、テント付きのトレーラーを引っ張るか、いわゆるキャンパーと仕様の車で移動するかであった。 一番楽なのは最後の方法で、テントを張ったり畳むたびに、キャンパーがうらやましく思えた。 さてオルバニーを出発して最初の泊りはシラキュース付近だったと思う。 日本でもキャンプの経験のない男である。 最初の晩は随分ともたつき、皆が寝袋に潜り込んでいびきをかき始めるころは、真夜中をとうに過ぎていた。 キャンプの魅力は、モテルと違い自然の一部に溶け込んだ感じを味わえることである。 また、キャンパー同士すぐ仲間としてうちとけ、一緒にバーベキューをしたり、反対方向に行く同士では、行き先のキャンプサイトの情報交換をしたりする楽しさがある。 ナイヤガラを過ぎ、クリーブランドに差し掛かるころはもうすっかりキャンプ生活も板についてきた。 クリーブランドではちょうどそのころ、後に東京医科歯科大学の学長となる鈴木彰夫君がオルバニーから移って、心臓外科の修業をしていた。 鈴木一家に敬意を表し、“まだ先が長いから頑張って”と励ましを受けシカゴに向かう。 シカゴでは、これもまたオルバニーで知り合った留学生仲間と再会を果たし、一路西へ向かう。 ここからひたすら平野で40度近い猛暑の中を走り続けた。 窓を開けると熱風が吹き込むので、クーラーはなくても窓を閉める。当然車内は炎熱地獄で、後ろの席では男の子二人が些細なことですぐ喧嘩を始めたものである。 時折スーパーが見つかると、店内に飛び込んで一家で「涼」をとった。 そして10日後、ダコタのブラックヒルに到着。森の冷気に息を吹き返し、そこからはロッキーを超えて西海岸に達するまで、国立公園をはしごして、アメリカ大陸のキャンプの醍醐味を存分に味わう毎日が続く。
われわれの医療グループの事務局に、七人の新卒が入った。
昨日、今日と入社式とオリエンテーションである。 不肖名誉院長も駆り出されて、訓示を垂れる仕儀となった。 こういうのは最も苦手とするところですなぁ。 予定が錯綜して突然のご指名だったので、しどろもどろの挨拶になったが次のようなことを云ったような記憶がある。 「おめでとう、諸君! これまでの20年ほどは準備期間で、これからが人生の本番だ。 学生時代の殻を捨てて、新天地に飛び込んでほしい。 まずは先輩が企業での仕事のルールを指導してくれると思うが、僕が名誉院長として言いたいのは、まず完全な頭の切り替えである。 君たちは15,6年間かけて、日本の“受け身の教育”を身につけきた。そこでは、正しい答えは常にどこかに存在し、学生の役目はそれを見つけて鵜呑みにすることだけだったはずだ。 だが、いったん社会に出れば、仕事の上では正解が一つとは限らない。また、正解はまだだれも持ってないかもしれない。 その正解を自分で探し出すのがこれからの仕事である。 ただツッパレと言ってるのではない。 慣れるまでは先輩の指導に従う必要がある。 だが課題を与えられて、先例というか答えがすぐ見つからぬ時は喜んでほしい。 自分が新たに答えを出すチャンスが来たと。 君たちがこれから取り組もうとしているアンチエイジングの世界は、我々にも未知の世界である。 将来どう発展するかではなく、どう発展させるかという意気込みで取り組んでほしい。 僕が理事長を務めているアンチエイジング・ネットワークのモットーは “未来を予測する最も確実な方法は、自分で造り出すことだ”ということを忘れないでほしい。
突如、女性の下着売り場に紛れ込んだような、気恥ずかしさをかんじた。
今少し品の良い言い方をすれば、「女の園」にこっそり潜りこんだような。 周り一面に、少女像が飾られ、それを眺めているのも女性ばかりである。 ちらほらと男性も見かけるが、みな初老の男である。 それは松屋で開かれている中原淳一展の会場だった。 ![]() ![]() 中原淳一。 それは「昭和一桁」には、男性でも懐かしい挿絵画家である。 少女の友、ソレイユなど戦前、戦後の少女雑誌の表紙を飾り、詩も書き、シャンソンを日本に紹介もした。 結婚相手は、当時人気絶頂の宝塚の男役、葦原邦子、ニックネームは「あにき」だった。 なぜ僕がそんなことを? 女の姉妹に挟まれ、二人ともが宝塚狂で、姉は小夜福子の熱烈なファンだった。 だが我が家では、中原純一はタブー視されていた。あんな退廃的な、不健康な、というのが母親の見方だった。 また、必ずしも女性全員に好かれたわけでもなかったように思う。 当時の言葉で、おセンチとかたずける向きもあった。 だが姉は、少女の友をこっそり押し入れにしまい込み、夜中に僕にそっと見せてくれた。 今日は彼の原画や人形を、誰はばかることなく堪能できた。 今見ても違和感がないのは、彼はファッションを、時代を先取りしていたからだろうか。 ちなみに彼の詩の一節を紹介しよう。 「もしこの世の中に、風に揺れる『花』がなかったら、人の心はもっともっと、荒んでいたかもしれない。」 僕もおセンチと言われそうですね。
美容外科はコンプレックスの解消にあるといったが、最近の患者さんはどうもコンプレックスとは縁の無い、あっけらかんとした態度で、こちらが戸惑ってしまうことが多い。
特に容貌で悩んでいるというより、いわゆるお化粧感覚でちょっと手術を、と安直に考えているむきもある。 今の顔に不満は無いが、別の自分を演出してみたいという変身願望が根にある場合もあるといわれている。 そうだとすれば、あまりコンプレックスの解消などと大上段に構えて頑張ると、こちらが空回りしかねないのが昨今の若者気質である。 逆に、容貌に対して過度のコンプレックスを持ち、手術をするほどに悩みが深くなるこだわりのタイプもまれにある。これは「醜形恐怖症」といって、一種の精神病質であることもありうる。 それでおもいだすのはH嬢である。 H嬢を最初に外来で見たのは30年前、既に三十才だったろうか。とりわけ美人というわけではないが、丸顔の可愛らしいお嬢さんだった。 怪我で鼻がつぶれ、隆鼻術を受けたが形が気に入らないという。 そこでプロテーゼを入れ替えた。その結果鼻筋も真っすぐ通り、プロフィールも、自然なカーブを作ることが出来た。と僕は思い、本人もそれは認めてくれた。 しかし、何かまだ不満が残っている様子で、更にいろいろ、細かい注文を付けてくる。納得のいく希望もあれば、一寸頚をかしげるような注文もある。 僕としては出来るかぎりのことをして、後は当時美容担当の大竹助教授(現聖路加病院形成外科部長)に頼むこととした。 大竹助教授は生まれ付いての美容外科医である。学生時代から形成を志望し、入局してまもなくほとんどの手術を安心してまかせられるようになった。趣味は写真、漫画、模型機関車その他諸々である。ことに模型機関車は、遊びの域を脱していた。子供を乗せる大きさのを、鉄板から起してつくるだけでなく、本物の石炭を焚いて蒸気を起こす。その石炭も、イギリスから無煙炭を取り寄せるという凝りようである。そういう男だ。 鼻の手術はことに名人芸で、ほとんどの場合、本人の耳介軟骨を巧みに細工して、スッと決まった鼻筋、つんと可愛らしい鼻尖部。ほれぼれする仕上がりである。 その大竹先生にも、彼女は満足しなかった。 僕は、精神科の石郷岡先生の直々の診察をお願いした。結論は「パラノイア」と言うことであった。 パラノイアと言うのは、必ずしも病気ではない。元来は全く正常だが、ある一つのことについてのみ、異常に執着してしまう。 「本人も、馬鹿げていると分かっているがどうしようもないのがこの病気の特徴です。これ以上手術をつづけても無駄でしょう」と言われる。 「しかも、執着する対象にであって始めて症状が発現するので、術前の心理テストではかならずしもひっかかからないのです」と弁明された。 その後僕は大学を離れたので、現在彼女がどんな状態か、叉、 現在は聖路加の部長となった大竹先生がどう付き合っているのか不明である。 僕が彼女のことをこう長々とかいたのは、実はブログを書きながら、ふと疑念が生じたからである。 勿論、パラノイアの傾向はあったのかも知れない、しかし、僕らは本当に彼女の悩みに、耳を貸していたのだろうか、 例えば、彼女にとって本当の問題は鼻ではなかった。唯もっと美しくなりたい。或いはそういわれたいと願った。しかしそれがかなわぬので、鼻をスケープゴートにして、文句を付けたのではないか。僕らはそれに気づかなかったのではないか。 あるいはまた、頭の中だけである理想像ができていて、それを唯追い求めていたのではないか。ドンファンは女たらしだったのではなく、ただひたすら純真に真面目に、理想の女性を追いかける完璧主義者であったという見方もある。 僕はミロのヴーナスを思いだした。 ミロのヴぃナスには両腕が欠けている。元来どうであったか、一生懸命想像して、復元を試みたのが、フルトヴェングラーと言う学者である(指揮者のフルトヴェングラーではない)。だが、どのような腕を付けてみてもしっくり来ない。それは既に我々の頭のなかに、現実の形をもちえないある理想像が出来上がってしまっているからだ、と彼は結論付けていたように思う。 このような悩みに対して、メスはおろか同じ人間である医師がどう、対処できるのか、未だ僕は答えが出せないでいる。
このごろよく、女性のライターなどに取材を受けたあと、こちらからも質問を発することが多くなった。
聞かれるだけでは割が悪いということに気がついたのである。 たとえば最近の定番は、 “女性がお化粧を含め、装いをするとき、誰の視線を意識しているか” という問いかけである。 何も深い意味があるわけでなく、ある日ふと思いついて、以来気になり始めただけの話だ。 僕なりに考えても、男の目、同性の眼、そして自分自身といろいろな場合があそうだが、まず男の目というのは、あまり当てにしないほうが良いだろうとはこちらの考えである。 特にファッションなどに関わりがある仕事をしてない限り、男は全体の感じには敏感でも、ディテールには案外無頓着なものだ。もっともこれは男性一般というより、僕の鈍さだけかもしれない。 早い話、その日ご一緒した美女でも、洋服の色は、髪型はなど聞かれてもまず応えられないだろう。 むしろ同性の眼をもっとも意識しているのでは、というのが僕の推察だった。ともかく女性は他人の身なりや振る舞いに極度に敏感なように感じられるからである。 だがそうでもないようだ。 ほとんどの方は、やはり自分の目でしょうか、とお答えになる。 それじゃ自己満足に過ぎないのでは、といいたくなるがそれも短絡思考のようだ。 確かに鏡を覗き込んでいるのは自分の目だが、やはり判断基準には、女性同士のルールが物差しになっているし、その先の目的に男性が存在しても不思議はない。 ただ、それらをひっくるめたのが、自分の眼ということらしい。 いずれにせよ、入試のマルティプルチョイスのように、正解が一つだけしかないという問題でもないらしいことは解かってきた。
この世の中どこか狂っている。
昨日、元厚労省事務次官の辻さんのお話を聞きながらそう感じた。 高齢化社会に向けての一番の課題は生活習慣病の予防にあるとは、昨日記したとおり。またその中核にあるのがメタボリック・シンドロームであることも間違いない。 メタボリックシンドロームの原因は体質とか生活習慣とか色々あるだろうが、運動不足と偏った食生活にある。飽食、端的にいえば“食べすぎ”である。 散歩など適度な運動に異議はない。だが、腹いっぱい食べてそれをそぎ落とすためにトレッドミルなどで汗をかくのはいかにもこっけいではないだろうか。 更に深刻なのは、飽食で命を落とす人が増加している一方で、最低限の食物も手に入らず餓死していく方々が、地球全体でどれほどいることか。 短絡的にいえば、我々は恵まれない方たちから食物を奪って餓死させ、自分たち自身もメタボリックシンドロームに陥って命を縮めていることになる。 二重の意味で過ちを犯しているのではなかろうか。 共産主義が崩壊したとき、あの自由経済の申し子のようなソロスがこういったのを思い出す。 “これからは抑止力を失った資本主義の暴走を如何に食い止めるかが問題だ” 個々人の際限ない欲望の追求は、他人の不幸を招くだけでなく、本人も破滅に追いやる。 地球温暖化もその一つの例かもしれない。 ここでわれわれに要求されているのは、思いやりであり、叡智である。 それが何であるかは誰でもわかっている。だがそれが守れないのが人間のおろかさである。 ちょうど、適度な運動とバランスの取れた食事が体に良いのは判りきったことなのに、最も実行が難しいのと同じように。
日本の針路はいったい誰がどこで決めるのか、かねがね不思議に思っていた。
30年ほど前、霞ヶ関の住人にこの問いを発したところ、 昔、というのは彼が入所した頃は、自分たちで議論したことが、そのまま政治に反映されていったものだが、今では代議士先生の、時には横暴な横槍にも従わざるを得なくなってきた。 その先生たちに高邁な識見があればよいのだが、ひたすら選挙民のエゴに追従している、もちろん票のためだという。 そういわれても選挙民というと我々一般市民だが、何か仕事をしようとすると霞ヶ関の慈悲深い規制でがんじがらめに縛られている。 つまり選挙民、行政、政治家がお互いに追い回して円を描く、いわゆる三竦みの状態のようだ。 しばらくして同じ問いを、大蔵省のトップに近い人物に投げかけた。 すると彼はその問いに直接は答えず、どこかの天体観測所の話を始めた。 要するに何百億単位のプロジェクトに自分が予算をつけてやったということである。 つまり、地獄の沙汰も金次第。国の政策も、財布を握っている俺たちの決めることということを言いたかったようである。 だが、その自信もバブル崩壊というチョンボで揺らぎ始め、名称も財務省と改めさせられた。 外務省はプロトコール重視で儀典課だけあれば間に合いそうだし、国の防衛はアメリカ様頼りである。 憲法の埒外に安保条約がのさばっていれば、わが国はアメリカの51番目の州といわれてもしょうがない。 いっそ開き直って、最近活躍されているさる高名な外交評論家の言われるように、アメリカの属国としての生業を真剣に議論したらいかが、など毒づいていると面白い本が出版された。「日本に国家戦略はあるのか」 著者は朝日新聞編集委員の本田優氏である。 結論から言うと、わが国はこれまで国家戦略なしに漂流してきたが、国際情勢の変化に伴い、この辺で褌を締めなおせねば、ということである。 その〆なおし方については、朝日新書をご覧ください。
結び
今、僕はアンチエイジングメディシンに忙殺され、エステティックの公的な役職からは身を引いているが、あるエステティック学院の顧問だけは努めさせていただいている。おそらく日本で一番伝統のあるエステティックスクールで、そこの卒業生は業界の主要なポジションで活躍をされている。 顧問として入学式、卒業式には出席し、カリキュラム等のお手伝いもさせていただいているが、いつも感心させられるのは生徒さん達しっかりした目的意識と熱心な勉学態度である。医学部の学生もあのくらい高いレベルだといいのだが、といつも羨ましくなるほどだ。 問題は彼女等が卒業しても、その努力が報われるような環境がまだわが国では整っておらず、やりがいのある職場があまりにも少ないことだ。 その意味でも、早く世間に認められるようなエステティッシャンの統一資格が誕生し、サロンも法律を遵守し、医療との協調体制が生まれることを切に望む次第である。 (終わり) 掲載:フレグランスジャーナル社発行の美容専門誌「クレアボー」
リラクゼーションの効果
今後のエステティックが積極的に取り組み、強調すべきは、リラクゼーションの効果であろう。 今までどちらかというとエステティックは、効果は一時的なものでリラクゼーションに過ぎないという言い方をされることが多かった。僕個人の考えではこれは間違いで、リラクゼーションこそこれからエステティックが医療を補完していくべき分野だと思う。 臓器別の分析的な西洋医学が限界に達し、最近では東洋医学、アーユルヴェーダ等かつての民間療法的なものが見直されてきている。それは結果的にみな、リラクゼーションの効果を目的にしているといえよう。 その意味でこれからはエステティックこそがアンチエイジングや代替医療の中心となって欲しい。 今ひとつ言いたいことは、エステティックを学問として捉えた場合、まやかしは困るが今流行のエビデンスに余りとらわれないことである。 人間の体は不思議なものである。今の医学で説明のつかないことはいくらもある。何がその人にとって効き目があったかは、本人にしか分からないことも多い。それを西洋的な分析的な手法で分解すると、せっかくのエステティックの本質が壊されてしまう恐れがある。 その反面、医学的評価法でエステティックに取り入れられるものもたくさんある。例えば脳の活動や変化など、今リアルタイムでカラー画像を追っかけることも可能だ。この分野こそ、医師とエステティックが協力し、例えばボディトリートメントの最中の脳の変化を追っかけ、ハンドテクニックのリラクゼーション効果が実証できればこれに越したことはない。 (続く…)
メディカルエステ
医療とエステティックの具体的な協力体制の一つがメディカルエステであろう。 ただこれははっきり定義されたものでなく、いろいろな形態が可能だし存在する。 大別すると次の三つになるだろうか。 (1)サロンが顧問医師をおき、指導を受ける。 この場合は、医師の指導の内容や方法にばらつきが多いのが問題である。 しかもこれはあくまで医師が医療に関する相談に応ずるということで、サロンで医師の指導のもとにエステティッシャンが医療行為を行なえるということではない。 また、医師としてもクリニックでないサロンで、医療行為を行うことは出来ない。 (2)サロンとクリニックが連携して、施術と診察に当たる。 具体的には医療的な施術が必要な時はサロンからクリニックに紹介し、クリニックからはエステティックだけで充分な患者、また医療の補助手段としてエステティックが望ましい場合にサロンに紹介する。 この場合はしばしば二つの施設が同一ビルの同一フロアか、上下のフロアの場合が多い。例え経営母体が同一であっても、入り口を含め両者は完全に分離されていなければならない。 この場合でも、サロンのクライエントがクリニックに移って医療を受けることは出来るが、医師がサロンに出向いて医療行為を行うことはできない。エステティッシャンがクリニックに出向いてエステティック施術をするのは可能である。 (3)クリニックでエステティッシャンを採用し、クリニックの中で医療と一緒に施術を行う。 この場合も、いくら医師の指導下でもエステティッシャンはエステティックのみで医療行為は行えない。 これらの形態にはそれぞれのメリットデメリットがあるが、問題点を浮き彫りにするため それぞれのデメリットを列挙すると(1)の場合、医師の関与が形式的だけになり、メディカルと 言ってもイメージだけのものになりがちである。 (2)の場合は経営母体が違うと、両者の責任者の間で患者やクライエントの取り合いになり、 連携がスムーズにいかなくなることがある。 また、経営上の相乗効果を期待すべきでなく、それぞれが自前で成立を考えるべきで、相手方に頼ると両者ともが立ち行かなくなってしまうことが多い。 (3)の場合は施設全体がクリニックとして設備上も保健所の規制を受け、また、サロンとして広告が認められなくなる。 メディカルエステがどのように発展すべきか、まだ試行錯誤の段階だと思うが、クライアント側には二つの正反対の受けとめかたがあるようだ。 まず、メディカルがあることで安心感を持つタイプ。それゆえにメディカルエステという形態が生まれたわけである。 反対に、自分はエステティックだけ受けたいので、医師の関与は望まないし、クリニック的なイメージは御免だというタイプもある。 どちらを重視するかは、オーナーがサロンの顧客や内容をどのようなものにしたいかで決まる問題であろう。 (続く…) |
![]() 塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日) by n_shioya 以前の記事
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