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NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長が、『アンチエイジングな日々』を
軽快な筆致でつづります。 どうぞお気軽にコメントをお寄せください。 |
あれ以来(1月30日ブログ参照)、仕事の関係で医学部のクラスメートの伊東貞三君と会うチャンスが増えた。
彼は昭和天皇の最期をみとった侍医団の一人である。 天皇の手術を執刀したのも、やはりクラスメートの森岡君だ。 伊東君とは学生時代、佐渡を旅行したことがある仲だ。僕はフィアンセを同行していたので、彼はシャペロンの役を押しつけられたことになる。 真面目な奴だが、ちょっと浮世離れしたところもあり、しかもユーモアもある。その彼が書いた「回想の昭和」の中の昭和天皇は、伊東君には心を許して、結構ユーモラスな面をお見せになったたようである。 たとえば、「藪医者の話」。 「那須御用邸の玄関前に藪キタの木が卓さん植えられている。われわれ侍医は毎日のご散歩の際は必ずお供をするわけであるが、ある日ご散歩の帰りこのヤブキタについてご説明されているとき、陛下はポツリと『私の後ろにもヤブが居るよ』と申された」という。 また、「よく死ぬ病院」 「前略 たまたま雑談の合間に浜口首相が東京駅で狙撃されて東京大学の病院に運び込まれた話が出た。 陛下は『彼の傷は治ったのにアクチノなんとかという、ばい菌で死んだのよね』と言われた。 中略 たぶん老齢の方は新聞でお読みになったことがあろう。さて会食の続きであるが陛下が『あの病院はよく死ぬのよね』と言われた。私は東大病院出身なので、母校のことを言われ『ギョギョ』とした。その時誰かが助け船を出してくれて『東大は日本一の病院だから重症患者が来るから仕方ないですよね』と言ってくれた。 『アアソーナノ』と陛下・・・・。 という具合である。 出版所が医学出版社なので、一般の書店には並んでいないかもしれないが、ぜひ注文して取り寄せ、お読みになることをお勧めします。
by n_shioya
| 2009-04-07 21:52
| コーヒーブレーク
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Comments(3)
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塩谷信幸
1931年生まれ
東京大学医学部卒業 北里大学名誉教授 北里研究所病院形成外科・美容外科客員部長 AACクリニック銀座 名誉院長 NPO法人アンチエイジングネットワーク理事長 見た目のアンチエイジング研究会代表世話人 東京米軍病院でのインターン修了後、1956年フルブライト留学生としてアメリカに渡り、オルバニー大学で外科を学ぶうちに形成外科に魅了される。数年の修業の後、外科および形成外科の専門医の資格を取得。 1964年に帰国後、東京大学形成外科勤務を経て、1968年より横浜市立大学形成外科講師。1973年より北里大学形成外科教授。 1996年に定年退職後も、国際形成外科学会副理事長、日本美容外科学会理事として、形成外科、美容外科の発展に尽力している。 現在は、北里研究所病院美容医学センター、AACクリニック銀座において診療・研究に従事している。 >>アンチエイジングネットワーク >>NPO法人創傷治癒センター >>医療崩壊 >> 過去のブログはこちら(2005年5月26日~2006年5月26日)
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