今週のピックアップブロガー

クオリティの高い写真や憧れのライフスタイル、心癒されるペットやおいしい料理まで!
エキブロには素敵なブロガーがいっぱい!そんな人気ブロガーに直撃インタビュー!

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c0039735_1675813.jpgまんまるお目目とぺろっと出した舌、ひょうきんな表情がとっても愛らしい、フレンチブルドックのボスちゃん。見ているだけで、こちらまでにんまりしてしまい、心がほっこり癒されます。
そんなボスちゃんのかわいい写真や四季を伝える盛岡の風景などとともに、穏やかな日々をつづった「まんまるボス外伝」のbulltatsさん。
昨年3月11日の東日本大震災では、ご実家が被災され、一度にたくさんのかけがえのないものを失ってしまいました。
津波で最愛のご両親を失った遺族の思いは、計り知れないほどの悲しみや無念さがあると思いますが、そんな辛い思いを抱えながらも、明日に向かって一歩ずつ歩んでいる前向きな姿が、bulltatsさんの写真や文章から伝わってきます。
その写真を通して、「平穏無事に、毎日過ごせることがどんなにありがたいことか」、「改めて命あることに感謝したい…」と感じる読者が多いのではないでしょうか。

震災から1年を迎えた3月は、震災特別編として、被災地支援に力をそそいでらっしゃるブロガーのインタビューをご紹介しましたが、3月最終更新の今回は、そんな「まんまるボス外伝」のbulltatsさんにご登場いただき、ブログのご紹介とともに、震災でご家族を失った遺族の立場から、3・11の「あの日」のこと、そして、震災から一年の間のさまざまな思いや、一年を迎えた今の気持ちについて、とても正直に語っていただきました。

エキサイトブログ編集部:いつもご利用いただき、ありがとうございます。さっそくですが、ブログをはじめたきっかけは?
bulltatsさん:はじめまして!こちらこそ!今回はピックアップブロガーに選んでいただきありがとうございます。
私がブログをはじめたきっかけは、私の妻が先に我が家のフレンチブルドッグ「ボス」の日常をつづるブログをやりはじめたんですが、そっちとは違うボスの表情やエピソードを私なりの表現で載せてもっともっとボスのことを知って欲しかったからでした。

c0039735_16101915.jpgエキサイトブログ編集部:ご自身のブログを紹介してください。
bulltatsさん:おもにフレンチブルドッグ「ボス」の表情や私の興味あること、今現在住んでいる岩手県盛岡市の街の様子など自分で撮った写真を載せているブログです。私自身はただの写真好きなサラリーマンなんですが、自分が撮った写真を見ていただいて、ボスはもとよりフレンチブルドッグを「かわいい」と思ってもらったり、僭越ですが、それをきっかけに犬そのものを好きになっていただけたらうれしいと思ってます。それと写真に映る盛岡の街並みとかご覧いただき、盛岡をはじめ、岩手県に興味を持っていただけたら幸いですね。

岩手といえば、昨年2011年3月11日に東日本大震災津波により言葉につくせないほどの被害があったんですが、私の実家も被災しており、ここ一年はブログでもそのことについての記事が中心となっております。震災のことは後ほど詳しく話しますが、被災後の自分の胸の内などブログ記事につづっておりました。

エキサイトブログ編集部:3.11の東日本大震災ではご実家が被災され、ご両親が命を落とされましたことを読ませていただきました。ご両親のご冥福をお祈りいたします。震災が起こった「あの日」、bulltatsさんご家族に起こったこと、「あの日」を境に変わったことをお話しいただけますか?
bulltatsさん:ありがとうございます。あの日私は、会議出席のため宮城県仙台市へ出張しておりました。ホテルの会議室で地震に遭い、私自身も避難所でひと晩過ごしました。
妻とボスは、盛岡市内の自宅で無事。近くに住む妻の両親、当時北海道にいた妹、盛岡にいる弟も無事でした。津波被害が甚大だった大槌町など沿岸部にいる叔父、叔母、従妹たちも無事でした。
実は、この時、大地震発生の14時46分から15時前の間に、北海道にいる妹が実家に電話をしたら母に繋がったそうなんです。「大丈夫か?」との妹の問いに「大丈夫じゃない!早く逃げないと!」と母はそう言い残して電話が切れたんだそうです。
その後どうなったのか…本当のことは誰もわかりません。
岩手県大槌町にある実家建物は、津波により完全に流出し、跡形も無くなったことを知り、そしてその大槌町に住んでいた両親の安否の確認ができない日が続きました。
その間、多くの方々が私の両親の安否確認に動いてくれました。本当にありがたかったです。

あの日以来、被災地にいて命が助かった叔父、叔母、従妹や親友と連絡を取り合うことが増えましたし、そして行動を共にして盛岡から被災地に何度も足を運んだ弟、それを支えてくれた妻、疲れを癒してくれたボス…大切な人たちとの絆というか、つながりのようなものが今までに増して太く強くなった気がします。
しかし、両親はきっとどこかで生きていると信じていたのですが、無情にも時は過ぎていきました。
そして…、被災後行方不明だった父の遺体を4月8日に確認、DNA鑑定等により8月31日に母の遺骨を特定しました。死亡日はともに平成23年3月11日…。私は、津波により一度に父と母を亡くしてしまいました。

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エキサイトブログ編集部:ご実家が津波で跡形もなくなったこと、最愛の家族を失った悲しみは言葉ではいい表せないと思いますが、その知らせを受けたときの心境や当時の思いはどのようなものでしたでしょうか?
bulltatsさん:仙台の避難所にいた時は、情報が少なかったものですから岩手にいる家族のことが心配で、「盛岡はどうなってるんだろう?」、「大槌町にある実家は津波でどうなったんだろう?」と…。でも、仮に建物は被害にあってもみんな命は大丈夫!そう信じ、自分に言い聞かせていました。
翌日、仙台から岩手に戻ることができました。そして、数日両親が、死亡者として「見つからないこと」に安堵していましたが、それ以降は、避難者名簿に両親の名前がなく「見つからないこと」にあせり、不安を強く感じてきました。「見つけたい」のは何なのか、頭の中が複雑になりました。しかし、行方不明のまま時間がどんどん過ぎていくうちに、徐々に生存の可能性が少なくなってきたと感じる心の変化も有り、「せめて遺体だけでも見つけたい…」という気持ちになっていったのも正直なところです。
 
エキサイトブログ編集部:…そして、3・11の大震災から1年たったいまの思いは?
bulltatsさん:この一年、さまざまなことがありました。両親の生存への希望と絶望、そして遺体を見つけ出すこと。「なんとしても見つけ出したい!」その思いで自らを鼓舞していたような気がします。
9月におかげさまで葬儀を営むことができたんですが、それまでの半年間突っ走ってきた感があっただけに、あらためて悲しみとか喪失感におそわれたような気がしました。
こんな話をして申し訳ないのですが、その悲しみや喪失感によりぽっかり開いた心の穴は、埋まるどころか拡がる一方なんです。突然、一度に失ったたものが多すぎて実感する余裕がないというか…。両親が亡くなったこともなんですが、町が消失した、家も無いし、あの街角も無い、そんなことが重なり喪失感を大きくしているような気がします。時間が辛さを薄めてくれるはずなんですが…もう少し時間がかかりそうです。

先日の3月11日は、大槌町主催の合同慰霊祭に参列するのも目的のひとつだったんですが、墓参りと実家跡地にも行ってきました。あの日親父とおふくろがいたその場所に立ちたかった。助けられなかった無念さを謝るとともに安らかな眠りを祈りたかったんです。
自分たちが住んでた家だって家族の一員のようなもので、「ありがとう」を言いたかった。確実に私たちはここで生活していた。しかし、復興への過程の中でこの跡地は、かたちを変えていくでしょう。被災後実家は、こんなことになっていたってことを風化させないためにもあえて写真にも残そうと思いました。
そんなわけで、心の中に辛さは残ってますが、その一方で多くの方々に支えられた一年でもありました。また、支えあい励まし、元気づけあえる家族や仲間がいる自分は幸せ者だと感謝しております。

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エキサイトブログ編集部:bulltatsさんの震災関連の写真&文章からは、被災された方々、遺族の悲しみや無念さに胸がつまりますが、その一方で、命あることのありがたさ、前を向いて歩いていく強さを感じ、頭が下がる思いがしますが、写真を通して伝えたい思い、読者のみなさんに感じてもらいたいこと、訴えたいことなどをお話しくださいませ。
bulltatsさん:いえいえ、まったく強くないですよ!でも、生かされているものとして、少しずつでもいいから「前に進まなきゃならない…」そう思っています。
写真で伝えたいこと…。今回の震災に関することでしたら、津波による被災の悲惨さです。当たり前のように感じる生活は、自然の猛威の前にいとも簡単に崩れてしまうこともある、ということを伝えられたら…と思いました。だからこそ平時であることに感謝しなければならないんだと思います。
読者のみなさんには、今回の東日本大震災津波のことを「風化させない」という思いを感じていただけたら幸いです。 
被災地が復興に向かっていく上でも、風化させないことのひとつの応援になるのではないかと思いますし、自然災害によって家族を失うことが辛いということも風化させたくないと思っています。

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エキサイトブログ編集部:ブログを通して得たもの、新しい発見は? ブログのよさは?
bulltatsさん:今回の震災でなんですが、仙台の避難所にいて携帯電話が繋がらず、自分の安否を伝えることができなかったとき、とっさにブログに気づき、3月11日17時55分に記事投稿を使って無事を伝えることができました。あらためて感謝ですね。
震災に関する記事にもコメントをいただき、励ましてくださった方もいました。本当にありがたかったです。
自分にとってブログは、写真という作品を自由に発表する場でもありますし、ほかの方の写真を見させてもらう場でもあります。ブログのおかげで、写真を通じて生まれたさまざまな縁にも感謝していますね! 
それに、今回はピックアップブロガーに選んでいただいたことによって、より多くの方々に気持ちを伝えることができました。ありがとうございます。両親もきっと喜んでくれていると思います。 

エキサイトブログ編集部:一番好きなこと(モノ)、夢中になっていることは?
bulltatsさん:やはりカメラ、写真ですね!そしてフレンチブルドッグ「ボス」とのふれあいでしょう。

エキサイトブログ編集部:夢は?
bulltatsさん:夢ですかー!? そうですねー、見る人に何か伝わる写真を撮る…そんな人になりたいです。そして、いろいろなところで広く多くの方々に自分の作品を見ていただけるようになれたらうれしい。うーん…まさに夢ですね!
 
c0039735_1683191.jpgエキサイトブログ編集部:愛犬ボスちゃんのかわいい心あたたまる写真、心に余韻を残す写真がどれも魅力的ですが、写真を撮り始めたきっかけや写真を撮る楽しみや魅力は?また、自分らしい写真を撮るこだわりや記事アップの際に心がけていることなどがあれば…。
bulltatsさん:ありがとうございます!自分の写真をそう言ってもらえるのがとても励みになります。
撮りはじめのきっかけというか、写真で自分に大きな影響を与えてくれたのが、超若かりし頃の母や叔母のポートレートなんです。実は、ある方からモデルを頼まれて撮ったらしいのですが、見せてもらったとき「これが、うちの母ちゃん?? おばちゃん??」と当時小学生の私が驚くくらい綺麗で素晴らしいものでした。とても衝撃を受けたのを覚えています。「オレも人に喜ばれるようなスゴイ写真を撮りたい!」その時感じた思いが今でも根底にあります。 

一眼レフカメラは自分にとっては高価で中々買えず、しばらくは比較的簡単に撮れる小型のフィルムカメラ等で楽しんでましたが、ボスとの生活がはじまってからやっとデジタル一眼レフカメラを購入したのでした。
基本的に好きなものや残したいものを撮るわけで、カメラを構えるときというのはそれらとじっくり向き合うことでもあるのかと思います。つまりそれは楽しい時間でもあり、自分自身が元気になれることでもあるのです。先ほどのポートレートも含め、津波で多くの写真も流されてしまいましたが、その分また新たな思い出を撮って残していきたいと思います。

こだわりといっても技術的なことは、語れないんですが、例えばボスの写真でしたら、とにかく目にインパクトが感じられるように撮ることでしょうか。ボスのいろいろな表情は目に表れますから。あと、震災写真のことも含めてなんですけど、メッセージ性を感じるような写真を目指して撮ってるつもりなんですが、これは自分にとって永遠のテーマのひとつでもあるわけで、これからも自分なりに表現力を高めていこうと思ってます。

エキサイトブログ編集部:生活の中で大切にしている時間や癒される瞬間などは?
bulltatsさん:妻と一緒に夕食をいただく時間、ボスとの散歩や遊ぶ時間、仲間と酒を飲んで語らう時間、浴室でひとり湯船に浸かっている時間ですね。

エキサイトブログ編集部:数ある記事の中で思い入れの深い記事、ご自身が気に入っている記事、また、読者に評判だったポストは?
bulltatsさん:●東日本大震災津波に関する記事ですと
・2011-05-08 17:56 「再始動
大震災から約2ヶ月後、その時の思い。それまでの経緯を記すとともに、少しづつでも前に進み、当時行方不明だった母をかならず見つけるといった決意を込めてつづりました。

・2011-10-23 22:15 「一致
行方不明の母と弟のDNA鑑定で親子関係に矛盾が無い旨の結果から葬儀まで、その時に感じた思いを載せたものです。励ましてくれたある曲の歌詞についてもふれています。

・2011-12-11 22:40 「9ヶ月目の11日
被災地へ向かうクルマの中での弟との会話。被災後、見つからない両親を必死でさがしていたときに弟が見たものはなんだったのか…。2009年のお盆に撮った父、愛犬ジョニー、弟の写真とともに記事にしました。

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・2012-03-20 12:00 「2012年3月11日その4~残す、伝える~
あの日からちょうど一年。津波により流失した実家跡地を訪れたときのものです。被災前の風景も今は昔ですが、この状況もいずれ変わっていく、だからこそ「今」を残したかった…そんな思いも込めて写真を撮りました。

●ボスの記事はたくさんあるので最近のものから

・2011-11-05 14:22 「久々屋外
震災後初めてカメラを持ってボスとの散歩したときの様子です。いつもの散歩コースを撮って見ました。あたりまえのように見える日常にあらためて感謝した次第です。

・2011-11-06 20:21 「黄葉紅葉
ボスと散歩しながら盛岡の秋、紅葉を楽しみました。この時期は毎年岩手公園の紅葉写真にチャレンジしてます。街角スナップとともに盛岡の魅力が伝わるといいなぁと思うのでした。

●読者に評判だったポストは
・2011-05-08 20:46 「母の日
行方不明中の母に贈ったカーネーション。多くの方から涙したとのお話を頂きました。

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・2011-08-04 21:22 「ランドセル
津波で流された弟のランドセルが見つかったときのこと。見つけたいのはランドセルじゃなかったけれど、母が弟のランドセルを捨てられずに大事に保管していたのかなぁと、少しほのぼのとした気持ちになったのでした。

エキサイトブログ編集部:今一番ほしいものは?
bulltatsさん:今一番ほしいものは…語学力ですかねー。大震災のことも含め、多くの国の方々に伝えたい。また、万が一、外国で自然災害にあった場合、言葉がわかれば少しは安心ですし、対応力も増すと思います。…あと、正直、カメラとレンズも欲しいです!

エキサイトブログ編集部:最近の気になるニュースは?
bulltatsさん:福島原発事故に係る放射能関連のことです。ここで多くは語りませんが、本当に辛いニュースばかりで身につまされます。

c0039735_7351594.jpgエキサイトブログ編集部:ブログに訪問してくださる方にひとこと!震災を通して読者に伝えたいメッセージ、これからの復興への願いなどをお願いします。
bulltatsさん:いつもご覧いただきありがとうございます。震災後は、励ましのお言葉など大変ありがとうございました。
被災地は復興にはまだまだ程遠いのが現状です。被災者も笑顔は見せますが、内面それほど元気じゃない方も少なくないと思います。これからもどうか風化させない思いと温かい気持ちを被災地に向けていただきますようお願い申し上げます。
また、ご家族が行方不明のままの方がまだ多数おります。なんとか見つかることをともに祈ってます。決してあきらめないで!

復興へは、街づくりのみならず被災者、犠牲者家族の心の健康も不可欠だと思います。震災後2年目、自分がやるべきことを考え、また頑張っていきます!これからも応援よろしくお願いします!

エキサイトブログ編集部:ありがとうございました。





【bulltatsさんのお気に入り&好きなブログ】

たくさんあるので、絞るのが難しいですね。ひとつは我が家の「ボス」のメインブログとし、ほかはエキサイトブロガーさんから選ばせていただきます。

●「フレブル MY little BOSS 
妻のブログであり、ボスのメインブログとなっております。ボスのかわいい表情なら妻の写真が一番ですね。

●「BULLDOG ☆ JESSICA 
ブルドッグのジェシカとカレンのブログ。いきいきとした写真と愛情あふれる記事に心温まります。作者のmegさんには被災後もとても励まし続けていただきました。写真が縁の心友です。

●「morioka暇人日記
使用するカメラとレンズの豊富さに脱帽!風景やグルメなどなど臨場感ある写真に目を惹かれます。酒好きの私としては、盛岡市内の飲食店に関する記事も毎回楽しみです。

●「ロジャー奈良の町を駆け巡る…。
ブルドッグのロジャーくんの写真を中心にお子様たちの写真や日常スナップなどが、見てて微笑ましく和みます。色使いや構図など画作りにセンスを感じさせてくれます。

●「盛岡心情3
初めて見たとき、写真の美しさ、雄大さに圧倒されました。どのように撮っているんだろう、いつもそう思ってしまいます。風景写真の素晴らしさ、魅力を教えてくれたブログです。




【bulltatsさんのライフログ】

Let's try again(DVD付)

チーム・アミューズ!! / 株式会社アミューズ



最近、あまり本や映画、音楽を楽しむ状況になかったのですが、サザンオールスターズ、桑田佳祐さんのファンなのでこのDVD付CDは買って見て聴きましたよ!「夢溢る 笑顔の人生を もう一度 取り戻せ」など、歌詞の一部が応援メッセージにも聞こえ、心に響きました。




【bulltatsさんがお使いのカメラ&レンズ】

●カメラ/主に使うのは
Canon EOS DIGITAL 50Dで
●レンズ/よく使うレンズは
Canon EF50mm F1.4 USM
Canon EF100mm F2.8L マクロIS USM

bulltatsさんの「まんまるボス外伝」を読んでみましょう。
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by blog_editor | 2012-03-29 08:16

c0039735_2305245.jpg思わず食欲がそそられる美味しそうな料理やスイーツ写真をはじめ、旅情を感じる旅の写真など、多くのブロガーの憧れとなっている「今夜もeat it」のmoonisup さん。プロのカメラマンとしてのセンスあふれる写真はもちろん、だれにでも親切ていねいに写真の撮り方を教えてくださる気さくなお人柄が人気を呼んでいます。
ブロガーを対象にした撮影会などを企画されたりして、ブロガーとの交流や出会いもとても大切にされています。

2009年9月のピックアップブロガーに登場していただき、その後も写真の撮り方の本を出版されるなどの活躍をされていますが、震災後は被災地に足を運び、ボランティア活動もされていらしゃいます。
そこで、今週は、前回に続く震災特別インタビューとして、moonisup さんに再登場いただき、被災地でのボランティア活動の話題を中心にお話を伺いました。

エキサイトブログ編集部:2009年9月のピックアップブロガーにご登場いただき、その後も読者に人気のブロガーとして注目を集めていらっしゃいますが、まずはmoonisupさんのご近況を…。
moonisupさん:ごぶさたしております。
吉岡先生のあとに僕なんかでよろしいのでしょうか?
そんなにすごいことはしていないのですが…、誰にでもできるボランティアということで。はい、それでしたら。
近況ですね。あの3.11以降に大きく生活が変わりました。
それまではボランティアとは無縁の生活でしたが、今回を機に東北支援に行くようになりました。

エキサイトブログ編集部:東日本大震災後には、被災地にボランティアとして何度も足を運ばれていますが、そのきっかけや経緯は?また、現地ではどのような活動をされているのでしょうか?
moonisupさん:震災3週間後、友人がボランティアチームに参加して石巻入りしました。その彼から、避難所での炊き出し班で「人が足りない」と聞いて、5月から参加するようになりました。
本当にたまたま縁があっただけだと思います、彼がいなければ被災地に行くことはなかったと思います。
5月、6月、7月と毎月1週間ずつ石巻に行き、避難所で炊き出しのお手伝いをしました。
最初の頃は昼に700食、夜に200食作っていました。
9月以降は避難所が解散して、仮設住宅支援に変わっていきました。
現在僕が所属しているチームは、石巻市内130カ所にある仮設住宅を毎日まわって、独居老人のケアを行っています。

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(大街道小学校での炊き出し。5月)

エキサイトブログ編集部:現地に行かれてまず感じたことや大変だったことや直面した問題、まだまだ必要なことなどは?
moonisupさん:5月の頃はまだ水も電気もガスも復旧していない現場で、毎日700食を作るのは大変でした。冷蔵庫が稼働できないから、肉なんてないんですよ。自衛隊の人が見かねて、肉を分けてくださったり。水は毎回自衛隊の給水車からでした。
7月になると、町中でハエが大量発生して、それまで以上に衛生面に気をつかいました。大量のハエが入ってくるので窓を開けることができず、エアコンのない体育館を閉め切って200人分の料理をするので、暑かったですね。
9月に全避難所が閉鎖されて、被災者は仮説住宅に移っていきました。集団生活からやっとプライベート空間が確保されるのですが、そこからは孤独と将来への不安が始まります。神戸の震災の時は、1年がすぎた2年目3年目に、自殺が増えたそうです。1年すぎると震災の話題が風化して、支援が減っていきます。今現在、仮設住宅にいる独居老人をケアするプロジェクトを行っています。

大変なのは、毎日情報が変化することです。昨日の問題は、今日には解決していてまた別の問題がおきていたり、日々めまぐるしく変わっています。情報収集は東京から電話やメールだけでは足らず、現地での対話が必要です。予定変更なんてしょっちゅうでした。

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(ボランティアベースでは、寝袋で床で寝ています)

エキサイトブログ編集部:被災地の方々に喜ばれたことや活動を通して生まれた絆、実際に行かれて感動したことなどはどんなことでしょうか?
moonisupさん:9月に石巻のスーパーで食材を買うためレジに並んでいたら、
前に並んでいた方から突然お礼を言われました。
5月の避難所で炊き出しをしていた僕のことを、覚えていたそうで、「あの時はありがとうございました、ごちそうさまでした」と言われて恐縮してしまいました。炊き出しは僕ひとりの力ではなく、ボランティアチーム全員によるものですから。でも、とてもうれしかったことです。

感動ですか、うーん、実際のところ、悲惨な話のほうが多くありました。報道されない、ブログにも書けないような話もあり、それはとてもきついものです。涙をこらえることの方が多かったですね、涙腺弱いたちなので。そもそもボランティアに不向きな性格なんですよ。被災者の方と一緒に泣いたこともありました。
それでも、立ち上がる、立ち向かっていく人々の行動には感動を覚えました。僕はすぐにあきらめる性格なので、簡単に、できない、無理だ、と思ってしまうのですが、ボランティアリーダーたちは、本当に強くて、どんなことにも立ち向かっていき、時間がかかっても解決させていきます。あのガッツには感動しました。

c0039735_23183751.jpgエキサイトブログ編集部:震災から一年たったいま思うことは?
moonisupさん:1年間、本当にみんな頑張ったと思います。
それは被災地はもちろん、そうでないすべての人も、ずっと頑張ってきました。
震災の問題、瓦礫の問題、原発の問題、日本中がずっと重苦しい雰囲気の1年でした。
1年たったからすべてが解決するわけではないのですが、あの状況から1年間、生きのびたのだということを、誇りに思っていいと思います。

エキサイトブログ編集部:現地での活動以外にも、チャリティ活動をされていらっしゃいますが、どのような活動でしょうか?
moonisupさん:ボランティアには、交通費、食材費、燃料費などお金がかかります。それを集めるために、ブログで呼びかけました。ただ「寄付をお願いします」だけでは難しいから、自分の写真を販売して集めました。ありがたいことに、僕の写真を好きだという方が、写真を買ってくださって、必要なお金を集めることができました。

それから、お金以外では、「お菓子プロジェクト」といって、全国のお菓子を被災地に送っていただく活動もしました。義援金や配給物資の優先順位からすると、お菓子は順位が低いんですよ、なかなか予算がまわらないんですね、薬などが最優先なのは当然です。でも、甘いものが食べたくなることもあるわけです。ちょっと気の利いたお菓子が、石巻では入りにくい時期があって、それをブログで呼びかけたら、全国からすぐに集まりまして、ブログの力に感謝しました。
避難所の方から、「毎週毎週、見たことのない珍しい美味しいお菓子を食べることができて、本当にうれしかった、いつも楽しみでした、ありがとう」とお礼を言われました。
お礼を言われるのは僕ではなくて、全国から送ってくれたみなさんなんですけどね。

僕はたまたま時間があり、つてもあったので被災地に行くことができました。でも、そんな気持ちはあるけれど時間がない方が多くいらっしゃいます。そのような方から、「食材やお菓子支援などで参加できてよかった」と言っていただけて、これもうれしいことでした。

c0039735_2318374.jpgエキサイトブログ編集部:被災地の写真を通して、読者のみなさんに訴えたいことや感じてもらいたいことなどがあれば…。
moonisupさん:「希望」です。
僕はブログで被災地レポートを書くときに、瓦礫の写真はなるべく載せないようにしました。
僕も便宜上、瓦礫という言葉を使いますが、あれは瓦礫ではなくて、被災者の家とか財産なんですよ。世界中から報道カメラマンが集まってきて、津波に破壊された自分の家、町を撮られることは、本当に辛いことです。
さらにその写真を見せられた人は、絶望感ばかりを味わうことになると思うのです。

もともと僕は報道系の仕事は一切していないカメラマンですから、そのような惨状を伝えることはしないことにして、被災者や仲間の笑顔、こんな悪条件のところでも、工夫次第で、仲間と協力すれば、こんなに美味しい素敵な料理が作れますよ、ということを伝えたいと思っていました。

エキサイトブログ編集部:被災地での活動についての記事で、ブログでも紹介されている思い入れのある記事や写真は?
moonisupさん:・避難所で子供達と
体育館避難所で暮らしている子供達との交流。
ボランティアと言っても、子供達にしてみれば、見ず知らずのおっさんです。避難所に何度も通い、ようやく心を開いてくれた小学生の男の子がいました。
炊き出しが終わった後に、「まだ帰らないで」と言われて、日が沈んだ小学校の校庭でずっと話をしていました。そして帰る時に、「たまには避難所に泊まってってよ」と言われたのですが、それは規則でできませんでした。
「明日もまた夕飯作りに来るからね」と言って別れたのですが、無理矢理泊まればよかったかなと、ずっと心残りになっています。その彼とは、その後も数回会ってはいるのですが…。

・サンライス元気村プロジェクト
仮設住宅にいる独居老人をケアするためのプロジェクトです。
これは思い入れというか、今現在進行中の活動で、毎月3kgのお米とカードを添えて、仮設住宅に住む独居老人宅を回っています。130カ所の仮設に2000人の対象者がいて、とても大変な活動です。
これにより困っている被災者の方から、いろいろなニーズを集めて対応しています。

イチゴジャムをつくろう
避難所で知り合った子供達、現在仮設住宅にる子供達を集めて、ジャム作りとパンケーキ作りの教室をしました。
5月の石巻では、本当にまだ大変な状況で、避難所で毎日の食事作りに追われていました。
そこで知り合った子供達と、「いつか一緒にケーキを焼いて食べたいな」と思っていたのですが、そんなのは2年も3年も先のことだと思っていました。でも、多くの人々の力により、それからわずか9ヶ月で、一緒にジャムを作ってパンケーキを焼くことができました。多くの人々の力に感謝した日です。

活動レポートのインデックスページも作りました、あわせてご覧いただければと思います。

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(自衛隊テントに行き、野菜、水などをわけてもらっていました。炊き出し終了後に行くので、いつもぐったり疲れていました。5月)

エキサイトブログ編集部:ブログを続けていて、改めて楽しみが増えた点や良かったなと思うこと。広がった出会いや人間関係などは?
moonisupさん:先ほども言いましたけれど、僕のブログを通じて、多くの支援があったことです。現金、食材、お菓子、物資、そして現在はお米を被災地に送ってもらっています。
本当にありがたいことです。ブログの力、インターネットの素早さとか、改めて実感しました。ボランティア報告記事を読んでくださったから、応援のメールもいだだき、励みになりました。

エキサイトブログ編集部:2013年の目標やこれからの夢は?
moonisupさん:目標は、身体のあちこちにガタがきているので、それのケアです。
自分が健康でないと、他の人の支援もできないですね。
また近々石巻に行って、現地の子供達と一緒に料理をする約束をしています。それはとても楽しみなことです。
夢は、子供達が、不安なく過ごせる社会です。原発の問題、「なんとかなんねぇかな」、って思う毎日です。

エキサイトブログ編集部:いま一番の楽しみや、moonisupさんにとって幸せを感じることは?
moonisupさん:楽しみは、以前と変わらず、写真、料理、音楽です。
好きな曲を聴きながら、ケーキを焼いて、写真を撮って、食べて、お茶のんで。
なかなかそんな時間も減っているのですが、今年は増やしたいですね。

エキサイトブログ編集部:最後に、あらためて読者のみなさんへのメッセージ、復興に向けてのメッセージをお願いします。
moonisupさん:僕のブログはずっと、のんびりした料理写真ブログでした。それを楽しみにしてくださった方から、震災の記事はちょっと、と言われたこともあります。それでも、ずっと見てくださった方、そした新たに見てくださるようになった方へ、心よりお礼申し上げます。
復興という言葉も、終わりの見えない曖昧なものですが、まだまだ長くかかると思います。力を入れすぎず、少しずつゆっくりと支援していけばいいのではないでしょうか。

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(雪の仮設住宅。今年2月)

エキサイトブログ編集部:ありがとうございました。

★2009年9月のピックアップブロガーの記事はこちら
★moonisupさんのブログ「今夜もeat it」」を読んでみましょう。
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by blog_editor | 2012-03-20 07:34

c0039735_10312582.jpg3月11日。死者・行方不明者を合わせ約2万人にも及ぶ甚大な被害をもたらした東日本大震災から一年がたちました。一日も早い復興を願い、震災直後から日本はもとより、世界各国から多くの支援と祈りが被災地へと寄せられました。
そんな支援のひとつとして、被災地の人々を救おうと現地に入り、医療支援活動を続けていらっしゃる小児科医の吉岡秀人さん。震災後に特集したピックアップブロガーの「震災特別企画『今伝えたい、被災地への思い」にもご協力いただきましが、吉岡秀人さんが主宰するNPO法人「ジャパンハート」では、発展途上国の子どもたちを救おうと国際協力医療活動をする一方で、被災地へも医療スタッフを派遣。被害の大きかった石巻市に子ども・内科診療所を開設し、小児医療活動を行っています。

ミャンマーと日本を往復する多忙な日々を送られている吉岡秀人さん。ご自身のブログ「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」では、ミャンマーでの活動、そして、被災地での医療活動の日々をつづっています。つねに全力で子どもたちを救おうとしている姿に心を打たれます。
今回は、震災から1年を迎えたこの機会に、震災特別インタビューとして、吉岡秀人さんにご登場いただき、被災地での活動、そして、発展途上国での活動を中心にお話していただきました。

エキサイトブログ編集部:3・11の東日本大震災から1年を迎えましたが、昨年のピックアップブロガー震災特別企画「今伝えたい、被災地への思い」ではご協力いただきまして、ありがとうございました。あれから一年たち、いま改めて思っていらっしゃることは?
吉岡秀人さん:ひと言でいうと、人間という存在自体の強さと脆さ。
あれから1年たった現在、現地では今も復興作業が行われているし、人々が新しい生活を始めています。まちまちの生活も日常を取り戻しているふうに見える。60数年前の大戦後、日本中が焼け野原から立ち上がっていったように、東北各地ではそのような光景がある。そこには人間という営みの力強さを感じます。

一方、家族を失ったり、心に傷を負ったり、ふるさとを捨てなければならない人々の状況は、手の施しようもなく、日本各地多くの人々も行政も、それにどのようにアプローチして良いのか具体的に示すことが難しく手をこまねいている。そして、その人々が取り残され、やがて人々の記憶から今回の出来事が遠い過去のこととして忘れ去られていくということを多くの人が心の底で感じているように思います。

エキサイトブログ編集部:吉岡秀人先生&ジャパンハートのご活動、ブログについて紹介ください。
吉岡秀人さん:ジャパンハートは1995年からミャンマーで医療活動行ってきた私が、2004年にさらに多くのアジアの子どもたちを救うために創ったNPOです。海外では、現在ではミャンマー・カンボジアで医療活動・学校保健活動、HIV孤児や貧困の子どもたちを保護・養育する施設「ドリーム・トレイン」の運営、視覚障害者の職業訓練施設などの運営を手がけています。
国内活動では僻地や離島に医療スタッフを派遣する支援事業、がんの子どもとその家族に旅行をプレゼントする「スマイルスマイル事業」、そして東日本大震災では現在、石巻市にジャパンハートの「こども・内科クリニック」をオープンし、休日診療を中心に日本中から小児科医を集めて診療をしています。また、気仙沼を中心に子どもの心のケアー事業をしています。
ブログは、主に発展途上国の子どもの治療に関わる著者が日々の思いを中心にして、心の感じるところを、若い世代に向かって話すような気持ちでつづっています。
今では伝えられにくくなった日本の価値ある伝統的教えや、アジアの価値ある考えを織り交ぜながら、欧米の価値観一辺倒の現在に、日本の次世代の人々に残していきたいと思っている思いや経験をつづっています。

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エキサイトブログ編集部:震災後の3月17日から被災地に入られ、復興支援の医療活動を続けていらっしゃいますが、この一年の被災地での医療現場での現状、被災地ではどのような活動をされているのでしょうか?
吉岡秀人さん:主に宮城県で支援活動を行ってきた私たちは、宮城第2の医療圏である石巻医療圏の小児医療の状況が震災前から困窮していた(数年前に7名いた休日小児科医は震災前すでに4名に減っていた)ことを知り、それが震災後は加速し、小児を診察する開業医たちの平均年齢は60歳以上、最高齢は85歳となっているなど、かなり厳しい状況であることがわかりました。
石巻市民病院の再建は2015年以降に持ち越され、ほとんどの医師がいなくなっていた…。そのため石巻日赤の外来がパンク状態になっており、医療者は疲弊。女川から石巻へ続く、医療圏は10キロ以上にわたって、小児科は存在していなかったため、被害を受けた住民たちにとって、震災後の数年は子どもと安心して暮らせる生活を保障してもらえることは大変意義のあることだと思いました。また、現在その地域を離れ、生活をする家族たちにとっても、子どもの医療が安定していることは、再居住のための大切な要因となり、地域復興には小児医療の安定は不可欠だと考えました。
そのため、小児の医療を中心とする「こども・内科クリニック」をオープンさせる運びとなり、昨年の12月から診療活動がスタート。また、昨年震災直後から、小児の心のケアーのために小児科医や臨床心理士を定期的に派遣し、子どもの父兄を含めセミナーやアドバイスを行うなどもしています。
子どもの心のケアー、特に、治療に視点をおいた心のケアーは長期にわたる専門的支援が必要になるため、現在そのための拠点造りの準備も同時に行っています。

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(震災直後、仙台に構えた事務所のまえで全国から集まったスタッフと共に)

エキサイトブログ編集部:被災地で活動をされている中で、大変だったことや直面した問題、まだまだこれから必要なこと、逆に、大きく変わったこと、地元の方たちの喜びの声や周囲の支援など、また、これからの復興に向けて願うこと…はどのようことでしょうか?
吉岡秀人さん:当初は情報がどこでも把握できず、燃料も調達困難で、多くのボランティアを受け入れたが故に、統制が難しく、また、被災地の人々の間にも時間がたつにつれ様々な問題が発生…。そういった、ただ震災直後の危機的な状況をみんなで乗り切ればいいという時期が過ぎれば、今度は複雑化した、しかも個別に慎重に対応をしなければならないような事柄があまりに多く発生してきたこと。

地域の医師会を中心とする開業医との調整は、かなり困難な状況にありました。医師会に入会するためには150万円以上の入会金を必要とし、それに加入しなければ小児の予防接種の補助金が降りないなどの既得権益があります。こういう事実を知っている一般人は少ないと思います。
医師会の要請を飲んで始まった休日のみの診療だけでは採算はとることは難しい。一方、寄付のお金を医師会入会の費用に充てることは私たちの寄付者たちは許さないだろう…。
しかし、地元の診療に訪れる子どもたちやその家族は本当に喜んでくれる人たちが多く、痙攣を起こした子こどもの親は、いろいろなところへ連絡したがどうして良いかわからず、この診療施設に電話し親切に対応をしてくもらえ、「こちらの小児科医が優しく、しっかり診察してくれて助かりました、本当に感謝します」と、言っていました。
もちろん、休日診察している病院が少ない中で、大きな病院では長い時間待たなくては診てもらえない。その点、この診療施設であれば比較的短い時間で、しかも、各地の小児の中心医療施設からきた専門家たちに診てもらえるので安心できます。

行政や地域の開業医たちは、医療過疎の地域にどのようにして都会で働いている医師たちを呼び戻せられるか、具体的なアイデアはほとんどない。まずは、都会の大病院の医師たちに現状を知ってもらい、肌で感じてもらいたい。今すぐにではなくとも数年後、彼らがこの地域の子どもたちのために何らかの力を貸してくれるかもしれないことを望みます。

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(震災直後 気仙沼の避難所で診療所を始めた時の看板)

エキサイトブログ編集部:基本的には発展途上国で医療活動をされていますが、もともと発展途上国の子どもたちを救うことになったきっかけや医療活動を通じて感じる生きがいややりがいは?
吉岡秀人さん:日本ではどんな過疎の地域でも、医療を受けたければ受けられるという前提があります。国民みな保険の制度はとても意義深いシステムだと思います。
一方、世界にはすぐ近くに病院があっても、医療を受けられない人たちがいます。お金や身分、貧困や戦争など、様々な理由から医療そのものにアクセスできない人たちが確かに存在する。私はそのような人たちのために、医師になろうと決意し、ここまできました。そういう人々の現状を知ることはそんなに難しいことではない。そして多くの人たちが、彼らのために何かをしたいと願い、心を痛めるが、実際に長い年月をかけそれを実行に移す人間は少ない。私はこどもの頃のそういう心の声に従ったに過ぎないと思います。

1995年に医療活動をはじめ、ミャンマー・カンボジアで多くの子どもたちの治療に携わり、手術件数は、今では年間2000件を超えています。多分数万人の人たちに治療を行ってきたと思います。
そんな私のエネルギーの源は、おそらく自分の病弱だった幼少期の記憶と重なり合って、そのときに自分が得ていた安らぎや抱擁感を我が心にも、想起できるからだと思います。それこそが私のエネルギーの源であり、同時に癒しになっている。長く続けることができるのも、そのあたりに理由があると思います。
だからこそ、私にとってこのような活動は、可哀想な途上国の子どもたちのためにとやっている活動ではなく、私自身を癒すために、自分のためにこそやっている活動だと認識しているゆえんです。

エキサイトブログ編集部:お忙しい日々の中で、大切にしている時間や癒される瞬間などは?
吉岡秀人さん:大切にしている時間は、睡眠時間。単に体力・気力の充足という側面だけではなく、子どもの頃から私は睡眠前に布団で横になっているときに、様々な発想を得たり、日々の反省を通して、出来事や物事の相対化や客体化をおこなってきたから。ジャパンハートの存在や様々な活動のアイデアは、この時間帯に生み出されています。
また、癒しはいたとるところにあります。私にとって恵まれているのは、多くの若い人たちに囲まれていることで、自分より年長者は私の周りにはそれほど多くありません。彼らと共にいることは、時には耐え難いこともあるけれど、大いに希望を感じることもあります。時々しか会えないわが子に会うときも、移動時間の多い私にとって、飛行機の轟音の中でひとり考え込んでいる時も、結構、「自分は幸せな人生だ」と感じることが多いですね。自分の人生を日々どのように生きているかを突き詰めていくことができていれば、どこにいようと何をしていようと、すぐに「心をある状況」に持っていくことで、癒しを持つことができると思います。

エキサイトブログ編集部:数ある記事の中で思い入れのある記事、また、読者の注目度が高かったポストは?
吉岡秀人さん:震災関連ではやはり
●「びっくりするけど、取り壊し」(2011年4月29日)
これは震災の時に、石巻の渡波地域に出していた診療所のプレハブが突然、立ち退きを命ぜられ壊された記事です。震災後、小児科がいない地域に小児の医師たちが来てくれているということで、本当に多くの被災者の人たちが喜んでくれていただけにかなり困りました。そのときの記事です。

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(取り壊された診療施設 震災直後)

それのカウンターで思い入れのあるのが、
●「俺って”しつこい”っていったよね」(2011年9月25日)という記事です。
実はこの診療所のあった土地は、農協が地元の信用金庫に売却予定の土地で、その土地を一時的に選挙用として県会議員が借用し、プレハブを建てたものでした。そのとき、震災になり、そのプレハブも腰のあたりまで砂に埋もれていたのを、学生ボランティアたちが掘り起こし、掃除をして診療施設として開設にこぎ詰めた思い出深い場所でした。そこは大きな道路に面しており、非常に目立ったアクセスの良い場所で、建設制限が多くかかった石巻の土地の中でほとんど唯一といって良いほど診療所建設に適した土地だったのです。
そこを信用金庫が「診療所がきてくれるならと喜んで譲る」いうことで、農協に打診し、私たちが購入した時の記事です。いよいよ準備ができはじめました。
その因縁の場所で、その数ヶ月後、いよいよ診療がスタートしました。ジャパンハートとしていよいよ復興支援の本格的な活動が再開しました。

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(開設された診療施設 2012年1月頃)

途上国関連では、
●「看護師からの手紙」(2010年6月5日)、「看護師からの手紙ーその2」(2010年6月11日)、それに続く、「カンボジアから」(2010年6月16日)の記事。
生まれつき顔面の腫瘍を抱え「ばけもの」と呼ばれて生きてきた13歳の少年が、私たちに医療を求めて訪れました。その少年は徐々に私たちに心を開いてくれました。しかし、最初の手術の時、この腫瘍はすでに悪性化し、ガンとなっていることがわかって…。ミャンマーでは、悪性のがんに対しては手の施しようはなく、死を待つのみとなっています。「私たちには何ができるのか?」私はある日本人看護師に、死ぬまでこの少年に付き添うように指示しました。その少年が亡くなるまでの付き添った、その看護師からの何通かの手紙の内容です。

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(ミャンマーの病院で働く日本人スタッフと患者たち)

読者の注目度が高かったのは、テレビ出演の時に、いつも大変注目度が上がっています。
 
●「子どもたちを未来へ運ぼう」(2011年1月16日)
エイズや虐待、貧困などでたった3万円ほどで売られていく国境付近の子どもたち。売られた女の子たちは年頃になるまでは労働させられ、やがて12・13歳で売春させられるようになります。そして、HIVに感染、やがてAIDSを発症し、その施設から放り出されます。国籍が違う子どもたちは、治療を受けさせてもらうこともできない。やがて、警備隊の保護され、自国に引き渡されるが寂しく施設で最期の時を迎える。このような子どもたちを救うために、保護養育施設「ドリームトレイン」を創設しました。
この施設を使って、今後、のべ3000人の子どもたちの収容を目標に施設を運営しています。

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(ドリームトレインの子どもたち)

エキサイトブログ編集部:ブログを通して得たもの、新しい発見は? ブログのよさは?
吉岡秀人さん:自分の人生の経験を誰かと共有することの価値を見い出したし、それによって大きく人生が影響を受ける人間たちもいるという経験を得ました。
今の時代、マザー・テレサやナイチンゲール、シュバイツアーがそのとき何を考え感じていたかリアルタイムで知ることはできません。今は良い時代で、それがこのような手段で知ることができる時代になった。実際に時代や環境が違っても、同じような生き方を選択している私にような人間がそのことを残してゆくのは大変、意義深いことだと思っています。

エキサイトブログ編集部:夢は?
吉岡秀人さん: 100年後の世界にとって有益な考えや哲学を生み出すこと。

エキサイトブログ編集部:今一番ほしいものは?
吉岡秀人さん:一番ほしいものは、時間。時間こそ、エネルギーのすべてだと考えているから。時間をかけさえすればなされないことは、ほとんどなくなる。若いときから時間の大切さを知っている人間こそ、智恵のある人間だと思います。

エキサイトブログ編集部:最近の気になるニュースは?
吉岡秀人さん:TPPのニュース。TPPとは、簡単にいえば太平洋を取り巻く国々の間で関税を無くして自由に貿易できるようにしよう、というもの。やがてTPPは食べ物や商品だけでなく、人にも起こると考えているから。
日本はこれから先、日本単独で考えれば、経済を含め失速していくと思います。しかし、アジアの中のひとつの国という単位で発想すれば、日本は、これから発展する中国、東南アジア、インドに支えられ何十年も繁栄し続けることができる。そこでどうしても外せないのが、人的TPP。
医師が台湾・韓国・中国と人的TPPになれば、日本から医療過疎はなくなります。そして、医療は日本の一大外貨獲得産業となる。日本にとって、様々な課題を乗り越えながら、医療者のTPPを起こすことは大きなメリットとなると思っているからです。

エキサイトブログ編集部:ブログに訪問してくださる方にひとこと、また、これからの復興に向けて、読者のみなさんにもメッセージをお願いします。
吉岡秀人さん:今回の震災で世界中の国々から助けられた日本は、これからいよいよアジア最先端の先進国として世界にお返しを含め、貢献していかなければならないと思います。
労働でできる人は自分の体を使う、お金でできる人はお金を払う。何でも自分の差し出せるものを差し出す。それは小さな自分にはわからないが、大きな目で見れば世界的な相互扶助を生み出し、いざという時に日本自体を守ることになります。
もう借金しか残せない私たちが、日本の子孫へ残せる安全という名の財産だと思っていいでしょう。これからはいよいよ日本でも寄付文化が定着していくと思ういます。寄付は誰かに無理矢理、勧められて、義務のように”いやいや”する行為ではありません。寄付行為は権利だと理解してほしいということ。医療技術のないあなたが、医療をおこなう団体に寄付をして人の命を助けられる。教育こそ大切だと考えるあなたは、教育をおこなっている組織に寄付をして自分が現地へ赴かなくても、人々に教育を与えることができる。
「どこの誰に」、「何のために貢献したいか」、を自分の自由意志で選ぶことができる権利を持っているということ。もちろん、その必要性を感じなければどこにも寄付などしないという権利も持っています。企業も個人も、みな、その権利を持っている。そのことの意味を、深く考えてほしいと思っています。
そういう延長線で考えれば、医療者というのは何をすべきかは見えてくる。技術あるものは技術で貢献するのがスジだと思う。しかし、技術あるものは、技術もお金も同時に差し出す権利をも持っている恵まれた人だということがわかります。
 
エキサイトブログ編集部:ありがとうございました。




【吉岡秀人さんのお気に入り&好きなブログ】

これが特にないのですみません。とにかく今までミャンマー政府による情報統制のために、ブログtwitterなどのサイトには一切、アクセスできなかったのですね。それで、継続的にどのブログサイトも見ることができなかったためです。

【吉岡秀人さんのライフログ】

十三人の刺客 通常版 [DVD]

東宝


最近、印象に残った映画は役所広司主演の「13人の刺客」。戦のなくなった時代に、武士として最高の死に場所を与えられたことに幸せを感じ、戦いを挑んでいく姿は、現在の日本人たちには大切なメッセージが含まれていると思いました。
衣食住足りてなお、お金や美食や地位を求めている人たちに、あるいはただ惰性のように無為に生きていたり、享楽的な生き方をしている人が多い若い世代の人たちに、生まれてきたからには武士らしく生き、武士らしく逝くということは…、を求めて生きた侍たちの姿を通して、「私らしく生きるとは?」「私らしく死ぬとは?」ということを考えさせるようなメッセージがあったから。
常に「死」から「生」を測っている私にとっては、それで印象に残っているのかもしれません。

やさしさに包まれたなら

荒井由実 / アルファミュージック


音楽は、昔から松任谷由実の「やさしさに包まれたなら」を折りにつけよく聞くんですが、この歌の歌詞の一部、「小さい頃は神様がいていつでも夢を叶えてくれた」という部分が気に入っています。現実を知り、夢など持てなくなって、人生このくらいだろうと勝手に自分の可能性を小さく評価していくことになる同世代の大人たちを見る時に、あるいは困難にぶつかったときに、弱気になる自分を自覚するときに、この歌詞の一説が今でも何となく響いてくるからです。
最近では植村花菜さんのスローテンポの「やさしさに包まれたなら」がしっくりくるので時々、聞いてますよ。

吉岡秀人さんの「発展途上国の子供を救え!小児科医吉岡秀人の戦い」を読んでみましょう。
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by blog_editor | 2012-03-11 07:24

c0039735_18292541.jpg鮮度のよさが光る刺身や香ばしさが伝わるような焼き魚をはじめ、食欲をそそる煮魚や吸い物、一品料理まで…。魚好きにはとっても美味しそうな魚料理をメインに、新鮮な旬の素材の持ち味を生かした和食の数々。オリジナルレシピはもちろん、美味しさが引き立つポイントや魚のさばき方、干物の作り方まで、ていねいに教えてくれます。素材や料理別に分けられたメニューを見るとまるでお店のメニューのよう。

きっとご自身は長年修業を積んだプロの板前?料理人?…と思いきや、本業は料理人ではないというから驚き。料理好きが高じて、「いつかは自分のお店を…」という夢に向けて、徹底して和食の美味しさを追求しています。
時々登場する、魚のイラストを盛り込んだ手描きの“魚字”もとっても味わい深いものがあります。
「いつも美味しそうな魚料理&レシピを参考にさせてもらっています!」という読者も大勢いらっしゃいます。

今週は、そんな夢に向けて料理を楽しむ、「魚と野菜と私と和ノ香」のshoさんに登場していただきました。

エキサイトブログ編集部:いつもご利用いただき、ありがとうございます。さっそくですが、ブログをはじめたきっかけは?
shoさん:きっかけは、自分で作った料理のレシピを忘れないようにしたかったからです。同じ味が2回作れないっていう悩みからはじまりました。
はじめると決まったら、あれこれしたくなって現在に至ります。

エキサイトブログ編集部:ご自身のブログを紹介してください。
shoさん:本当は、自分自身のことや日記などもたくさん書くつもりでいたのですが、実際は9割以上が料理の記事です。日記に書くような面白いことが、身のまわりでまったく起こらないんですよ。
それに実は、自分は料理人ではないんです。もともと魚料理が好きで、趣味で作った料理やレシピを忘れないように、ブログに記事をアップしています。
偉そうにブログのコンセプトを語るとしたら、パラパラ漫画のようにコマ数の多い料理ブログですね。文章を読まなくても、写真だけを見て、肩の力を抜いて、ゆる~くゆる~く本格的な和食が作れるブログを目指しています。

読んでくださる皆さまの頭の中で、「本格和食イコール難しい」が、少しでも「本格和食イコール簡単」に近づけられるように頑張っています。欲しいのは、「誰でも簡単に本格和食が作れるようになるブログ」とかの代名詞ですね!
そしていつか、このブログがメニューになった店を持つために更新しています。

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エキサイトブログ編集部:ブログを通して得たもの、新しい発見は?
shoさん:ベターな回答ですが、本来だったら知りあうことのなかったであろうブロガーの方々と、画面上ではありますがお話ができた経験ですかね!
そして、感想を言ってもらえたり、自分のレシピで「美味しい」と言っていただけることのうれしさを知りました!それを知ってからは、もうブログにハマる一方でしたね。

エキサイトブログ編集部:ブログのよさは?
shoさん:「継続は力なり」ということ…は本当だなと気づかされました。小さなことからコツコツやることで、見てくれている方は多いなって感じましたね。いろいろ気づかされます。
今、PR現代さんの『花saku』という雑誌で料理のコーナーをやらせていただいているのですが、記事を見ていただいた編集者の方から連絡を受け、連載をスタートいたしました。こうしたご縁があったのも、ブログをやっていた結果であり、何がどこにつながっているかわからないのも楽しみのひとつですね!

エキサイトブログ編集部:自分をひとことでいうなら、どんな人?
shoさん:好きなことなら、とことん凝る性格だと思っています。このブログもその象徴ですね。というか、いわゆる典型的なB型男です。まっ、血液型性格診断は信じていませんが。

c0039735_183159100.jpgエキサイトブログ編集部:会ってみたいブロガーは?
shoさん:Mchappykunさんですね!遠く南カリフォルニアから、自分のことを応援してくれている方です。
この後の夢の部分でも書くのですが、将来自分の店を持った時に、ぜひ招待したいと考えています。
 
エキサイトブログ編集部:一番好きなこと(モノ)、ハマっていることは?
shoさん:筆ペンで魚文字を書くことです。これも自己流です。もとから絵を描くのは好きだったのですが、習字は苦手で。文字を書こうと思うとうまく書けないので、絵を描くつもりで書いています。
造語なのですが、ありとあらゆる魚介を魚文字にするのが目標です。最終的には「個展を開けたらいいな…」なんて思っています(笑)。

エキサイトブログ編集部:夢は?
shoさん:料理が好きな方は皆がそう思うことかもしれませんが、やはり自分の店を持つことです。もちろん、このブログを続けてこのブログの名前で出店したいですね!
旬の魚と野菜料理と美味しい焼酎を出すお店…。えっと~、カウンター10席ぐらいで、奥に座敷があって、手前にテーブルが1~2席ぐらいで…。そして、昼はそのスペースを使って、料理教室とかやってみたりも楽しそうですね!
…って、そこまでは聞いてないですか?
それと、レシピが本にもなったらいいな~とか、魚字で個展も…なんて。夢はいっぱいありますよ!

エキサイトブログ編集部:旬の魚や野菜など新鮮素材をふんだんに使った和食の数々がとても美味しそうですが、料理が好きになったきっかけや料理を作る楽しさや魅力は?また、自分らしい料理&レシピ作りのこだわり、記事アップの際に心がけていることなどがあれば…。
shoさん:料理が好きになったのは、大卒で初めて配属された海鮮レストランで、包丁を握ってからです。自分で料理をするようになったのは、就職してからでそれ以前は、ほぼしたことはありませんでした。何がきっかけで自分の中の、感覚が激変するかわからないものだな、と思っております。
でも、魚は小さい頃から好きで、小さい頃から「寿司屋さんになりたい」と言っていたようです。結局のところは、お魚を食べることが大好きだったことが大きいですね。料理が好きになったのも、いろいろな食材に興味を持ちはじめたのも、自分の店を持ちたいと思い始めたのも、全部、もとをたどれば、お魚を好きになったことがきっかけです。
やはり、美味しい魚料理を店で食べた時に、「自分でも作ってみたい」と思うようになったからだと思います。仕事で、包丁や魚を扱うことが増え、魚と包丁が、より身近に感じられるようになったからこそかもしれませんね。
料理は、見よう見まね・和食の書物で覚えました。あとは、独学です。

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レシピ作りのこだわりは、世界平和を目指していることです。人にも、地球にもやさしくて、お魚も喜ぶ料理…。皮も骨も内臓もできる限り、美味しく食べること、捨てるところを極力少なくすることで、地球環境にも良く、食材も喜ぶレシピを考えています。魚も野菜も、そして野菜を作った生産者も喜ぶと考えています。
そして、素材の味を引き立てることはいつも考えています。食材の香り、魚の個性を壊さないように気を遣いながら調理をしています。

ちなみに今も、本職で料理人としては歩んでいないので、料理は自宅のキッチンで行い、撮影は暗くした部屋に照明を付けて撮影しています。撮影風景は恥ずかしくてとても見せられませんね。三脚を抱きしめながら、デジカメを生臭くしながら撮影しています。

エキサイトブログ編集部:生活の中で大切にしている時間や癒される瞬間などは?
shoさん:やっぱり、大好きな魚とたわむれている時、料理してる時ですかね。
月に7~8回くらい休みがあるシフト制の仕事をしていますが、どんなに仕事が忙しく疲れていても、休みの日に朝早く船橋の魚市場に行くことは楽しみであり、癒しですね。

c0039735_21463879.jpgエキサイトブログ編集部:数ある記事の中でご自身が気に入っている記事、また、読者に評判だったポストは?
shoさん:★自分自身で気に入っている記事
●2011年5月26日「自家製 干物の作り方 メヒカリの干物
干し網もなんとなく作ってみたり、楽しかった記憶があります。
自分好みの味つけができるのも自家製の楽しみ。メヒカリの干物もすごく美味しかったです。

●2010年8月8日「ごま豆腐の利休揚げ
葛とごまで作ったごま豆腐に、葛とごまの衣をまとわせて揚げた精進料理風なのですが、卵白使っちゃてるのでちょっとそれちゃってますね。 食感・味・香りともに、かなり美味しくできた一品です。

●2010年10月7日「カンパチの西京利休焼き
西京漬って難しそうなイメージがあると思うのですが、意外と簡単にできます。
この記事では、さらにごまの香りをプラスしました。
焦がさず焼くのはなかなか難しいですが、軽く焦がしたくらいの香ばしさもなかなかいいと思います!

●2011年7月3日「イサキの難波焼き
2種類のネギをのせて焼いた変わり焼き魚。脂が多い魚に向く調理法で、ネギの香りも食欲を増します。
魚焼きグリルで美味しくできます。これも簡単レシピ!

●2010年11月15日「イカの塩辛 黒造り
2種類のイカの美味しい所だけを贅沢に使った真っ黒い塩辛。
贅沢に使ったといっても、世界平和です!このレシピに使わなかった部位も美味しく食べてますからね!
個人的には、この塩辛の作り方が、一番美味しい塩辛の作り方だと思っています!

★読者に好評だった記事
●2011年1月6日「ダイダイの自家製ポン酢
意外と簡単に作れることを、知らない方も多いと思います。そういう「意外と簡単」もたくさん記事にしていきたいですね。

●2010年9月13日「究極の!サンマの塩焼き
実はこれ、自分が考えた創作ではありません。記事にも書いてあるのですが、テレビ見た料亭のメニューのを作ってみた感じです。手間はものすごくかかるのですが、信じられないくらい美味しい焼き魚です。

●2010年7月3日「あら汁」検索で来ていただくことが一番多い記事がこれです。失敗すると生臭くなってしまうあら汁の失敗しない作り方を掲載しています。今でも毎月「あら汁」が検索ワード1位になっています。

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エキサイトブログ編集部:長い休日があったら何をしたい?
shoさん:いよいよ、お皿を作りたくなっています。正直まったくなんにも知識がないのでどうなるかはわかりませんが、結局、和食はお皿と盛りつけで決まる!と思っています!
そんな意味で、かゆいところに手が届くお皿をいっぱい作りたいです。そしたら次は、自分で獲った魚で、自分で育てた野菜と、自分が作ったお皿に素敵な和食を作りたいです。
はいっ、時間をください!

エキサイトブログ編集部:最近の気になるニュースは?
shoさん:やはり電気代の値上げ…でしょうか?
急に現実味をおびてはきますが、個人的にも会社的にも大問題ですよね。
でも、世界平和のほうが大事なので、値上げしてもがんばります。…って意味わからないですよね。

エキサイトブログ編集部:ブログに訪問してくださる方にひとこと!
shoさん: いつもありがとうございます!
細々と、長くサヨリのように頑張っていきますので、飽きずに見に来てくださいね。
サヨリのようにとは書きましたが、サヨリは細くきれいな魚ですが、お腹の中は真っ黒なお魚で、腹黒い人のことをサヨリと言ったりするみたいです(笑)。

エキサイトブログ編集部:ありがとうございました。

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【shoさんのお気に入り&好きなブログ】

自分の知らない世界を簡単に知ることができるのが、ブログの楽しいところですよね!
今回は4つ選ばせていただきました。

●「やせっぽちソプラノのキッチン
いつも見ていただいているMchappykunさんのブログ。南カリフォルニアから発信されるきれいな料理。自分の知らない食材や、現地の風景そして…魚料理。見ているだけでやさしい気持ちになれます!

●「三文釣師が釣行譚
自分の見たことも触ったこともない食材を記事にしているduoneemuさんの「食」の放浪記 は必見!
本当は釣りも教えていただきたいところです。
duoさんのライブ、見に行きたいな~。

●「もーりーの簡単クッキング シーズン2
自分がブログをはじめて、最初にコメントをしたもーりーさんのブログです!
右も左もわからずおどおどしていたところを助けていただいた記憶があります。
北海道の新鮮な食材を、簡単で美味しそうな料理に作り上げるブログ。画面からも美味しそうな匂いがしてきそうです!

●「裏 Creator's Diary
自分がこよなく愛する洋服ブランド「エンジンレーベル」のデザイナーEnamiさんのブログです。唯一無二を貫く精神に陶酔!もう一生Enamiさんがデザインしたデニムしか履かないと心に決めています。
自分の写真で履いているデニムもEnamiさんの作品。




【shoさんのライフログ】

下町ロケット

池井戸 潤 / 小学館



これまたベターなのですが、池井戸潤さんの「下町ロケット」です。
やはり夢は叶えないといけませんね!ひとりではできなくても、熱意が伝わればすべてがひとつになれる。なんだか、とても羨ましいと思いながら読んでいました。
自分も頑張らなきゃって気持にさせられました!

暗黒童話 (集英社文庫)

乙一 / 集英社


下町ロケットとは、まったくの対極のホラーやミステリー作品も好きなので、乙一さんの「暗黒童話」が好きです。
これはほんと…びっくりするくらいのホラーです。
しかし、最後まで飽きさせず一気読みをしてしまいました。きっとこの方にしか書けない作品です。

shoさんの「魚と野菜と私と和ノ香」を読んでみましょう。
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by blog_editor | 2012-03-04 10:59