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川隆夫の JAZZ BLOG
Profile

©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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3.19:ジャズメン、ジャズを聴く!


■TALK EVENT■
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 こちらは12月30日ですが、日本は大晦日になりました。今年最後のブログです。とはいっても、特別に書くこともありませんし、どこかに行ったわけでもありませんので、ここ数日の写真をご紹介します。

①ゴッド・ファーザー・オブ・ソウル
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 まだニューヨークはJBの話題でもちきりです。テレビを観ながらこのブログを書いていますが、ちょうどJBのお葬式のセレモニーが実況中継されているところです。壇上にはなぜかマイケル・ジャクソンの姿も見えます。会場にはJBが安置されています。

②タワー・レコーズ
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 先日、タワーが閉鎖されたことを書きましたが、その後に前を通ったら、すっかり装飾が落とされていました(2枚目の写真)。また、今日は66丁目のタワーの前を通ったのですが、こちらももぬけの空状態になっていました。

③マイルスのアパート
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 JBのセレモニーには、家から「アポロ劇場」まで歩いていったのですが、途中でマイルスのアパートの前を通ったので、懐かしくなってぱちりとやってきました。ここは5番街の80丁目で、向かいはメトロポリタン美術館です。何度、このアパートにお邪魔したことか。ふと、元気なころのマイルスの姿が心をよぎりました。
 下の写真は今日撮ってきたものです。こちらは60年代から70年代にかけて住んでいた西77丁目にあるタウンハウスです。ここの1階にマイルスは住んでいました。『ESP』のジャケットは、この家のバックヤードで撮影されたものです。

④娘へのお土産
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 個人的なことで恐縮です。髑髏好きの娘のためにソーホーで買いました。このお店、「Evolution」というのですが、ここには化石やさまざまな骨格標本などが売られています。人間の骨格標本も本物とフェイクとが売られていました。さすがに本物の頭蓋骨は買いませんが、ブレスレットを購入。ただしサイズがわからず、といってもワン・サイズしかなかったのでこれを買ったんですが、喜んでもらえるでしょうか?

⑤タイムズ・スクエア
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 まだ並んでいるひとは見かけませんでしたが、臨戦態勢に入っている感じです。下の写真は、カウントダウンのセレモニーをする舞台です。

 というわけで、今年もおつき合いいただきありがとうございました。来年も皆さんにとっていい年であることをニューヨークからお祈りしています。
by jazz_ogawa | 2006-12-31 06:13 | NY Mapができるまで | Trackback(1) | Comments(9)
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 昨日は「アポロ劇場」でJBのPablic Viewingが行なわれました。アトランタから運ばれてきた遺体が、145丁目から白い馬車に乗って思い出の地「アポロ劇場」に最後のお目見えをしたのです。
 アメリカではこういうPablic Viewingはときどき行なわれているようで、同じ日に亡くなったフォード元大統領も、これからワシントンDCとミシガンに遺体が運ばれるようなことをニュースでいっていました。ブルーノートのアルフレッド・ライオンも亡くなったのはサンディエゴでしたが、その後にニューヨークでメモリアル・サーヴィスが行なわれ、埋葬されたのはニュージャージーでした。
 ぼくが「アポロ劇場」に着いたのは1時半ごろです。Pablic Viewingは1時から8時までの予定で、6時半からは関係者のみによるサーヴィスが行なわれるとのことでした。
 1時間も並べば遺体と対面できると考えていたのですが、これは甘かったです。最後尾は劇場から3ブロック半くらい先で、とにかく進むのに時間がかかります。最初の1時間が過ぎても半ブロックもクリアできていません。10分に一度くらい動くのですが、それが5歩くらいのもので、このペースだと時間切れになるんじゃないかと心配になってきました。でも、せっかくニューヨークに来ているときにこういうことがあるのも何かの巡り合わせと思い、寒い中をとにかく並び続けることにしました。
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 ハーレムのど真ん中ですから、周りは黒人ばかりです。JBの人気を考えれば白人や東洋人だっていてもいいと思いますが、ぼくの視界に入ってくるのは大半が黒人で、白人は数えるほど、東洋人らしきひとはひとりも見当たりません。その光景に接して、「死んだら黒人の間で評価されたい」というマイルスの言葉を思っていました。JBも、まさにそのとおりになったのではないでしょうか。当然のことですが。
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 並んでいる間、ひっきりなしにTシャツやJBの写真を売りにくるひとがいて、商魂の逞しさに苦笑しましたが、これがまた歌いながらだったり踊りながらだったりで、見ていて飽きません。こんなところもハーレムならではです。
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 「アポロ劇場」の前は、あちこちの放送局による臨時の中継所になっていました。各局ともトップ・ニュース扱いですから、数も半端ではありません。列はなかなか進みませんから、そういう光景もたっぷりと見ることができました。
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 並び始めてから4時間と少しが過ぎました。6時前なので、劇場の周りはすっかり暗くなっています。入り口の上に設置されたビルボードも煌々と明かりを放ち、いよいよ対面の時間が近づいてきたことを教えてくれます。

 「アポロ劇場」で最後にライヴを観たのは20年くらい前でしょうか。そのときはドウー・ワップのパッケージ・ショウでしたが、ハーレムならではの盛り上がりで雰囲気満点でした。その前にも何度かジャズのライヴを観ていますが、それらより圧倒的に気分が高揚したことを覚えています。
 JBは1956年に、この劇場でいまも行なわれている「アマチュア・ナイト」に出演したのがデビューとなりました。プロになってからもことあるたびにこの劇場でコンサートを行い、ライヴ録音したアルバムは代表作のひとつとして有名です。
 ぼくはJBも好きで、レコードも持っていますし、コンサートにも何度か行っています。しかし、思い入れの点ではオーティス・レディングやウィルソン・ピケットのほうが上です。それでも「パパのニュー・バック」や「アイ・ガット・ユー」などは、その昔レパートリーにしていました。「アポロ劇場」のライヴ盤も、国内盤が出ていなかった時代なので、苦労してオリジナルのキング盤を手に入れました。
 その程度のファンでしかありませんが、やはり「アポロ劇場」とJBの組み合わせには熱いものがこみ上げてきます。

 いよいよぼくを含む一群のひとたちが劇場内に入る番になりました。一列に並び、ロビーを抜けてホール内に入ると、JBの曲が流れています。舞台にしつらえた祭壇に棺がありました。あそこにJBが眠っている。そう思うと、舞台に上る階段で足が震えました。
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 図らずも「アポロ劇場」の舞台に立つことになりましたが、そんな感慨より、目の前にいるJBの姿に釘づけになりました。最初は本人じゃなくて、マネキンが服を着ているのかと思ったほどです。棺に横たわっていたJBがあまりに小さかったからです。顔なんか子どもくらいの大きさしかありません。死化粧をしているからでしょうが、肌にも艶がありますし、しわも目立ちません。ブルーのサテンのスーツを着て、少し微笑んでいるんじゃないかと思うほど穏やかな表情です。
 これまでにもセロニアス・モンクやソニー・スティットの遺体と対面してきましたし、職業柄たくさんの遺体に接しています。それらの中で、記憶している限りではJBの死に顔が一番美しいものでした。立ち止まることは許されないので、実際に拝顔したのはものの20秒くらいです。それでも、その顔を見て、ぼくは癒された気持ちになりました。
 上手から舞台に上がって下手から客席に降りるのですが、そのときにゆっくりと客席を見回してみました。ステージから客席を見ることなど最初で最後でしょう。JBの顔と共にこの光景も脳裏に焼きつけて、ぼくは思い残すことなく「アポロ劇場」を出ました。
 並んでいたときは寒さが身に染みていたのですが、外に出ると不思議とそれほど寒く感じません。物理的な気温を感じさせない何かの作用があるのでしょうか。ぽかぽかしたわけではありませんが、寒くないことを実感しながら「アポロ劇場」の前に戻りました。
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 外には、まだ長蛇の列が続き、正面前には通りをはさんで多くの見物人が集まっていました。みんなJBに最後の別れを告げているようです。このゴッドファーザー・オブ・ソウルは心からハーレムの住人に愛されていたんでしょう。
 そんな情景をまのあたりして、心あたたまる1日が過ごせたことに感謝しながら帰路につきました。
 
by jazz_ogawa | 2006-12-29 14:04 | NY Mapができるまで | Trackback | Comments(12)
 小僧comに引っ越しをした「愛しのJazz Man」ですが、おかげさまで年末を迎えることができました。いつまで連載するかはわかりませんが、ネタがある限り続けるつもりです。
 現在、出版準備中の単行本も初校のゲラ・チェックが終わり、年が開けたら再校やら写真の調整やらで、さらに体裁をなしてくると思います。そちらは2月末の出版を予定しています。その出版に合わせて、2月24日には銀座で「出版記念イベント」を開催します。

第4回「『愛しのJazz Man』出版記念イベント(仮)」
◆日時:平成19年2月24日(土) 午後6時~(OPEN午後5時)
◆場所:銀座Bar「le sept(ル・セット)」 中央区銀座6-7-19
◆会費:3000円(with1ドリンク)
◆問合せ・申込み:HKO商会 matc@wind.sannet.ne.jp

 当日はこれまで以上に脱線しそうです。いろいろ写真も用意していくつもりです。興味のあるかたはぜひどうぞ。
 それでは、12月の総集編です。


#022:John Coltrane ジョン・コルトレーン(ts)
e0021965_23241856.jpg ジョン・コルトレーンは麻薬の常習が理由でマイルス・デイヴィスのグループを一度くびになっています。1956年の末に楽屋でそのことから喧嘩になり、マイルスがコルトレーンをなぐってくびにしたということですが、ぼくは目撃していないので(当然ですが)、真相はよくわかりません。
 その場に居合わせたセロニアス・モンクがふたりの間をとりなしてくれたため、大事には至らなかったそうです。モンクはその場でコルトレーンを自分のグループに誘います。
それで仕事は繋がったのですが、マイルスのバンドとモンクのバンドとではギャラにかなりの開きがありました。もちろんマイルスのところで働いていたほうが収入はあります。そのため、コルトレーンは麻薬代に事欠くようになりました。困った彼は、親友のカーティス・フラーに相談します。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00022.html

#023:Anthony Barbosa アンソニー・バルボーザ(photographere)
e0021965_23243771.jpg マイルス・デイヴィスが吹き込んだ『ユア・アンダー・アレスト』(ソニー)について、最初に詳細な情報を教えてくれたのがフォトグラファーのアンソニー・バルボーザでした。彼はそのアルバムのレコーディングとジャケット用の写真を撮影した人物です。その話が聞きたくて、マンハッタンのユニオン・スクエアに構えている自宅兼スタジオを訪ねたのが1985年2月末のことです。
 そこでぼくは驚くべきニュースを耳にします。アルバムのオープニングを飾る<ワン・フォーン・コール~ストリート・シーン>にスティングが加わっているというではありませんか。ただし楽器やヴォーカルの参加ではなく、フランス語を喋る警官役として声の出演をしたというのですから、興味がそそられました。おまけに、そのトラックではマイルスもセリフを喋っているというのです。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00023.html

#024:John Scofield ジョン・スコフィールド(g)
e0021965_23245757.jpg マイルス・デイヴィスのグループで独特のくねくねとうねるフレーズを聴かせてくれたジョン・スコフィールド。それ以前からユニークなギター・プレイはフュージョン・シーンで大きな話題を呼んでいた。そのバンドでさらなる注目を集めた彼は、次いでサックス奏者のジョー・ロヴァーノと組んだカルテットでフュージョンとストレート・アヘッドなジャズの世界を股にかけて大活躍をしてきた。
 そろそろ還暦を迎えるスコフィールドである。しかし前向きの姿勢はいまも健在だ。ここ数年は、ニューヨークを中心に話題を集めるようになったジャム・バンド・シーンに進出して、ソウライヴやメデスキ・マーティン&ウッドたちと最先端のジャズをクリエイトしている。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00024.html

#025:Miroslav Vitous ミロスラフ・ヴィトゥス(b)
e0021965_23251187.jpg チェコスロヴァキアが生んだ名ベーシストのミロスラフ・ヴィトゥスは、1960年代末にニューヨークに移り住んで、あっという間に大きな話題を集める存在になった。ジャズがロックやソウル・ミュージックと結びついて、それまでにないほど大きな広がりを示し始めていた時代である。
 ヴィトゥスはロック的な演奏もできたため、まずはハービー・マンのグループに抜擢された。フルート奏者のハービー・マンは時代感覚に優れており、いち早くフュージョン・ミュージックの到来を実感していたのだろう。ジャズはジャズ、ロックはロックと高い垣根が厳然とそびえていた時代から、さまざまなジャンルのレパートリーを取り入れて、ジャズ・ファンに限らない幅広い層から支持されていたのが彼である。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00025.html

#026:David Sanborn デヴィッド・サンボーン(as)
e0021965_23253052.jpg アルト・サックス奏者のデヴィッド・サンボーンといえば《泣き節》で有名である。ひところは《メローなサックス奏者》などとも呼ばれていた。それゆえメロディックなプレイは聴くものをしみじみとした気分にさせてくれる。人気も抜群、実力も抜きん出ている。まさにフュージョン・シーンで《超》の字がつくほどの人気者が彼である。
 ところがそんなサンボーンにも泣きどころがあった。ぼくには思いもよらぬことだが、意外な悩みを持っていたのだ。どんなことかといえば、「他のジャズ・ミュージシャンに比べて、自分には才能がないのでは?」というのだから驚きだ。これは彼が勝手に思い込んでいた一種のコンプレックスである。
全文はhttp://www.kozocom.com/entertainment/music/a00026.html
by jazz_ogawa | 2006-12-28 23:27 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(4)
 1年と少し前に出版した『マンハッタン・ジャズ・カタログ』ですが、その後もいろいろと内容の変化が起こっています。今回は残念な話をふたつほど。

①【Tower Records/タワー・レコーズ】 692 Broadway(At West 4th Street)
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 グリニッチ・ヴィレッジにいる音楽愛好家の拠点(?)でもあったタワー・レコーズがクローズしていました。10月に行ったときにその気配があったので、どうなったかなぁと思って店にいったところ、中はも抜けの空状態でした。
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 この店はWest 4th StreetとBroadwayの角にある大きなビルの地下1階と地上2階、それと中2階にも売り場があって、かなりの面積を誇っていました。この店の裏、Lafyette Streetに面したところにもアウトレット店があって、こちらは10月に行ったときは店仕舞いの準備で叩き売りをしていました。メイン・ショップも、このときにほとんどの商品が2割引きで売られるなど、閉店に向けての準備をしている様子でした。
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 思えば、ぼくが2年の留学を終えて、帰国を4週間後に控えた83年7月初旬(たしか4日の独立記念日前後だったと記憶しています)にマンハッタンで最初のタワー・レコーズとして、ヴィレッジ店がオープンしました。家からすぐのところに出来たので、嬉しくて毎日のように店に足を踏み入れていました。
 当時、マンハッタンで一番在庫が豊富だったのはPark Rawといって、シティ・ホールがある南端で店舗展開していたJ&Rでした。そのほかにもSam Goody'sというチェーン店もありましたが、ジャズの在庫がヨーロッパ盤を含めて豊富にあったのがJ&Rでした。
 ぞのJ&Rに匹敵する在庫と、なおかつ値段も1ドル平均は安いタワーができたのは、ぼくにとって画期的な出来事でした。しかしもう日本に帰ることになっていたので、あまり意味はなかったのですが。
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 そのタワーがなくなり、Sam Goody'sもすべてが姿を消し、その後に人気だったWizも消えてしまいました。結局残ったのはJ&Rです。いまはタワーのあとに進出してきたVirginもHMVもありますが、在庫と値段を考えればマンハッタンではJ&Rが上でしょう。これらの店より安いCDショップもいろいろありますが、在庫の点に難があります。

 タワーは安売り店の3~4割増しという価格ですし、日本でアメリカ盤を買ったほうが安いケースも多かったので滅多に利用しませんでした。しかしなくなってみると、結構不便です。
 安売り店で売っていない新譜なんかは、値段か高くてもほしい場合ならほぼ確実に入手ができますから。今回はニール・ヤングの新譜やシュープリームスのDVDがほしいと思っているのですが、そういうのは安売り店ではいまのところ見かけません。しかたがないので、あとでVirginまで行ってこようかと考えているところです。



②【CBGB/シー・ビー・ジー・ビー】 315 Bowery(At East 1st Street)
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 もうひとつ、残念なニュースはCBGBがクローズしたことでしょう。パンクのメッカとして、この店でイギー・ポップやデボラ・ハリーのライヴを観たことがあります。ジャズ関係では、アンソニー・ブラクストンがオーケストラを率いて、それは素晴らしく創造的な演奏を聴かせてくれたこともありました。
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 経営難でしばらく前から閉鎖が伝えられていたんですが、とうとうクローズしてしまいました。現在はなぜかラス・ヴェガスで営業が続けられているようです。ひょっとすると、ニューヨークでもリオープンされるという噂もあるのですが。
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 ただし、この店のグッズ・ショップは19-23 St.Marks Placeで11月末から営業しています。
 CBGBもタワーの近くにあります。ぼくが住んでいたアパートからこちらもすぐのところで、留学中はよくその前を通っていました。現在CBGBの前の通り(二丁目とバワリーの角)は「ジョーイ・ラモーン・プレイス」と命名されていますが。
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 たった1年のうちに、さまざまな店が消えては新しいスポットが誕生しています。考えようによっては、この新陳代謝こそがマンハッタン文化の原動力かもしれません。とはいっても、ぼくの印象としてはこの1年、さまざまな点でちょっと停滞気味かな? とは思っています。
 しかし「明日はどなるかわからない」のがマンハッタンです。だからこそ面白い場所なんでしょう。
by jazz_ogawa | 2006-12-28 07:38 | NY Mapができるまで | Trackback | Comments(9)
e0021965_6581734.jpg 元旦と同じで、12月25日はほとんどのお店がクローズしてしまいます。それで、行くところがないので映画館なんかが混みます。レストランやコーヒー・ショップもほとんどが閉まっています。スター・バックスも開いているのはほんの一部のお店だけ。
 幸い、アパート近くの2番街にあるスターバックスは開いていましたので、朝食後にウォーキングをして、そのまましばらくここで原稿のチェックをしていました。その後は、やはりこの界隈では珍しくオープンしていたコーヒー・ハウスで昼食です。

e0021965_6583622.jpg 今回は、ターキーに凝っています。日本のひとはあまり食べないようです。ぼくも心臓の具合が悪くなるまで滅多にターキーは食べませんでした。肉食ですが、ターキーはぱさぱさで美味しくないため、敬遠していたんですね。
 ところが油っぽいビーフやポークばっかり食べていたんで心臓の血管が詰まってしまいました。そこで、日本でもサブウェイのターキー・ブレスト・サンドイッチ(パンはウィートでドレッシングはレッド・ワイン・ヴィネガーです:この組み合わせが一番ロー・ファット&ロー・カロリーらしいので)を食べるようになりました。
 ニューヨークでもサブウェイにはよく行きますが、日本より味が大雑把です。そこで今回はターキーのおいしいところを探そうと思っています。昨日のブログで書いたように、ブランフォードが作ったターキーは美味しかったですが、外食で簡単に食べられるターキーとなればサンドイッチとかバーガーとかしかありません。あとはグリルしたものでしょうが、これは一般的でないようです。

e0021965_6585891.jpg 昼はこれでどうにかなりました。夜は、クリスマスも1月1日も関係ないチャイナタウンに行きました。家族づれ、それも複数の家族が何組も集まって食事に来ていた店に入ってしまったので、店内の混乱はまるで戦場のようです。そのうち小さな子どもたちは飽きてきて、プレゼントを開けたり、それをこちらのテーブルにまで持ってきては自慢したりと大騒ぎです。

e0021965_6591754.jpg どうせチャイナタウンならと、その前に行きつけのマッサージ屋さんに行ってきました。ここはモット・ストリートのリトル・イタリー側にあります。とはいっても、何年も前からこのあたりはチャイニーズが進出していて、チャイナタウン化しているところですが。
 そのマッサージ店で1時間揉んでもらい、少しは肩と腰が楽になりました。1時間でキャッシュなら40ドル、カードなら41ドルです。ぼくはとくに指名をしませんが、昨日のひとはうまかったです。肘の使い方が絶妙で、こちらが押してほしいと思うところを的確に押してくれました。
 整形外科医の立場としては、マッサージによって却って症状を悪化させる場合がありますから、治療ということで考えるなら要注意です。リラクゼーションということなら、昨日のぼくのように問題はないと思います。
 とはいっても、日常的に診療をしていると、西洋医学で症状を軽快させられなかったものが、マッサージや針やカイロプラクティックで軽快するケースもあります。ですから、実際は何ともいえません。ただし、それらで悪化して整形外科に駆け込んでくるひともいます。どちらを選ぶかは、結局、個人の判断になりますが。あともうひとつ、症状が「軽快」することと「治癒」することは違います。そこをお間違いのないように。

e0021965_6593936.jpg 昼食からマッサージを予約した時間までが3時間以上あったので、イースト・ヴィレッジにある映画館で『硫黄島からの手紙』を観てきました。みなさんやることのない(?)クリスマスですから、この小さな映画館はそこそこ入っていました。満員ではありませんが。
 この映画、マンハッタンではここを含めてたったの2館でしかいまのところ上映されていません。日本に伝わってきているニュースを思えば、こんなものだったの? というのが正直な感想です。これから拡大されるのでしょうが、いったいどのくらいの反響なんでしょう? ただし『ヴィレッジ・ヴォイス』紙には大きなレヴューが掲載されていました。
 お客さんは30代以上の人が大半、多くはぼくと同世代前後のひとだったように思います。日本のひとはいたのかなぁ、というくらい目立ちません。こういう映画ですから、決して娯楽映画を楽しみに来た感じではありません。上映が終わって外に出るときの表情を覗っていたのですが、みなさん、何か思ところがあるような顔つきをしていました。
e0021965_785772.jpg 日本にくらべれば、アメリカでは現在もイラクに多くの兵士が派遣され、相当数のひとが戦死しています。ついに9.11の死者より数が超えた、とさっきのニュースでいっていました。家族がイラクにいるひともいたかもしれません。現実的なことと受け止めているひとが多かったとも考えられます。自決のシーンなんかはショックだったようで、あちこちから声が漏れていました。

 『硫黄島からの手紙』は、以前にも書きましたが、短いインターヴァルでもう一度観るつもりはありませんでした。ところが、今回はあまり面白そうな映画がないんですね。あと観たいものといえば、マット・デーモンやロバート・デニーロが出ている『the good shepherd』か、留学中にブロードウェイで観たミュージカルを映画化した『DREAMGIRLS』くらいのものでしょうか。それらの中で『硫黄島からの手紙」を観たのは、家からチャイナタウンの間にある映画館で上映されていたのがこの映画だったからです。

by jazz_ogawa | 2006-12-27 07:19 | NY Mapができるまで | Trackback(1) | Comments(4)
e0021965_1324176.jpg 4年前のことですが、ブランフォード・マルサリス家のクリスマス・パーティに呼ばれたことがあります。よっぽど暇そうにしていたのを可愛そうに思ってくれたんでしょう。集まったのは、ブランフォードの家族と奥さん側の一家、それにウイントンとガール・フレンドと息子で、まさにブランフォード家のプライヴェートなクリスマス・パーティに呼ばれました。
 ブランフォードが住んでいたのは、グランド・セントラルから電車で40分くらいのところにあるライという街です。彼の奥さんはスウェーデン系の白人で、少し前にふたりの間にはお嬢さんが生まれていました。その奥さんのご両親と、お兄さんだったか弟さんだったか忘れましたが、その家族がこのときは呼ばれていたんですね。彼らはフィラデルフィア在住だと話していました。

 パーティのために、ブランフォードは1週間くらい前から準備に取りかかっていたようです。何しろすべての料理が手作りです。奥さんには一切手出しをさせません。アペタイザーからデザートまで、ひとりでしこしこ作っていました。
 ブランフォードに連絡をすると、このときはいつもキッチンで電話を受けていました。料理に没頭してたんでしょう。彼が作った料理といえば、その昔、隣人だった時代にちょっとしたスープとかサラダはご馳走してもらったことがあります。それにしてもここまでの料理人になっていたとは。
 メニューは忘れてしまいましたが、サラダやちょっとしたアペタイザーからはじまり、ガンボやスタッフト・ターキー、ピラフみたいなご飯や肉の炒めものとか、全部で10品くらいはあったと思います。デザートも3品くらい出てきたんじゃないでしょうか? 特製のビスケットもおいしかったなぁ。 お母さん直伝によるニューオリンズの伝統的な料理でまとめた、と自慢していました。ジャズが駄目になったら料理屋を開くんだと冗談めかして話していましたが、これなら充分やっていけるんじゃないでしょうか?

e0021965_13245387.jpg ウイントンは、ひたすら食べまくっています。それでしばらくしたら、食堂にあったピアノを弾き始めました。最初のうちはみんなピアノの周りに集まっていたのですが、そのうち子どもたちが居間で遊びはじめ、それにつれて大人たちもそちらに行ってしまいました。もったいないと思うのは、ぼくのようなジャズ・ファンだけなんでしょう。
 こうなると1対1のスシ・バー状態です。ウイントンが何を弾こうか? と聞いてくるので、トロとかさばとかを注文するように、モンクの曲とか、ニューオリンズ風のストライド・ピアノを弾いてとか、いいたい放題で頼みます。するとちゃんとそれ風の演奏をするから、やっぱり並みのひとではありません。
 そのうち、台所の仕事もひと段落ついたのでしょう。ブランフォードもソプラノ・サックスを手にして吹き始めました。マルサリス兄弟が目の前で、遊びながらではありますがいろいろな曲を演奏しています。こんな光景に接するのも、となり組だったとき以来です。
 これがぼくへのクリスマス・プレゼントだったんでしょう。昔の友情を忘れていない彼らに心から感謝しました。それと同時に、こんな贅沢なクリスマスが過ごせたことに感激もしていました。

e0021965_13251366.jpg その後、ブランフォードはノース・キャロライナに引っ越しています。ライは白人の街なので近所づき合いもなくて寂しかった、とあとで教えてくれました。ノース・キャロライナではすぐに友人もできたらしく、みんな親切で優しいともいっていましたね。でもちょっと心配なのは白人の奥さんです。ライのときのブランフォードみたいになっていなければいいのですが。
 ノース・キャロライナといえばジョン・コルトレーンが生まれたところですし、多くのジャズ・ミュージシャンの出身地でもあります。ブランフォードにとっては住みやすい土地柄なんでしょう。そういえば、この間ライヴを観たリヴィングストン・テイラーもノース・キャロライナで生まれ育ったと話していました。ゴスペルが盛んなところらしくて、そんなことを話しながら「ジーザスが家にやってきた」を歌ってくれました。
 それはそれとして、クリスマスになると、いつもあのときのブランフォードやウイントンのことを思い出します。そして、今年はどこでどうしているんだろうとも。

e0021965_13252922.jpg ところでゴッド・オブ・ソウルことジェームス・ブラウンが亡くなりました。彼のライヴも何度か観ています。特別に大好きというほどではありませんが、それでも彼の歌には思い入れの強いものがいくつかあります。またひとり、伝説のひとがこの世を去ったことに寂しさを感じています。しかも73歳というのは、若すぎます。

 大晦日にはニューヨークでライヴをすることになっていて、今週の『ヴィレッジ・ヴォイス』紙には広告も載っています。死因は心不全とのことですから、ひとごとではありません。心から冥福を祈りたいと思います。
by jazz_ogawa | 2006-12-26 13:35 | 平凡な日々 | Trackback | Comments(10)
 14時間時差があるので、こちらはいまがクリスマス・イヴの夜です。街はクリスマス一色(あたりまえですね)ですが、例年より少し暖かい感じです。気温は10度くらいでしょうか?

 クリスマス・イヴといっても、毎年そうですが特別なことはしません。というわけで、今日は街の模様をいくつか紹介します。

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 反射して見えにくいですが、5番街にあるデパート、ロード&テイラーの名物になっているクリスマス・ディスプレイです。毎年、この時期にはクリスマス関連のディスプレイが飾られます。そのうちの1枚ですが、パーティの様子みたいですね。

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 ニューヨーク・パブリック・ライブラリーでは、絵本の展示をしているのでしょうか? 中に入らなかったので詳細はわかりません。手前のリースがクリスマスらしいでしょ。入り口の両脇に鎮座しているライオンにもクリスマス・シーズンになるとリースの首輪がかけられるのですが、ここ数年は見かけません。どうしちゃったんでしょうね。

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 カルティエもこのようなディスプレイになっていました。

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e0021965_11325922.jpg 別にこの男性の写真を撮ったわけじゃありません。6番街にある「ラジオ・シティ・ミュージック・ホール」の入り口です。ここはクリスマスになると、「ラジオ・シティ・クリスマス・スペクタキュラー」と題してロケッツがこのような衣装でラインダンスを踊ることになっています。また「くるみ割り人形」など、子ども向けのプログラムも同時に上演しているはずです。




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 「ラジオ・シティ~」の向かいにあったビルの前のディスプレイです。

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 街中いたるところでクリスマス・トゥリー用のもみの木が売られています。25日までこのような光景が見られます。

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 家の近くの33丁目、とあるアパート前に飾られていたものです。

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 3番街と29丁目の角にあるレストラン「Tonic」の屋上にいたサンタクロースとスノーマンです。風が吹いて揺れると、挨拶をしているような感じになります。

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 グリニッチ・ヴィレッジのブリーカー・ストリートにはこんな飾りが。

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 ぼくのアパートのロビーにあるトゥリーです。3メートル以上はあるんじゃないでしょうか? 立派でしょ?

 てなことを書きましたが、これらの写真の多くは23日に撮ったものです。今日は近くのスターバックスでゲラのチェックをしたりウォーキングをしたりで終わってしまいました。
 ニューヨークに来ても原稿はスターバックスです。別に部屋で仕事をしてもいいのですが、スターバックスだとはかどるんですね。家にいると他のことが気になって集中できないんでしょう。というわけで、今回もスターバックス詣になりそうです。
by jazz_ogawa | 2006-12-25 11:41 | NY Mapができるまで | Trackback | Comments(11)
e0021965_10255884.jpg UAの直行便がなくなったため、今回はANAでニューヨークにやってきました。成田を午前11時に出て、同じ日の午前9時にJFK到着です。出発も到着も朝が早くて、かなり使い勝手の悪い便です。これ、ぼくにとっての話ですが。
 何しろ家を7時過ぎに出なくてはなりません。ニューヨークに着いたら着いたで、今度は時差ぼけと戦いながら夜まで起きていることになります。これまでなら、夕方か夜の早い時間について、雑用と夕食とで12時近くになりましたから、そのまま寝れば次の日は朝から時差ぼけもなく過ごせました。
 夕食も食べてアパートに戻ってきたのですが、そういうわけでまだ8時半です。元気なときはこれからジャズ・クラブにでも繰り出したのですが、最近はそういう気分でもありません。
 部屋で何かをしながら12時くらいまでは起きていようと思っています。でも、その前に寝てしまうかもしれません。そうなると今度は夜中に目が覚めて、そのまま朝まで寝られず、時差ぼけの日々を過ごすはめにもなりかねません。ANAはだからいやです。

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 と愚痴をいっても始まらないので、アパートで荷物を整理してから、近くにあるThe Morgan Library & Museumで「Bob Dylan's American Journey, 1956-1966」と題されたボブ・ディランの回顧展を観てきました。家の近くにあるライブラリーですが、ここに行くのは初めてです。旧館と新館ふた棟続きの建物で、ディランのエキジビションは新館の3階で開催されていました。入場料は12ドルです。
 スペースはそれほど広くありません。そこに1956年から66年にかけてのさまざまなものが展示されています。といっても、とても珍しいものはそれほどありません。点数もたいしたものではなく、個人のコレクターが寄贈したものとライブラリーのコレクションを合わせての内容ということでした。
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 手書きの歌詞、当時のポスター、ちらし、新聞の切り抜き、ギターとハーモニカ、サイン入りのLPジャケット、コンサート・チケット(半券も含む)などが主な展示ですから、規模はたいしたものでありません。
 でも、手書きの「風に吹かれて」の歌詞とか、エレクトリック・ギターと交換して手に入れたギターや、キャロリン・ヘスターのレコーディングで使ったホーナー製のハーモニカなどは、珍しいといえるかどうかはわかりませんが、観れてよかったものです。
 とくに交換して手に入れたギターがマーティンのダブルOモデル(というんでしょうか?)だったのには驚きました。痩せても枯れてもマーティンです。一体マーティンと交換したエレクトリック・ギターとはどんなモデルだったのでしょう? 大学1年のときだといいますから、たいしたギターではなかったと思います。ほかのひとにはどうでもいいそんなことが気になりました。
 楽器といえば、ディランが尊敬してやまないウディ・ガスリーやランブリン・ジャック・エリオットのギターも展示されていましたし、ディランのレコーディングでバックを務めたブルース・ラングホーンのギターとタンバリンもありました。ちなみにヒット曲の「ミスター・タンブリン・マン」は、ラングホーンが叩くタンバリンにヒントを得て書かれた曲です。
 高校時代は、当然ですがそんなことも知らずに、フォーク・バンドでこの曲を歌っていたました。でも、ぼくたちはディランの歌ではなく、バーズのレコードをコピーしていたんですが。

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 ニューポート・フォーク・フェスティヴァルのポスターもいくつか展示されていました。その中でおかしかったのが、1962年のポスターです。この年、ディランは最初のLPを出して、そのしばらくあとに初めてこのフェスティヴァルに出演します。まだ、名前が知られていなかったのでしょう。Bob Dillonとポスターには書かれていました。
 物として一番珍しいのは、1966年にイギリスで行なったライヴを収録したアセテート盤でしょうか? このときのコンサートはDVDの『ドント・ルック・バック』他で観れますが、CBSは最初ライヴ・アルバムとして発売する予定でテープを回していました。そのテープからアセテート盤にカットされたものが残っていたんですね。
 マニアは、こういうのがオークションに出品されるとアドレナリンがわっと噴き出します。このディスクを観ただけでも少量のアドレナリンが分泌されたみたいで、ぼくの心臓は黄色信号がともりました。ディランの回顧展で心臓麻痺を起こしても洒落にならないのでニトロを舐めましたが(冗談です)、たいしたことないといいながら実際は結構楽しんでいました。

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 そのあと、夕食までまだたっぷり時間があったので、ミッドタウンとソーホーをぶらぶらしました。ロックフェラー・センターのツリーは、例年より小ぶりの感じです。
 今日から2週間ほどニューヨークですが、いくつかアポイントが入っている以外は何の予定もありません。といっても、次回作のゲラを読んだり、次々回作の原稿を書いたりはしないといけません。貧乏性のぼくは、今年も最後までのんびりすることはなく、何かをしながら年越しと年明けを迎えることになりそうです。
by jazz_ogawa | 2006-12-24 10:35 | NY Mapができるまで | Trackback(1) | Comments(10)
e0021965_23573578.jpg 想像はしていましたが、何とも不思議な演奏でした。トランペットの近藤等則さんが昨日幡ヶ谷の「Hakuju Hall」で開いたソロ・コンサートのことです。
 近藤さんのライヴを聴くのは20年ぶりとはいわないまでも、15年ぶりくらいかもしれません。その昔はチベタン・バンドでヒップ・ホップの先駆けみたいな音楽を聴かせてくれた彼ですが、その後はアムステルダムに住んでいたため、滅多に日本でライヴを聴くチャンスがありませんでした。タイミングが合わずにすれ違いが多かったのですが。

 久々に聴いた近藤さんの音楽は、面白かったのひとことです。ジャズとはいえません。シンセサイザーか何かはわかりませんが、何らかの電子機器と接続したトランペットの音色は、さまざまな色艶やパルスを生み出します。まるで雅楽をエレクトリック・サウンドで演奏したような音楽でした。
 コンサートは「地球を吹く」という、このところ近藤さんが世界各地で行なってきた活動の一環です。これまでにイスラエル・ネゲブ砂漠(1993年)、ペルー・アンデス山脈(1994年)、沖縄・久高島(1996年)、アラスカ・マッキンレー(2001年)、熊野(2002年)、そして富士山(2006年)で吹いてきたそうです。
 近藤さんのこんなメッセージもあります。

e0021965_23575533.jpg 「地球を吹く」を始めたころ、「何でひともいないところで演奏するんだ」とよく質問されました。それに対しては、トランペットの音で答えるしかないと思いつつ、「地球を吹く」作業に没入していたら、いつの間にか10年以上の歳月がたっていました。今回のライヴがその答えになるかどうか。ベストを尽くしたいと思います。

 小ぶりの会場に集まった聴衆を前に、近藤さんが自在なプレイを聴かせてくれました。興味深いのは、彼の紡ぎ出す音の流れが極めて日本的な響きを有していたことです。勝手な憶測ですが、近藤さんは自分の音を求めて世界中を彷徨ってきたのだと思います。その結果、行き着いたのがこのような音楽だったんじゃないでしょうか?
 たしかに昨日聴いたものは、誰の真似でもなく、また誰からも影響されていないものだと強く感じました。それが日本的な響きに溢れていたのは、近藤さんのアイデンティティを思わせます。

e0021965_23581064.jpg いまから20年くらい前になりますが、近藤さんはビル・ラズウェルと興味深い共演を繰り広げていました。そのときのインタヴューでは、ふたりとも異口同音に「民族音楽には力がある」みたいなことをいっていました。
 長い歳月をかけて受け継がれてきた音楽には、時代や風雪に耐える力があるということでしょうか? 明言はしませんでしたが、何となく共感を覚える言葉でした。その当時に近藤さんがやっていた音楽とは形がまったく違いますが、本質は昨日の音楽に通じているのかもしれません。

 近藤さんはフリー・ジャズ派のトランペッターとして登場してきました。おそらく最初は遮二無二演奏することで思いを訴えていたのでしょう。それはそれで素晴らしかったのですが、当時はアイディアとかテクニックとかいったものが前面に出ていたように思います。
 IMAやチベタン・バンドを結成したころから、近藤さんは内面を抉るようにして自己の思いをトランペットで訴えるようになってきました。こうなるとミュージシャンは無敵です。自分の個性でひとの心が掴めるからです。近藤さんはそれができる数少ないミュージシャンだと思います。

 昨日の演奏がまだ頭の中でぐるぐる回っています。たったひとりでステージに出て、悠久の流れを思わせる演奏をたっぷりと聴かせてくれました。テンションは高いのですが、気持ちは落ち着きます。エレクトリック・トランペットによる演奏を聴いていればアドレナリンがちょっと多めに分泌されそうなんですが、そんなこともありませんでした。
 それは、近藤さんの音楽がビートからほとんど解放されていたからでしょう。だから、ぼくはそこに雅楽の響きを感じたのかもしれません。
 「Hakuju Hall」は音のよさで定評があります。この手の作りのホールだと、エレクトリック・サウンドの場合、残響音も強いのですが、そんなこともなくナチュラルな音で聴くことができました。
 そうそう、昨日のコンサートの正式な名称は「響鳴する宇宙 近藤等則ソロ“地球を吹く”」です。まさにそのとおりの内容だったことを報告しておきます。

 ということで、明日からはニューヨークです。あと1週間ほどで今年もおしまいですが、もう少しおつき合いくださいね。
by jazz_ogawa | 2006-12-22 23:58 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(4)
e0021965_2324585.jpg 忙しさにかまけていてすっかり自分の本の宣伝をするのを忘れていました。といっても、すでに何度か折に触れてこのブログでも話題にしていましたが。
 『スタンダード・ジャズのすべて 大事典』(全音楽譜出版社)。
 これで今年の出版は打ち止めです。昨年に続いて、今年も5冊の本を出すことができました。そんなに需要があるとは思えませんが、これもこのブログをご覧になっているみなさんをはじめ、多くのかたのお陰と感謝しています。
 気がかりなのは、「変な本を買わされて損した」と思っているかたがいるだろうなということです。そういうかたにはこの場を借りて、「もうしわけありません、変な本を掴ませて」とあやまっておきます。
 でも、ぼくにはまっとうな本が書けません。つくづくそう思っています。このところ立て続けにいくつかの出版社の編集者と会いましたが、彼らは口々に「誰でも書ける本ならいらない」といいます。短絡思考のぼくは、それなら「変な本をかけばいいのね」と思ってしまいます。それを口にすると、みなさん何もいわなくなるので、どうやらそういうことでもないみたいですが。

 いずれにしても、ぼくは自分の道を進むしかありません。最近感じているのは、よくある『名盤★★選』みたいな本はもう書かなくてもいいかな、ということです。こういう本は、ぼくでなくても誰でも書けるわけですし。
 残された時間も膨大にあるわけじゃありません。だから自分にしか書けない本を、と思います。といっても、これは尊大な考えというものです。いい気になってはいけません。
 本を書きたいひとはたくさんいるでしょう。そういうひとから見れば、とんでもなく贅沢をいっていることになります。読んでくださるかたがいるからこそ、本は出せるのです。そこを忘れてはいけません。ですから、仕事が来れば何でも引き受けます。『名盤★★選』。いいじゃないですか。頼んでくれるのならいくらでも書きますし、何でも書きます。来るもの拒まずの精神でこれまでもやってきたのですから。

 感謝の気持ちがなくなったら、ぼくなんか何の役にもたたないおっさんです。有難いなぁという気持ちはいつだって持っています。ただ、ときどき本が出せることを当たり前のように思っている自分がいることに気がつきます。これはいけません。それこそ思い上がりです。
 これは本業についても同じです。日雇い労務者ですから、いつ「明日から来なくていいよ」といわれるかもしれません。病気になれば、その日から収入がストップします。何の保障もありません。
 ですから、今日も仕事があってよかったと、絶えず思っています。卑屈にはなりませんが、プライドは持って仕事がしたいと思います。そのプライドが尊大な態度にならないように気をつけないといけない、ということでしょう。
 本の宣伝をするつもりで、変なことになってしまいました。でもこのブログでは、自分の気持ちを正直に書くのがモットーですから、こういう按配になってもいいでしょう。
 最後に出版社が作った『スタンダード・ジャズのすべて 大事典』の概要を貼りつけておきます。興味があるかたはご覧ください。

【新刊案内】
小川隆夫・著/B5判/392頁/定価3,255円(本体3,100円+税5%)
850曲掲載──ジャズ・ミュージシャン&リスナー必携のガイド
【内容】
セッションやレコーディングで取り上げられることの多いスタンダードを850曲厳選!
■歌詞の内容や曲のなりたち・誕生秘話などを紹介した『解説』→知らない曲でもどんな楽曲かわかる!
■作詞・作曲・発表年・初演を網羅した『楽曲データ』→曲の出典がわかる!
■模範演奏となる名演を収録した『推薦盤』→知らない曲でも聴くべきアルバムがわかる!
1988年の発行以来、多くのプレイヤーに支持されてきたロング・セラー曲集『スタンダード・ジャズのすべて』の新版に準じた楽曲解説事典。
【目次】
□スタンダード・ジャズ考察 ~「はじめに」に代えて
□名曲を生んだ巨匠たち
□ミュージシャン・コンポーザー列伝
□年代順 演奏スタイル
■事典(850曲・全316頁)
□付録・ジャズ用語辞典
※楽譜『新版 スタンダード・ジャズのすべて』1、2巻(各401曲掲載/全802曲)に準じておりますが、本書には著作権等の事情により楽譜に掲載されていない名曲も含めて850曲紹介・掲載しております。
by jazz_ogawa | 2006-12-20 23:10 | Works | Trackback(3) | Comments(6)
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