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川隆夫の JAZZ BLOG
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©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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「ジャケ裏の真実
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小川隆夫ONGAKUゼミナール
@銀座le sept
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■TALK EVENT■
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「3月文化講演会」@神戸
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TEL: 078-265-6595

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 テレビのニュースで、「今日が成田は一番のピーク」といわれていたので覚悟していたんですが、思ったより空いていて拍子抜けでした。これなら普段の日より空いているぐらいで、どうなっているんだろう? と思ったほどです。リムジン・バスにしたっていつもより空いているぐらいで、これはこれでよかったです。
 4時20分出発の便で、JFKに着いたのが時差の関係で午後の3時半くらい。イミグレーションでちょっと時間がかかりましたが、アパートには5時前に着いたので、まあまあスムーズなほうでしょう。
 機内ではいつも映画が楽しみなんですが、今回は不作で、『ナルニア国物語』ともう1本、これも子供向けの映画でタイトルは忘れてしまいましたが、サッカー・チームの話でした。あとはiPODを聴いたり、食事をしたり、本を読んだり、適当に寝ていたらニューヨークです。

e0021965_1134147.jpg マンハッタンは、東京より夜は寒いですね。今日は6~7度くらいでしょうか。春用のジャケットで食事に出かけたんですが、停留所でバスを待っている間に少し寒くなってきました。寒さしのぎにはなりませんが、左の写真はその停留所(34丁目と2番街の角近く)から写したマイ・アパートです。夏時間なので、7時近くになっていましたが、まだやっと夕方というところでしょうか。
 初日はたいていイースト・ヴィレッジで食事をします。週末はイースト・ヴィレッジのレコード屋さんが遅くまでやっているので、ひととおりチェックしようという魂胆です。ところが最近はめっきりこれといった掘り出し物にぶつかりません。

e0021965_1134411.jpg
 上の写真は「Sounds」といって、留学時代は毎日のように通っていたレコード店です。当時はLPの時代で、中古の値段でずいぶん珍しいものが買えました。いまも少しはLPがありますが、これには見るべきものがないんでパスです。CDは新品と中古の両方があって、新品はタワーあたりの約3分の2(9~13ドルくらい)、中古は大半が5~10ドルです。
e0021965_1135541.jpg CDでもときどきプロモ盤などが出るので、何はともあれこの店のチェックからニューヨーク滞在は始まります。今回は収穫がなく、それでも折角来たんだからと、挨拶替わりに写真のようなものを買いました。

 いつものことですが、ニューヨークでは行き当たりばったりです。何も予定はありません。考えてみると、東京にいるときより普通の生活をしているかもしれませんね。原稿を書いて、食事をして、ウォーキングをして、レコード店めぐりをして、というのが日課です。
 そのほかの時間で、映画を観たり、音楽を聴いたり、知人と会ったり、仕事があれば仕事をしたりということになるのですが、最近は以前にも増してものぐさになっていて、夜はなるべくアパートでぐたぐたすることが多くなりました。
 勿体ないといえば勿体ないのですが、東京で忙しい日々を過ごしているので、ニューヨークに来ると反動からか怠け者になってしまいます。これで生活のバランスを取っているのかもしれません。
 というわけで、あまり面白い話は滞在中にないかもしれません。でも数日に一度は更新しますので、興味のある方はときどき覗いてみてください。
by jazz_ogawa | 2006-04-30 11:40 | NY Mapができるまで | Trackback | Comments(11)
 ストーンズつながりで、昨日はあるレセプション・パーティに行ってきました。知人の紹介で、ストーンズTシャツの日本におけるオフィシャル・ライセンスを持つ「Buddyz」が主催したパーティです。
 これは、ストーンズのジャパン・ツアーでオフィシャル・スポンサーだったMSNが「Buddyz」と手を組んで、4月26日から5月25日までの1ヵ月間、代官山の「Frames」で「Rolling Stones x Japanese Tシャツ展」を開催する記念として開かれたものです。
 いきさつや詳しいことは知りませんが、簡単に言えば、いろいろなアーティストがストーンズのベロ・マークをはじめとしたストーンズ関係の素材を用いてTシャツを作る企画のようです。
e0021965_23355851.jpg 会場は、同じ代官山にある「AIR」地下1階のラウンジ・スペース。仕事が終わった7時半過ぎに覗いてみました。それほど広くない会場の壁にはさまざまなストーンズTシャツがかかっています。あとはモニターでストーンズのライヴ映像がが流れているだけ。いい雰囲気で、適当にみなさんが歓談しています。そこに鮎川誠夫妻なんかもふらりと現れて、なんとなくロック関係のパーティという感じではありました。

 このTシャツ、ぼくはかなり興味があります。デザインを担当したひとには、みうらじゅん、小西康陽、土屋アンナ、伊賀大介&CONCENT LAN、甲本ヒロト、Mikio Ariga's Companyといった名前が並んでいます。全部で20点くらいはあったでしょうか? すべてが商品化されているわけではないようですが、どれもポップな感覚で、遊び心がいい形で息づいています。対象がストーンズだと、デザインする側もいろいろアイディアが沸いてくるのかもしれません。お土産には小西康陽デザインのTシャツをもらいました。

e0021965_23361356.jpg なぜぼくがこのパーティに行ったかというと、知り合いを通して「Buddyz」のかたに連絡をいただいたからです。これまでに作られたストーンズTシャツのレプリカみたいなものを「Baddyz」が作るらしくて、そのための参考意見が聞きたいということのようです。
 どこまでお役に立てるかはわかりません。しかし1980年代以降のワールド・ツアーはほとんどどこかで観てきましたし、そのたびにTシャツも買ってきたので、少しはアイディアが出せるかもしれません。
 担当者のかたとは初対面でしたが、若いのにきちんとしていて好感が持てました。聞けば、彼らが作ったTシャツはすべてストーンズに見せてアプルーヴァルをもらっているそうです。彼らがそこまで細かくチェックするのか、と驚きました。

 ぼくは音が出るものなら何でも集めますすが、Tシャツをコレクションするタイプではありません。1981年だったか82年だったかのツアー時に買った長袖のTシャツは、散々着てぼろぼろになったので捨ててしまいました。
 ところがその話をしたら、即座に担当者のかたから「もったいない」といわれました。なるほど、そういうものなんですね。ビートルズやストーンズのレコードについている帯なら、ぼろぼろでもぼくには凄い価値があるものなんですから。

 あさってからはニューヨークですが、今回も原稿書きに終始しそうです。ありがたいことに、また単行本の企画がいくつか具体化しましたし、現在書いている本の原稿を少し書き溜めておく必要もあります。
 ということで、次はニューヨークからになると思います。
by jazz_ogawa | 2006-04-27 23:42 | 平凡な日々 | Trackback(1) | Comments(5)
e0021965_23204582.jpg 「めぐろパーシモンホール」には初めて行ったのですが、都立大学の近くにあるなかなか気持ちのいいホールでした。そこで23日に寺井尚子さんの演奏を聴いてきました。新作『夜間飛行』の発売に合わせて行なわれているツアーの東京公演です。ほどよい大きさのホールはほぼ一杯のお客さんで、いい雰囲気のうちにジョビンの「おいしい水」からステージが始まりました。

 寺井さんはジャズでは珍しいヴァイオリン奏者。クラシックのイメージが強い楽器を用いて、大胆かつ果敢にプレイするところが好きですね。強力でスピード感に溢れ、緊張感のある演奏。この特徴は新人のころから少しも変わっていません。
 女性でヴァイオリン奏者となれば、穏やかで優しい演奏を想像するひとが多いでしょう。ぼくも聴く前はそう考えていました。でも随分前に初めて六本木のライヴ・ハウスで聴いた寺井さんは、サックス奏者が顔負けするくらいばりばりとヴァイオリンを弾いてみせたのです。
 可愛い顔をした女性が、むさくるしい男性陣を向こうに回して、一歩もひけをとらないどころか、彼らをノックアウトする勢いでヴァイオリンを弾くのですからびっくりしました。なんと痛快な女性がいることかと思ったものです。そして寺井さんは着実に実力を伸ばし、音楽性を発展させてきたと思います。
 ライヴはたまにしか観に行けません。でもリリースされるたびにアルバムを聴いていると、ここ数年で彼女が自分の進むべき方向をはっきりさせたんではないかと思います。豪快なプレイは相変わらずですが、最近はそこに優美な要素を以前よりいい形で表現するようになってきました。このバランスがなかなか難しいところで、ゴージャズな雰囲気を強調してしまうと、ぼくのようなへそ曲がりはちょっと抵抗を感じます。
 音楽はあくまでゴージャスなほうがいいんですが、それだけでは物足りないんですね。もちろんばりばり弾けばいいものでもありません。何でもバランスが大事で、寺井さんの演奏は、そんな風に思っているぼくのテイストにぴたりとはまるんです。

 ぼくは軟弱な音楽が大好きです。昔からそういう傾向はあったんですが、それがここ10年くらい強くなってきました。別に寺井さんの音楽が軟弱だっていうことではないんですが、彼女の演奏を聴いていて、聴きやすい演奏がやっぱり一番だなんて思っていました。もちろん「聴きやすい=内容のない音楽」ということではありません。内容があって聴きやすい音楽がいいってことです。
 話が、今日も変な方向に来てしまいました。ぼくが思っているのは、自分の好きな音楽をとことん聴いていきたいということです。若いひとは他人の意見に左右されるかもしれません。それもいいんです。最初はいろいろなひとの話に耳を傾けることも大切です。
 すると、そのうちに自分の好きな音楽がわかってきます。前回書いた「ジャズ(音楽)がわかる」というのはそういうことじゃないでしょうか。
 「音楽がわかる」ということは、あるアーティストがやっている音楽、あるいはそのアーティスト自身でもいいのですが、それが「わかる」のではなくて、自分の好きな音楽が何か、それが「わかる」ことだと思います。
 ぼくが長い時間をかけて音楽を聴いてきたのも、極論してしまえば「自分の好きな音楽がわかる」感覚を養うことだったのでしょう。
 「ジャケ買い」という言葉がありますが、それも同じようなことです。ある程度音楽を聴き込んでくると、ジャケットを見ただけで内容が想像できるようになります。
 自分の感性を信じ、耳を信じることです。だって、ひとのために音楽を聴いているわけじゃないんですから。自分が楽しむために音楽は存在するんです。寺井さんのステージを観た帰り、小雨の中を歩きながらそんなことを考えていました。
by jazz_ogawa | 2006-04-25 23:24 | ライヴは天国 | Trackback(2) | Comments(4)
 昨日は、駒場東大前の「Orcardバー」で、「はっぴいえんどと仲間たち」と題する「ONGAKUゼミナール」を開催しました。お越しいただいたみなさんにはどうもありがとうございました。お楽しみいただけたらよかったですが。

e0021965_11291132.jpg はっぴいえんどは実質2年の活動で、驚くほど大きな成長を遂げました。その成長の過程をたどりながら、ぼくの思い出話などを交えつつの2時間でした。
 当初は岡林信康をメインに、バック・バンド的な性格が強かったはっぴいえんどです。しかし、そうしたバック・バンドで音楽性やテクニックに磨きをかけ、方向性も明確にしていきます。その集大成が2枚目の『風街ろまん』です。こんな凄い作品を作ってしまえば、あとはソロ活動に向かうしかありません。
e0021965_11304815.jpg そのあたりのことを、時代の空気と共に伝えたかったんですが、悪い癖が出て、話があちこちに飛んだため、論点が不明瞭になってしまったのでは? と反省しています。以下に、昨日の曲目リストを貼りつけておきます。最初の2曲は、はっぴいえんどの前身的なグループによる音源です。

【はっぴいえんどと仲間たち曲目リスト】
1.さまよう船(フローラル)
2.暗い日曜日(エイプリル・フール)
3.十二月の雨の日(はっぴいえんど)1970年4月12日、文京公会堂
4.春よこい(はっぴいえんど)
5.夜汽車のブルース(遠藤賢司)
6.今日をこえて(岡林信康)
7.ゼニの効用力について(加川良)
8.銭がなけりゃ
9.ありがとう(小坂忠)
10抱きしめたい(はっぴいえんど)
11.空いろのくれよん(はっぴいえんど)
12.風を集めて(はっぴいえんど)
13.空飛ぶくじら(大瀧詠一)1971年録音
14.風来坊(はぴいえんど)
15.外はいい天気(はっぴいえんど))
16.ろっかばいまいベイビー(細野晴臣)
17.砂の女(鈴木茂)
18.風をあつめて(はっぴいえんど)1985年ライヴ

 話はまったく変わりますが、「ONGAKUゼミナール」をやりながら思いました。音楽を楽しむ、とくにいろいろなひとと一緒に楽しむっていうのはどいうことなんでしょうね? こういう仕事をしているので、ときどき「ジャズってわからないんですよね」とか、「どうすればジャズがわかるようになるんでしょう?」と聞かれます。そんなこと、ぼくにだってわかりません。ジャズでも他の音楽でも何でもいいんですが、「わかる」ってどいうことなんでしょう?
 ぼくだって、「お前はジャズがわかっているのか?」と聞かれたら、躊躇なく「まったくわかりません」と答えます。「わかる」とか「わからない」っていう言葉は、音楽を楽しむ上でまったく意味がありません。そのひとがその音楽を聴いて楽しいかどうかだと思います。
 勝手に名前を出して申し訳ありませんが、作家の平野啓一郎さんと対談していて強く感じたことがあります。彼はぼくよりふた回り若いのに、マイルス・デイヴィスにしろほかのアーティストにしろ、ぼくより断然それらの音楽について適格な意見を持っています。
 マイルスの作品についていうなら、平野さんに比べてぼくは何百倍か聴いていると思います。ライヴだって何10回も観ていますし、本人にも何度も会っていろいろ話を聞かせてもらいました。それでも平野さんの語るマイルスのほうが、ぼくより優れています。
 それをとてもうらやましく思ったと同時に、そういうことなんだと納得もしました。何が「そういうことのか」というと、音楽は体験や聴いた回数で理解力が深まるとかそういった類のものでないってことです。とっくの昔からそういう風に思っていましたが、平野さんと話をしていて改めて痛感しました。
 1回しか聴いたことがなくても、その音楽の真髄が楽しめるひともいます。ただし、それはそのひとにとってということです。音楽を楽しむ、楽しまないというのは、個人的な思いに基づくものですから、そういう楽しみかたができる対象に対して、「わかった」とか「わからない」といういい方は不適切だと思います。
 要は、そのひとがその音楽をどれだけ楽しめるかです。そういうことを考えると、昨日のようにある程度の人数が集まって、それぞれの感じ方でいいと思いますが、みなさんにぼくがお聴かせした音楽が楽しんでいただけたとしたら、それは本当にいい時間を共有できたと思います。こういう場は大切にしたいですね。
 「音楽がわかる、わからない」についてはまだまだいろいろ考えることがありますが、それはまたの機会にということで。

 土曜からニューヨークなので今週はかなり忙しいことになりそうですが、無理をしないでマイ・ペースで行こうと思っています。
by jazz_ogawa | 2006-04-23 11:35 | Works | Trackback(1) | Comments(20)
 この間はダリル・ジョーンズについて書きましたが、今日は残りのメンバーやレコーディングの思い出話を紹介しましょう。

e0021965_1127067.jpg ESPはキーボード奏者のロバート・アーヴィングとベースのダリル・ジョーンズが中心になって結成されたグループです。実際はほとんどライヴ活動もしていなかったようですが、ダリルからグループのことを聞き、ロバートにコンタクトを取りました。そして、何度か電話で互いの考えを話し合った結果、レコーディングの合意に達しました。
 ロバートはマイルスのカムバック作『マン・ウィズ・ザ・ホーン』をはじめ、『デコイ』、『ユーアー・アンダー・アレスト』などに参加し、レギュラー・メンバーとしては1984年から86年までツアーに出ています。その彼が、ESPでは音楽監督だったんですね。それでビジネスの話はギターのボビー・ブルームにしてくれということになって、次は彼に連絡を取りました。

 ボビーはマイルスとのレコーディングこそありませんが、1980年代中盤から後半にかけて何度かツアーに参加しています。それよりは、ソニー・ロリンズのレギュラー・ギタリストとして知られていたひとです。
 その彼に電話をすると、奥さんがロイヤーなので、ビジネスは彼女がハンドリングしているとのことでした。そこでバジェットやさまざまな条件をファクスで流し、あとの細かい点は、彼の奥さんとぼくをプロデューサーに雇っているパイオニアLDCとで詰めてもらうことにしました。
 これが結構大変だったらしいんですが、ぼくがお金のことで介入すると、あとでプロデュースがやりにくくなるので、こちらは知らん振りを通しました。そして、お金の面でも互いに納得することになって、いよいよレコーディングです。
 そうそう、ドラマーのトビー・ウィリアムスを紹介していませんでした。彼はカーティス・メイフィールドのバック・バンドをはじめ、シカゴのファンクやフュージョン・バンドで鳴らしていたひとで、歌もうたえるという話を聞いていました。そこで、ロバートとトビーに1曲ずつヴォーカル・ナンバーを書いてもらうことにして、トビーをシンガーとしても起用することに決めました。

e0021965_11342040.jpg
 レコーディングは1992年2月から3月にかけて、シカゴにあるCRCスタジオで行ないました。どうして1ヵ月近くもレコーディングにかかったかというと、実はその間の1週間ほど、ロバートがシンガーのスーザン・オズボーンの伴奏者として日本に行くスケジュールが入っていたからです。
 それまでに、ベーシックのトラックは完成させて、彼がいない間は、3人がオーヴァーダビングをしたり、ぼくがそれらの曲でどんな修正が必要かを考える時間に当てました。それとトビーの歌入れもやることにしました。
 面白かったのは、彼のバックに女性3人のコーラスを入れようと急遽提案したところ、翌日には黒人のおばさん3人がスタジオに集まりました。彼女たちがとにかくうまいんですね。どこからどう見ても、その辺にいるちょっと太った中年のおばさんで、とてもプロのシンガーには見えません。
 ところが話を聞いてみると、その中のひとりはエモーションズのオリジナル・メンバーだというし、もうひとりはモータウンのバック・コーラスを務めていたというじゃありませんか。改めて、アメリカの音楽ビジネスの奥深さを知りました。

 レコーディングは夕方の6時から午前2時とか、遅くなると6時、しまいには朝の10時まで続けるとか、結構強行軍でした。そんなときは、メンバーの奥さんたちが夜食や朝食の差し入れを持ってきてくれます。一番おいしかったのは、ボビーの奥さんがテイクアウトしてきてくれたフライド・チキンです。
 あるとき、自分でも買いに行きたくなって場所を聞いてみました。するとサウスサイドの奥の方で、そんなところに日本人が行ったらどうなるかわからないといわれたんですね。でも、食べたい。すると、心優しいダリルが、それじゃぁぼくがいまから買ってくるといって、お父さんに借りた車でひとっ走り行ってきてくれました。
 そこの店の名前は忘れてしまいましたが、昔から黒人の間では有名なレストランで、24時間営業をしているそうです。どんな時間に行っても混んでいて、そのざわめきをイメージして作られたのがラムゼイ・ルイスの「ジ・イン・クラウド」だそうです。この話を教えてくれたのはボビーでした。
 と、取り止めもなく思い出話を書き綴っていくとまだまだ行ってしまいます。今回はこの辺で終りということにしましょう。

 そうそう、明日は「ONGAKUゼミナール」ですが、新刊の『JAZZ TALK JAZZ』も即売するそうです。ご希望の方にはサインもしますので、よろしく。
 
by jazz_ogawa | 2006-04-21 11:34 | 愛しのJazz Man | Trackback(2) | Comments(2)
e0021965_23203023.jpg このブログでこれまでに何度か触れましたが、ようやく『JAZZ TALK JAZZ』(河出書房新社)が発刊の運びになりました。これは、ぼくがライフワークと考えている『真実3部作』の最終作につながるものです。いずれこの本の続編、もしくはそれに準じたものを出版して、最終的にそれらを纏めて『モダン・ジャズの真実』という本を上辞しようという魂胆です。もっとも、それらの本を出してくれる奇特な出版社があれば、ですが。

 さて『JAZZ TALK JAZZ』ですが、これは1940年代から現代までを5つの章にわけ、それぞれに4~5エピソードを盛り込んだものになっています。内容は『マイルス・デイヴィスの真実』や『ブルーノートの真実』と同じで、20数年をかけて折りに触れてインタビューしてきた90人のミュージシャンや関係者から聞いた話を引用しながら「モダン・ジャズの真実」を解き明かそうというものです。
 たとえば最初のエピソードである「ビバップ誕生の真実」には、ディジー・ガレスピー、マックス・ローチ、デューク・ジョーダン、ビリー・エクスタイン、ロイ・エルドリッジが登場します。
 これまでに紹介した言葉も含まれていますが、今回はモダン・ジャズ以降に起こった歴史的な出来事や音楽スタイルについて、当事者の話を用いながら筆者であるぼくがジャズの歴史を案内するといったイメージで書きました。出版社も相当に力を入れてくれていますし、今後のこともありますので、少しでも多く売れたらいいなぁと願っています。

 今日はもうひとつ。来る22日の土曜日に、2ヵ月に一度の「ONGAKUゼミナール」を開催します。今回のテーマは「はっぴいえんどと仲間たち」。はっぴいえんど結成以前のフローラル、エイプリル・フールあたりから、岡林信康をはじめ、はっぴいえんどとしてバックを務めたひとたちの音源、さらには解散後のソロ・ワークまでを盛り込みたいと思っています。ただし、2時間でどこまで紹介できるか。それが心配です。
 個人的な体験談もいろいろとありますし、どうなるかは、来てのお楽しみということで。場所などの詳細はhttp://www.orchardweb.jp/をチェックしてください。それでは、土曜日にお目にかかりましょう。
by jazz_ogawa | 2006-04-18 23:23 | ONGAKUゼミナール | Trackback | Comments(8)
 渋谷の「UPLINK X」という映画館は、話には聞いていましたが、客席40という本当に小さなスペースでした。椅子も普通のものやソファーだったりと、適当にあるものを集めた感じです。誰かの家のホーム・シアターのような感じで、映像もDVDやビデオをモニター用のスクリーンに映し出す方式でした。
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 そこで観た『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』は、アトランティック・レコードの名エンジニアでプロデューサーだった人物のドキュメンタリーです。ぼくは何度も試写会を観にいくチャンスがあったのですが、映画は試写室ではなく大きなスクリーンで観たいと思っている派なので、時間帯もなかなか合わなかったこともあり、行かず仕舞いでした。しかし試写会もスケジュールが空いている時間に「UPLINK X」でやっていたので、同じことだったんですね。その場所に行って初めてわかりました。

 それはそれとして、この映画です。アトランティックは、もともと《レイス・レーベル》といって、黒人音楽を専門にしていたマイナー・カンパニーです。レイスというのはraceのことで、人種の意味です。その点では、ブルーノートもプレスティッジもみんなレイス・レーベルです。
e0021965_1122077.jpg ところがアトランティックはソウル・ミュージックから始めて、やがてジャズも扱うようになり、その後はクリームやレッド・ツェッペリンなどのロックにも進出してメジャー・レーベルになっていきます。トム・ダウドはその初期のころからかかわっていました。
 彼はある意味で天才少年だったのでしょう。アトランティックにかかわる前から、マンハッタンにあるスタジオで働き、15歳のときにそのスタジオでエンジニアを任されていたなんていうエピソードが出てきます。また物理学をコロムビア大学で専攻し、「マンハッタン計画」で日本に落とす原子爆弾の開発に参画していたという話も紹介されました。
 しかしトム・ダウドは根っからの音楽好きです。戦後も継続されていた原子爆弾の開発に短期間かかわったのち、いよいよ本格的にエンジニアの仕事を始めます。そんなときに声をかけてくれたのがアトランティックでした。
 アーメットとネスヒのアーテガン兄弟が立ち上げたレーベルがアトランティックです。この兄弟はトルコの駐米アメリカ大使の息子で、熱狂的な音楽ファンが高じてレーベルを設立しました。アメリカ人より外国のひとのほうがアメリカの音楽をきちんと評価しているのは、日本人にジャズ・ファンが多いのと同じでしょう。
 彼らの耳は的確で、地方のマイナー・レーベルからレコードを出していたレイ・チャールズと契約し、その後はオーティス・レディングやアレサ・フランクリンをスターに育て、やがて英国のロック勢と手を結びます。それらの音楽にさまざまな形で深くかかわっていたのがトム・ダウドでした。
 トム・ダウドには才能もありましたが、その才能が生かせる時代と場所にいたんでしょう。あるいは、トム・ダウドの才能があったから、時代も場所も生まれたのかもしれません。このあたりは、ブルーノートのアルフレッド・ライオンと似ています。

 ぼくは20年くらい前に、トム・ダウドとアーメット・アーティガンにインビューしています。すでに業界で超大物になっていたふたりですが、話を始めるとそういう立場を忘れて音楽好きの本領を発揮してくれました。
 なるほど、こういう熱狂的な音楽ファンがいたからこそ、ミュージシャンも信頼していい作品を作ろうと発奮したんだなと、よーくわかりました。まったくアルフレッド・ライオンと同じです。こういうひとが1950年代や60年代には業界にごろごろいたんでしょうね。たまたまアトランティックやブルーノートは成功して後世に名を残すことになりましたが、ビジネス的にうまくいかず消えていったレーベルはゴマンとあります。そうしたレーベルにかかわっていたひとたちの熱意も同じようなものだったのでしょう。
 当時、トム・ダウドはフロリダに移り住み、クライテリア・スタジオでエンジニアをしていました。それで、インタビューした数年後にたまたまフロリダに行くことがあり、彼に連絡をしました。ところが、このときは何10年ぶりかのハリケーンがフロリダを襲い、知事が全市民に退去勧告を出す騒ぎに巻き込まれてしまい、結局会えずに終わってしまいました。トム・ダウドもすぐに退去しなければといいますし、ぼくたちもレンタ・カーで命からがら逃げ出したことを覚えています。
 その後は結局一度も会えず、トム・ダウドは3~4年前に亡くなりました。もっといろいろな話が聞きたかったので心残りです。やはり一期一会という言葉は忘れずに、出会いを大切にするべきなんでしょうね。
 でもぼくの心には、ちょっと偏屈だけど音楽が好きで好きで仕方がない人物のイメージが永遠に残っています。おこがましいですが、ぼくと音楽に対する思いが非常に似ていました。そんなところに親近感を覚えたのだと思います。
by jazz_ogawa | 2006-04-16 11:27 | 映画&DVD | Trackback(4) | Comments(14)
 ストーンズ・フィーヴァーからようやく立ち直りつつある小川ですが、彼らのステージに触れて、今日はダリル・ジョーンズのことを思い出してみました。

e0021965_0232.jpg ダリルの存在を知ったのは1983年の6月です。マイルス・バンドに抜擢された直後の彼を「クール・ジャズ・フェスティヴァル」(現在の「JVCジャズ・フェスティヴァル」)で観たのが最初です。マイルスがカムバックしてから、マーカス・ミラー、トム・バーニーを経て、ベーシストはダリルに代わりました。その彼が参加しただけで、マイルス・バンドのサウンドが随分ファンク寄りになったなと感じたことを覚えています。
 ダリルは、2年後にブランフォード・マルサリス、ケニー・カークランド、そしてオマー・ハキムとスティングのバック・バンドを結成します。以来ポップス畑をメインに歩き、ブルース・スプリングスティーンやマドンナのツアーを経てストーンズに参加しました。

e0021965_021584.jpg そんなダリルと知己を得たのは、マイルス・バンドに在籍中のことです。やがてぼくはプロデューサーになって、その時代のマイルス・バンドにいたメンバーをリーダーにしてアルバムを作るようになります。そのシリーズ・プロダクションで最初に起用したリーダーがアダム・ホルツマンです。ベーシストはダリル以外に考えられません。
 アダムから、シカゴに住んでいるダリルの電話番号を聞いて連絡をとりました。すでにマドンナ級のアーティストと共演しているので、ノーといわれる覚悟でしたが、話してみたらいとも簡単にOKしてくれました。安いギャラにもかかわらず、ミュージシャンとして興味を示してくれたのです。もちろんアダムとの友情も大切に思っていたのでしょう。ちなみにこのときのアルバム・タイトルは『イン・ア・ラウド・ウェイ』です。マイルス・ファンならおわかりでしょう。『イン・ア・サイレント・ウェイ』をもじったものです。
 アダムのレコーディング中に、ぼくはダリルのシカゴ仲間を集めてアルバムを作りたいと持ちかけました。マイルスが長い療養からカムバックする際に、リハーサルにつき合っていたのがダリルやロバート・アーヴィングでした。彼らふたりをフィーチャーしようと考えたのです。
 すると思いがけない答えが返ってきました。実はそのふたりに、やはりマイルス・バンドに参加したことがあるギタリストのボビー・ブルーム(この間のソニー・ロリンズ・ツアーでも来日していました)、そしてドラマーはカーティス・メイフィールドのバンドにいたトビー・ウィリアムスの4人でESPというバンドを作っているというじゃありませんか。
 ESPも、考えてみればマイルスのアルバムのタイトルです。これはもう作るしかないでしょう。かくしてぼくは1992年の2月にシカゴに行きました。

 このころはバブルが真っ盛りで、レコード会社にも余裕がありました。スタジオ代が安かったこともあり、メンバーの希望どおりレコーディングは約4週間という、ジャズやフュージョンではちょっと考えられない規模になりました。
 ところがぼくのプロデューサー・フィーでは、そんなに長期のホテル滞在は無理です。ニューヨークならアパートがあるので航空運賃だけで経費は済みますが、シカゴではそうは行きません。そこでロバートに頼んで下宿のような格安のホテルを世話してもらいました。
e0021965_055094.jpg レコーディングは毎日夕方から明け方、予定の曲が終わらなければ朝の10時くらいまで続きます。疲れてホテルに戻っても、お風呂のお湯が時間外で出ないようなところに泊まっていたので、これには参りました。1週間もすると気分が落ち込んで、自分でもこれじゃ駄目だなという感じになってきました。そこで自腹を切ることにして、かなりいいホテルに移り、これで気分はぐっと楽になりました。
 メンバーがいろいろと気を使ってくれたのも嬉しかったですね。オフの日には、ぼくのカレー好きを知っていたダリルがシカゴで一番おいしいカレー屋さんに連れていってくれました。帰りには、彼の車で『ブルース・ブラザーズ』の撮影に使われた有名なレストランの前を通ったり、彼なりに面白い場所を案内してくれたんですが、これもひとりでアメリカ人相手にスタジオで苦労しているぼくを気遣っての彼なりの優しさでした。
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 ダリルでおかしかったのは、音楽の世界で大成功していたにもかかわらず、両親の家に住んでいたことです。アメリカ人で、こんな大人は珍しいといえるでしょう。しかも自分の車は持っていなくて、スタジオに来るときやぼくと遊びにいくときは、母親のボルボか父親のベンツ(といっても中古のオンボロでしたが)を借りてきます。親離れしていないんだと、メンバーにからかわれても嬉しそうにしていたダリルです。
 あと、このレコーディング中に彼は初めてのコンピューターを買ったんですね。そのマッキントッシュを何とかレコーディングで使いたかったようですが、うまく作動しません。休憩時間にずっといじっていましたが、思うようにならず、結局エンジニアにプログラミングしてもらって使えるようになったのが1週間くらいあとのことです。

 いろいろあったレコーディングでしたが、振り返ってみるとみないい思い出ばかりです。そのほかのメンバーにもこのときはよくしてもらいました。その話は、またいずれということにしましょう。
by jazz_ogawa | 2006-04-13 00:16 | 愛しのJazz Man | Trackback(2) | Comments(7)
2006-04-09 「思い出のグリーン・グラス」
 昨日は森山良子さんのコンサートに行ってきました。渋谷の「オーチャード・ホール」で3日間、その中日です。場内は満員の盛況で、森山さんがいまも安定した人気を誇っていることに嬉しく思いました。

e0021965_1795811.jpg 森山さんは学校の1年先輩です。高校時代には学園祭などで同じステージに立ったこともあります。当時は(1960年代半ば)、大学生を中心にフォーク・ソングの大ブームでした。ぼくが通っていた学校は幼稚園から大学までの一貫教育で、大学では黒沢久雄さん(黒澤明の息子さん、知ってますよね?)が中心になったブロードサイド・フォーが大人気でした。
 森山さんは高校生でしたが、ブロードサイド・フォーのマスコット・ガール的存在でフィーチャーされていたんです。そのころは、あちこちの大学にフォーク・バンドがあって、マイク真木のモダン・フォーク・カルテットとか、フォー・ダイムスとかのグループが人気でした。
 それでこういうグループを中心にフォーク・バンドが10組くらい集まっては、毎週末にどこかでコンサートを開いていました。それも厚生年金会館や渋谷公会堂など、3000人規模のホールが満員になるコンサートを学生たちが主催していたんですから、いかに人気があったか、わかってもらえるでしょうか。
 そんな中で、森山さんは高校生ながら大スターでした。当時は“和製ジョーン・バエズ”などと呼ばれていたことを思い出します。たしかジョーン・バエズが来日したときも、共演したと思います。それで、そういうコンサートでは最後に必ずシングアウトとかフーテナニーといって、出演者全員がステージで「ウィ・シャル・オーヴァー・カム」や「わが祖国」といった曲を、お客さんと一緒に歌うのがならわしでした。

 森山さんのステージを観ながら、そんな昔のことを思い出していました。彼女がひとりでギターを弾いて歌う「さとうきび畑」から始まったコンサート。フル・コーラスをじっくり歌う姿に、その昔、舞台でジョーン・バエズのように「ドナ・ドナ」を歌っていた彼女のことが心に浮かんできました。
 そして、2曲目が「思い出のグリーン・グラス」。ステージで森山さんも紹介していましたが、これは高校を卒業してプロ・デビューした彼女がナッシュヴィルで録音した『森山良子イン・ナッシュヴィル』に入っていた歌です。日本ではトム・ジョーンズの歌でヒットしていました。
 あのころ、アメリカでレコーディングするのは“大事件”でした。しかも、カントリーの本拠地ナッシュヴィルで一流のミュージシャンをバックにカントリー系のアルバムをレコーディングしてきたのですから快挙と呼んでいいでしょう。
 発売されるや、渋谷の「ヤマハ」で買ったことを覚えています。中でも「思い出のグリーン・グラス」がフェイヴァリットで、それ以来ことあるたびにこのレコードを聴いてきました。iPODを買ったときにも、真っ先にiTUNEに入れたCDのうちの1枚です。
 その「思い出のグリーン・グラス」が、レコーディングから40年近くたったいま、相変わらずの澄み切った歌声で「オーチャード・ホール」に響きわたりました。そうそう、忘れていましたが、今回のリサイタルはデビュー40周年を記念してのものです。

 書きたいことは沢山あるのですが、長くなるので最後にもうひとつだけ。
 コンサートのラストで「30年を2時間半で」というドラマ仕立ての歌がうたわれました。内容は、どちらもいまはひとりものになっている昔の恋人が30年ぶりに偶然出会い、最初は喫茶店、次はホテルのバーで思い出を語り合う内容です。
 それで思ったのですが、リサイタルという形でないステージには何度か接していましたが、森山さんのリサイタルを観たのは35年ぶりぐらいなんですね。まさに「2時間半」のコンサートで、いっきにぼくは昔に戻っていました。そんなことを感じさせてくれるコンサートはそうそうありません。森山さんにとっての40年、長いようで短かったんでしょうね。その道程を凝縮したような素敵なコンサートでした。
by jazz_ogawa | 2006-04-09 17:13 | ライヴは天国 | Trackback(2) | Comments(6)
 ジャッキー・マクリーンは残念ながらこの世を去ってしまいましたが、ジャズの世界では優れた才能の持ち主が引きもきらずに登場しています。昨日六本木の「アルフィー」で聴いたピアニストのオースティン・ペラルタもそんなひとりでした。
e0021965_015169.jpg 2月にデビュー作の『処女航海』が発売されたのでご存知のかたもいるでしょう。ジャケットには貴公子然とした端正な横顔が写っています。少年の面影を残しているのではなく、彼はこのレコーディングをした時点で14歳、現在は15歳という、本当に少年なんですね。
 最近は10代のジャズ・ミュージシャンも少なくありません。それでも、この15歳にはびっくりしました。彼の弾くピアノが、年に関係なく見事だったからです。荒削りのところはあるのですが、それでも音楽性は新しいし、感性にも優れたものが認められました。

 1曲目に演奏した「パッション・ダンス」はマッコイ・タイナーのオリジナルです。彼の演奏も急速調で豪快な内容でしたが、オースティンがそれ以上に斬新で破天荒なプレイをしたことにびっくりしました。黙って座っていれば華奢な少女のようにも見える彼です。ところがピアノを前にするや、強いタッチでぐいぐいとフレーズを積み重ねていきます。
 無心の境地になっているのでしょう。口を半分あけて一心不乱に弾くさまは創造の神に憑依されたかのようです。10本の指から弾きだされる音に、ふと気がつくと、ぼくも一心不乱に耳を傾けていました。
 その後に演奏されたのも、「シャドウ・オブ・ユア・スマイル」、「処女航海」、「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」など、アルバムに入っていた曲です。目の前で展開される見事なテクニックと躍動的なタッチに、アルバムで感じた以上のスリルを味わっていました。

 オースティンは極めてモダンなスタイルでピアノを弾きます。そこにも感心しました。ジャズには100年の歴史があります。それゆえ、最新のスタイルから入っていったとしても、それだけならすぐに化けの皮がはがれてしまいます。古いスタイルも消化していなければ、最新のスタイルや音楽性を駆使して創造的な演奏はできません。
 ましてやアルバムを発表し、耳の肥えたファンを前にして堂々と自分の音楽を表現するのは、それなりの修練を積んでいなければ不可能です。一体、いつ、どうやって、そうしたものが身につけられたのでしょう? 練習だけでこれほど短期間にこういうものは身につきません。そこが才能なんでしょうね。
 ジャズに本格的な形で取り組み始めたのが10歳のときですから、レコーディングの時点で14歳、今年の10月で16歳になるという、日本でいえば高校生になったばかりの少年です。そのオースティンにぼくは唸らされてしまったのです。これだからライヴはやめられません。いつなんどき、昨日のように思いもよらぬ素晴らしい才能にめぐり合えるかもしれません。そんな演奏やアーティストと出会ったときは気持ちが高揚します。

 そして、今日は昼休みに隅田川沿いをウォーキングしました。ようやくコートなしで歩ける温かさになり、ウォーキングも気持ちよくできます。
 思えば2年前のいまごろは、心臓病から回復しつつあったときで、歩くのもやっとでした。しかしいまはできる限りの早さで歩いても息切れしません。心臓も痛くなりません。健康とはなんと有難いものでしょう。そして、何と幸せな気分にさせてくれるものでしょう。主治医の先生には感謝してもしきれません。
 医者のはしくれとして、ぼくにもたまには患者さんが幸せな気分を味わえるお手伝いができていればいいのですが。何となく医者になってしまいましたが、いまとなってはこの仕事に就けて本当によかったと思っています。
 自分が病気になって考えることがたくさんありました。いつまで医者をやっていられるかはわかりません。でもその思いを忘れず、日々の仕事を続けたいと思っています。
by jazz_ogawa | 2006-04-07 00:19 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(6)
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