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川隆夫の JAZZ BLOG
Profile

©Kozocom (photo by Shuichi Kasahara)
職業:JAZZジャーナリスト、整形外科医、DJ

ニューヨーク大学の大学院在学中にアート・ブレーキーやマルサリス兄弟など数多くのミュージシャンと知り合う。帰国後、JAZZを中心に約3000本のライナーノーツを手がけると共にJAZZ関連の著書を多数出版。ブルーノートの完全コレクターとしても有名。その他、マイルス・デイヴィスやブルーノートの創始者アルフレッド・ライオンの来日時の主治医を勤めるなど、現役の整形外科医としても第一線で活躍中。

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小川隆夫ONGAKUゼミナール
@銀座le sept
3.19:ジャズメン、ジャズを聴く!


■TALK EVENT■
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「3月文化講演会」@神戸
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TEL: 078-265-6595

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 ぼくの世代なら『11PM』という番組をご存知でしょう。月・水・金が東京の日本テレビ制作で司会が大橋巨泉、火・木が大阪の読売テレビ制作で司会が藤本義一だった番組です。この番組の火曜と木曜のエンディング近くに、あるときからやけに唸り声を上げるオルガン・プレイヤーが登場するようになりました。
 それ以前のオルガン・プレイヤーは上品な紳士然としたひとでしたが、こちらの“唸り声氏”はソウルフルそのものの音をしていて、強烈な印象を与えてくれました。それが若き日の寒川敏彦です。ちなみに紳士然としたオルガン・プレイヤーは小曽根真さんの父君です。
 寒川さんと知り合ったのは20年以上も前です。聞けば、何のつてもなくアメリカにわたってジミー・スミスの家に行き、それこそ落語家の卵のように弟子入りをしてオルガン修業をしてきたといいます。この無鉄砲さからしてソウルフルな生き方に思えてなりません。
 ですから、寒川さんは筋金入りのジミー・スミスの後継者です。いまはKANKAWAと名乗るようになりましたが、ぼくにとって、寒川さんは相変わらず寒川さんです。その彼が、昨年この世を去った師匠のジミー・スミスに捧げて『SOUL FINGER』(&フォレスト)という素晴らしいアルバムを完成させました。

e0021965_1101640.jpg そのライナーノーツを書かせていただいたことは大変光栄です。それで改めて感じたのが、寒川さんこそジミー・スミスの流れを汲む正統派ジャズ・オルガン奏者だということでした。現在のオルガン・ジャズは、ヒップ・ホップやクラブ・ミュージックの流れもあって、さらに進化した形の音楽に進みつつあります。KANKAWAと名乗る寒川さんも、そうしたクラブ・ミュージック的な演奏をやるようになりました。
 しかし原点は、『SOUL FINGER』に聴く、ジミー・スミス的なダイナミックでソウルフルでスインギーなオルガン・ジャズです。そのアルバム発売を記念して、23日は渋谷の「JZ brat」で、中村誠一、杉本喜代志、ジミー・スミス(同名異人のドラマーです)、そしてゲストに10人編成のゴスペル・コワイアを迎えるライヴがありました。
e0021965_1105282.jpg 寒川さんはステージに登場するところからソウルフルな雰囲気を醸し出します。仕草も決まっていますし、唸り声もグルーヴしていました。腕達者のミュージシャンに囲まれて、オルガンも冴えに冴えまくりました。この手のプレイをさせたら、世界的に見て寒川さんが第一人者でしょう。心からジミー・スミスを尊敬していることがよくわかるライヴでした。

 寒川さんとジミー・スミスと言えば、忘れらないことがあります。1985年、ニューヨークで「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」というコンサートが開催されたときです。コンサートは、しばらく活動を休止していた名門ジャズ・レーベルのブルーノートが復活したことを記念して開催されました。ジミー・スミスもコンサートに出演するため、そして寒川さんやぼくはコンサートを観るためニューヨークにいたのです。
 ミュージシャンやぼくたちも含めて関係者はみな同じホテルに宿泊していました。ニューヨークに着いた翌日の朝、朝食を食べようとロビーに下りると、入り口のソファで寒川さんとジミーさんが早くもお酒を飲みながら談笑していました。そして、そこを通るミュージシャンや関係者に誰彼構わず、「どこに行くんだ」と問いただします。まるで関所の番人のようでした。ぼくもふたりに聞かれました。
 それで朝食を食べてから友人に会って、お昼ごろにホテルに戻ってくると、まだふたりはそこで関所の番人をやっていたんですね。聞けば3時ごろまでやっていたそうです。
 翌朝ロビーに行くと、今度はジミーさんひとりがそこに座っていました。また「どこに行くんだ」と聞いてきます。朝食を食べに行くと言うと、近くにいい店があるからそこに行かないかと誘われました。ジミーさんにそう言われて、断れるファンはいないでしょう。しかしそれが悪夢の始まりでした。
 ぼくはジミーさんが大食漢であることをすっかり忘れていたのです。そのことで、前年、東京で大変な目にあったのですが。
 そういうわけで、その日も夜ご飯までマンハッタン食べ歩きツアーになってしまいました。この話はこれまでにもどこかで何度か書いたことがあります。とにかくジミーさんの驚異的な食欲にはびっくりさせれました。詳しい話はいずれ「愛しのジャズマン」にでも書くことにしましょう。

 そのジミーさんももういません。寒川さんが遺志を継いで、オルガン・ジャズの伝統を継承してくれていることは嬉しい限りです。
 「あと3枚オルガン・ジャズの作品を作って、最後はフリー・ジャズのアルバムが作れれば死んでもいい」
 演奏後にこんなことを言っていた寒川さんですが、オルガン・ジャズの今後はこのひとにかかっています。ぼくより若いんですから、これからもどんどんいい演奏を聴かせてください。
by jazz_ogawa | 2006-02-25 11:08 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(6)
 昨年の夏、ニューオリンズ周辺を襲ったハリケーン・カトリーナは、アメリカのルーツ・ミュージックにも甚大な被害をおよぼしました。ジャズの故郷であるニューオリンズの街が壊滅状態になっていることを、これでもかこれでもかと伝えていたニュース映像にショックを覚えたかたも多いでしょう。
 超大国であるアメリカにおいて、このような悲惨な状況にたいした手が打てない現実。ブッシュ政権の思いやりのなさ。アメリカの文化遺産が失われていくことに覚えた歯がゆさ。
 しかし、ニューオリンズのミュージシャンはこの状況に負けません。わが隣人だったブランフォード・マルサリスは、ニューオリンズに住む彼の家族を心配して直後に出したぼくのメールに対し、このような返事をくれました。

Thanks for your concern. Everyone is well, even though the city is not. It will be some time before they are able to return to our home. I am dealing with the hopelessness of it much better now than I was a few days ago. It is a series of catastrophes that did not need to occur were it not for politics. It will be a long time before things are normal in New Orleans again.

 悲惨な状況にあって救われたのは、9.11のときと同様、ミュージシャンが結束を固めたことです。ブランフォードの弟、ウイントン・マルサリスはすぐさま行動を起こし、2週間後にはニューヨークで多くのミュージシャンやシンガーを集めてチャリティ・コンサートを開催しました。ブランフォードも同郷のハリー・コニック・ジュニアと共同で資金を拠出して、ニューオリンズにアーティスト・ハウスとコンサート・ホールが併設された施設を建設する計画を発表しました。
e0021965_22482726.jpg ニューオリンズ出身のアーティストを中心にしたチャリティ・アルバムもいろいろと出ています。とりわけ感動したのが、1月に発売された『アワ・ニュー・オリンズ』(ワーナー)でした。アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、アーマ・トーマスといったニューオリンズのR&B系ミュージシャンがこのアルバムのためにそれぞれ新録音を行なっています。
 急なレコーディングにも関わらず、安直な内容ではなく、それぞれがベスト・メンバーを集めて最高のパフォーマンスを聴かせてくれます。R&Bのファンやニューオリンズ・ミュージックのファンには必聴の1枚でしょう。
 ぼくはとくにアラン・トゥーサンの「イエス・ウィ・キャン・キャン」とドクター・ジョンの「ワールド・アイ・ネヴァー・メイド」に胸を打たれました。どちらも古い曲ですが、この災害のことを思いながら聴くとことさらじーんとしてしまいます。
 アラン・トゥーサンの言葉です。
 「わたしのスタインウェイも、レコードも、アレンジ譜も、スタジオも、すべてなくなってしまった。家はバイユー・セント・ジョン通りの近くにあったんだが、そこでは8フィーとも水が来てしまった。でも、精神は水に沈んじゃいない。わたしにはまだ音楽がある。鍵盤さえ叩かせてくれれば、自分の仕事はいつでもやれるつもりでいるよ」
 ランディ・ニューマンがルイジアナ・フィル(ニューヨーク・フィルの有志も参加)と共演した「ルイジアナ1927」も胸に迫ってきます。1927年にニューオリンズで起こった歴史的な大洪水をテーマにした歌で、1974年の作品『グッド・オールド・ボーイズ』(ワーナー)で発表されたオリジナルです。

 災害について悲しんだり、何かを話したり書いたりすることは、誰にでもできます。ぼくもこうやって書いていますし。それはあくまでひとごとだから書けるという部分もあるでしょう。
 渦中のひとたちがどんな思いでいるかは推し量ることができません。それでも、ニュースを見たり、ニューオリンズのひとの話を聞いたり、そしてこうした音楽に触れたりして、自分なりに何かを思い、考えることには意味があると思います。
 考えるだけでは、思うだけでは、救いの手は差し延べられません。それでも考えずにいられないのは、ぼくの場合、音楽が大好きだからです。とくにニューオリンズの音楽には、ジャズを含めて相当に入れ込んでいた時期があります。でも、動機はどうでもいいでしょう。何かを思い、考えること。それが大切だと思います。

 ところで、このCDを聴きながら、ぼくは早く自分の夢を実現させようと思うようになりました。それは、ニューオリンズから始まるジャズの歴史を辿る旅です。ミシシッピ河をのぼってカンザスシティを経て、シカゴからニューヨークまで。その間にいろいろな街を訪ねて、ジャズの痕跡を辿ってみたいと思っています。
 ニューオリンズに住む長老もどんどんこの世を去っています。ほかの街も同じでしょう。それは仕方ありませんが、その旅では田舎の片隅で素朴な音楽が聴ける店をたくさん見つけたいと思っています。そういう場にこそ音楽の真実や原点があるように思うからです。それをぼくは死ぬまでに、自分なりに納得した形で体験したいと考えています。
 一度でいっきにできる旅ではありません。そろそろ少しずつ始めてみる時期かなと、『アワ・ニューオリンズ』のジャケットを見ながら、そして音楽を聴きながら思うようになりました。
 
by jazz_ogawa | 2006-02-22 22:53 | MHR | Trackback | Comments(4)
 「ONGAKUゼミナール」も早いもので2年目に入りました。最初はジャズを中心にテーマを決めていたんですが、段々本心が顔を覗かせるようになって、前回はジョン・レノン、そして今回は来月の来日を控えてストーンズ特集としました。
e0021965_23215889.jpg 選曲をしていてすぐに気がついたのが、ストーンズのキャリアがもうすぐ45年になることでした。これじゃあ1回で全部を辿るのは到底無理と諦め、今回はデッカ時代、つまり1960年代で纏めることにしました。それでも、ヒット曲を繋ぎ合わせていくだけでタイムアップという感じです。なるべく話を少なくしようと思っていたのですが、どうも脱線しやすい性格なので、中途半端な感じになってしまったかもしれません。お集まりのみなさん、申し訳ない。

 ビートルズの後塵を拝していた感の否めないストーンズです。常に一歩遅れていましたが、ワイルドな点とシンプルなロックンロールを追い続けたことで独自性が保てたのは、いまにして思えば非常に尊いと思います。
 ストーンズの凄いところがここにあります。デビュー時のレコードと最新の『ア・ビガー・バン』を比べても、シンプルな点ではあまり変わっていません。何しろ音がすかすかです。このすかすかさ加減がストーンのストーンズたるゆえんだと思います。
 ぼくもプロデューサーをやっていたからわかるのですが、音楽の作り手としては、どうも隙間を残したくないという思いが強くなりがちです。ダビングを駆使して一部の隙もない完璧な音を作りたい──これがミュージシャンの特性でしょう。みんながみんなそうではありませんが。
 ところがストーンズのサウンドは隙だらけです。ライヴとほとんど音的に変わりがありません。シンプルなロックンロールをいまだに嬉々としてやっている姿に、ぼくは微笑ましいものを感じます。そして当節、これが一番とは言わないにしても、かなりかっこよく聴こえます。
 それともうひとつ、彼らのレコードは4分とか、長くても5分くらいの尺で終わります。これまた昔と変わっていないんですね。この変わらない姿勢を45年近く続けていて、しかもいまだに世界で最高のロックンロール・バンドであるところがストーンズの凄いところです。
 同時代のバンドはほとんど解散し、解散していなくても多くが「昔の名前で出ています」的な活動しかしていない現状にあって、ストーンズは凡百のバンドが束になっても到底かなわない観客動員力を誇っています。

 最初は音楽好きの不良の集まりでした。そのとんでもない不良たちが、やがて好きな道を本気で追求したくなり、それを何より優先させる生活に入ります。しかし、不良性は忘れていません。それが原点だからです。
 その不良性を、音楽の中やステージ上で爆発させるようになってから、ストーンズの魅力は本物になりました。一番の不良だったミックは、いまやストーンズのビジネスを引き受け、契約からツアーの仕切りまですべてをハンドリングしています。ビッグ・ビジネスのリーダーでもあるんですね。ただの不良にこれだけのビジネスはできません。
 ここまできたなら、彼らにはよぼよぼになるまでやってほしいと思います。腰が曲がり、ギターも椅子にすわらなくては弾けない年齢になっても、すかすかのロックンロールを聴かせてもらいたいものです。彼らが若かったころ、ぼくを含めて当時のロック少年は誰ひとりとして今日のスートンズの姿など想像していませんでした。
 生きていると、いろいろなことが体験できるものです。この先も、楽しいことが一杯あるでしょう。未来のストーンズを観ずして死ぬわけにはいきません。

 ところで、昨日は予想外にいろいろな方がいらしてくださいました。このブログでコメントを寄せてくださっているかたや仲間たち。有難いことです。ばたばたして、あまりお話もできずに終わってしまった方には申し訳ありませんでした。それでも懲りずにまたいらしていただけたら嬉しいです。
by jazz_ogawa | 2006-02-19 23:30 | Works | Trackback | Comments(20)
 「天からの授かりもの」
 リチャード・ボナのステージを観ていると、いつもこの言葉が浮かびます。10年近く前、1997年のことだったとと思います。ジョー・ザヴィヌルのグループで彼は初来日しました。そのときに、渋谷の「QUATTRO」でザヴィヌルから紹介されたのがボナでした。
 このときは彼も若くてちゃらちゃらした印象だったのですが、ステージでベースを弾く姿に圧倒されました。そこにはジャコ・パストリアスそっくりの超絶技巧を駆使するベーシストの姿があったからです。以来、ボナのプレイには注目してきました。

e0021965_135649.jpg 4年前の「ブルーノート東京」。そこで彼がリーダーとなったグループを初めて観ました。そのときの感動は言葉で表せません。「ブルーノート」のステージに神様が降りてきたようでした。テクニックに一層の磨きがかかっていたことは言うまでもありません。しかし、そんなことはどうでもよかったんです。大切なのは、彼の音楽がとても温かだったことです。大地に寝転がって、そのぬくもりを肌で感じる──。そんな気持ちになれる音楽をボナは聴かせてくれました。
 ジャコ・パストリアスの面影も強いし、サウンドはウェザー・リポートの影響を受けています。それでも、ボナにしかできない音楽がそこでは繰り広げられていました。テクニックの凄さを音楽の力とせず、音楽に寄せる愛情が演奏に温かさを加えていたのです。ぼくにはそう感じられました。
 これぞ「天からの授かりもの」だと思いました。もちろん、ボナがここまでくるのには、ひと並外れた努力を重ねたことでしょう。才能に恵まれ、その才能に溺れず努力を積み重ねた結果がステージに結実していたのだと思います。

 昨日の「ブルーノート東京」でも、ボナは4年前の感動を再現してくれました。シンガーとしても類い稀な美しい声の持ち主である彼は、以前にも増してベースとヴォーカルを一体化させ、心に残る歌と演奏の数々を聴かせてくれました。
e0021965_13562287.jpg こういう音楽をどう説明したらいいのかわかりません。ジャズをベースにしたワールド・ミュージックとでも言うんでしょうか? それはメンバーの多彩さにも表されていました。
 ボナはカメルーン出身です。サックスのアーロン・ハイクはアメリカ、キーボードのエティエンヌ・スタッドウィックはオランダ、ギターのイーライ・メネゼスはブラジル、ドラムスのアーネスト・シンプソンはキューバ、パーカッションのサミュエル・トレスはコロンビアといった具合です。
 この国籍不明バンドが演奏する音楽は、言ってみればウェザー・リポートのアフリカ・ヴァージョンみたいなものでしょうか? でも、随所でボナにしか表現できないサウンドが示されていました。
 このいかつい顔をしたボナの音楽に、ぼくはどうしていつも他愛もなく感動してしまうのでしょう? 2年半ほど前にインタビューした際、そのことを彼にぶつけてみました。答えはこうでした。
 「ぼくは音楽で平和を訴えたいと願っている」
 最初に会ったときのちゃらちゃらした印象はすっかり消えてなくなっていました。たまたま9.11が話題になっていたこともあって、こんな答えが返ってきた部分もあります。しかし混迷するアフリカに生まれたボナにとって、平和は生涯の命題なのでしょう。
 アメリカに住んでブッシュ政権を批判していたボナ。彼はきっと強い意識を持って、音楽をクリエイトしているのだと思います。その思いが、ぼくの心の中にある何かを刺激するのでしょう。

 昨日の「ブルーノート」でも、ぼくの神様は素晴らしいベース・プレイと美しい歌声を聴かせてくれました。こんなひとの音楽が聴ける喜び。帰りに知人と食事をしながらも余韻に浸っていました。そして、ちょっと興奮して、知人を相手に喋りすぎてしまったようです。彼らにしては迷惑な話だったかもしれませんが。

 最後になってしまいましたが、今日は駒場東大前での「ONGAKUゼミナール」です。この報告は、明日にでも書きます。
by jazz_ogawa | 2006-02-18 14:04 | ライヴは天国 | Trackback(4) | Comments(6)
 ジム・ホールは大学時代に散々コピーしたギタリストです。彼のナチュラルなサウンドの魅了されたと言えばいいでしょうか? ほかにもバーニ・ケッセル、ケニー・バレル、タル・ファーロウ、ウエス・モンゴメリー、グラント・グリーンなんかが好きなギタリストでした。その中で一番コピーしたのがホールで、次がファーロウかもしれません。
 そのホールがジェフ・キーザーとブルーノートに出演している初日のステージを、昨日は平野啓一郎さんと観てきました。ここしばらく彼のライヴは聴いていなかったんで、高齢ということもあり、内心は「どうなんだろう?」とちょっと心配でした。
 しかしステージに登場したホールは、ルックス的にもこの10年ほど変わっていない感じで、それほど老け込んだようには思えませんでした。75歳になる彼ですが、いつものようにボタンダウンのシャツにネクタイ、それにベストを羽織り、椅子にすわることなく立ったまま1時間以上にわたってじっくりと演奏を聴かせてくれました。

e0021965_071583.jpg 今回は、いまや中堅の仲間入りを果したピアニストのジェフ・キーザーとデュエットです。ピアニストとのデュエットと言えば、ビル・エヴァンスと組んだ『アンダーカレント』が有名です。40年以上も前に吹き込まれた傑作ですが、そのときのホールと昨日の彼と、ギターを弾く上でのアプローチがまったく変わっていないことに驚きました。
 昔からホールは音色をとても大切にしてきたギタリストです。以前、彼にインタビューしたとき、「自分はアンプリファイアード・アコースティック・ギタリストだ」と語ってくれたことを思い出します。アンプにつないでいても、最低限の音量しかホールは出しません。ギターのナチュラルな音色を損ないたくない、というのが理由です。
 そう言えば10年ほど前に『アンダーカレント』が再発売された際、ライナーノーツを書いたのがぼくでした。そこでも同じようなことに触れたと思います。いま売られているCDにぼくのライナーが使われているかどうかは知りませんが、ホールのプレイを聴いていつも見習いたくなるのがその音に対するこだわりです。

 ジェフ・キーザーも俊英と騒がれた時代から、いい音でピアノを弾くプレイヤーでした。だからホールは彼を選んだのでしょう。キーザーはこの日、ほんの少しだけ日本語でMCをしてみせました。彼は日本人の女性を結婚して、いまは知りませんが、横浜の先のほうに住んでいました。そのお宅に以前お邪魔したことがあります。あそこにまだ住んでいるんでしょうか?
 そんなキーザーですから、日本語もそこそこ話せるようです。それで、これは彼のリクエストだと思いますが、坂本龍一の「美貌の青空」も途中で演奏されました。そう言えば、ジェフ・キーザーのごくごく初期のライヴをぼくは聴いているんですね。1989年のことです。
 このときは、ニューヨークの「バードランド」にロイ・ハーグローヴを聴きに行きました。そのバンドでピアノを弾いていたのがキーザーでした。そのときのことを彼の『ヒア&ナウ』のライナーンノーツに書いたことがあります。ちょっと引用してみましょう。

e0021965_031762.jpg ハーグローヴとは面識があったので、バーに腰掛けて何となく近況を聞いていた。そこにやってきたのがキーザーである。聞けばふたりはバークリー音楽大学でルームメイトの関係にあるという。しかも彼らにとって、このときが初めて自分たち名義でやるニューヨークのライヴということだった。
 この夜のライヴは、ロイ・ハーグローヴ=ジェフ・キーザー・クインテットによるもので、他のメンバーはラルフ・ムーア、ウォルター・ブッカー、ジミー・コブというもの。キーザーはこの時点で18歳の大学1年生である。あどけなさを残したふたりが、初めてのニューヨーク・ライヴでどのような演奏を聴かせるのか、少々の不安と共に大きな興味を覚えた出会いだった。
 しかしステージが始まるや、そんな不安が顔を覗かせる余裕も与えないほど演奏には見事なものがあった。中堅、あるいはヴェテラン・ミュージシャンに囲まれ、ふたりが自由かつ奔放なプレイを披露したのである。

 長くなるのでこのくらいでやめますが、あれから17年近くが経っていたんですね。ライヴを観ながらいろいろと思い出していました。

 ところで大失敗をひとつ。昨日は、「ブルーノート」で食事もしたのですが、繊細な音にこだわっているふたりが演奏していたため、音を立てないように食べるのが大変でした。とくにサラダは駄目ですね。レタスやクルトンを噛むと、しゃきしゃきと音がしますから。スモークト・サーモンやパスタは大丈夫でしたが、サラダで隣のカップルに迷惑をかけたかもしれません。どなたか存じ上げませんが、くれぐれもご容赦のほどを。

 最後に宣伝です。今週の土曜日に駒場東大前の「ORCHARDバー」で「ONGAKUゼミナール」を開催します。今回はローリング・ストーンズです。詳細は今月の「Works & Information」をご覧下さい。
by jazz_ogawa | 2006-02-14 23:59 | ライヴは天国 | Trackback | Comments(7)
 昨日は1枚も原稿を書かずに過ごしました。何をしていたかと言えば、昼からサッカーの日本VSアメリカ戦、その後は遅ればせながら「THE 有頂天ホテル」を六本木で観て、夜はオリンピック観戦の一日でした。

 サッカーは大人と子供の試合でしたね。まるで歯が立ちません。とくに前半はほとんど攻められっぱなし。こういう展開は、いつもだと日本が得意にしているんですどね。でも、日本はいつも攻めに攻めてもほとんど点が取れません。しかし、アメリカは攻めただけちゃんと点を取ります。これが実力差でしょう。
 それといつも思うことですが、サッカーの解説者って、どうして楽天家ばっかりなんでしょうね? 前半に2点取られても「まだ時間はたっぷりあります」と期待し、2点差で残り時間10分になっても「引き分けの可能性はありますから」と言います。
 たしかにそうでしょうが、ぼくは2点取られた時点で、「こりゃ大変だ」と思いましたし、3点目が入るとっくの前から、というより、試合が始まってすぐに「もう勝てん」と思いました。
 解説者だからネガティヴなことは言えないのでしょうが、「まだ大丈夫だから」と言って国際Aマッチで逆転勝ちした試合を観た記憶がほとんどありません。ぼくなんかネガティヴ・シンキングですから、1点取られたら、「これから2点取れるだろうか?」とか、「2点取れても、向こうがあと1点取ったら、3点入れるのは絶対に無理だ」などと考えてしまいます。
 サッカー解説者の「まだ大丈夫」から始まって最後は「残念でしたね」という経過を耳にして、いつも思い浮かべるのが高田渡の「値上げ」という歌です。これは総理大臣の答弁を皮肉ったもので、最初は「値上げは全然考えぬ」と断言するのですが、徐々に「年内、値上げは考えぬ」、「当分、値上げはありえない」、「極力、値上げはおさえたい」と来て、「すぐに値上げを認めない」、「値上げはさけられないかもしれないが、まだまだ時期がはやすぎる」、「近く値上げもやむおえぬ」、そして最後は「値上げにふみきろう」と、考えが変わっていく様を歌ったものです。なんだか、解説者の言葉がこれに似ていて、いつも苦笑してしまいます。
 でも、サッカーは面白いですね。中学のときにサッカー部に入っていて、そのときに足首を骨折してクラブ活動を断念しました。整形外科を選んだのも、そのときの入院・手術の体験が影響しています。

e0021965_11383240.jpg 「THE 有頂天ホテル」は面白かったです。こういう面白い映画に細かいことを言っても無意味でしょう。細かいギャグの集積でひとつのストーリーが出来上がっているような映画で、よくこれだけグシャグシャな話がうまく纏まったと思います。三谷幸喜の真髄見たりですね。オールスター・キャストの配役も見事で、どれひとりをとっても十分主役になれるキャラクターを持っています。ただ、こういうホテルに泊まったら疲れるだけでしょうがね。

e0021965_11401148.jpg 帰りに六本木駅の上にある「あおい書店」を覗きました。このブログでお馴染みのヘヴィメタ嬢が編集を担当した『ジャズのたしなみ方』と『マンハッタン・ジャズ・カタログ』がポップつきで平積みになっているというので、ついでに立ち寄った次第です。このヘヴィメタ嬢、優れた編集者にして、影の営業部長(ぼくがそう呼んでいるだけですが)でもあります。
 非常に熱心に書店を廻っては、ぼくの本を営業してくれているんですね。いまでは営業部のひとから営業についてを聞かれるほどですから、影の営業部長と呼んでもいいでしょう。左の写真のポップも彼女の手作りです。有難いことです。

 オリンピックの開会式にヨーコさんが出てきたのにはびっくりしました。ビートルズ時代のヨーコさんの姿には、理由もなくちょっと恥ずかしい思いをしていました。多分、多くの日本人がそう感じていたことでしょう。
 しかし、ジョンと結婚して、それから長い時間が過ぎて、いつの間にかヨーコさんの行動や言動に、同じ日本人として誇りを感じるようになりました。そして昨日は、全世界のひとびとが観ている前で堂々と平和を訴える彼女の力強い言葉に感動したんですね。
 そのあとのピーター・ゲイブリエルが歌う「イマジン」もよかったですが、そこにもしポールが立って、ジョンの「イマジン」を歌ったらなどんなに素晴らしかったでしょう? 歌で世界が変わるかどうかはわかりません。しかし、確実にひとの心は動かせます。それもポールが「イマジン」を歌えばなおさらです。
 ふたりの間、そしてヨーコさんも含めた3人の間に横たわる微妙で修復し難い思いも、それで払拭されるのではないでしょうか? これこそ平和を象徴するシーンになると思いました。
 そう言えば、「THE 有頂天ホテル」の中で香取慎吾が歌う自作の曲によって、佐藤浩市扮する国会議員が自殺することを思いとどまります。これはフィクションの世界ですが、それに近いことって現実にあると思います。

 今日はまったく脈絡のない話ですいませんでした。
by jazz_ogawa | 2006-02-12 11:46 | 映画&DVD | Trackback(2) | Comments(11)
 ぼくが接したミュージシャンの中で、本当におひとよしだったのがギル・エヴァンスです。
 「こんなにいいひとが、どうしてこれまで無事にニューヨークで暮らしてこれたんだろうね」
 友人と大分以前にこんな話をしたことがあります。熾烈な競争社会に身を置きながら、ギルは飄々とした生き方をしていました。そんな彼が、ある日、こんなことを言っていました。
 「もしわたしがきちんとギャラとか印税とかを貰っていたら、裕福な生活ができたと思うよ。でも、お金にうるさいことを言っていい生活ができても、いまの幸せは得られていないだろうね」
 50年代から60年代にかけてのことですが、ギルのおひとよしにつけ込んで、ギャラを踏み倒すプロモーターやプロデューサーもいたそうです。たまにレコーディングをしても、レコード会社が倒産したりして、ギャラがもらえなかったなんていう話もしていました。

 こんな話をしてくれたころのギルは(82年)、日本で言えば生活保護みたいなものを受けていました。なにしろ、ほとんど仕事をしていなかったのですから。
 おひとよしではありますが、ギルには完璧主義者のところがあって、自分が納得できない仕事は引き受けません。それでいろいろとコンサートのオファーが来ても、滅多に腰を上げようとしなかったんですね。そんなこんなで、ぼくがニューヨークに住んでいたときに開かれたコンサートは、「パブリック・シアター」での1回だけです。
 その後、ぼくが帰国する3ヵ月前の83年4月から「スウィート・ベイジル」でのマンデイ・ナイト・ライヴが始まって、晩年のギルはようやく才能に見合う収入を得るようになりました。

e0021965_2315511.jpg その準備に忙しいギルを陣中見舞いに行ったときです。支援者のひとりが提供してくれたワン・ルームのアパートで、床一杯に広げた譜面と彼は格闘していました。ギルの趣味は譜面を書くことと、書き直すことなんですね。このときも、あと1週間で「スウィート・ベイジル」の1回目が始まるのに、まだほどんど準備はできていませんでした。
 それで、いよいよ当日。「スウィート・ベイジル」でのリハーサルに顔を出すと、譜面が用意されておらず、オーケストラの面々を前に、ギルはまだ手直しをしているところでした。
 仕方がないので、オーケストラのバンマス的存在だったルー・ソロフが、ギルの横からいくつかの譜面を取り出して、それでサウンドチェックだけは始めました。これじゃあリハーサルになりません。
 しかも、その音を聴いていたギルが、今度は各メンバーの譜面台を覗きながら、鉛筆でなにやら音符を書き加えていきます。ギルの面目躍如たる姿を目の当たりにした光景でした。
 結局、初日のステージ開始までに、ギルは納得の行く譜面を完成させることができませんでした。休憩時間にも一所懸命になって手直しをしています。そのお陰で、最初のセットと2回目のセットではほぼ同じ曲が演奏されました。
 しろうとのぼくには、どこがどう違うのか、その差がよくわかりません。終わったあとにトランペットで参加していたマーヴィン・ピーターソンに聞いたところ、アンサンブルがかなり違うものになっていたとのことでした。
 このマンデイ・ナイト・ライヴには、飛び入りのミュージシャンが多かったことでもぼくは注目していました。よく登場したのはデヴィッド・サンボーンで、途中から彼はほぼレギュラー・メンバーとなって、最初から席が与えられるようになりました。サンボーンがレギュラー・メンバーとしてギルのオーケストラでもらえるギャラは50ドルです。
 「ほかで仕事をすればひと晩で何百ドルかになる。でもギルのバンドは勉強になるし、彼と一緒にいると気持ちがおおらかになれるんで、お金は関係ない」
 サンボーンはこう言いながら、いつも嬉しそうに演奏していました。

 心優しいギルですが、金銭的には生涯を通して大変だったと思います。割り切って仕事をすれば裕福な生活も可能だったでしょう。しかし、彼は清貧を貫いたのです。ギルは多くのミュージシャンから尊敬されていました。金銭では買えない尊いもの──。ぼくにそれを身を持って示してくれたのがギルです。
 こんなエピソードも話してくれました。あるとき、ギルは生活のためにピアノを手放してしまったのです。するとそれを耳にしたマイルス・デイヴィスが、黙ってピアノをプレゼントしてくれたそうです。それもスタインウェイのグランド・ピアノで、添えられたカードにはこうか書かれていました。
 「これを売ったら承知しないぞ」
by jazz_ogawa | 2006-02-09 23:22 | 愛しのJazz Man | Trackback | Comments(11)
 4日の土曜日は三軒茶屋のライヴ・ハウス「Grapefruit Moon」に行ってきました。敬愛する編集者で、このブログにも何度かコメントを寄せてくれたヘビメタ嬢のライヴがあったからです。
e0021965_23171992.jpg その東京へたるドールズは4人組の女性バンドで、はじめて聞いたんですが、なかなかのヘビメタぶりで感服しました。わがヘビメタ嬢はギタリストで、かなり達者なソロを聴かせてくれました。ラストの曲では、誰が間違えたのか最後のコーラスを飛ばしてしまい、残念ながらギター・ソロもカットされてしまったのですが、それもまたご愛嬌です。

 大人になっても、こうやって仲間と音楽をやっている姿を観るのは気持ちがいいものです。自分もバンドをやっていたことがあったんで、ことさら羨ましく思いました。
 昼間はきちんと仕事をして、アフターアワーズは夢を追いかける。そういう人生を過ごしたいと考えているひとは多いでしょう。でも、なかなか思うようにいかないのが現実です。

 ぼくもずっと夢を追いかけてきました。夢というより、好きなことを、ですね。医学部を卒業して医者になりましたが、ミュージシャンになりたい夢は、もう絶対にかなわないと思いますが、いまも心のどこかに少しは残っています。同級生の大半は、開業するか、どこかの病院でそこそこのポジションにいます。引退して現在は世界中を旅行している友人もいる世代になりました。
 ひるがってぼくはと言えば、20年近く前に大学の医局を去って以来、その日暮らしのアルバイト医者です。どこかに所属するのが苦手で、フリーの医者を気取っていますが、現実は日雇いの労働者で、病気になったら収入がなくなってしまいます。
 しかも根っからの出たとこ勝負派ですから、貯金はほとんどないですし、あればあるだけ使ってしまう日々を過ごしてきました。
 医局を辞めたころは、同級生から「お前、そんなことで大丈夫なのか?」と心配されました。その後も、クラス会や何かで顔を合わせると、「まだ、そんなことやってるのか。少しは年を考えろ」が挨拶代わりになりました。しかし最近では、「お前の生き方がうらやましいよ」とよく言われます。

 ぼくにはどちらの人生がいいのかわかりません。医者としてまっとうな生き方をするのはとても崇高なことですし、大変なことです。友人たちの行き方は尊敬に値します。楽な道を選んだぼくには後ろめたさがあります。でも、たとえ日雇いでも、医者としての誇りは忘れていません。それが唯一、二足の草鞋を履いてこれた原動力になっています。

e0021965_2342020.jpg 好きな歌にブレッド&バターの「あの頃のまま」があります。作詞・作曲は 呉田軽穂、つまり松任谷由実です。学生時代の友人と街で偶然再会したときの情景を歌った曲です。友人はスーツを着てすっかりサラリーマンになってしまったけれど、自分はいまだに街を彷徨い、夢を追いかけている──。
 ぼくも心情的には後者でありたいと思っています。現実は、毎日朝から夕方まで働いて給料をもらっていますから、サラリーマンと同じです。でも、いまだに街を彷徨い、レコード屋があれば入り、ライヴに顔を出し、同じような人生を送っている友人と見果てぬ夢を語り合っています。
 でも、この歌で一番いいところは、どちらの生き方も肯定しているところでしょう。こんな歌詞が心に染みます。

 ネクタイ少しゆるめ 寂しげなきみが
 馴染みの店に 腰すえる夜は
 陽焼けした両足を 投げだしてぼくも
 "SIMON & GARFUNKEL" 久しぶりにきく

 人生のひとふしまだ 卒業したくないぼくと
 たあいない夢なんか とっくに切り捨てたきみ

 For Myself For Myself
 幸せの形に こだわらずに
 人は自分を生きてゆくのだから

 ぼくは、そろそろ初老と言っていい年なのに、いまだに他愛のない夢を見ているんですね。大人になれないというか、学生気分が抜けないというか、幼いというか。そうやって、大学を卒業してから30年が過ぎてしまいました。
 先のことも心配になっているんですが、これからもこれまでどおり、自分の行き方を貫いていくと思います。なぜなら、これまでの人生を少しも後悔していませんし、これからも後悔をしたくないからです。
 そんなことを東京へたるドールズのライヴを観ながら感じていました。

e0021965_2344063.jpg なお、ブレッド&バターの「あの頃のまま」は、オリジナル録音が『LATE LATE SUMMER』、最新録音が『SHONAN BOYS』で聴けます。またユーミンのヴァージョンはセルフ・カヴァー集の『FACES』に収録されています。ぼくはブレッド&バターのオリジナル・ヴァージョンが好きです。また、この歌の歌詞はhttp://www6.airnet.ne.jp/satoumc/yuming/で見ることができます。
by jazz_ogawa | 2006-02-06 23:17 | 平凡な日々 | Trackback(2) | Comments(17)
 今日は本業が午後からなので、午前中は4月に河出書房新社から出す本に使う写真を整理していました。でも、こういう作業ってなかなか進みません。1枚、1枚に見入ってしまうからです。オーヴァーに言えば、ひとつひとつの写真に思い出があるんですね。あのときはああだったとか、このときはこんなだったとか。
 それで、面白いことに気がつきました。悪い思い出がひとつもないんです。みんないい思い出ばかりです。その時点ではいやなこともあったんでしょう。でもそういうのって、無意識のうちに消し去っているのかもしれません。いやな思い出を引きずってもしょうがないですしね。

 写真を見ながら考えていました。これまでにどのくらいのひとにインタビューしてきたんだろうって。相当な数であることは間違いありません。1000人まではいかなくても500人は超えています。それにしても、いろいろなひとがいたなぁ。中でも一番優しく接してくれたのがソニー・ロリンズです。
 そもそもミュージシャンと接していて、いやな気分になったことはほとんどありません。無口なひとや愛想のないひともいます。ぼくにも少なからずその傾向がありますから、気持ちはわかるんです。疲れていたり、何度も同じ質問をされたりして、うんざりのときだってあるでしょう。
 それでも、ミュージシャンは概してインタビューアーには親切なものです。中でもロリンズは最高に優しいひとでした。東京、ニューヨーク、彼の自宅など、これまでにあちこちでさまざまなテーマのインタビューをしてきました。そのたびに、いつも誠実に答えてくれます。だから彼とインタビューしたあとは、ほのぼのとした気分で帰路に着くことができました。
 体験的なことから言わせてもらうなら、ジャズ・ミュージシャンの場合、大物になればなるほど「いいひと度」が上がっていきます。苦労してきたからでしょうか。あのマイルス・デイヴィスだって、実際に接してみると、驚くほど優しいひとでした。

e0021965_23214242.jpg ロリンズとはこんなことがありました。1997年にニューヨークでインタビューしたときです。彼から指定されて、ミッドタウンにあるSIRスタジオに行ったんです。ここは、有名なリハーサル・スタジオで、レコーディングもすることができます。
 どうしてそんな場所を指定してきたのか疑問だったんですが、着いてみて理由がわかりました。ロリンズはフォト・セッションがあると思っていたんです。インタビューだけならもっと簡単な場所で済ませますが、彼はわざわざスタジオを借りて、お洒落をして、その上サックスまでぴかぴかに光らせてぼくを待っていてくれました。撮影するならと、ロリンズなりの配慮だったんですね。
 どうしてこういう行き違いが起こったかと言えば、インタビューのセッティングをしてくれたレコード会社の担当者が勘違いしたんです。ぼくはこの日、2時間かけてロリンズからありとあらゆることを聞くつもりでした。この2時間というのが、勘違いをさせたようです。普通、インタビューと言えば30分、長くても1時間です。それが2時間と言われれば、写真撮影の時間も含まれていると考えても不思議はありません。
 ところがこちらはぼくひとりで、持っているのはインスタント・カメラだけなんですから、焦りました。事情を説明して、平身低頭、ひたすら謝るぼくに、ロリンズはこう言ってくれたんです。
 「今日のカメラマンは君なんだから、そのカメラで撮ろうじゃないか」
 恐縮しきりとはこのことです。
 「2時間じっくりインタビューをしよう。何でも答えるから、遠慮はいらない」
 こんな言葉をかけてくれるミュージシャンに会ったのは初めてです。ロリンズの優しいひと柄に接して、ぼくはとても嬉しく思いました。同時に、こんなに素晴らしい人物にインタビューできることを光栄に思いました。
 これ以前にも何度かロリンズにはインタビューをしていたんですが、このアクシデントをきっかけに、彼にはそれまで以上にいろいろなことが率直に聞けるようになりました。これはインタビューアー冥利に尽きます。こんなひとたちと会えるから、この仕事はやめられません。
by jazz_ogawa | 2006-02-03 23:32 | 愛しのJazz Man | Trackback(1) | Comments(6)
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